十五 敵の姿



 アルンの言葉に返されたのはどす黒い熱に侵された憎悪の視線と、呪文の詠唱だった。蔓の間から伸ばされた指先から光が溢れ、スルスルと円を描き、その中を紋様で埋め尽くしてゆく。


「スロ=ナ――」


(風で切り裂く呪文――!)


 アルンが身構えたその時、後ろから肩を掴まれてドノスが魔法陣の前に滑り込んだ。赤く透き通る蔓草模様の盾が、風の術を弾く。ドノスは盾を持っていない右腕でアルンを抱え上げ、素早く飛び退って敵から距離を取った。


「お待たせ」

「ドノス……っ! わた、わたし」

「しかしまた、上手く決まったなあ……アルンお前、相当才能あるぞ」


 明るい声でドノスが言う。


「一度下がるから、首の傷を治療してもらえ」

「私、どうしよう、刺しちゃった」


 今になって震え出した手でドノスの隊服の胸元を掴む。ドノスはニッと笑って言った。


「大丈夫、ちゃんとできてる。きちんと止血すれば致命傷にはならない」


 皆の元へ戻ると、青い帯の男性隊員に引き渡される。三番隊のロネイだ。


「少し顎を上げて、そう、いいよ……うん、このくらいならすぐに治るからね、はい、力を抜いて」


 ロネイは優しい声でそう言って、ずきずきと痛むアルンの首元に手をかざした。素早く浄化の術がかけられ、そして治療が始まる。じわりじわりと首が温まり、少しずつ痛みが引いてゆく。


「シルイ、ルノ、もう一度出るぞ。蔓が解け切る前に決着をつける」

「了解」


 目を上げると、先程の風の刃で半数近くの魔術師が蔓を切って脱出していた。数人は深く切られたのか、腕や足の辺りのローブが赤黒く濡れている。どうやら作戦のためなら、仲間が傷つくのもお構いなしらしい。


「……守りたいもの、だと? それは我らを犠牲にしてもということか? 己の近しいものだけを守れれば良いということか?」


 魔術師が言った。フードの下から、憎しみに満ちた暗い茶色の瞳がこちらを見据える。しかしアルンが睨み返すよりも先に、ドノスが声を上げた。


「犠牲? 俺の仲間達をこんなにも傷つけて、なぜ自分ばかり傷つけられているような口を利く! 闇雲に襲いかかる前に、なぜ言葉で伝えようとしない!」


 男が悲鳴のような声で言い返す。


「伝えたとも! この世に〈祝福〉と〈顕現〉しか認めぬ神殿がその姿勢を貫けば、いずれ文明は衰退すると。しかしお前らは『神への冒涜』とただそれだけを唱え、耳を貸そうとしない! 魔術の最高峰と謳われる『月の塔』すら我らを切り離し、神殿の犬に成り下がった! 俺達に、正しく人類発展の道筋が見えている俺達だけに、どこにも居場所がない……!」

「月の塔の――」


 突然別の方向から声が割り込んで、皆が一斉に隊舎の方を見た。


「――かの魔術師の塔の長は、こう言ったそうだ『我らその都度跪いて祈らねども、深き感謝を日々神々に捧げよう』と。神々へ最低限の礼節も守らず、このように〈祝福〉の力を悪用するからこそ、汝らは追放されたのではないのかね」


 背の高い、金の縁取りが入った赤い帯の男が、瓦礫を踏み越えてゆっくりと歩いてくる。白髪混じりの髪に猛禽のような鋭い顔立ちをした、筋骨隆々の男。歩き方は一見普通に見えるのに、なぜか目が離せない。目を離したら、次の瞬間には殺されていそうな……あれが覇気と言うのだろうか。


「……あの人は?」

「総隊長」


 ルノが言った。身を低くして、鋭い目でその人を見つめながら。


「……お前は」


 魔術師が気圧されたように掠れた声で問い、総隊長が答える。こちらは轟くような低い声。


「火竜総隊長ライウス。神々のしもべを虐げし無頼ぶらいの徒を裁くもの」


 そして次の瞬間、ドノスが突然「おやめください!」と叫びながら飛び出した。アルンはそれを目で追って、そしてそのことを後悔した。


 魔術師達の正面に歩み出た総隊長が、その場に倒れている魔術師の胸を、手にした槍で一突きにしたのだ。鮮血が吹き出し、魔術師達が絶句してその光景を見る。


「ドーレン!」

「神々へ感謝を捧げよ。己の行いを懺悔せよ。さすれば彼の者は水の神殿の奇跡の子、ファーリアスによって癒やされるであろう」

「……脅しには屈しない! 我らは、我らは死の覚悟をもってこの場に臨んだのだ!」

「そうか、残念だ」


 悲痛な声で宣言する男を一瞥した総隊長が再び槍を持ち上げ、倒れた魔術師の首に突き刺した。赤い〈祝福〉の光が閃いて、男の頭と胴体が分たれるのが見えた。アルンは両手で口を覆って、震え出す全身をどうにかしようと努めた。


(何? あの人は一体何なの?)


「おやめください、総隊長! ここは我ら五番隊にお任せくださると、そう仰ったはず! 我らが無傷で拘束いたしますゆえ!」

「……お前は相変わらず甘すぎる、ドノリエス」


 槍を握った総隊長の右手を押さえたドノスの頬に、点々と血飛沫の飛んだ総隊長の手が添えられた。


「残虐な見せしめで人を動かしても、決して心までは得られません!」

「しかし心変わりを待っていては多くの犠牲が出る場合、我々は心を鬼にして力を見せねばならぬ。フランヴェールに仕えるものとして戦うとは、そういったことにも耐えてゆかねばならぬということだ」

「……今回は、俺達に任せてください」

「善良な神のしもべ達に犠牲を出さぬと誓うならば」

「誓います」


 問答をする二人に魔術師達が術を放とうとしたが、総隊長が未だ血を流している遺体に槍を突きつけると動きを止めた。動きこそ止まったが、アルンには彼らの魔力が轟々と燃え立つように力を増しているのがわかった。あまりにも強い憎しみで、力が暴走しかけている。


 アルンはシルイも激昂して飛び出すのではないかと危惧したが、見ると、むしろシルイがルノを力ずくで押さえ込んでいた。


「……全員、捕まえるよ、無傷で」


 と、ルノが怒りに震える声で言った。ドノスがちらとこちらを振り返り、ルノの視線の動きを見て微かに頷いた。盾をかざしながら総隊長に囁きかけ、彼を隊舎の方まで遠ざける。魔術師達が怒りに燃え盛る目でその様子を見ている。「魔狼の術師」の眼前に大きな光の円が描かれた。紋様を見なくても、呪文を聞かなくてもわかる。あれは総隊長を抹殺するための、強い怨恨えんこんに歪んだ敵討ちのための術だ。


「奴らは総隊長に注目してる。今しかない――シルイ、アルン!」


 ルノが振り返って、ポンと一度自分の脇腹を叩いた。シルイが頷いて、開いた手を真っ直ぐ前へ突き出す。すると真紅に輝き、炎のようにゆらめく光の線が周囲一帯を取り囲む巨大な円を描いた。魔術師達が息を呑んで描きかけの陣を消し、自由な者は術の範囲内から逃れようと走り出す。


「雨よ!」


 跪き、両手を空へ差し伸べたルノが祈る。すると雲もない空から突然土砂降りの雨が降り注いだ。アルンは駆け寄って彼らの手を握り、〈祝福〉の力を流して分け与える。するとシルイが描き終わった顕現陣にバンと手をついて叫んだ。


「この雨に火の祝福を! 沸騰せよ!」


 ぶしゅうぅ、と耳が痛くなるほど大きな蒸気の音が響き渡った。もうもうと立ち込めた湯気が全てを覆い隠し、人も、建物も、木々も、何も見えなくなる。


「すごい……本当に真っ白になった」

「アルン、しくじるなよ」


 雨の術を止めたルノが、脇の下にくくりつけたホルスターからそれを取り出して言った。


「あ、それが」

「対人間用物理式麻酔銃。信じられないよね、火薬だよ火薬。とはいえ薬の方は安全性の高い魔法薬だけど――面白いでしょ、治療院ではごく当たり前に魔術師の作った薬が使われてるんだよ。確実に命を救うためなら、水の神官は決して手段を選ばない。僕は魔術と顕現術って、そうやって互いを認め合うべきだと思うけど」

「でも、持ってきてたんだ」

「ドノスと……もしかしたら争わなきゃいけないかもと思ってたからね」


 カチャっとかすかな音を立てて、小さな矢羽のついた麻酔針が装填される。ルノが両手でしっかり銃を構えたのを確認して、アルンも右手の人差し指を真っ直ぐ突き出した。


(肩か太もも、筋肉の多い場所を狙う)


 ルノの指示を思い出しながら、じっと、慎重に命の気配を探る。魔術師達は、残り十三人。皆動揺している。風の術で蒸気を飛ばそうにも、その蒸気があまりに濃密で、自分の描いた魔法陣が見えないのだ。見えないものを描くなんて、普通はできない。幸いなことにそこまで非凡な才能の持ち主はあの中にいないようだ。


「あそこ」


 伸ばした指先から、緑の光が伸びる。その先の一点を狙って、ルノが発砲した。パン、と乾いた音が響いて、数秒、誰かの倒れ込む音。


「次」

「あそこ」


 パン、カチャ、カチャ、パン、カチャ、カチャと、発砲と装填の音が響く。六、七、八……これで九人。


「次」

「もういない。逃げられた」

「くそ……連射できないのが痛いな」

「では、蒸気を払っても良いということですか?」


 びっくりして振り返るとヴァーセルスだった。ルノが頷くと、彼は例の指揮棒を振って風の祈り歌を歌った。ざあっと強い気配が吹き抜けて、真っ白な湯気を晴らしてゆく。倒れ伏して眠る魔術師達と、不満そうな顔の総隊長、そして「良くやった」と俗っぽく人差し指を立てているドノスが姿を現した。


「……まあ、隊員の犠牲は出さなかった。今回は認めよう」


 総隊長が静かに言った。ドノスが苦笑いして、顔をしかめたルノの腕をシルイが掴んだ。が、その後ろからヴァーセルスがしずしずと歩み出る。


「神に懺悔せよ、ライウス」


 そしてヴァーセルスは氷のような声で総隊長にぶちかました。ドノスが額を手で覆い、ルノがにやりとする。


「懺悔、とは?」と総隊長。


「魔術師も、神官も、どちらも歪んでいた。貴方がたの争いには何の意味もない。正義などどこにもなかった」

「……続けたまえ」


 総隊長が尊大に腕を組み、ヴァーセルスはそれをものすごく蔑んだ目で見下ろすように見た。ルノは拳を握っていたが、アルンはかなりひやひやした。


かつて魔術排斥派であった私がそれを受け入れたのは、ひとつの魔術にこの命を救われたが故。救命の魔術と惨殺ざんさつの顕現術、どちらが神の望まれることかよく考えよ。思想の相違を嗷議ごうぎじ倒さば、その先に待ち受けるは滅びのみ――私は、なんじの身に宿りし力を最早〈祝福〉とは呼ぶまい。高潔なる女神フランヴェールに神罰を与えられぬ間にその行い、悔い改めよ」


 凍りつくようなヴァーセルスの視線と、業火のように燃える総隊長の視線が交差する。ルノが小声で「行け!」と言っている。


「……汝は常に見張られていることを忘れるな、ヴァーセルス」


 そして総隊長は問答に応えず、そう呟くように言って背を向けた。再び瓦礫を踏み越え、崩れた隊舎へ戻ってゆく。神殿の仲間を救おうという気持ちはあるようだ。


「……帰りましょう、全てを説明します」


 そしてヴァーセルスが言った。アルン達は顔を見合わせ、そして首を横に振った。


「先に戻っててください。私達は隊員の救助に行ってきます」

「しかし貴方がたは先程の戦闘で」

「でもまだ動けます。動ける限り、助けないと」


 ニコッと笑うと、全身魔法陣だらけの不思議な青年は呆れたような困ったような顔で微笑み返した。彼が何者なのかはわからないままだったが、ひとまず悪い人ではないのはもう知っていた。





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