事後好転

「あー、悪いんだけどもう一度説明してくれないか?」


 師走と言っても早朝の高速道路は空いている。

 茂木はギアを六速まで上げ、ハンドルとアクセルだけの簡単な操作を続けながら助手席の女に聞く。


「もうあったま悪いわね! 自転って知ってる? ぐるりと回って24時間」

「知ってる」

「公転って知ってる? 太陽の周りをぐるりと回って一年間」

「知ってる」

「知ってるんなら聞かないでよ」

「……いや、そういうことじゃなくてだな、ポールシフト? それと地軸のズレとか言ってなかったか?」

「ポールシフトってのは極点が変わるのよ。普通は北極と南極が切り替わるだけなんだけど、今回は妙に中途半端な位置になりそうなのね」


 北極と南極が切り替わるのが普通なのかどうか茂木には分からなかったし、女が何を言ってるのか恐ろしくもあったが、少なくとも狂人には見えない。ていうか可愛らしい十代後半の容姿なのでとりあえず話を続けてみたいという興味がわいた。


「地軸のズレってのは?」

「今現在、地球の地軸ってのは23.4度ズレてんのは知ってるでしょ?」

「知らない」

「あんた、なんで今日があるかわかんないの?」

「今日?」

「冬至!」

「とうじ? ……ああ冬至。昼が一番短い日で夜が一番長い日だな」


 もちろん良く知っている。

 だからこそ今日中に帰りたいのだ。

 ただ、そんな説明は必要あるまい。これ以上面倒な事は増やしたくないと考えた茂木は続けて問いかける。


「そっか、地軸がズレてるから四季があるんだっけ?」


 遠い昔の義務教育で学んだはずの知識を引っ張り出す。


「四季だけじゃないわ。白夜と極夜も偏西風も地軸のズレによって起きてんの」

「で? 結局どうなるってんだ?」

「結論から言うとね、ポールシフトの結果、この国に極点が移動して、ついでに地軸が90度になるのよ」


 茂木はいまいち、女の説明にピンとこない。


「だから、えっと、どうなる? 四季がなくなる?」

「その程度で済めば良かったんだけどね。今回は90度だから、夏至で一日中太陽が照って、冬至は逆に一日中、夜が続く。一年かけて朝晩が一周するのよ」

「えっと、白夜と極夜とかみたいな?」

「もっと極端よ。まあ、人が生きられる環境じゃなくなるし、気候変動も今の比じゃなくなるわね」


 茂木は運転しながら考える。

 こいつはいったい何を言ってるんだ? と。


「……なあ、その辺もよく分からないんだけど、それと君を乗せて走ることにどんな関連があるんだ?」

「人類が終わるってのに、よくもまあ呑気な質問が出来るモノね!」

「はぁ、すいません。で、質問に答えてもらっていいかな?」


 東の空が白くなるにつれ日本で最も短い昼が始まる。

 少し残っていた眠気も消え、茂木はだんだん腹が立ってきた。


「あんたはあたしの言う通りに車を走らせて、あたしを所定の場所に届ければいいのよ」

「だからさ、なんで君がポールシフトや地軸のズレに関係してるんだ?」

「あたしがそれを阻止するからに決まってるでしょ」

「お前は何を言っているんだ?」

「お前じゃないわよ! あたしの名前はユヅキ! 遊ぶ月って書いてユヅキ! 彷徨える月って意味もあるのよ」

「いや、あのな、名前は今はどうでもよくて……」


 茂木は頭の中で混乱を整える。


「えっと、まとめさせてもらっていいか?」

「別にあんたの理解なんか必要ないけどね」

「……ポールシフトが起こり、極点がこの国に移動する?」

「そうよ」

「それに併せ地軸が90度になって、極点の辺りは一年かけて昼と夜が一周する?」

「そうね」

「それを、君が阻止する?」

「分かってるんじゃない」

「どうやって?」

「タイミングを合わせてバーンってやるのよ」

「……どこまで運べばいいんだ?」

「このトラックのナンバープレートの県よ。帰るんでしょ?」

「まあそりゃあ帰るところだが、寄り道は勘弁してもらいたい」

「なんでよ」

「……今日は大事な用事があるんだよ。このまま会社に帰って事後報告して、それから昼間の内に行かなくちゃいけないところが」

「あんたね、地球の危機を背負ってるって自覚はないの?」


 そんなもん勝手に背負わせるんじゃないと憤る。


「いや、あのな。俺にとってすごく大事で、俺の人生にとっても危機的状況なんだが」

「どんな用事よ」

「……何でそんなこと言わなくちゃいけないんだよ」

「地球の危機と天秤に掛ける用事とやら、さぞかし立派なものなんでしょうね」


 遊月はふふんと鼻で笑い腕と脚を組む。

 その偉そうな態度に、茂木は勢いで答える。

 どうせ「くだらない」と一蹴される覚悟と共に。


「一年で一番長い夜の始まりにプロポーズするって約束してるんだ」



▲▽▲▽



「パパ、今日のお風呂、なんでくだものが浮いてるの? それにいい香り。これおみかん?」


 あたしの名前はユヅキ!


 耳元でそんな声が聞こえた気がした。


「ゆず、だよ。冬至の日にお風呂に浮かべるんだ」

「とうじ、ってなに?」

「夜が一番長い日のことだよ」

「ふうん。ねえパパ、なんで今日の夜は一番長いの?」

「あのな、地球と太陽がこんな感じでな……」


 俺は風呂に浮いている柚子を使って、小さな息子に簡単な説明を始めた。


 説明をしながら、あの冬を思い出す。


 プロポーズをするという俺の言葉に対し、遊月は、つまらなそうな顔で次のパーキングエリアに停車することを要求した。

 トイレに寄るとのことだったが、トラックを降りる彼女は俺にこう言った。


「あんたのプロポーズの方が、地球の命運より重いからね」


 にこりと笑い、彼女は後ろ手に手を振った。


 気が付いた時には、俺はいつの間にか一人で高速を走っていた。

 その後は無事に帰社し、一番長い夜を婚約者となった彼女と過ごした。


 そして今年も、変わらず冬至はやってきた。


 きっと彼女がタイミングを合わせてバーンとやってくれたんだろう。

 俺は何にも役に立ってないけどな。


「パパはなんでも知ってるんだね!」


 ニコニコと笑う息子は、あの時、遊月に付き合っていたら得られなかったかもしれない可能性だ。


「なんでもじゃないよ。大切な事だけだよ」


 知識を知っている事が重要な訳じゃない。

 それを少しでも伝えていかなくちゃ、と思っているだけだ。

 それがあの時、地球の命運より自分の都合を選んだ俺ができる行動だ。


 湯上がりに窓の外、あの時と同じ満月を見上げる。

 彼女は今もどこかで、当たり前の季節が訪れる為に頑張っているのだろうか。


「今度乗せるときは、コーヒーでも奢ってやるか」


 俺が呟くと、笑ったように月が瞬く。





―― 了 ――

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ポールシフトと柚子湯の香り K-enterprise @wanmoo

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