十四 襲撃



 三人は外の状況を見るなり走り出したドノスに思わず道を開けたが、しかし治療院に向かおうとする魔術師の腕はルノが掴んだ。顔は振り返らず、視線だけでその手を見下ろす目には僅かな嫌悪の表情。


「……手を出す前に言葉にしていただけますか」

「ヴァスル、と呼ばれていましたね。治療院で何をするつもりです?」


 ルノの詰問に、魔術師は凍えるような声を返した。


「ヴァーセルス、と呼んでいただきたい。初対面の方に愛称で呼ばれるのは好きではありません。……何をするも何も、私は治療院の患者ですよ。入院着を着ているでしょう」

「入院患者?」

「検査入院ですが」


 言われてみれば確かに、ヴァーセルス纏っているゆったりしたローブは治療院の入院患者へ支給されるものと同じだ。


(患者を装って神殿に入り込み、ドノスと密会していた?)


 ルノもアルンと同じことを考えたらしい。警戒の姿勢を崩さずにいると、ヴァーセルスの方が諦めたようなため息をついた。


「……仕方がありませんね、私も行きましょう。気の済むまで見張られるといい」

「貴方も一緒に?」

「火竜なら早く行った方がいいでしょう。隊舎、爆発していましたよ」


 一瞬の睨み合いの後、全員が走り出した。が、ヴァーセルスが遅い。手を抜いているのかと思ったが、ひどく息切れしている。


「……大丈夫ですか?」

「問題、あり、ま、せん」


 どうやらこの人は本当に体が弱そうだ、と思っていると、シルイが「早くしろ」と苛ついたように言った。彼がこうして後ろを振り返ってくれるようになったことに、思わず笑みがこぼれる。


「魔術師さんと一緒に行くから、シルイは先に行って」

「……いや」


 首を振るシルイを見て、ルノと顔を見合わせて笑い合う。水の神殿を出て庭園を駆け抜け隊舎が見えてきたところで、手前の木の陰にドノスの背中を見つけた。腕に赤く光る伝令鳥。


「……ドノス、どうしてこんなところで止まってるんですか」


 腕にとまったままバサバサと居心地悪そうに翼を振るう鳥を見ながら、ドノスが答える。


「エシテに連絡がつかない」


 そして今度は「総隊長、ドノスです。裏庭に潜伏しています」と吹き込んで放す。赤い光でできたミミズクは小さくホーと鳴いて、隊舎へと真っ直ぐ飛んでいった。


「……ドノス、エシテは」


 震えてしまった声でアルンが問うと、ドノスはハッとしたように険しい顔を微笑に変えた。


「大丈夫だ、生きてる可能性は十分にある。だが飛び立ちすらしないということは、少なくとも〈祝福〉が極限まで欠乏している状態にあるらしいな。しかし睨み合いになっていて、無事な人間も隊舎へ救助に入れない」


 そしてまだ息切れしているヴァーセルスに目を向ける。


「というか治療院へ行ってろって言ったろ、ヴァスル」

「この子達が私をひどく疑うものですから、見張らせて差し上げようかと」

「……ったく」


 木陰から慎重に顔を出して覗くと、警鐘の下がっている柱の前に見慣れぬマント姿の人間が一、二、三……全部で十四人。


「あの真ん中の人、たぶんこの間の人だ」

「魔狼の時のか」

「はい……だよね、シルイ?」

「おそらく」


 マントの集団に向かい合うように、赤い帯を巻いた隊員が五人、額に汗を滲ませながら槍を構えていた。どちらも動かない。動けないのだ。背後の隊舎は半分以上が瓦礫の山と化し、炎と煙を上げている。外にいるのがあの五人だけだとしたら、室内にはあと十七人の隊員が取り残されている可能性がある。平家とはいえ石造りだ、一刻も早く救助せねば、間に合わない。


 とその時、ホーとやわらかい鳴き声を上げながらドノスの腕にミミズクが舞い降りた。彼が「どうぞ」と焦る声で言うと、知らない男の人の声が静かに話し出す。


「訓練場にいた二番隊、私と水が三人は無事。軽傷二人、重傷六人。七人見当たらないが、場所の見当はついている。瓦礫の撤去に火持ちの二番隊を回したい。魔術師を任せられるか」

「了解」


 ドノスが短く伝令を飛ばし、そして皆を振り返った。


「奇襲をかける。アルン、できれば蔓草の拘束で全員捕らえたい。行けるか?」

「はい!」


 アルンは凛々しく答えてポーチから小さな種を包んだ紙を取り出し、そしてはたと思い至る。これ、投げても届かない距離だ。


(まあいいか、生やしてから伸ばせばいい)


 できるだけ遠くに投げられるよう紙ごとくしゃくしゃに丸めて振りかぶり、思い切り――投げようとする直前に、ひやっと冷たい手に腕を掴まれた。


「……え?」

「その種は私が」


 アルンの右手を捻るように掴み上げ、感情の見えない瞳で彼女を見下ろしているのはヴァーセルスだった。彼はアルンの手から紙の包みを取り上げ、丁寧に開くと粉のように小さな種をそっと指先で撫でた。そして袖の中から、指揮棒のような短い木製の棒を取り出す。


(魔法の杖?)


 水の神官が使う鈴付きの鳴杖めいじょうとも、気の神官が使う円環杖えんかんじょうとも全く違う。杖を握る細い指にびっしりと刻まれた魔法陣が、ぞろりとその色を暗くするのが見えた。


「我が神エルフト、大気と叡智の神よ。この小さき種を風に乗せて運び給え。広く、軽く遠くまで――シルア=イフル・フィアール・ナ=ヴァール」


 押し殺された、しかしそれでも美しい歌声。アルレア語祈りの言葉だ。指揮棒がしなやかに振るわれると、ビュウッと一陣の風が吹く。細かな種が飛ばされてゆき、隊舎前に広く散らばった。


(エルフト神に祈るってことは……気の神殿の人なの?)


「やれ、アルン」

「大地の神テールよ」


 種が一斉に芽吹く。ルノが「雨よ」と囁き、辺りに霧雨が降り始めた。成長速度をぐんと上げた蔓が慌てて逃れようとする魔術師達を絡め取る。隊舎の前にいた二番隊がさっと敬礼して身を翻し、仲間の名を叫びながら瓦礫の中へ飛び込んでいった。


「……くそ! スロ=ナ=ヴァール!」


 こちらの姿を発見したらしい魔術師の一人が、蔓に腰まで拘束されながら手を伸ばして空中に魔法陣を描き、術を放った。ついさっき聞いたヴァーセルスの祈りに似た響きの、しかしより短く切り詰められた風の呪文。ドノスがすぐさま盾を作り出す祈りを唱える。


「ユ・アレア=ティア=ハツェ、イルト・ルヴァ=フルム・ナ=スクラデル=ユ・ファウ――」


(長い……!)


 丁寧な祈り文句に、魔術師の何人かが口角を釣り上げる。魔術言語エルート語よりも古い言葉のアルレア語は、同じ内容でもずっと長い文句になってしまうのだ。


 が、それを睨んだドノスの口元も好戦的にニヤリとした。ビィンと独特の音を立てて、空中に出現した顕現陣が術を弾き返した。ドノスは祈りを唱え続けながら盾の後ろで腰の長剣を抜き、突撃する準備を始める。


「な、なぜ! 呪文はまた完成していないのに」


 魔術師が叫ぶ。守りの祈りを唱え終わったドノスは、笑みを崩さず怒鳴り返した。


「『呪文』じゃなくて『祈り』だよ。フランヴェールは戦いと守護の女神、彼女が愛されるのは敬虔な信徒ではなく、守るために戦う者だ。故に最後の一言を悠長に待たれたりはしない。届かぬはずの手を握らせてくださるのが『顕現術』なんだよ!」


 盾をかざしたまま走り出す、その瞬間。全員の目がドノスの背中と拘束された魔術師達に向けられていた。つまり、誰も後ろを見ていなかった。


 突然、首に腕が回される。顎の下に冷たい金属の感触。声を出そうとして咄嗟に出せず、ひゅうっと息を呑む。


「ドノス、戻りなさい!」


 いち早く気づいたヴァーセルスが叫んだ。ドノスが急停止し、短剣を突きつけられたアルンを見て目を見開く。


「動くな! 動けばこいつを殺す!」


 男の声と力の気配。縁のほつれた灰色の袖。あとちょっと変な匂い。汗とかではなくて、薬草のような。


 魔術師らしき男はずるずるとアルンを引き摺りながら、仲間の方へ後退してゆく。瞳を真っ赤に燃やしたシルイが動きかけ、ルノに制止される。誰も動かない。


(……エシテ)


 隊舎に近づいたことで、倒れている人間が見えるようになった。頭から血を流したエシテがぐったりと崩れた壁に寄りかかり、ウラナが必死な顔でその頭に布を巻いてやっている。そんな彼女も腕を深く切ったらしく、包帯代わりのシャツの切れ端がぐっしょり血に染まっていた。他にも見知った、いつも笑顔で訓練の相手をしてくれる優しいみんなが何人も、動かぬ体を引きずって「アルン!」と手を伸ばそうとする。


(許せない)


 熱い、溶岩のような怒りが込み上げる。彼女を引きずった男は奇妙な「ひっ、ひひ、そうだ、大人しくしていろ」と奇妙な笑い声を上げながら仲間のところまで辿り着き、そして「今のうちに蔓を」と言った。


「助かった、ドーレン」


(助かってないよ)


 アルンは心の中でそう囁いた。首筋に短剣を突きつけたところで、何だというのだろう。アルンの最大の強みは武術じゃない。



 踏み締めた足から〈祝福〉を流し込む。至近距離で力を与えられた蔓草達が段違いの速さで成長を始めた。魔術師達が「うわっ」と叫び、そしてアルンを拘束している男が「こいつ……!」と短剣を更に――


 急にアルンが身じろぎしたので、首をすっぱり切断しそうになった男が反射で腕を引いた。その手を掴んで、習った通りの角度に強く捻る。力の抜けたところから引っこ抜くように短剣を奪い取った瞬間、ドノスがこちらに向かって突進しかけ、そしてぎょっとしたように動きを止めた。


 アルンはむしり取った短剣を脇の下から深々と男の腹に突き刺し、そして痛みに怯んだ男の側頭部を体を捻って踵で蹴り飛ばした。男が白目を剥いて昏倒する。アルンは自分の腰から短剣を抜き放ち、緑の檻に拘束された「魔狼の術師」の鼻先に突きつけて言った。


「確かに私はまだ入ったばかりで弱いけど、使命感とか、みんなにはきっと劣るけど――私だって火竜だ。私にだって、守りたいものがあるんだ!」





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