砂浜に書いたラブレター

むーこ

砂浜に書いたラブレター

波打ち際に大柄な男がしゃがみ込み、砂の上に小枝を這わせている。周囲には仰々しい機材と、砂に足を取られ汗を垂らしながら忙しなく動き回る人々と、片隅に用意された椅子に座り出番を待つ華やかな青年達。

関東南部の海水浴場に現れたこの一団はメンズファッション誌の撮影チーム。リゾートファッション特集に掲載する写真を撮る為にこの海水浴場を訪れたのだ。

撮影スタッフ達が忙しなく動き回る中、男はせっせと砂浜に何かを描き続ける。するとその背後から「何してんの」という声が聞こえ、男は鼻筋から右目頭に痣のある顔を声の主に向けた。声の主─モデルのジュンは女優帽にも似た大きな麦わら帽子で影になった美貌に優しげな笑みを浮かべている。


「今日はあくまで"付き人"だからね、待機中はなるべく俺のそばにいるんだよ」


しゃがんだままの男の背に寄りかかりそう囁くジュンの、男の肩を撫でる手つきはどこか粘っこく蠱惑的だ。

ジュンの言う通り、男はこの日"ジュンの付き人"として撮影チームに加わり海水浴場を訪れた。しかし実際のところ男とジュンの間に正式な契約は無い。男の本業は郵便配達員で、この日は休日を使って付き人ごっこをしているのである。ただただ自分の恋人であるジュンと一緒にいる時間を増やしたいが為に。


「ところでマジで何描いてんの?」


男の背に取り付いていたジュンが身を乗り出した。そして男の足下に描かれたものを確かめ、それからプッと吹き出した。海水の湿り気で他よりも色濃く、そして固くなった砂の上に、人名の書かれていない大きな相合傘が描かれていたからだ。


「中学生みたいなことして。俺がこっちに来ればいい?」


笑いながらもジュンが相合傘の右側に移動ししゃがむ。ならばと男が左側にしゃがむと、男の両手にジュンが自身の両手を絡みつかせた。男の右手は顔と同じような痣で赤く染まっており、人によっては触れることに抵抗を感じるらしく男も公共の場で右手を使うことは殆ど無い。そんな右手指の間からジュンの真っ白な指が侵入し手を強く握ってくる様を男はもう2年以上見ているがいまだに慣れず、得も言われぬむず痒さを感じる。


「ねー俺の好きに応えてくれてありがとう。俺を好きになってくれてありがとう。沢山一緒にいたいと思ってくれてありがとう」


何だ突然。ジュンが唐突にかけてきた言葉に男が戸惑う。


「なんか特別な気分になったの。ね、ずっとこうしてたいね」


そう言って照れ笑いをするジュンの顔は鍔広帽で陰っていることなど忘れさせる程には神々しく眩しく、男は目を見開いてジュンを見つめた。直後、視界の外からジュンを呼ぶ声。


「ジュン君ジュン君、すごい良い絵だからSNS上げていい?」


目を向けると広報担当のスタッフが社用のスマホでジュンと男を撮影しようとしていた。男は全国誌に自分の姿が晒される様を想像して首を横に振り、男の反応を見たジュンも「付き人でも一応は一般の方だからダメですぅ」と柔らかく断った。


「編集後記に文として書くのは?」


「それはオッケー。でも何話してたかはヒミツですよ」


「手厳しいなぁ。ていうかジュン君出番来るよ」


「じゃあ行かなきゃ」


ジュンの言葉と共に、彼の手が男の指の間からスルリと抜ける。ジュンは立ち上がって相合傘の下を出ていこうとしたが、1歩進んだところで再びしゃがみ、さっきまで自分がいた場所に何かを描き始めた。一見すると幾何学模様の羅列に見えたそれはよく見るとジュンの第一言語であるハングルで、一通り書き終えたジュンが「後でねー」と立ち去った後に男はスマホを取り出し1つ1つの単語の意味を調べてみた。そして火照り出した顔を手で一生懸命に扇いだ。


『あなたの右側には常に僕がいます』

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砂浜に書いたラブレター むーこ @KuromutaHatsuro

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