十六 決断



 本当に幸いなことに、隊員に死人は出なかった。総隊長の指揮下で救助が迅速に行われたのもあったが、治療院に「おやおや、泣かないで……まだ息はあります、息があれば大丈夫ですからね」とのんびり微笑むとんでもない先生が一人いたおかげだ。彼がいなければ四人は失っていただろう、と後から聞いてアルンはもう一度泣きそうになった。


 けれど隊員の半分が、今は隊服に白い帯を巻いていた。総隊長に刺されて亡くなった魔術師を悼んでだ。五番隊と、水の三番隊が全員。気の四番隊のエシテ、ウラナ、リネスの三人、それから副隊長。残りの人間は、どうやら心情はどうあれ「総隊長側」の立場にいるらしい。


「しかし、迷ってる奴はかなりいる。少しずつ変えていけばいい」


 ドノスが言うと、ヴァーセルスが「ええ」と頷いた。ここは彼の病室で、見舞いと称して五番隊全員で押しかけていた。定期検診を受ける予定だったのが、無理をして大きな術を使ったせいで療養のための入院になってしまったらしい。


「逃げたのは四人。あの魔狼の時の魔術師もいなかった。捕らえた奴らは口を割ろうとしないが、拷問も洗脳もしないようにエシテ達が見てくれてる。問題ないだろう」

「拷問? 洗脳って……どういうことですか?」


 アルンが俯いて呟き、ヴァーセルスが「どこから説明しましょうか」と言った。


「最初から、全部」


 そう言ったが、ヴァーセルスは頷くどころかアルンの方をちらりとも見ずに話を始めた。


「以前は神殿で幅を利かせていた『魔術排斥派』がどうして五年前に突然力を弱めたのか、理由はご存じですか?」

「……確か、実験中に大きな事故にあった気の神官を、たまたま訪問していた賢者様が魔術で助けたからだって」とルノ。

「その気の神官が私です。この魔法陣は、粉々にされた私の祝福経路をほぼ完全に近い形で復元してくれました」


 ヴァーセルスが袖を捲って腕を見せる。指先の方へ行けば行くほど緻密になってゆく紋様が、淡い灰色の線で刻まれている。


「うわぁ……そういうことか」ルノが痛そうに顔をしかめる。

「祝福経路って?」


 アルンが尋ねると、ルノが信じられない馬鹿でも見たような顔をして「〈祝福〉が体内を通る道筋のことだよ、実体はないけど、血管みたいな感じに」


「ああ、なんかこういう……これ?」


 自分の腹に指先を当て、力の流れが感じられるところをなぞってみせると、ルノは更に馬鹿を見る目になって「そう、それ」と言った。


「少しの断裂なら自然に治るけど……もし全身粉々にされたら、体内でめちゃくちゃに力がぶつかり合って、全身の細胞が壊死する」

「え、うわ……大丈夫だったんですか?」

「全身壊死していたら私は今この世にいませんね」


 ヴァーセルスまで呆れた目になった。ひどい。


「そう、顕現陣に関する実験中の事故ということになっていますが、私に……正確に言えば、当時の私の弟子に死の術を浴びせようとしたのは、神殿の異端審問官です」

「……異端審問官?」


 神殿の地下にそういう存在がいるのは知っている。けれど彼らが実際に誰かを裁いたとか、そういう話は歴史書でしか読んだことがない。


「私の弟子ナシルは、魔術の名家の生まれでした。幼い頃から魔術に親しんで育ち、また魔法陣学に関して非凡な発想力を持ち、それ故に神殿に入ってからも皆に隠れて魔術の研究をしていたのです。そこに目をつけられ、処刑されそうになりました」

「は? 処刑? 魔術の勉強をしたくらいで?」


 アルンが目を丸くすると、ヴァーセルスは「ええ、当時は特に、上層部にそういうところがありました」と頷いた。


「私はその場に飛び込んで、彼を術から庇おうとしました。そこで私の祝福経路は破壊されたので、私はそれ以降の場面を見ていません。一緒に突入した先代賢者様が場を収めてくださったと聞いています」

「賢者様って……あの灰色の塔に住んでる賢者様?」


 窓から遠くに見えるそれを指差すと、ドノスが「おう」と頷いた。


「神々に仕える『神殿』、魔術師達の『月の塔』、そして灰の塔の『賢者』。その称号を持つのは一人しかいないが、まあ第三勢力みたいなもんだな。知識の番人として基本的に中立を保ってるけど、その時は特別に助けてくれたんだよ。ナシルが次の賢者候補だったから」

「え、じゃあヴァーセルスって今代の賢者様の師匠なんですか!?」


 驚いてガタンと椅子を倒しながら立ち上がると、ヴァーセルスは煩そうに眉間に皺を寄せて「リュートの弟子ですよ」と言った。


「リュート? 楽器の?」

「ええ、楽器の」

「ああ……だから歌が上手なんですか」

「アルンに歌の良し悪しとかわかるの? その音感で?」


 ルノがにやつきながら口を挟んだ。なぜ知っているのだろうとぎょっとして振り返ると、彼は「時々鼻歌歌ってるじゃん」と言った。


「うそ!!」

「ほんと」

「というか、ヴァスルは『事故』に遭うまで神殿楽団の指揮者だっただろう。冬の音楽会で見たことあるはずだぞ」


 ドノスが言うと、ルノが「え?」と眉をひそめてヴァスルを凝視し「いや……前の指揮者って茶髪だったでしょ、そんな灰色の髪じゃなかったはず」と言った。


「術の影響で色素が抜けたんですよ」

「うーん……顔までは覚えてないな」

「じゃあ、あの指揮棒みたいな杖って本当に指揮棒だったんですか?」


 アルンが訊くと、ヴァーセルスは「ええ、そうです」と頷いた。少し疲れたように目を伏せて、長い髪を片方の肩に寄せて流す。黒でも白でも金でもない、フクロウの羽みたいな艶のある灰色だ。ちょっと触ってみたいなと思ったが、嫌がられるのは明白だったので言わないでおいた。


「それで、本題に戻りますが」


 顔に出ていたのか、肩に流した髪を背中に戻しながらヴァーセルスが続ける。


「つまり『事故に遭った神官を賢者様が救った』という、神殿が事実の隠蔽のために流布した噂によって、主に若者の間で魔術に対する忌避感が薄まっている。これが現状です。そうしなければ私のこの魔法陣の説明がつかなかったとはいえ、上層部としてはこの五年間、不本意な状況が続いている――ここまで言えばわかりますね?」

「えっ、わかんないです」


 アルンの声を完全に無視して、ヴァーセルスはルノの方を見ていた。シルイが小さな声で「諦められたな、アルン」と言ってくる。


「ひ、ひどい」

「つまり、若い世代に魔術容認の空気が広まるのと反比例して、上層部の思想は魔術排斥の方へ煮詰まっていっていると」

「その通り。ドノスと違って、君はまともな頭脳をしているようですね」

「おい」


 冷酷そうな瞳がほんの少しだけ細められ、ルノが嬉しそうにはにかんだ。珍しい表情が二つ並んでいるのにきょろきょろしていると、二人はせっかくの優しい顔を冷笑に変えて彼女を見下ろしてきた。ひどい。さらりと馬鹿にされていたドノスと渋い顔を見合わせて、苦笑し合う。


「で、こいつと同期で仲の良かった俺は『真実』を知ってるんじゃないかって当時かなり探られてな。一応知らんぷりしてるけど、まあバレてるだろうな」

「全部顔に出ますからね」

「悪かったな……そこから先は掴まれてないだろ」

「まだ、ですがね」

「おい……」


 つまり纏めると「敵はあの魔術師集団フラトラジネだけではない」ということらしい。総隊長のように魔術を激しく忌避し、迫害といえるような行動に出る人間が、神殿の上層部に多くいる。


「今回みたいに、神殿を憎む魔術師達と戦って叩き潰すことは、確かに火竜隊の戦力をもってすればある程度可能だ。だが、きっと次は相手ももっと力をつけてくる。そうすると、それに対抗してこっちも作戦を練る……それが繰り返された先に待っているのは戦争だ。それじゃいけないんだよ」


 ドノスが言った。皆が無言で頷く。


「だから俺達は憎しみの根本を断てないか、つまり魔術師との完全な和解を成立させられないか、道を探ってる。そのために、いずれは月の塔とも手を組みたい。あっちの長老達の方がだいぶまともそうだからな」

「……危険じゃないの?」


 ルノが言った。アルンも頷く。頭の中に「処刑」の文字が踊る。


「危険だとも。だからお前らには隠してた。でも知られてしまったからには、選ばせてやる。関わるか、忘れるか」

「関わる」


 アルンが言うと、ルノとシルイも迷わず頷いた。ドノスが「本当にいいのか? もう少しゆっくり考えてもいいんだぞ」と言う。しかしアルンはきっぱりと首を振った。


「考える必要なんてありません。だって私は火竜に入ったから。人を救うのが火竜だから。多くが傷つくとわかっていて、知らないふりしてその道を進むくらいなら、戦い抜いて死ぬ方がずっといい」


 睨むように見つめ返してそう言うと、ルノが「今のは馬鹿じゃなかったね」と笑い、シルイが「誰も死なせないのが、私の生きる意味だ」と言った。ドノスがちょっとだけ泣きそうな目をして、そしてにかっと満面の笑みを浮かべる。


「うん……うん、わかった。……じゃあ俺達、本当に『はみ出し部隊』になっちまうな。やっとまともに連携できるようになって汚名返上かと思ったが……神殿そのものの方針をぶち壊す、とんでもない裏切り者だ」

「いいじゃないですか、腐敗した多数派に迎合するよりずっと」


 ヴァーセルスが口の端をほんの少しだけ上げて微笑んだ。アルンはそろそろいいかなと思って「よろしくね、ヴァスル!」と言ってみたが、食い気味に「愛称で呼ばないでください」と言われてしまった。



〈了〉

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神殿火竜隊のはみ出し部隊 綿野 明 @aki_wata

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