11 孤独な戦い



 水を飲み過ぎて腹がたぷたぷになったオレは、すっかり忘れていた。


 五時間目が恐怖の大魔王――鬼ケ原の日本史だということを。



「おまえら、今何時だと思ってんだぁ?」

 食堂から戻ってくるのが少し遅くなっただけだ。セーフな時間のはずだ。

 鬼ケ原は教室に異様に早く来ることで有名だ。それはもう嫌がらせのように。


 レイナがオレの横で目を潤ませ、上目遣いに鬼ケ原を見た。


「すみません先生。わたしが食べるのが遅く……晴人くんはわたしを待っててくれたんです。悪いのはわたしなんです!」

「おおそうだったのか。食事はよく噛んで食わないといけないからな。そういうことならいいぞ、まあ座りなさい」


 おいっ。なんなんだそのわかりやすすぎるデレデレの態度は!!



 女子にも厳しいことで有名な鬼ケ原があっさり崩されたことに、改めてレイナの聖女パワーを感じる。


 そして安心しきったオレは、唐突にトイレに行きたいことを思い出した。

 そりゃあんだけ水を飲んだんだ。トイレにも行きたくなるよな。



「……おい嵐堂、早く席につけってんだよ」

 はいっ、はいはいはいっ座ります座りますって!

 とばかりに席に着いたオレは、その尿意の激しさに座ったことを後悔する。


 くそっ、どうしてあそこで「トイレ行きます」って言わなかったんだオレ!!


 あの時言っても睨まれたかもしれんが、まだレイナの聖女パワーの名残で許されたかもしれない。


 だが今は! 今は無理だ!!

 遅刻(厳密には違うが鬼ケ原的には)した上に「トイレに行っていいっすか?」とか言おうものなら、後でぜったい制裁が加えられる。



 居残りレポート20枚とか。

 激励という名の体罰すれすれの肩たたきとか。


 今肩とか叩かれたらぜったいにチビる自信がある!!



 オレが背中や脇にヘンな汗をかいている間にも、緊迫した授業は進む。



 鬼ケ原の授業はいつ当てられるかわからない、ロシアンルーレット的要素満載のスリリングな授業だ。

 五時間目の日本史の授業なんて他の教師なら昼寝タイムになりがちなところを、鬼ケ原の授業で昼寝などする猛者はいない。


「えー、ここで織田信長が破った武将は? えー嵐堂晴人!」

「え?! ああはい?!」



 うおおおお!

 ヤバいっ!!

 尿意が激しめすぎて!!!


「こんなの小学生でもわかるぞ」

「へ、は、ひ、その……」


 わかってる!

 今川義元だってわかってるって!

 でも大声発したら、ヤバいんだって!!


 すると横でスッと手が上がった。


「はい、先生。今川義元です」

「おおそうだな。嵐堂レイナ、よくできたな」



 デレデレの鬼ケ原に聖女の微笑みを投げ、鬼ケ原が黒板に向かったすきにレイナがオレをのぞきこむ。



「……どうしたの、ハル」

「いや……たいちょぷ」

「?」


 もはや日本語になってないオレを心配そうに見るレイナの視線を感じつつ、オレは手に汗を握る。


 まずいっ。

 まずいっ……。


 しばらく机の端を握って、わずかに腰を浮かせ、膀胱を刺激しない座り方を試みるが焼石に水。

 しかも手がしびれて腰が椅子に落ちると、容赦ない尿意が悪魔のように膀胱を襲ってきた!!


 うおおおお!!


 そ、そうだ!

 こういうときはまったく興味無い話を聞いてやり過ごすのも手だな!

 そう思い、鬼ケ原のダミ声に集中しようとする。


「……であるからして、戦国時代というのはこの鉄砲の伝来により、武士の戦い方が大きく変わったことがその後の戦国武将の命運を分けたと言える。援軍にも鉄砲隊が来た戦では……」


 うおーっ!! ダメだっ!!

 どうでもいいことすぎてまったく気がまぎれない!!

 オレは今、援軍無しで激しい尿意と戦ってんだぞ?! 

 


 しかしオレの必死の訴えも虚しく、下半身を刺激する尿意は留まるところを知らない。

 オレの命運もここで分かれるのか……?!



 キーンコーンカーンコーン……



 そのとき、聖なる鐘のように五時間目終了のチャイムが鳴り響いた。



 今日ほど学校のチャイムがありがたく聞こえたことはない。

 そしてオレがチャイムと同時にトイレに走ったことは言うまでもない。




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異世界がリアルになった。英雄とかなりたくないから聖女はオレから離れろ!! 桂真琴@12/25『転生厨師』下巻発売 @katura-makoto

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