第11話

 葬儀に参加したのは僕の横に並んで参列者を見送っているマリアと僕、そして僕らに見送られている四人だけだった。

 最後の挨拶を交わした四人がとぼとぼとした足取りで墓から離れていくのを僕らは墓の横で眺めていた。あたりは今朝降った雨のせいで少しぬかるんでいて、僕は誂えたばかりの黒靴の縁についた泥をティッシュペーパーで拭くと、ついでにマリアの靴についた泥も落としてあげた。

”Muchas gracias Gorge(ありがとう、ホルヘ)"

 譲治という名の僕は、僕たちが働いている職場、つまりバルセロナの日本総領事館ではホルヘと呼ばれている。


 日本人男女が二人重なり合って死んでいるという情報が警察から領事館にもたらされたのは週末間近の金曜日午前中だった。最初の一報を受けたのはマリアで、彼女は上司に報告するとすぐに現場へ駆けつけた。たまたまその日、僕はオフで街で買い物をしていたのだが緊急の呼び出しを受けて仕方なくオフィスに向かった。

 バルセロナに居住する日本人の女性が経営する”Kioto”という不動産屋の社長は前日の夜、それもだいぶ遅い時間に売ったばかりのフラットの所有者から連絡を受け、その日そのフラットを訪れた。

 不動産の所有者は三か月前に突然その不動産会社を訪れフラットの購入を依頼した。たまたまいい物件があったので紹介すると女性はすぐに気に入って手付金を支払った。歳も同じくらいだったので打ち解け、いずれはバルセロナに移住するつもりだと言ったその女性に再開を約して別れたのだが、去年の年末に連絡があり年が明けてすぐにちらへ来ると言ってきたそうだ。

 フラットを訪れベルを鳴らしても返事がなく、その場合には預かってあった鍵で中に入っていてくれと言われていたその女性は気兼ねなく中に入ってリビングで待っていた。しかしいくら待っても主人が帰ってくる様子はなく、念のため確かめに入った寝室で、呼び出したフラットの所有者が見知らぬ男とベッドで抱き合ったまま横たわっているのを見て仰天した。慌てて一瞬ドアを閉じたが中からことりとも音がせず、反応もないのを奇異に思って彼女はもう一度ドアをそっと開いてみた。そして・・・腰を抜かした。

 最初は殺人事件かもしれない、という緊張があった。明らかに最初に死んだのは女性で、そのあとに男が女性を固く抱きしめて女性の飲んだ毒を口移しで飲んで死んだのだ。その上、女性の左手はベッドの枠に縛られていた。男性が無理心中を図り、女性を毒殺した後自らも死を選んだのだ、という見立てはその時点では当を得たものだった。

「かなりの青酸、あるいは青酸化合物の量による死亡。薬物はおそらく青酸カリで致死量の4-5倍。1000㎎ほど飲んだ可能性がある女性はほぼ即死に近い。男性は、おそらく女性が死んだあとに彼女の口腔内から摂取したのだろう。こちらは数分から十分程度は生きていた可能性があるがあまり苦しんだ痕跡がないのが不思議と言えば不思議だ。殺人の末の心中だと考えた場合、自分の飲む分を確保せずに全量女性に飲ませたことは謎だが、女性に飲ませそれを経口で摂取することで女性との関係を明白にしたいという意図があったのかもしれない。だが、二人が性行為をしたあとはない。若干、状況に矛盾することがあるのは否定しないが、とりあえず殺人事件として捜査を行う」

 それが当初の捜査方針だったらしい。

 だが、スペインから問い合わせを受けた日本の警察からの連絡で、女性が手術の困難なガンに罹患しており、その女性を連れ戻すために男性がこちらにやってきた、という連絡があった時、スペイン警察は首を傾げた。遺体はそのまま警察に移され、そのままの状態で検死が行われた。検死の結果は当初の見立てと同じだったが、方針は大きく転換していた。女性が自殺し、男性は後追い自殺であろうという見方がほぼ固まっていた。そして、フラットの所有者が不動産屋に電話をしたのは万一の際に、自分の或いは自分たちの死を発見してもらう為だったのだろうと推察された。


 翌々日の日曜日、男性の家族と知人、そして女性の代理人である弁護士が同じ飛行機でパリ経由でバルセロナにやって来る事になった。僕は彼らを空港でピックアップして領事館の保有するバンに乗せると言う業務を仰せつかった。日曜日だというのに・・・。不満そうな僕をマリアは背中をやさしくたたいて送り出した。そのうち代休が取れるわよ、そう言って。


 車の中で・・・彼らは互いに一言もしゃべらなかった。

 知人である医師は二人の高校時代からの友人で、かつ女性の担当医師であった。宮本と言う名の医師は憔悴しょうすいしきっていた。男性の妻と娘と比べてさえ明らかに疲労の色が濃かった。男性の妻は呆然としている様子だったが、娘は明らかに怒っていた。そして女性の方の代理人は日本の地方議会の議員から依頼されて急遽飛んできたということだった。彼の感情はその能面のような表情からだけでは読めなかった。

 その四人が偶然とはいえ同じ飛行機に乗って来たのは運転をする僕の身には好都合だったが、同じバンに乗せられた彼らにしてみれば居心地の悪いものであろうことは容易に想像できた。

 問題は彼らにどう言って遺体を見せるかであった。なぜか警察も裁判所も二人を引き離すことに難色を示した。警察は奇妙なことに「検視は済んだ、もし遺体を引き離すなら日本に運んだ後に日本で行ってくれ」と主張した。

 この主張は厄介なものだった。それは二人をそのままの形で遺族に見せなければならない、という問題と共にそのままの形で日本に運ぶということを意味していた。もし、それをするならば、おそらく数百万円の費用が掛かることが予想された。つまり、その費用を負担しない限りこの二人の遺体はそのまま葬るか、あるいはそのまま火葬して骨が混じった形で遺族に返却しなければならないことになる。それを説明しなければならないのは・・・我々だった。


「日本の警察からこちらにも連絡があった。女性の居住先を調べた結果、薬物は女性がネットで入手したものだと分かったそうだ。どうやら別の薬に忍ばせて女性がスペインに持ち込んだものらしい。いざと言うときに苦しまずに死ぬためのものだったんだろうな」

 取り敢えず領事館近くのホテルに三組四人の乗客を降ろしてオフィスに戻った僕に向かって、僕の上司の一等書記官がそう言った。

「宇都宮さん、それはともかくとして、あの二人の死体をどうやってご家族や親友に確認させたらいいのか、教えてくださいよ」

 僕は切羽詰まった声で上司に訴えた。警察の遺体安置所では通常と違う形で二人の遺体は収められていた。布をかぶせられてはいたが、抱き合う二人の姿は布の上からでも生々しく想像できた。その姿を遺族に見せろ、というのだろうか?

「正直に言ったらどうかな。みたくないと言う反応があったら顔だけの写真を写して、写真でご確認くださいっていうのはだめかな?」

 死体確認をそんな形でできるのかはなはだ疑問だったが、この国では許されるかもしれない。頭を抱えながら僕はマリアに助けを求めた。彼女もまたこの件にアサインされていたのだ。

「とりあえず、宇都宮さんの言った通りにすればいいんじゃない?」

 マリアは言った。

「ホルヘは見たの?二人のこと・・・」

「いや、布をかぶせた状態でしか見ていない」

 僕は正直に答えた。五十八歳の男女が何もつけずに抱き合って死んでいる姿を見たいとも思わなかった。

「私は見たよ。とてもきれいだった。まるでRodinのLe Baiserみたいだった」

「え?なんだって」

 僕は聞き返した。

「ロダンの彫刻・・・日本語では『接吻』ていう題の男女の抱き合う彫刻よ。もともとはダンテの神曲のモチーフで製作されたの」

 マリアはできの悪い生徒に教えるみたいに言った。

「へぇ」

 としか僕は答えられなかった。マリアは大学で美術を学んでいた。そのせいか、時折彼女の比喩は僕には全く分からない・・・というか刺さらないことがある。

「まあ、彫刻ならともかく、相手は生身の人間だし・・・弱ったなぁ」

 ぶつぶつ言ったが、宇都宮さんの提案に乗るしかないことは分かっていた。

「警察はパスポートと比較して本人確認は必要ないと言ってきた。だからあくまでご遺族・友人との対面という形でいいぞ」

 宇都宮さんが思い出したかのように僕に声を掛けた。それを先に言って欲しかった。舌打ちをこらえ、僕はマリアと一緒にホテルへと向かった。


 ホテルで集まった四人を三組に分け、僕は遺体安置所での面会について一組ずつ説明をした。女性側の代理人は写真で構わない、とあっさりと言った。それはそうだろう。彼は純粋な当事者ではない。問題は男性の妻と娘だった。およその状況は知っていたはずだが、遺体がいまだにそんな状況にあると知って娘は真剣に怒り出した。

「母さんもちゃんと言いなさいよ。そんな失礼な話がある?結婚して30年たって、相手が別の人とそんな姿でっていうだけで腹が立つのに・・・」

 もっともな話だ。けど、

「お母様におっしゃっても仕方ないでしょう。私どもも困惑しているのですが、どういうわけかこちらの司法関係者の許可が下りずに・・・。物理的にも遺体を傷つけないで離すことは難しいようですが」

 男性が女性をあまりに強く抱きしめているから・・・というのはさすがに言いづらかったが、気の強そうな娘は発言した僕をきっとした目で睨んだ。

「それをなんとかするのが日本の政府のお仕事じゃないんですか?」

「それはそうですが・・・」

 半分くらい頷きながら僕はマリアに助けを求める視線を送った。確かにその交渉は日本政府のお仕事のひとつではあるかもしれないが、かといって政府のお仕事は抱き合って死んだ男女を引き離すこと・・・ではない。女性の感情は男性である僕にはうまくコントロールできない。マリアなら少しは分かるのかもしれないけど・・・。この娘さんに、場合によってはその状態のまま日本へそのまま輸送しなければならない、なんてことを言ったら何を言われるか分かったものじゃない。僕は内心頭を抱えていた。

「お気持ちは良くわかりますが、警察がそう言っている以上、この国ではくつがえりません。取り敢えずお写真をお取りして確認して頂けるという形で進めさせていただけませんか」

 横からマリアがフォローしてくれた。

「だから・・・」

 声のトーンを上げた娘の横で、奥さんがぼそりと、

「それで結構です」

 と答えた。

「お母さん」

 大声を上げた娘を制するように、

「これ以上、この方々にいろいろ言っても仕方ないでしょう?これは身内のことなんだから」

 そう諭した母親の言葉に娘は黙った。

 最後の医師は憔悴しょうすいした顔で、前の二組の結論を知ると、

「なら、私が代わりに見ます。一人は私の患者でしたし、もう一人は私の友人だ。いや二人とも私の高校時代の友人ですから」

「そうですか、ではよろしくお願いします」

 頭を下げた僕に一瞬彼は何かを言いたげな視線を向けたが、そのまま黙ってしまった。


 安置所で遺体との面会を終えた四人は来た時よりも神妙な面持ちでバンに乗り込んだ。実際に対面をしたのは医師一人で残りの三人は僕がその場で写した写真を見ただけであったが、遺体の表情に何か思うことがあったのであろう。僕自身も初めて遺体そのものを見たのだが、マリアの言ったようにそれはまるで宗教の彫像のように見えた。僕が想像していたものとは・・・違った。

 口づけをしたままの二人を別々に写真に収めるのは困難な作業であったが、横顔の一部を何とかうまく写真に切り取った。女性の目は閉じていたがその表情にはどこか安らぎがあり、男性の眼には彼女を思う優しさが封じ込まれていた。二人の姿からはどこか神々しいものさえ漂っていた。あれだけ騒いでいた娘も父親の最期の表情を見て黙り込んだ。

 警察と事務的な打ち合わせをするためにマリアはその場に残り、四人を車に乗せると僕はホテルへと向かった。ホテルで四人を下ろし、今後の遺体の処理については現在関係者と協議中とだけ伝え、今日中にも再度連絡をすると伝えると、医師を除いた三人は部屋へと戻っていった。宮本と言う医師だけは僕に話があると言ってその場に残った。


「どういったお話でしょう?」

 僕はホテルに併設されているカフェの端っこの席で向かい合わせに座っている医師に問いかけた。正直、相手が遺族ではない、ということが気楽ではあった。

「石川さん。私はこのあとすぐに日本に戻らなければならない仕事があるんです」

 医師はそう言った。石川と言うのは僕の苗字だ。この国でホルヘとばかり呼ばれていると、時々忘れかけてしまう。

「もちろんです。家族でもいらっしゃらないあなたがわざわざここまで駆けつけてくださったということに亡くなったお二人も感謝しているでしょう」

 僕はありきたりの言葉で答えた。

「ですが・・・」

 医師は苦悩に満ちた視線を僕に向けた。

「あの二人の仲を知っていたのは私一人だったのです。その私がこの事態を招いた責任の一端を持っているのかもしれない。いやたぶん持っているのです」

「どういうことでしょうか?」

 医師は痩せた頬を撫でた。薄いひげが生えかけていた。

「知花由香が私の患者だったということはご存じでしょう。その彼女が診療をキャンセルしてどこかにいなくなった時、私が立花に電話をした。二人が何らかの形で付き合っていたことを私は知花の言葉で察していました。それで彼と会って知花が病に侵されているという話もしました。彼は男女関係にはないと言った。だからここまでのことになるとは思っていなかった」

 そう言うと彼は持っていた鞄から印刷された紙を取り出した。

「もし、良かったら読んでください。いったいこれをどう遺族に伝えるべきなのか、伝えない方がいいのか、私一人では分からない」

「拝見させていただきますが・・・」

 その印刷物はそこそこの量があった。ここで読み終えるのは難しそうだ。医師も当然そう考えたのだろう、

「ええ。私は明日の便で帰る予定です。もしそれまでにご意見を聞かせていただければ・・・。もとの文章はファイルに残ってますので、それはお持ちいただいて結構です」

 そう言うと憔悴した頬を窪ませたまま医師は部屋へと戻っていった。僕は目の前に置かれた印刷物を眺め、ため息を吐いた。


 マリアがオフィスに戻って来たのは僕が戻ってから一時間半も後のことだった。

「どうだった?」

 僕の問いにマリアは首を振った。

「警察はもうこれ以上の対応はしない。引き取るならそのまま日本に運んで行けの一点張り。一応宇都宮さんには報告して、もう一度交渉をしてもらうことになっているんだけど・・・」

「うん?」

「私はそのままでいいかなと思い始めてきた」

 マリアは視線を落とした。

「どういうこと?」

「宇都宮さんから聞いたんだけど・・・」

 マリアの話では、最初に二人の遺体を見つけた不動産業者の女性が、実は亡くなった女性がこのバルセロナで墓地まで購入していたことが分かったのだという。そして十分な金額の埋葬の費用まで前渡しをしてあった、とのことだった。スペインでは今や火葬が主流になりつつあるが、キリスト教の本来の葬儀形式である土葬も少なくない。そのまま・・・ということは二人が抱き合った姿のまま土に還ることを意味しているのだ、とマリアは補足した。

「十分って?」

「よく分からないけど・・・そのまま墓地に納められるくらいってことじゃない?」

 まさか・・・遺体の女性はこの事態を予見していたのだろうか?だが、警察の調べでは女性側は男性まで死に巻き込むまでは考えていなかったのではないか、という話だった。敢えて自分の手をベッドに結び付けさせたのは男性が逃げることができるように配慮したのだろう、とその行為を結論付けている。彼女は彼の腕の中で死ぬことを望んだ。だが、男性が一緒に死ぬことまでは強要するつもりはなかった、そう言うことだ。

 でも・・・。

 考えが混乱した私はマリアの手に包帯が巻かれているのに漸く気づいた。

「どうしたんだ、それ?」

「話をどこからか聞きつけた男がいて、写真を撮ろうと不法侵入をしたの」

「マスコミかい?」

「本人はそう主張していたけど、たぶん嘘。遺体安置所の誰かに金を渡して写真を撮ろうとしたんだと思う」

「捕まえたのかい?」

「ううん、逃げた。その件で警察に行っていたの」

「大丈夫か?」

「うん、無理はしなかったから。相手も誰もいないと思って入って来たの」

「マリアは何をしていたんだい」

「スケッチ・・・」

 マリアは気弱気に応えた。

「一応、許可はもらっていたんだけど」

 自分のしたことが写真を撮りに来た男の行為と違っているのか、どうか心もとなかったんだろう。

「だって・・・」

「わかるさ」

 僕は答えた。写真を撮りに来た男はそのスキャンダラスな面を撮りに来たのに違いない。今の世の中にはページビューという新しい価値がある。マリアは・・・彼らの姿をただ残したかったのだ。それは同じようでいて天と地ほどの違いがある。その違いは「敬意」という言葉でしか表せない。だが、敬意という言葉はある人々にとっては全く理解できないものなのだ、そう言うと、

「ありがとう」

 マリアは頷いた。 

 僕たちは残りの時間を事務処理に割き、定時にオフィスを一緒に出た。僕たちが付き合っていて、一緒に住んでおり、もうすぐ結婚をするというのは公知の話だ。家に帰ると、マリアは食事の用意を始め、僕は医師から渡された印刷物を読み始めた。

「何、それ?」

 オーブンに今日の夕食の材料を入れたマリアがダイニングルームに戻ってきて、僕に尋ねた。

「あのお医者さんに渡されたのさ。亡くなった人たちの経緯が書いてあるんだって。遺族に見せるか見せないか、意見を求められたんだ」

「へぇ。終わったら私にも読ませて」

 そう言いながらマリアは僕の足に体を乗せると覗き込んできた。

「いいけど・・・。結構な量があるよ」

 マリアは日本語には堪能だが、やはり文字はハードルが高い。ひらがな、かたかな、漢字・・・いったい何通りの文字があるの?と良くぶつぶつ言っている。僕らが小学校の時に思ったのと同じことだ。

「だいたいは読めると思うし、分からないとことがあったら聞くから」

「そうか・・・」

 答えながら僕の眼はすでにその最初の章の文字を追い始めていた。


 チキングリルをワインで飲み干すと、僕らは僕の持ってきた印刷物を黙々と読み進めた。マリアは時々首を捻って、物問いたげに僕を見たが、僕の邪魔をすることはしなかった。8章から成る文章を読み終えた時は夜の十時を回っていた。

「・・・」

 読み終えてもなんとも言うことはできなかった。二人は四十年の時を経て、邂逅かいこうした。それは四十年たっても消えなかった二人の心の底の熾火おきびを燃え盛らせ、そして結末を迎えた。もし、彼女が病気にならず、その恋が続いたとしたらどうなったのか、僕には分からなかった。けれど、生まれ変わったら一緒になろう、という彼の言葉に彼女は救われた、ということは確かだ。人は思いに任せないとき、そんな救いを求めるのだ。そして彼らは旅立った。生まれ変わって一緒になる、そういう思いを共有して。ばかげた話だ、と笑い飛ばすことはできなかった。マリアも同じ気持ちだったのだろう。

「とにかく・・・これを遺族に見せてもあまり救いにならないだろう」

 僕は呟いた。二人の間に肉体関係がなかった、という即物的な事実よりもこの二人が精神的に愛し合っていた、という事実の方が遺族を打ちのめす可能性の方が遥かに高い、僕はそう思った。

「そうね」

 マリアは同意した。

「私には分からない部分もたくさんあったけど・・・でもこの二人が愛し合っていたことだけは確かね」

 彼女はバッグの中からノートを取り出すと、彼女の描いた数枚のデッサンを見せてくれた。二人が抱き合うさま、女性の表情、男の顔、二人の口づけ・・・すべてが2Bの濃い鉛筆でなぞられていた。彫像なのか、遺体を描いたのか、これを見せられても誰も分からないだろう。

「百年たって・・・」

「ん?」

「二人がそのまま眠っていられるとしたら、お墓がなんかの拍子に開けられたとき、それを見た人はどうおもうんだろう?」

「・・・」

「それも一つの愛の形だと思うのかしら」

 マリアはしみじみと言った。

「そうかもしれないね」

「だとしたら、それも芸術なんだろうね」

「・・・芸術?」

「世の中の芸術は愛と死と、その他から成り立っている。そして見る者の心を揺り動かす」

「誰の言葉」

「知らないけど」

 その夜、僕とマリアはいつもよりちょっと長く、ちょっぴり激しく愛し合った。理由は・・・良く分からない。


 翌日、ホテルに赴くと宇都宮さんはもう来ていた。遺族にスペイン側の意向を説明するためにはまだ新米の自分だけでは事足りないと僕は上司に頼み、宇都宮さんは、

「仕方ないだろう」

 と救いの手を差し伸べてくれた。

 遺族と関係者は約束の時間にロビーに降りてきた。その中に宮本医師がまだいるのを見て僕は首を傾げた。飛行機に乗るためにはもうホテルを出ていないといけない時間だった。

「考え直したんです。二人を最後まで見送るのがせめてもの自分の役割だって。病院には連絡しておきました」

 ツィードのジャケットを着た医師は僕と宇都宮さんにそう説明した。前日、宮本医師と僕が話したのと同じカフェで六人は一つのテーブルを囲んだ。宇都宮さんは遺族の気持ちを汲んだ、落ち着いた調子で説明を終えた。

「もし、日本への搬送をお望みならば、こちらから航空会社に要望を出しましょう。費用もなるべく抑えられるように交渉をします」

 説明を終えると、関係者たちは沈黙した。最初に沈黙を破ったのは女性側の代理人として来た男だった。

「すでに関係者と連絡を取って、この件については私共は立花様のご遺族のご意向に沿って対応することに致します。もし日本への搬送を希望されるならば、搬送およびそれに伴うもろもろの費用については応分の負担を致しますが、本人の希望もあり、再度こちらへ搬送し直してこちらの墓地へ埋葬するつもりです」

 男は淀みのない口調で言い終えると、男性側の遺族を盗み見た。予想通りの展開だった。男性側の遺族はおそらく搬送の費用の全額を要求し、女性側の代理人は日本に連絡し、或いは連絡したふりをしてその要求を呑むことになるだろう。女性が亡くなった地方議員の一人娘でそれなりに資産があるという情報は僕たちも得ていた。場合によっては慰謝料も請求しかねない。それはさすがに難しい部分もあるだろうがこの場で決着をつける筋合いのものではない。

 だが、男性側の遺族の答えは意外なものだった。

「こちらで埋葬いただいて構いません」

 男性の妻はしっかりとした口調でそう語った。女性側の代理人の眼が見開かれた。

「それが主人の望みでしょうから」

 横で聞いていた娘がわっと、泣き出し僕はあたりを見回した。だが、それに気づいた他の客はいなかった。

「宜しいんですか?」

 宇都宮さんは穏やかな口調で尋ねた。

「はい。でも、遺髪だけは頂いて持って帰りたいと思います」

「分かりました。それでは、葬儀の手配はこちらで進めます。といっても殆ど故人が手配済みのようですが。よろしいですね」

 最後の言葉は女性側の代理人に向けられたものだった。

「お任せします。追加で費用が発生するときはご連絡ください」

 女性側の代理人はそう言って初めて頭を下げた。


 部屋に戻りかけた一行の中から宮本医師だけに留まってもらい、僕はあのメモは少なくとも当面遺族には見せない方がいいだろうと意見を述べた。

「そうですね」

 宮本医師は頷いた。

「おそらく今、見せなければ一生見せることはないでしょうが・・・私もそう思います」


 それから、マリアと僕は急いで彼女にフラットを売った不動産業者のところへ向かった。その社長は彼女から様々な委託を受けており、墓地の手配をしたのも彼女だった。

 "Kioto"という名前の不動産会社は領事館でも良く知られており、社長も領事館が時折開く行事やパーティに協力してくれる人で、バルセロナに住み始めて既に30年近くになるなかなかなかの女傑だった。その社長は幸運なことに客先から戻って来たばかりだった。

「ああ」

 僕らが自殺した男女のことで訪問したと聞くと、女社長は微妙な表情をした。歳は60歳前後だが、派手な衣装のせいか年よりは若く見える。

「本当にねぇ、あれを見た時は魂消たまげたよ」

 確かに・・・僕らと彼女はある意味この事件での被害者かもしれなかった。

「そうでしょうねぇ」

 僕は同情し、マリアは横で頷いた。

「でもねぇ、あの人病気だったんだってねぇ。金払いが良くていいお客さんだと思ったんだけど、あの世で金を持っていても仕方ないもんね。あんなに綺麗な人だったから、一人でわざわざこんな外国へやってくるというのも、とは思っていたんだけど」

「はぁ・・・それで」

 話しかけた僕を遮るように、

「それにねぇ、高校の同級生だったんだってね。昔の恋人同士、純愛で心中なんてねぇ。気の毒な話さ」

 女社長は続けた。

「そうですねぇ」

「それにさ、私と同じくらいの歳だろ。なんだかねぇ、わが身と引き比べちゃうよ」

 目の前の女傑は純愛とあまりそぐわないキャラクターのように思えたが僕は神妙に頷いた。

「で、なんだい」

 漸く話の接ぎ穂ができ、私たちは墓の手配の話と葬儀について彼女がどんな委託を受けていたのか話を聞きだした。

「何も問題ないさ」 

 彼女は答えた。

「葬儀までできるようなデポジットを貰っているから。手配すれば明日にも送り出すことはできるだろうよ」

 僕らは、その葬儀が一人だけでなく二人分になることが可能か、彼女に尋ねた。それも二人の遺体を収めるのに十分な大きさの棺と共に・・・。できるだけ早く。

「おや、まあ」

 彼女は少し眉を顰めたが、

「まあ、二人があの世へ一緒に旅立つってことならねぇ。それもいいのかね。ちょっと待っておくれよ」

 そう言うと、彼女は精力的に電話をかけ始めた。三本の電話をかけ終えると、墓も棺も墓堀人の手配も明日の十一時にできると告げた。

「けど、司祭さんは私にはどうにもならないね。あたしはキリスト教徒じゃないからね。そちらで手配しておくれ」

 と言うと、彼女が手配した相手の電話番号と相手の名前を紙切れに書いて渡してくれ、それに伴う細々とした説明をしてくれた。

 僕には司祭の当てなどなかったが、マリアは説明を聞き終えると、

「ありがとうございます。司祭なら心当たりがありますから」

 と答えた。やってきた車に戻ると、僕はマリアに尋ねた。

「心当たりがあるのかい?」

「ええ、ちょっと待ってて。電話を掛けてくる。あとさっきの連絡先のメモを貸して」

そう言うと彼女は駐車した車から離れていった。十分ほどして戻ってくると、

「大丈夫。すべて終わったわ。明日の十一時、葬儀を行える」

「ほんとかい?」

 僕は驚いた。こんなにスムースに手配できるとは思っていなかったのだ。日本からやってきた人たちには悪いが、少なくとも二三日はかかるのではないかと思っていた。なんせ普通の葬儀とは少し色合いが違う。

「大丈夫よ、さあ、帰りましょう」

 オフィスに戻ると僕とマリアは宇都宮さんに簡単に報告をし、宇都宮さんは

「よくやってくれたね」

 とねぎらってくれた。

「遺族の方々も見知らぬ土地で大変だと思う。さっそく知らせてあげてくれ。警察の方へは私から連絡して、遺体の引き取りの手配はやっておく。遺髪を持ち帰りたいというご遺族の意向もこちらの方で手配しておく」

 宇都宮さんにあとは任せて、僕らはホテルにいる日本からの来訪者に会いに行くことにした。電話でも構わないのだが、ちょっとした行き違いでこうしたことは後が面倒になる。じかに会って伝えた方がいいものだ。

 ホテルに着くと、関係者はひとところに揃って集まっていた。空港で出迎えた時に感じたよそよそしさはだいぶ薄れ、医師は男性の遺族と会話を交わしていた。私たちに気付くと、みな小さく頭を下げた。

「葬儀の手配ができました。明日11時に執り行います。教会で礼拝を行いその後で埋葬という形になります。私たちが教会にお連れしますので十時にここで集まっていただきます。よろしいですか?」

 一瞬、聞いていたみなが顔を見合わせた。

「一つよろしいですか?」

 女性の代理人が声を上げた。

「なんでしょう?」

「私はスペインの習慣を知らないのですが・・・埋葬後、墓の管理はどうなるのでしょう?」

「お墓の管理についてもすでに故人が依頼してありましたので、格別に気にいただくことはありません。遠い場所ですから皆様がお墓参りをするというのは難しいと思いますがあまり心配なさる必要はないと思います」

「そうですか・・・。お金の方は?」

「それもご心配いただかなくて結構のようです。すべてが完了したら、私たちの方で一応念のために一度確認させていただきますのでご心配なく」

「お手間を掛けます」

 そう言うと代理人は引き下がった。

「あの・・・遺髪の方は?」

 男性の妻が尋ねた。

「それは昨日お会い頂いた宇都宮という者が手配しておりますので明日葬儀の際、あるいはそれまでに・・・」

「分かりました。いろいろとありがとうございます」

「ほかにはなにか?」

 問われた人々は互いに顔を見合わせ、首を振った。

「では、明日この場所で」

 そう言うと、僕とマリアはホテルを後にした。次第に疲労感は募っていった。


 翌日、朝降っていた雨は僕らがホテルに着くころには止んで、太陽が明るくなった雲の隙間から顔を覗かせていた。車をホテルの駐車場に入れると僕とマリアはロビーへと向かった。ロビーには喪服を着た男性側の遺族と医師、それにダークスーツの女性側の代理人が揃っていた。

 そして車で三十分ほど、海岸線の道路を走って僕らは教会に辿り着いた。丘の上にある墓地を備えたその教会は海を見渡すロケーションにあって、天候の良さも手伝って服装さえ変えれば、僕らはピクニックにやって来た友人同士にさえ見えたかもしれない。

 二人は棺の中で抱き合ったまま、白い布で包まれていた。葬儀礼拝を司ったのは白いひげを生やした威厳のある神父だった。自殺を忌むキリスト教にもかかわらず、神父は厳かに礼拝を執り行ったが、おそらく出席していた人々には何を言っているのか分からなかっただろう。スペイン語で語られた聖書と説教の間に歌われた聖歌はマリアの美しい声で彩られた。そして赦祷式しゃとうしきで死者の復活が願われ、式は厳粛な雰囲気の中で終わった。男性の遺族もあれだけ最初は拒否した故人二人の遺体に祈りと供物を捧げ、宇都宮さんが手配した遺髪を受け取り涙を流した。二人の遺体はそのまま墓地に運ばれ、予め掘られてあった墓の中に納められた。

 マリアが葬儀の後始末があるというので参列者には帰りは車を手配してあった。別々に市内へと戻っていく三組の彼らは、もしかして二度と会うことはないのかもしれない。そして僕らとも。遠い異国の地へ墓参りに来るというのは大変なことだ。


「これからどうするの?」

 マリアに尋ねると、彼女は少し待っていて、と言い残して教会へと戻っていった。僕は手持無沙汰のまま、教会と墓の間にある散策路を歩いた。その散策路の脇で、さっき棺桶に土を掛けた墓堀人が三人腰を掛けて談笑していた。私をちらりと見たが、日本人が自分たちの話を分かるはずがないと思ったのだろう、そのまま会話を続けていた。

「あれは、確かに司教様だよ。何度かお見かけしたことがある」 

「そんなわけがあるものか。そもそも日本人でキリスト教徒かどうかも分からない。その上自殺ときている。司教様がわざわざ礼拝をなさるわけがねぇじゃないか」

「いや、本当かもしれないぞ。確かに衣装は司教様の着られるものじゃないが、おいらちょっと教会の中で見た時に、司教杖があったんだ」

「勘違いだろ」

「まあ、おいらたちにはどうでもいい話だがな」

 司教?キリスト教にさして詳しくない僕でも、わざわざ司教がこの礼拝を司るなんて思えなかった。だが・・・。礼拝の手配をしたのはマリアだった。


 僕はもう一度教会の方へ戻った。そして教会のぐるりを歩いてみた。裏手に回ると窓が開いていて、そこから人の話し声が聞こえた。片方はマリアの声だった。悪いこととは知りながら僕は窓の下に身を隠し耳を澄ました。

「マリア、お前の頼みだから言うことを聞いたがこの教会にもいろいろと迷惑をかけてしまった。今後はあまり無理を言わないでおくれ」

「ごめんなさい、おじさま」

「あの二人の魂をお前が美しいと思ったのは私にも分かる。私もそう思った。あの二人を引き離すことはならない、お前は最初からあれが女性の自死で男性が後追いをしたのだと分かったのだね」

「ええ、あの女性の表情を見ただけで殺されたなんてことはありえないと思いました」

「あの二人を引き離してはならない・・・そう思ったお前の判断は正しかったと思うし、だからこそ私もいろいろな方面に手を回したが・・・」

 老人は微かな溜息をついた。

「あの二人は生まれ変わって次こそは一緒に暮らすと誓ったのです、おじさま」

 マリアは言った。

「男性の手記を読んでますますその思いは確かになりました」

「その思いは確かに我々の考え方と通じるところはある・・・。だが、必ずしも同じものではない」

 老人は諭すように言った。

「ごめんなさい。これからは無理は申しません」

「お前に無理を言われたのはこれは初めてだ。信じるよ」

「信じてくださってありがとうございます」

「ところで話は変わるが・・・お前が結婚するのは一緒に来ていたあの男性かい?」

「そうです」

「その時は喜んで私は礼拝を司らせてもらいたいが・・・彼はクリスチャンなのか?」

「いいえ」

「そうか・・・それは残念だな。君たちが彼らと違って悔いのない愛を遂げられることを祈っているよ」

 僕は窓の下から、足元の枯草が音を立てないようにそっと離れた。あの奇妙な警察の反応はマリアの演出だったのだ。彼女はあの二人を共に葬ることが彼らの魂にとって最善だと信じたのだ。この国ではまだ宗教は一定の力を持って存在している。そして彼女は彼女の伯父、或いは叔父を通してその力を使ったのだろう。それが正しいことなのかは僕には分からなかった。だが、逝った二人にとっては望む結論だったに違いないし、最終的には周りもそれを認めたのだ。それでいいんじゃないか、と僕は思った。


 車の近くに戻って海の景色を眺めていた。ホルヘ、と僕を呼ぶ声が聞こえ、振り向くと教会を出てくるマリアの姿が見え、僕は手を振った。

 ゆっくりと大地を踏みしめるようにマリアは僕の方へと歩いてきた。その表情は晴れやかで輝いて見えた。

「用事は済んだかい?」

 僕の問いにマリアは頷いた。

「じゃあ、帰ろうか?」

そう言った僕を

「ねぇ・・・」

 と躊躇ったような口調で引き留めると、マリアは私を見詰めた。

「ん?」

 僕は首を傾げた。マリアの背後の雲の間からさっと陽がさして、僕は眩しさに思わずたじろいだ。

「聞いてほしいことがあるの」

 そう言うとマリアはふと視線を落として、僕の手を彼女のおなかにあてた。

「子供ができたわ」

 私は彼女を真正面から見て、それからその体を抱いた。

「ありがとう、マリア」

「喜んでくれるの?」

「もちろんだ。その子には洗礼を受けさせないとね」

 マリアは驚いたような顔で僕を見た。

「いいの?」

「もちろんだ。もし許されるなら、僕もクリスチャンになるよ。結婚式は教会であげよう」

「なら・・・私、いい神父様を知っているわ」

 マリアが悪戯っぽく僕にそう言った。



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生まれ変わったらいっしょになろうね 西尾 諒 @RNishio

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