⭐︎120話 狂えるオルランドと分かれ道【side:アーサー】
「おぉ、これはオルランド伯爵とアーサー君!良く来てくれたね」
舞踏会の会場である公爵邸に足を踏み入れると、招待客への挨拶をしてた公爵がこちらに歩み寄ってきた。
「お久しぶりです公爵閣下」と一礼する父と同様にアーサーも頭を下げる。
「急に招待状を出してしまってすまなかったね。本当は前もって日時を知らせるつもりだったのだが、ハイデ伯爵が『今の社交界ではサプライズ舞踏会が流行なのですよ』などと言うものだから、急遽当日開催にしたのだよ」
「そうだったのですか。急な招待で驚きはしましたが、直筆の招待を下さり誠に感謝申し上げます」
「オルランド郷、君は領地から帰ってきたばかりだろう?こちらで話を聞かせてくれないか――」
父と公爵の会話を聞きながら、アーサーは何か嫌な予感がしていた。
ハイデ伯爵という名前が出た瞬間から、絶えず背中にぞくり――と寒気が走っている。
――僕の考えすぎだと良いのだが。
程なくして会場には典雅な弦楽器の音色が流れ始め、アーサーは色とりどりのドレスを身にまとったご令嬢や貴族に取り囲まれた。
月のない夜空の暗闇が一層深まり、窓の外の景色が
その知らせは、突如として舞い込んできた。
「アーサー様!アーサー・オルランド様はいらっしゃいますか!」
やんわりとダンスや婚約の誘いを断っていたアーサーは、公爵家の使用人の呼び声に「私はここだ!」と手を上げる。
使用人は足早にこちらに歩み寄ってきて、耳元で知らせを告げた。
「今し方オルランド邸から使いの者が到着し、アーサー様とオルランド伯爵に『至急屋敷へお戻り下さい』と伝えるよう言付かりました。何か重大なトラブルがあったようです。屋敷の前にオルランド様の馬車が止まっておりますので、詳細は使いの者から直にお聞き下さい」
「分かった。私は我が家の馬車で急ぎ屋敷へ戻る。すまないが、君は私の父を探してこの件を伝えてくれ」
「かしこまりました」
アーサーは貴族としての優雅さを保ちつつ足早にダンスホールを後にした。
話しかけてくるご令嬢や貴族たちに先を急いでいる旨を伝え、謝罪し、公爵邸を出る。
屋敷前には我が家の家紋が刻まれた馬車が止められていた。側に立っていたオルランドの使用人が顔を上げ、馬車の扉を開ける。
素早く乗り込み、扉が閉まると同時に馬車が滑るように走り出す。夜闇を切り裂く一陣の風のように猛スピードで駆けた。
「何があった」と鋭く問えば、使用人は絶望と動揺を顔に貼り付け、信じがたい事実を口にした。
「ソフィア様が……何者かから送られてきた毒文で手を切り、倒れました。急ぎ王都病院の医師を呼んで治療に当たらせていますが……」
「毒……?一体誰が……。そんなことより、ソフィアは……ソフィアは無事なのかッ!?」
思わず立ち上がって詰め寄ると、眼前の彼は目尻に涙を浮かべ声を震わせて言った。
「ソフィア様はご無事です。しかし……容態は……あまり思わしくありません」
「毒物の特定は済んでいるのか?毒なら解毒薬もあるだろう?どんな手を使ってでも手に入れる」
「それが……」
使用人は、声を詰まらせる。
先を促すと、彼は膝の上に置いた両手を握りしめ、叫ぶように告げた。
「解毒薬は……存在しないのです」
「存在しない?何を言っているんだ……?」
「検査の結果検出された毒物は非常に特殊なもので、『黒蝶』と言えば……お分かりかと……」
猛毒『黒蝶』――その名称を耳にした瞬間、心臓がドクンと嫌な鼓動を刻んだ。
黒い蝶は、我が国では絶望や不吉の象徴ともいわれる。
黒蝶の名を冠したその毒は、かつての戦争でリベルタ王国が帝国に対して使い、敵味方問わず多くの死者を出した。
まさに悪夢のような代物。
数十年前、我が国が帝国の猛攻をしのぎきったのは黒蝶と、それを発明した『とある貴族』のおかげ。
だが、あまりにも凶悪な毒物のため、現在は使用はおろか所持も禁止されている。
黒蝶の恐ろしい所は、解毒薬がないことだ。
厳密には解毒の方法はあるのだが、無数にある毒の配合によって中和成分も細かく調整する必要がある。
そのため、調合書がなければ解毒薬を作ることは不可能に等しい。
そして、その詳しい調合書を持つのは黒蝶の開発者である……。
「ネイド男爵――」
毒文の犯人は明白だった。
「くそ――、あの外道」
アーサーは思わず感情的に罵ると、拳を馬車の壁に強く叩き付けた。
振動で車内が僅かに揺れる。
冷たくなった指先が細かく震え出す。頭が真っ白になり、正常な思考が浸食されてゆく。心臓が歪に鼓動を刻み、息を吸っても吸っても空気が入ってこない。
――冷静になれ。感情的になるな。考えろ、考えろ。――くそっ、考えろよッ!!
片手で額を押え息苦しさにあえぎながら、思うように考えを巡らせられない自分自身に苛立つ。
ソフィアを愛しているから。何よりも大切な人だから。冷静じゃいられない。いつも通り上手くいかない。
――アーサー・オルランド。お前はまた目の前で大切な人を失うのか?また、何も出来なかったことを悔やんで死んだよう生きるのか?
「僕はもう無力な子供じゃない……」
アーサーは覆い隠していた手を退けて、顔を上げた。
その表情を見て、使用人の青年は怯えと動揺が入り交じった声音で「アーサー、さま……?」と名を呼んだ。
自分は今どんな顔をしているのだろうか?
己の顔を見ることは出来ないから分からないが、きっとこの瞬間の自分は、ソフィアがかつて『天の御使い』と言ってくれた姿ではないだろう。
「今度こそ、守る。絶対に死なせない」
ーー僕は、天使なんか清らかで神聖なものじゃない。もっと禍々しく醜い。
愛する君を守れずに、この先、死んだように朽ち果ててゆくくらいなら。
殺してでも、差し違えてでも。
「君の命を救えるのなら……僕は――」
――喜んで、狂った悪魔になるよ。
馬車は月のない真っ暗な道をひた走る。
「今からジル・ネイドに会いに行く。僕が面会している間、君はロイド・レーゲルに連絡を取ってくれ。政府なら先の戦争の折、ネイド男爵から調合書の写しを受け取っているかもしれない。ロイドに事情を説明して、政府と王家の書物庫を調べるよう依頼してくれ」
「かしこまりました。調合書は、見つかるでしょうか……」
「恐らく無駄骨だろうな。開発者なら、黒蝶の配合を自在に変えられる。もし写しが見つかったとしても、今回の毒と一致する解毒方法が書かれている可能性は低い。だが、何もしないよりマシだろう。それと、ネイド男爵を逃がさないよう騎士団にも連絡を」
「はっ。ただちに」
目の前の彼とこれからの打ち合わせをしていると、進行方向を変えた馬車は、ジルが拘束されている城塞刑務所に到着した。
すぐさま面会したが、やはりジルも調合書のありかは知らず。
恐らくネイド伯爵がどこかに隠し持っているのではないか、と語った。
「力になれなくてすまない。何より祖父が……あの毒を使うなんて。身内ながら最低な男だ……。すまない……本当に、すまない」
「君が謝る必要はないよ、ジル。全ては、ネイド伯爵の犯した罪だ」
「……オルランド、頼むから早まるなよ。今の君はあまり……冷静な状況には見えない」
「不思議なことを言うね。僕は冷静だよ。こんな状況なのに、自分でも驚くくらい落ち着いているんだ」
にっこり笑って告げると、ジルはとっさにかける言葉を探すように口を開いて……数秒、視線を彷徨わせたあと、真剣な表情で言った。
「お前が何を決意したのかはあえて聞かない。好きな人のために自分の手を汚しても構わないと思う気持ちは、よく分かる。だが実行する前にソフィア・クレーベルに必ず会いに行け」
「時間がないんだ。僕はもう行くよ」
「待て、アーサー!!暗い道に行くのは簡単だ。手を汚すは、一瞬なんだ。早まるな!!」
ジルは椅子を蹴飛ばして立ち上がり叫んだ。
受刑者の興奮した姿を見て、後ろに控えていた刑務官がこちらに駆けつけてきて二人がかりで身柄する。
彼は取り押さえられ、強制的に出口へ引きずられながらも必死に言葉を紡いだ。
「彼女に顔向けできない選択をするつもりなんだろう?だったら尚更、彼女に会っておけ!そうじゃなきゃ、お前は絶対に後悔する!何でそんな未来が分かるかって?今の僕が、まさに後悔しているからだ!!」
「…………」
「好きで好きで。自分でも何でこんなに好きなんだろう?って不思議に思うくらい、ブリジットが大好きだった。……でも、僕は彼女に直接会って、『裏切ってごめん』も『好きだった』も言えなかった。この牢獄に入ったら、何年も何十年も、お前は後悔し続ける。もしソフィアの命が助からないなんて結果になったら……それこそ悲劇だ」
「…………」
「アーサー、お前は僕を……囚われていた僕を救ってくれた。誰も気付いてくれなかった僕の良い部分に目を向けてくれた。恩人だ。……頼むから、僕から恩人を奪わないでくれ。これ以上、何も……失いたくない」
仕切りガラスの向こう。受刑者側の面会室の扉が閉まる直前まで、ジルは自分に向かって手を伸ばしていた。
無我夢中で「頼む!アーサー!!ソフィアに会いに行け!!」と繰り返し叫んでいたのだ。
誰もいなくなり、一人取り残された無音の面会室に佇む。
――ネイド男爵の目的はソフィアじゃない。僕だ。僕が彼の思惑通りに動いたらソフィアの命が助かるかもしれない。そして奴の思惑はきっと……。
自分の両手を見下ろし、目をつぶって強く握りしめるとアーサーは顔を上げ、まっすぐ前を向いた。
何も言わず、部屋を後にする。
この決断が悲劇に繋がるのか、それとも明るい結末にたどり着けるのか――。
まさに今、アーサーは数ある選択肢と世界線の中から、一つの未来を選び取った。
政略結婚お断り、逆境に負けず私は隣国で幸せになります 葵井瑞貴 @RiverH
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