文法を愛する者,コンマン.

輪島ライ

文法を愛する者,コンマン.

 ここは平和でのどかなナーロの村。村はずれで陶芸家とうげいかを営むサカキさんは今日も青空の下で物語を書いていました。



「面白いお話を作ろう、楽しいお話を作ろう……」


 いつものように自作の歌を歌いながら、サカキさんは真っ白な紙に物語を一文ずつつむぎ上げていきます。


 サカキさんの本業は食器や雑貨などを作る陶芸家ですが、彼は余暇を見つけては物語を書いて村人たちに読んで貰っていました。



>「あの将軍ならばこの程度の作戦は見抜くと思って居たが、私のキ憂だったようだ。全面攻勢を掛けるなら、今がその時だろう」

>オーベー連合のパントン将軍は、そう言うと副官に進軍の指示を下した。

>「将軍、どちらに行かれるのです?」

>「私はこの目で、この足で前線を見に行くのが習慣なんだ。帰って来た時までに、コーチャを用意しておいてくれ」

>パントン将軍は司令室を出ると駆け足で偵察機に乗り込み、単身で敵情視察に向かった。



 サカキさんの新作は大昔に海の向こうで行われていた大国同士の戦争を描いたもので、迫真の戦場描写には自信を持っていました。


 そんな時……



「待て,誤った文法で物語を書くのは許さないぞ!」

「げえっ、コンマン!」


 マントをはためかせて空を飛んできたのはナーロの村の厄介者として知られるコンマンでした。


 コンマンはサカキさんが向かっている木製の机の近くに着地すると、彼を指さして非難を始めます。


「そこの作家,どうして横書きなのに『、』や『。』なんて句読点を使うんだ! ちゃんと『,』と『.』にしないと駄目じゃないか!」

「ええー、でも私が書いているのは公文書じゃないですし……」

「何を言っている,横書きの文章には横書きの句読点を使うとこの国では決まっているんだ! すぐに直したまえ!!」

「は、はあ……」


 コンマンの指摘を受け、サカキさんは消しゴムを手に取ると文中の記号を書き変えました。



>「あの将軍ならばこの程度の作戦は見抜くと思って居たが,私のキ憂だったようだ.全面攻勢を掛けるなら,今がその時だろう」

>オーベー連合のパントン将軍は,そう言うと副官に進軍の指示を下した.

>「将軍,どちらに行かれるのです?」

>「私はこの目で,この足で前線を見に行くのが習慣なんだ.帰って来た時までに,コーチャを用意しておいてくれ」

>パントン将軍は司令室を出ると駆け足で偵察機に乗り込み,単身で敵情視察に向かった.



「そうだ,それでいい.正しい文法は守られるべきなんだ」

「よ、読みにくい……」


 サカキさんが出来上がった文章に困惑していると、また新たな厄介者が飛んできました。



「こらっ、何て無茶苦茶な考証をしているんだ! この俺が修正してやる!」


 空から現れたのは黒い仮面で顔を隠したコーショー仮面で、彼はサカキさんの文章に一つ一つ文句を付け始めました。


「キ憂という言葉を使っているが、かつてキの国があったのはここの大陸の話で、作中の舞台は海の向こうの大陸だろう! キ憂なんて言葉を使うはずがないじゃないか!」

「そう言われましても、これはキ憂に相当する言葉を話しているという意味で……」

「それなら具体的に書けばいいじゃないか! あとコーチャ文化はこの時代のこの大陸には存在しないぞ! すぐに書き変えろ!!」

「は、はあ……」


 コーショー仮面の指摘を受け、サカキさんは消しゴムを手に取ると文中の表現を書き変えました。



>「あの将軍ならばこの程度の作戦は見抜くと思って居たが,私の無駄な心配だったようだ.全面攻勢を掛けるなら,今がその時だろう」

>オーベー連合のパントン将軍は,そう言うと副官に進軍の指示を下した.

>「将軍,どちらに行かれるのです?」

>「私はこの目で,この足で前線を見に行くのが習慣なんだ.帰って来た時までに,旨い水を用意しておいてくれ」

>パントン将軍は司令室を出ると駆け足で偵察機に乗り込み,単身で敵情視察に向かった.



「やるじゃないか。くれぐれも設定考証には気を付けるようにな」

「うーん、風情がない……」


 サカキさんが出来上がった文章を残念に思っていると、また新たな厄介者が飛んできました。



「そんな文章を書いてちゃダメだよ! ボクがひらいちゃうもんね!!」

「うわあ、また来た!」


 例によって近くに着地してきた少年は漢字をあえてひらがなにする(開く)コツを追求するヒラーキッドで、彼はサカキさんの表現を注意し始めました。


「思って『居た』じゃなくて『いた』、全面攻勢は『掛ける』じゃなくて『かける』、前線は『見に行く』じゃなくて『見にいく』と書いた方が読みやすいよ!」

「作品の面白さには関係無いような……」

「ほら! 関係は『無い』じゃなくて『ない』って書くんだよー!!」


 ヒラーキッドがうっとおしいので、サカキさんは嫌々ながら消しゴムを手に取ると文中の一部の漢字をひらがなにしました。



>「あの将軍ならばこの程度の作戦は見抜くと思っていたが,私の無駄な心配だったようだ.全面攻勢をかけるなら,今がその時だろう」

>オーベー連合のパントン将軍は,そういうと副官に進軍の指示をくだした.

>「将軍,どちらにいかれるのです?」

>「私はこの目で,この足で前線を見にいくのが習慣なんだ.帰ってきたときまでに,うまい水を用意しておいてくれ」

>パントン将軍は司令室を出るとかけ足で偵察機に乗りこみ,単身で敵情視察に向かった.



「いいよーいいよー、文章は読みやすくなくちゃね」

「戦場感はどこに……」


 3人の厄介者のせいで、サカキさんの小説は内容こそそのままですが違和感しかない文章になってしまいました。



「ところでコンマン! この世界にどうして『コンマ』だの『ピリオド』だのといった言葉があるのか説明できるのか!?」

「うっ,それは」

「コーショー仮面はそう言うけどさ、飛行機で戦争ができるような時代が『大昔』なのにどうしてこの村は文明が大して発達してないんだい?」

「た、確かに……」

「えーいうるさい,文章なんて文法さえ正しければ文句を言われる筋合いは無い! お前たちはさっさと立ち去れ!!」

「何だと!? 設定考証こそ一番大事に決まっているじゃないか! お前こそ村から出て行け!!」

「筋合いは『ない』、村から出て『いけ』だよ!!」


「うわあー、もう勘弁してくれえええええええええええええ!!」


 言い争いを続ける3人の厄介者に、サカキさんは頭を抱えて絶叫するしかありませんでした。









「先生、先生、いい加減起きてくださいよ。編集者の前で寝ないでください」

「あ……」


 万年初版止まりの小説家、愁内うれないサカキは仕事部屋のデスクの上で目覚めた。



「パソコン開いて寝落ちするほど頑張られてたみたいですけど、進捗はどうなんですか? ウェブ小説の文脈は理解できました?」

「そりゃもう、分かってきたよ。色んな意見も聞いてね……」


 サカキは書き下ろしの小説単行本があまりにも売れないため、先日から編集者の勧めで小説をインターネット上で無料で公開していた。



>この人本当にプロ小説家なんですか.横書きの文章なのに,句読点の使い方からして間違ってます.


>設定考証が雑ですね。中世ヨーロッパにはジャガイモは存在しませんよ。


>漢字を適切に開いてないじゃないか。こんな読みにくい文章じゃ書籍化なんて夢のまた夢だよ!



 小説投稿サイトのコメント欄に寄せられた読者からのクレームを改めて見て、サカキはこういった意見を真に受けるのはやめようと思った。



 (完)

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