ポールシフトと柚子湯の香り
K-enterprise
自転公転
「え? 誰?」
自販機のホットコーヒーカップを持ったままトラックの運転席に乗り込んだ茂木梨男は、助手席で体を丸めて眠る人物に気付き、ビクッと驚く。
「……なによぅ……うるさいなぁ……あぁ、こーひーのいい香り」
目を瞑ったまま顔を上げた若い女は、鼻をくんくんとひくつかせる。
フード付のパーカーに、もこもこの白っぽいダウンジャケット。デニムスカートから伸びる黒いタイツのデニールは60といったところか。
茂木はざっとそんな観察を済ませ、改めて疑問を投げかける。
「いや、誰だよ君は」
「人に名前を聞く時は、まず自分から名乗りなさいよ!」
女はカッと大きな目を見開き捲し立てる。
「え? あ、ごめんなさい。俺は茂木って言います」
茂木は勢いに押され素直に謝罪し名を名乗る。
「下の名前は」
「え?」
「モテキ、誰さんよ」
「梨男です」
「わはははははは、モテキ、ナシオ! わはははははは」
爆笑である。
確かにこれまでの28年間で名前を揶揄されたことは初めてじゃないが、これほどストレートに笑われたのは初めてだった。
ヒィヒィと腹を抱えて笑い震えている女を眺めながらコーヒーを啜り、ようやく仮眠明けのぼんやりした頭が覚醒していく。
え? 何。俺なんで笑われてんの?
「ちょっと待て、お前誰だよ! なんで俺のトラックに勝手に乗り込んでんだよ!」
「お前じゃないわよ。ちゃんと名前があります! 失礼しちゃう」
「……名前は?」
「なんで初対面の男に名乗らなきゃいけないのよ」
茂木は一つの仮説を立てる。
これはテレビ番組の企画なんじゃないだろうか、と。
帰宅途中のサラリーマンの自宅にお邪魔するといった感じで、高速道路のサービスエリアで仮眠しているトラックにヒッチハイクを頼む的な?
おもむろに運転席から降りて、4tトラックの周囲を一周する。
12月の5時。まだ朝日の昇る気配はない闇の中、わずかな常夜灯と満月が光源となっている。
周囲には同じような仮眠中のトラックが二台ほど、こちらと同じようにエンジンを掛けたまま眠りについているみたいだ。
再び運転席に戻る。
「ちょっと、寒いんだから開け閉めしないでよ。つーかあたしのコーヒーを買いにいったんじゃないの?」
理不尽な状況は幻覚じゃないみたいだった。
「テレビ?」
「あたしがテレビに見えるんならすぐに救急車呼んだ方がいいわよ」
「そうじゃなくて、テレビの企画とかで、ヒッチハイクで日本一周とか?」
「ヒッチハイクしか合ってないわ」
「え? 俺、初めて聞いたんだけど」
「初めて言ったからね。てか、寒いから車内に入れてって言ったらどうぞって言ったじゃん」
笑えば可愛い感じなのにもったいないと、不服そうな女の顔を見ながら茂木は記憶を辿る。
関西の客先を出たのが午前0時頃、どうしても今日中に帰宅したかったからそのまま走り続けたが、度重なる睡魔の襲来に耐え切れず、パーキングエリアに寄った。
運転席のシートを限界まで倒し、すぐに寝入ったはず……ああ。
「「寒い寒い凍え死ぬ」って夢じゃなかったのか……」
「思い出したみたいね。自分の行動には責任を持ってもらいたいものね」
「いや、だって眠かったし、八割くらい寝てたし」
「眠かった、酔ってた、心神喪失でしたとか便利な言い訳よね」
自分にその責があるにせよ、なんでそんな責められなきゃいかんのだろうと憤りかけるが、ぬるくなり苦味ばかりが目立つコーヒーが心を穏やかにしてくれる。
「ってか、何であんな時間にこんなとこにいるんだよ!」
急に思い至り、思わず大きな声で問いかける。
「大きな声出さないでよ。訴えるわよ」
「不法侵入はお前の……」
「お前じゃないっての!」
「……名前は?」
「なんで初対面の男に名乗らなきゃいけないのよ」
茂木は困惑している。
俺が一体何をしたというのだ。
一番手っ取り早いのは、こいつを降ろしてさっさと出発する事だ。
停車中のトラックはまだ二台いるし、パーキングエリアの自販機コーナーだって風くらいしのげるだろう。
「そろそろ出発しなさいよ」
「ヒッチハイク?」
「だからそう言ってるじゃないの」
深夜0時に見ず知らずのトラックに潜り込むような若い女。
新手の
次のパーキングエリアとかに寄らせて、仲間が待機していて「よう兄ちゃんワイのスケになにさらしてくれとるんじゃい」とか。
「降りてくれ、金なんかないぞ」
「強盗じゃないわよ。払うお金もないけどさ」
「仲間がいるんだろ?」
「いたらそっちで移動してるわよ。もういいから出発しなさいよ! 間に合わなくなったらあんたのせいだからね!」
茂木は思いっきり指を差されて再びの困惑。
「……間に合わないって、なんの事?」
「ポールシフトと地軸のズレよ! 日本が極点になって冬に日が差さなくなったらあんたのせいだからね!」
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