最終話 『結実』との別れ
感謝の言葉を耳にした結は満足そうな笑みを浮かべてゆっくりと頷く。
「なんのなんの、気にすることじゃないさ。あたしも心残りだった最後の約束を果たせて安心したよ」
「最後の約束……?」
「これのことよ、勘助さん」
結の言葉が気になった勘助に、真千が傍らにあった小さな巾着袋の中を開く。そこには『誓』の文字が記されている紙が、綺麗に真二つに割かれたまま入っていた。
「……その紙は
「昔、私が結実の樹の実を食べた時に名前を失ってしまった時に、これを授かったの。どうしても私一人では解決できないことが起きたなら、これを真二つに割くように。そうすればどこにいても白雲さまが駆けつけてくださると……」
「本来はお真千が『結実』の方に引っ張られて、どうしても結実の樹の実が食べたくなってしまった場合ってのを考えて渡したものだけれどね。ま、子供の身を案じているから手助けが欲しい……なんて使い方で済んで良かったのか悪かったのかはわからないけどさ……」
結が困ったような笑みを浮かべながらそう話すの聞いた真千は、熱も無いのに課を真っ赤にして俯いてしまうが、そこで勘助が口を挟む。
「あんたとお真千はいつでも繋がってる訳じゃあねえのか?」
「ああ、そうだよ。勿論近くに居れば特に口を開かずとも大抵のことは通じ合えるけど、遠くにいる『結実』同士が通じ合うのは中々難しいものさ。まして、お真千が結実の樹の実を食べたのはただの一度で、『結実』としての繋がりも薄いからね。あたしとお真千が常に繋がっていられるのは、この宿場の周りぐらいまでが限度で、あとは、先程みたいな結実の樹に誰か還る瞬間を感じ合うくらいだね」
結はそう言って、これで話はしまいとばかりに大きく伸びをするが、そこで勘助は最後の質問を結にぶつける。
「……結局、お真千の病の原因は何だったんだ?」
「まあ、永らく実を食べてないことで体の変化が止まってしまったのもあるだろうけど……一番の理由は間違いなく働きすぎだね。ここに来てから久しぶりにお真千と繋がってみれば、十の年の間ろくに休みを取らずに子育てに一座のことにとずっと働きづめだったって言うから、呆れて物も言えなかったよ。いくら結実の樹の実を食べたからって、そんなに体を酷使してたらそりゃ病にもなるさ。結実の樹の実は別に不死を得る果実じゃないんだから」
結は呆れた声でそう言って真千の方を見やるが、真千は恥ずかしさのあまり顔を両手で覆ってしまい結のことを見ようとしない。それを見た勘助は吹き出した。
「ははははは、要するにお実代ちゃんが言っていた通りだったってわけだ。お真千、これからはお実代ちゃんの言うことも少しは聞いてやらねえとな」
「……もう! 二人とも言い過ぎです……」
「はは、まあでもこれから当たり前の人として生きていくならば、少しは休むことも覚えるんだね。結実の樹の実を食べながらそれに頼らず生きていくのだからさ」
結は笑顔を浮かべながらも真剣な口調で真千に忠告し、更に勘助にも告げる。
「勘助とやら、あんたもしっかりするんだよ。無茶をしがちな嫁さんとその連れ子の面倒を見るんだからさ。仮に次に見た時、一人でしけた面してほっつき歩いてたらその場でぶん殴ってやるからね」
「心配しなさんな。俺はもう逃げねえと誓ったからな、白雲さまよ」
勘助はそう言って胸を張ったものの、それでも結は心配そうに勘助を見ていたが、真千が静かに微笑んでいるのを見て取り、苦笑する。
「思ったよりこの男を信頼しているんだね、お真千?」
「はい……私も、勘助さんと共に歩きたくなりましたから……」
結の問いに真千はまた顔を赤らめながら恥ずかしそうに話す。勘助は穏やかな表情でそんな真千とその下にいる実代を見つめた。
「歩く、か……そういやお実代ちゃんはどうするかな」
「実代には私から伝えるわ。その上でこの子の自由に任せるつもり」
「良いのか?」
「この子にだって選ぶ権利はあるわ」
「そうだな」
真千と勘助は揃って眠っている実代に視線を向け、それを見ていた結が静かにつぶやいた。
「親子の情愛とは、幾星霜と年を経ても変わらぬ、千代の真実である、か……」
それきり話し声は響かなくなり、後には夜の闇と空で瞬く星々だけが残された。
夜中の会談から二日が過ぎ、一座の臨時公演が開催された。
急な開催にも関わらず、宿場のみならず近隣からも多くの観客が集まり曲芸や芝居に歓声を上げた。
中でも一番多くの歓声を集めたのが実代の芝居であった。主人公である生き別れた父を探して各地をさすらう可憐な少女を完璧に演じきった実代に対し、観客たちも惜しみない声援と拍手を送っている。
そんや舞台の様子を遠巻きに見守っていた結は、芝居が終わると同時にその場を離れて、宿へと向かう。
宿では病み上がりの真千が結の来訪を待っていた。既に真千の病は完治しているのだが、周囲からの勧めもあって大事を取っていたのである。
もっとも、『結実』として繋がっている真千には結が見聞きし感じたことが通じ合えるため、その場に居合わせなくともある程度は舞台の様子は掴めていたのだが。
「……やはり、直に見ていないというのはもどかしいですわね」
「そりゃそうだろうさ。鏡越しに遠くの景色を見ているようなもんだからね」
どこか疲れたようにつぶやく真千に結はうなずく。
「でも、何も分からないよりはずっと楽しい思いをさせていただきましたわ。ありがとうございます、白雲さま」
「礼ならいらないよ。あたしも久々に芝居を見せてもらえて楽しかったからね」
そう言った後、結は遠くを見るような面持ちに変わる。
「……心置きなく結実の樹に還れそうだよ」
「本当に行かれてしまうのですね……」
「ああ……あたしは少し長く生きすぎた。本来ならばとうの昔に結実の樹に還っていなきゃならなかったのにね」
真千は沈痛な面持ちで語り掛けるが、それに対し結は淡々と答える。既に覚悟は固まっていると言わんばかりに。
「恐れは……無いのですか」
「そりゃ怖いさ。だから、今の今まで還ることなく実をくすねて生き永らえてきたんだしね」
「今は違う、と……」
「ああ、お前さんたちを見ているに気付いたのさ。全ては還るべきところに還るべきだ、とね」
結はただただ真千の顔のみを見てそれを告げ、真千も恐れることなくその視線を受け止める。
「私は……私の帰るべきところは……」
「それはこの間答えを出しただろう? あたしの答えとあんたの答えは違っていていいんだ。それにあたしはあたしの出した答えを『結実』に伝えなきゃいけない」
「伝える……?」
「死んで『結実』と一つになるということは、あたしの得てきた全てを『結実』に捧げるということでもある。そうやって『結実』は自らが知り得ないことも知り、己自身を育ててきた」
そこで真千ははっとなり、驚いたように結を見る。
「白雲さま、それは……!」
「『結実』には父も母もいなかった。成長しても夫も子供も出来ないままで樹の中に入っちまった。だから、己の魂を食わせて自分の写し身を作るって形でしか自分を伝えられなかったのさ」
「他の『結実』たちは……」
「どいつもこいつも簡単に『結実』に飲みこまれていったよ。あんたやあたしみたいに己を保てる方が珍しいからね」
結が肩を竦めて言うと、真千が身を乗り出してくる。
「それなら、私も一緒に……!」
「あんたには大事な家族がいるだろう? それにあんたまで還ったらあたしの後で『結実』のことを後世に引き継ぐ者がいなくなっちまう。これは『結実』からその名を頂いた、このあたしがやるべき仕事なのさ」
「白雲さま……」
真千は気が抜けてしまったようにその場にへたり込み、結はそんな真千の手をそっと握る。
「頼んだよ、真千。あんたはあんたの道を歩けばいい。『結実』に母親として生き、母親として死ぬとはどういうことかを示してやるんだ。あたしが伝えることとあんたが示すこと、それが『結実』に届いたのなら、あたしたち『結実』の長い長い道程も終わるはずだ」
「……分かりました。私にできる限りのことは」
「それでいいよ……すまないね、結局あんたには厄介事ばかり押し付けて」
そこまで言うと、結は握っていた手を静かに離して立ち上がった。
「それじゃあ、あたしは行くよ。実代と勘助には宜しく伝えとくれ……ああ、実代にはあと一言『いい芝居だった』というのも言っておいてくれると助かるよ」
「はい……白雲さま、どうか御達者で……」
「真千、あんたもね」
別れの挨拶を交わすと結は毅然とした態度で部屋を立ち去り、真千は実代と勘助が返ってくるまでの間、ずっと結の去っていった方角を見たまま動かなかった。
その後、実代は三十まで生きたものの流行病でこの世を去り、勘助も五十を前にして亡くなったという。またしても一人残されてしまった真千であったが、結との約束通り最後まで『結実』になることなく天寿を全うし、公称で七十まで生きていたということであった。
そして、時は流れて不老長寿を授けるという神仙の霊薬の噂もいつしか廃れていった。
果たして結実の樹がどうなったのか、それを知る者は誰もいない。
千代の真実(ちよのまこと) 緋那真意 @firry
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