最終話 新たな生活
「予想外の事態に、土屋は七海とナミの一人二役をする必要に迫られたわけです。周囲は自分が死んだと思い込んでいる。しかし、その実死んだのは波香だ。このややこしい状況を利用し、また、復讐をしようと誓ったのではないでしょうか。その時、斎藤を仲間に引き込んだのだと思います。自分が土屋七海本人だと打ち明けたのか、姉の代わりをすると嘘を吐いたのか知りませんが、ともかく事故の後から土屋はどちらの振りもしていたんだと思います」
ナミとして現れることで、カオリの肉体に閉じ込められてしまった波香を呼び覚ましたかったのだろう。しかしそれは叶わず、馬場香織は気弱なカオリという少女に、つまりどちらにもなり切れない別人になってしまったのだ。
「俺とカオリ、つまり馬場香織さんが処分されることなく生き残ったのも、土屋七海と深い関係があったからだったんです。多分、俺と馬場さんの身体には負荷がかかりすぎないように実験が組まれていたのでしょう。その辺の手引きは土屋が斎藤を唆すことで可能だったはずです」
「ふうむ」
ややこしく、同時に、起こった一連の出来事に対して些末な事のように思えるが、これが事件の動機ではないかと原口も思った。
「土屋は、波香の脳を勝手に摘出され、そして馬場さんの身体に植え付けられたことに怒り、この事件を思いついたのか。あえて斎藤に非道な手術を再現してみせたのも、波香が受けた苦しみを味わわせるためだった」
「ええ。しかし、それだと事件の真相が知られないまま埋もれてしまう。そこで、記憶を失っているものの、その頭脳レベルが解っている俺に賭けたというところでしょう。あれこれと断片的に情報を与えることで、この真相に気づくように導いていたんですよ」
原口の言葉に、潤も同意すると推理を補強した。
これが、一連の事件の本当の姿なのだ。土屋は何もあそこであった非道なことの総てを詳らかにするつもりはなかった。いや、付随的に明らかになるだろうという程度でよかったのだ。
実際に彼女がやりたかったのは、妹を好き勝手に手術されたことへの復讐だ。
「馬場さんは、そのことに全く気付くことはなかったのか」
原口はとんでもない事実が出てきたぞと顔を顰める。そして、場所が脳というだけあって、下手に確認できないのももどかしいところだ。
「なかったみたいですね。彼女はあの研究所のことを普通の病院だと思い込んでいました。自分が事故に遭ったことも、ここ数日、退院のためとして色々と教えられる過程で知らされるまで、知らなかったみたいです」
ひょっとすると、カオリは、いや、ナミは自分に起こった恐ろしいことを理解することを拒んだのではないだろうか。それにより、記憶を取り戻すことはなかった。
その脳が、潤とは違って完璧にナミのものだとしても、現実を受け入れるわけにはいかなかったのではないか。
「受け入れられませんよね。目覚めたら、全くの別人になっているなんて。それに、目の前にナミと名乗る土屋七海がいたんでしょう。混乱もしたはずです」
落合はナミに同情するように呟く。だが、この事実を本人に伝えることは出来ない。
「この先、ナミは馬場香織として生きていくしかないわけですね」
原口も、今の話はここだけにしようと厳しい顔になる。
「ええ、それがいいでしょう。これはあくまで仮定の話ですし、土屋の行動から推測したにすぎません。それに、真相に気づいたとしても、証明できないように上手く誤魔化されている可能性だってあります」
カオリが見ていた色々なデータは、馬場香織に基づくものだった。それに、彼女もまた複数の手術を受けている。事故の影響で、その身体の損傷部分はiPS細胞から作られたもので補われた後だ。どこまでが馬場香織で、どこまでが土屋波香なのか、もう解らなくなっていることだろう。
「少なくとも、移植手術が可能だったということは、血液型は一致していただろうしな。どちらなのかをすぐに判別する方法はないのだろう」
最後に原口が呟いた言葉で、馬場香織の真実は隠し通されることが決まった。
それから数日が経って、潤は無事に退院することになった。
あの時に見せられた死亡診断書は斎藤が潤に見せるために用意したもので、実際には死んだ事実はなかった。だから、潤はそのまま小松潤として再び生活することになったのだ。
つまり、潤は唯一死体から蘇ったわけではない存在だったというわけである。しかも、大学も土屋の配慮で休学になっていたので、いつでも戻っていいとのことだった。
さらに、用意されているという説明だったマンションはちゃんと潤の名義で借りられており、また、生活費はまとめて土屋名義で小松潤の銀行口座に振り込まれていた。その金額はしばらく何もしなくても暮らしていけるほどの大金だった。慰謝料と考えると、十分すぎるほどだ。
「まあ、大学は戻るしかないんだろうな」
何も覚えていないに等しいが、小松潤の人生の続きを生きるしかないのだ。新たに借りたマンションに荷物を運びこみながら、ゼロから色々と勉強しなければなと溜め息を吐いてしまう。
「待ってよ」
ただ、かつての小松潤とは大きな違いが一つ。
「待てって言われても、俺も重いんだよ。頑張れ」
そう、香織と一緒に生活をすることだ。
香織にはちゃんと別のマンションが用意されていたのだが、不安が多いと原口に訴えたようだ。そこで潤にしばらく一緒に住んでみないかと持ち掛けられたわけである。
普通に考えたら、若い男女が一つ屋根の下で暮らすのはどうかという話になるが、二人揃って特殊な身の上だ。他の人に任せるのも不安があるし、何より守り通さないといけない秘密が多い。それに、何かの弾みで波香の記憶が取り戻された時に他の人では対処できないからだ。
「疲れた」
ずっと病院にいたせいで、香織の体力はかなり衰えている。これもまた、これから解決しなければならない課題だ。それは潤も同じである。
「そうだな」
新しいマンションの、家具は揃っているもののまだ生活感のない部屋を見て、潤はふうっと一息吐く。
何はともあれ、二人揃って夢に見ることさえ諦めていた普通の生活を手に入れたのだ。
「これからは、自分たちで生きていかないと」
「うん」
潤の呟きに返事をする香織は元気なもので、でも、土屋七海の死を知った後とあって、少し愁いを帯びたものだった。
拝啓、フランケンシュタイン博士 渋川宙 @sora-sibukawa
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