人生から得た知識 短編小説編
春秋 頼
第1話 人生から得た知識 短編
私は自分で結論を出し、重度の不眠症であるため心療内科医に通っているが、誰にも私を救う事はできない。
だからと言って助けを求める事も弱きになる事もない。
通院している医者に最初の頃聞かれた。
「眠れてますか?」
「眠れてます」
「何か趣味みたいなものはありますか?」
「哲学ですね」
「哲学が好きなのですか?」
「私の人生が哲学だった故です」
「人生が哲学ですか……」
私は東京で産まれた。曾祖父が財閥だったため戦争に負けて財閥解体はされたが、それでも今で約八千億から一兆円ほどはあった。想像しにくい人はアイアンマンと同じくらいだと思ってくれたら分かるかと思う。
私の父親は長男であった。
父親は東京に行きたいから東京の大学に行って遊びまくって戻ってきた。そして再び東京に行きたいなと友人と話して医学部なら六年いれるという安易な理由で一年間勉強し東京の医学部に入った。私からして大叔父に当たるのか、その人に一年間勉強を習って合格した。大叔父は東大主席で卒業し、戦艦大和の設計もした人だった。
私の世界では普通な為、私も子供の頃よくカルチャーショックを受けた。一週間ほとんど休みもない程だったが合間に友達の家に初めて行った時にトイレが一つしか無くて男子便所を探した記憶は今でも残っている。
一万字以下なので色々察して読んでください。
国立でない場合医学部に入学するには五千万前後かかるため
開業しなければ赤字になる。
うちの場合はお金は関係なく大学病院で研修医として十年勉強しないと開業出来ない。
その為、大学二つ卒業プラス十年で二十年大学に行ったことになる。高須クリニックの高須が後輩だったらしく将来価値がでますよと言われて絵を貰って飾っていた。
父の趣味の一つが絵画だったため家には十枚以上の絵が常に飾られていた。絵をよく見れるよう専用のスポットライトも付けていた。高須から貰った絵は結局価値は殆どなく、あいつの目は駄目だ。と言っていた。
私も画廊から招待された父について行っていたこともあったため絵画は好きなほうで家に飾られている絵の中にある風景画が好きだった。価値を聞いたら五千万ほどだった。
良い絵だったが、父は世間知らずだからカモにされたのかどうかは不明だが十億ほど借金してその絵は売られえていった。
借金は返したが、一度だけどうしても銀行に行かなければいけない親類の相続関係で足を銀行に運んだ。当然厄介事は長男に生まれてしまった私が手続きは全てした。
父は死ぬまで銀行に行った事は人生でその一回だけだった。
ATMの使い方どころかキャッシュカードの存在も知らなかった。
八十五歳くらいまで知らなかった。
銀行にいってもまだかまだかと何度も言っていた。
そして「銀行は行くものじゃない。来る者だ」と言っていた。
うちは当然誰しもが知る家だったため本来は不正になるような事も度々許されていた。
あまりの父親の不機嫌ぶりに銀行のほうから次回からはご子息さんだけでいいですと言ったほどだった。
私には相続権がないため本来は駄目な事である。
たまに親類が来るとよく昔の話をしていた。
私もそれを聞いていたが、池田さんの話をたまにしていた。
最初は誰かわからなかったが総理大臣の池田さんがよく来ていたらしく、良い家で同じように作りたいと言って作ろうとしたらしいが、高価すぎる木材を使っていたため日本全国を調べたらしいが結局なくて断念したらしい。
医学部の大学生時代、九州一のお金持ちも同級生だったらしく
一万円札しか持ってなかったと言っていた。
飲み物も一万円で買って来てもらい御釣りは当然くれてたらしい。上には上がいると言っていたが、うちも対して変わらないと私は思った。
私は約二年前から今まで話せなかったことような事を毎週一回話に行っているが、まだ話しきれていない。長い時は三時間くらい時間を作ってくれるがいつも面白そうに聞いている。
このような話が外に出ないには理由がある。
まず親のレールに乗ったまま進むのが普通であり
私もそうだった。小学生の頃は全国模試でも上のほうだった。
そして今でも覚えているが、日曜日は毎週一時間くらいかかる場所の塾に朝から晩まで通っていた。
満員電車の中である中年の男性が「ぼく。ここに座りなさい」と言ってくれたが私は洗脳されていたため「お気持ちだけ頂きます」と断った。その席には終着駅まで空いたままだった。
夏休みは四十日中、三十日は離島の何もないホテルを貸し切って朝六時から晩の二十二時くらいまでは勉強漬けだった。
そして家に戻ったら、母親が大学生を雇って科学研究をさせていてそれを書き写していた。小学生低学年でも二百ページくらいの科学研究を出していた。普通に考えてもおかしい事はわかる。
一度、小学生の頃、私は何故かはわからないがストレスのせいかジュースの瓶を割った。でも塾があるためすぐに帰った。
先生は嘘をついてると考えてうちまで来たらしい。
そして本当に塾に通っていることを知って驚いていたらしい。
私は当時、サラリーマンよりも忙しかった。
塾だけでも六カ所くらい行って習い事も幾つも習っていた。
左利きなのに、受験で肩が当たるかもしれないという安易な
理由で文字だけは右で書けるようになるまで強制された。
成績が悪ければ父親は殴る蹴るのが普通だった。
私の家は鉄筋コンクリートで百坪ほどあり、四階には御仕置部屋があった。高さ二から三メートルほどある一畳程度のコンクリートむき出しの部屋だ。当然明かりは二メートル以上の高い場所にある正方形の小さな小窓だけだった。
何時間も監禁された記憶が何度かある。
門限は五時で今でも鮮明に覚えているのは五時を過ぎて帰ったら夜の二十三時まで外に出されていて、向かいにあるアパートの人が危ないからこっちに来なさいと言って入れてくれた。
権力と金を持った愚か者は非常に厄介だと小学生のまだ低学年で思い知らされた。だが、一人の遠縁の叔父はうちの一族の事をよく理解しており、私が酷い目に合っていることは見ることもなく知っていた。
私の一族が異常な為、距離を置いた叔父だった。大学の教授でまだPCが日本でそれほど普及して無い頃から専門だったため今でも詳しい。今は一年の三分の一は海外で過ごしている。
うちの愚かな母親は自分より弱いものには強かったが、それなりに強い相手には弱かった。私がまだ幼いが為に多くの人たちが職を失う羽目にもなった。母親に言われて私をスパイしてほしいと頼まれたが、私と弟の世話係の人がいた。その人達は善人故、幼い私に告白した。母親に頼まれたがそんな真似はできないと。
私はその人に内緒にしといてと言われたから内緒にしていたが
何の情報も得られないため、重度の人間不信であった母はクビにしていった。
運転手さんも同じだった。私にそれを告白して少ししてクビにされていった。免許は無かったが車を買ったため運転手を数人雇っていた、それとタクシーを併用して私と弟は塾や習い事にいっていた。
当然、幼稚園の頃から集団虐めにあった。金持ちの上に友達を作る時間も無い為だ。脅されて百円盗まされたり色々あった。
私の家では喧嘩は父親が推奨するほどであった。
私と弟は年子で一歳しか変わらない上に二人とも格闘技を習っていた。喧嘩が始まると父親は母親を連れて離れた部屋に行った。
行く前に「武器は使うな。それ以外なら何でもしていい」といつも言われていた。
弟はそのせいか恐ろしい人間になった。普通ではありえないような事を平気で出来る人間になってしまった。私もそれなりに強かった。中学の頃には三人程度なら倒していたが、弟はちょっとおかしかった。
ある日、私の家はたまり場になっていた。ある私の友人の一人が弟をからかったらしく、私の部屋に入るなり物置の扉を開けて隠れた。ドアが壊れるほどガンっと開けて一言だけ言った。
「どこな?」教えたかどうかは忘れたが、部屋を見渡して物置入れのドアは二つしかないから当然バレる。
弟はそいつが入っているドアを開けるとボコボコにした。
私も中学時代は弟に肋骨程度はすぐ折れるが、腕が折れても片手で喧嘩していたのを覚えている。頬骨も折られたこともある。
ある日、幼稚園の頃、私を虐めていた奴らに合った。
小学校はそいつらとは別だった。
私はとりあえずリーダーの奴をボコボコにして他の奴らも数人やった。
そして中学も同じになった。
私の中で何かが切れたのか、そのリーダーをしていた奴を周りがひくほどボロボロにした。
ある友人が何故あそこまでやるのかと聞いてきた。
もう私の家の近くにも寄らないくらい怯えていると言っていた。
遠回りしていることを聞かされた。
でも喧嘩もある程度はしておいたほうがいいと私は思う。
私が最後に人を殴ったのは弟であり、高校生になってからは
一度も人を殴っていない。
もう卒業はした。でもある程度慣れておけば助けることも出来る。実際私は、中学の頃、体育の授業が始まる前に体育館で人だまりが出来ていて、何事かと人込みを分けて中を見た。
友人が私もよく喧嘩していた奴に何があったのかは知らないが
土下座しろと皆の前で言われていた。
友人が膝をつこうとしたから私は彼の肩を掴んで人込みから出した。そいつも何も言って来なかった。
二十代の頃、中学時代の友人が年末に集まり飲んでいた。
その友人がその時の事を口にした。感謝していると。
私は忘れたふりをした。でも彼はずっと感謝し続けると言っていた。その反面、私は中学の時、その友人さえ実は目を合わせるのも怖かったと言った。
何でもほどよく経験しておけば多少免疫が出来る。
だから少しくらいは経験しておいた方が良いと思う。
あの時、助けようとした奴は一人もいなかった。
そんな真似は友人として見過ごすわけにはいかなかった。
私は中学に入ってから力もつけた。
最後にうちの父が私を殴ろうとして私はそのパンチを片手で止めて以来暴力は振るわなくなった。
私も今は助かったと言えるが三年ほど前は酷かった。
希な経験は色々したし、悲しい感情が出ない程ストレス漬けだった。小学生の頃、同じ塾に通ってた友人が自殺した。そして一年後の同じ日にその弟も自殺した。どちらも首吊り自殺だった。
親のレールに乗ったが必要が無くなり捨てられた友人や親類もいる。私も何度か養子に出さされかけた。小学生高学年の頃にはお見合いの話もあった。
私は大学教授の叔父に助けられた。今でも感謝の念は尽きない。
私は一族と数年前戦った。お手伝いさんも私にかける言葉さえない状態で、私は父親から非常に危険な状況に落とされかけた。それに私は自分で気づいたが、そのせいで一夜にして全てではないが白髪になった。漫画の世界かよと自分で思った。
誰もが父親が悪いのを知っているが誰もが助けてはくれなかった。私は出来る限りの方法を考え抜いた。人生で今後も含めて一番頭をフル稼働して対抗した。
無力で愚かな母親は警察を呼んだ。私と父の口論で私が脅したからだ。「昔はよくボロボロになるまで殴ってくれたな」と言ったら殴ったことさえ忘れていた。
そもそも殺す気ならうちの長い廊下で母親を捕まえるに決まっている。そんなことも分からず警察を呼んだ。
うちは広いからそれぞれ別の場所で話を聞くことになった。
私は一階の病院できた警官の中では一番年齢の高い人が相手だった。私はまだその時は白髪では無かった時であったが、三時間くらいかけて話した。真実のみを。そして私が今後どうするか考えていることも話した。
私が仮に訴えても父親の兄弟であるその地の有力者たちと父親が仮に私が真実を話しても初期の癌になっている父親とその兄弟が
私が嘘をついていると言えば百%普通は嘘をついている父親を信じると私は話した。
人間は最後の時は人生の幕引きとして善なる行いをするものだと私は思っていたが、それは私の世界には存在しないことを
思い知らされた。
業種では日本一の会社の社長もいるし、父の弟の叔父は東大医学部出身のため有力者たちの多くを知っている。
息子一人が本当の事をいくら訴えても逆に名誉棄損や色々な罪状をつけて逆に私が刑務所に入れられると話した。
警官の人は、「私のような者には理解を越えています。賢いからお辛いでしょう」と言ってくれた。私は涙を流した。
父親が東京の叔父の口利きで病院に移ることになった。
それを私は奴が出ていくまで三カ月しかないことを知った。
私は毎日一日も欠かす事無く、せめて一族を集めてどういうつもりなのか裁判とかではなく聞きたいと言った。
譲歩に譲歩を重ねて九十日、毎日涙を流して訴えた。
奴は最後の日、「自分は悪くない」と一言だけ言って出て行った。そして私が頭が賢いことは分かっていた。
奴は医師会の保険を癌になった途端解約した。
医師会の保険は医者しか入れず、もしもの時のために医者全員が入る保険である。勿論掛け捨てであるし、金額は六千万入る。自ら解約する人は問題が特別無い限り奴以外にはいないと断言できる。
別にお金はどうでもよかった。私はあの頃は警官にも話して記録もしっかりと残っているが、死ぬつもりでいた。実行も二回した。一度目は薬の量が不足して三日間目を覚まさなかったが、誰一人部屋にも来ることなく誰も知らない。
二回目は絶対に死ぬために準備をして年始に海外から取り寄せた有毒ガスと家にあったチューブマスクで外れないようにテープで固定してガス栓をひねった。飛び降り自殺も考えたが私はあの件が起こり出した五年前から最悪の場合を考えていた。
臓器バンクにも登録し、使える物なら使ってもらおうと。
更に睡眠薬を大量に飲み、うちの一族に核爆弾を落としてやろうと思った。私の命一つでそれが叶うなら安いものだった。
しかし、来ることを知らなかった。真実を何も知らない幼馴染が普段なら返事をしないと入ってこないのに
入ってきて私はビンタされながら起こされた。
私はこの世だと気づき言葉を発した。
「なんてことをしてくれたんだ」と死ぬにも莫大なエネルギーを使う、私はストレスで信じられないことに臓器も出血していた。
おびただしい量の下血も毎日で、肺炎のような咳に胃潰瘍にもなり、死ぬにはもうエネルギーが無かった。
その人が何があったのかと聞いてきて、絶対に信じないことを私は知っていた。だから母親にもその居酒屋の個室に来るように伝えて飲みに行った。
私が真実を話したら、予想通り大爆笑された。
頭がおかしくなったのかとまで言われた。そんなことおじちゃんもおばちゃんもするわけないと。
途中、母親が来たがすぐに逃げるように帰っていった。
俺は絶対に許さないと思って飲んだあと家に帰り、
居間に幼馴染を座らせてダイニングテーブルに母親を座らせた。
「絶対にそこから動くなと本気で言った」
そしてそれから最初から話して言った。
最初は笑っていたが愚かな母の顏が青ざめている事に気づいて
有り得ない事が真実なんだと気づいた。
夜中の三時くらいまで話したが、ようやくわかった。
そして自分が仲介に入ろうかと言ってきたので
私は言った「〇〇君じゃ力不足で役にも立てず、俺に対して罪悪感だけが残る」と伝えた。
私よりも歳は上だが、頭の質は神と人間ほどの差があった。
私は「絶対に何があっても関わるな」と善意を持って伝えた。
うちの父親に「お前、馬鹿か?」と言えるくらいは最低でも言えないなら勝ち目は全くない。既に自分がしたことだった。
しかし、愚かな母親は、私と人生で初めて和解をした。私も母も泣いて和解したはずだった。負けてもいいから訴えようと話していたのに、和解から二日後、起きて二階にいくと何もかもが消えていた。楊枝さえも何もかもが無くなっていた。
私は当然電話した、母は電話に出て今車を運転してるから後でかけ直すと言い。私はその後電話しても二度と出る事は無かった。
突然。〇〇君から仲介に入ってくれと言われたと言ってきた。
「あれほど忠告したのに何を考えてんのか?」と私は言った。
〇〇君は頭もそれほど賢くない上にはっきり言えないタイプだったから、そんなことは出来る人間では無かった。
彼は私があれほど止めたのに関わったため今でも神経衰弱している。心の弱い人間にはあんな腐った奴らの相手はできない。
そして数カ月たち、ある日、〇〇君から電話がきた。
私にまず、おじちゃんが死んだと言ってきて
私としては私の人生も終わったとしか思わなかった。
昔からの金持ちは長男に絶対的な権力がある。時代は変わってきたが、父の時代が最後の長男有力者の時代だった。
うちの親類を集めるには父の一言しか手が無かった。
だから私も終わったと思うだけで一切の悲しみは無かった。
〇〇君は続けて言った。「おばちゃんが葬式に出てほしいと言っていると」私は皆殺しにして自分も死のうと考えていた時もあった。そのため鋭利な刃の長い乱れ刃のノコギリを買っていた。
正直持って行って全員殺そうかと思ったが
〇〇君に私は言った。「あの馬鹿な母親は今までもそうだけど体裁しか考えてない」と私は伝えた。彼は「いやほんとに会ってほしいみたいよ」と彼は言った。
私は呆れたが、幼馴染ではあったが母親派であった〇〇君とは親しいといっても空間があるように
私は彼に対してただの母親派としか見ていなかったため
彼の事、賢さを知ったのはほんの数年前のその時だった。
なんて愚かなのかと正直思ったし、私は年上にはあまり言いたくないが叱った。まだ全く分かっていなかったからだ。
体裁のために逃げた後にどのつら下げて俺に合う気なのかと本当に理解に苦しんだ。私の周りの友人や弟、親類たちが皆倒れていく中で私の精神は最強だと言われていたが
限界まで行ってしまった。本当の地獄を知った。
だからこそ今、長編小説の中には所々に自分に起きた真実を散りばめながら書いている。
たまに真実を書きすぎて息が出来なくなる時もある。
対処法はもうわかったので問題ない。
それにあの地獄から見れば何も怖くなくなった。
一昨年の年末、私は真っ暗な天上を見ながら自分の感情が消えてしまっている事について考えた。あの時以来、私は変わってしまったからだ。
地元で女の子が道路を挟んでホストみたいな奴に殴られて顔面を蹴られていた。私は何故か何も感じなかった。あり得ないことだった。絶対に普段なら助けるのに何も感情が生まれなかった。
その後も感情が消えたようになっていた。
私は一昨年、天上を見ながら自分はもっと強いはずだと何度も言い聞かせ、深くあの時のことを思い出していった。
愛犬を父親が毒殺したのを知っていたのは私だけだった。
一番私になついてくれていた。
父親は愛情や感情が欠落していると思ったのは最後のほうの時だった。ある日、今まで可愛がってきたのに、もう歳だし貰い手がないと言った。
私は正直、人間味のない父親に対して恐ろしさを感じた。
そして父があともって一週間だと言った。まだ元気だったのにそう言った。私はまだ食欲もあるしもっと生きると主張した。
だが奴が言った日に死んだ。
私を最後まで待ってくれていた。あの時の事は一生忘れないが
あまり深く思い出そうとすると危険なのだと一昨年知った。
感情は消えたんじゃなくて、私の中の人格ではないが
まるで自動操作のようにあの事を私の中から、頑丈な扉に封印したように、出来事を封じた。しかし負の感情や他の感情も一緒に封印しないと思い出してしまうため私の脳が、奇しくも
私の今までの実体験から自動で動いて私を生かしたのだと気づかされた。
私の本当の友人が壊れて助ける事も出来なかったことや、兄弟揃って自殺したことや、弟が本物の二重人格になっている事などから、私は自分を生かすためにそれらの実体験から生きている。
地元の友人は小学生の頃、親が離婚して弟は母親について行った。長男であった友人は次期社長として残されたが、そいつの場合はおばあさん権力をもっており、今の時代でも携帯を持つ事を許されていない。
彼は友人がもう誰一人としていない。
大手のスーパーの息子でよく後継いだ後の事を話していた彼はもうどこにもいない。父親の弟が社長になった。
彼を最後に見たのは私は助けるため彼が働くスーパーに歩いて行っている途中にある広い公園にある石のベンチで一人だけで昼御飯を食べていた。
面白くて誰からも好かれていて信頼できる彼はもういない。
保健士さんと話して二年たつがまだ話しきれてない。
当然ここにもまだまだ書きたりない。
私はそういう異質な経験を経て幼少期を過ごした。
だから言える。血筋や権力や金などで人は全く判断できない。
私の親類がこの前テレビに出ていた。
皆、正面から向きたがらない。勇気がないからだ。
私も一度それを味わったからわかる。
何度も何度も騙された。親類どもに。医師会専属の弁護士に
何故わたしが会ってくれないのか話せないまま
時は過ぎていき、真実の欠片だけでもその弁護士は知った。
そして私とは会ってないが、一番の被害者は彼ですと言って
辞退した。私はあの頃、何が真実なのかわからなくなっていた。
自分自身を疑った。何度も何度も。黒い世界に自分だけ白いからいけないのかと。
考える力は子供の頃よりもついたが、辛さは人それぞれ違いがあるように、本当の悩みを抱えた人は誰かに相談したほういい。
私は子供の頃から落ちてきた地獄とは違う。真の地獄から這い上がろうとしているのは自分しか知らない。
皆、まだ半生あるのに、人生が決まっている。
スーパーの友人に起きた事を知る人は私しかいない。
何も知らない癖に厄介者のように扱われている。
マネージャーをしているようだが、真の真実は残酷だ。
母親は父親の死後三カ月経って遺言書があったといった。
勝手に開けて弱り切った私にとってはどうでもよかった。
〇〇君のおばちゃんに私は自分が信じられなくなって会いに行った。びっくりしていた。安心できた。自分が間違っていないのだと。
私は多くの耐え難い事が連続して起きた。その多数ある中で
私が殺意さえ覚えた事のうちの一つを記しておく。
私は裁判がどれほど精神が辛くなるかを理解している。
そして父の兄弟と父は、権力に任せて弱い親類を訴えようとした。私はその裁判を起こした時より、一年前に父に言った。
「未払い金が五百万以上あったが、それは要らないからもう二度度、俺に関わるなと」父は分かったと言った。
だが相続者同士の裁判でお金や権力を持つ我が一族を相手にできる訳もなく、相手は証拠隠滅を図り全ての証拠を消した。
私は一切関知しないと一年前に約束したのに嘘をつき、騙して
何とか私を裁判に引きずり出そうと父とその兄弟は度々、言ってきていた。裁判で勝ち取ったお金はあげるからと。
未払いの事など考えてもなく罪悪感も誰一人一切見せなかった。
ある夜、私を父が応接間に呼び出した。奴から呼び出す事は滅多になかった。次の日には絵画を叔母が買い取りに来る日だった。
そして実は私への仕事の支払いはされたが、自分の為に使い込んだと言った。私はそれは泥棒だと言い、そしてそれまで弁護士と合う事を断ってきた叔父や叔母に対して支払っていたのなら不義理だと言った。
一生死ぬまでかかるだろうが、私は裁判に出ると明日、叔父や叔母に謝ると言った。
私は父が受け取っていた、叔母たちのお金を父が使い込んでいた事を話した。そして不義理な事をした事を泣いて謝った。弁護士に合うと約束し、二人は大喜びしていた。
だが、一つだけ話している最中に叔母の目が理解していない目だったが、私は泣いて謝り続けた。馬鹿な父親のせいで裁判が長引いて悪かったと。
だが、それも嘘だった。叔母の目が一瞬だが理解していなかったのは父親の嘘に口裏を合わせるためだった。
私が悪くないのに、私が泣いて謝る姿を見て二人は自分たちだけの事しか考えてない。人間なら罪悪感を覚えるはずなのに一切悪びれることは無かった。
他にも大きな事はあったが、今わたしは頑張って生きている。
私の世界での人生ではあらゆる物を見すぎた。特に肩書だけはあるが、人間のクズと呼ぶべき者たちを多く見すぎた。
そんな奴らが日本を動かしている。これが現実であり真実だ。
嘘つきの特徴は嘘を自覚していない点にある。
それは嘘をつきすぎてきた人生だから平然と嘘がつける。
私は一族を見て、出来る限りは絶対に嘘はつかないと決めた。
約束も破らないと決めた。だから敢えて保健士さんに自殺はしないと言った。自己暗示のように。
私の長い冬は終わりを迎えようとしている。
春に近づいている。今年こそは絶対に咲かせて見せる。
人生から得た知識 短編小説編 春秋 頼 @rokuro5611
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます