☆119話 冬の悪夢再び

「ソフィア、僕達はテオと行くまで冬祭りはお預けだから、その代わり今日はうちで一緒にお祝いしよう」


 アーサーの提案に、ソフィアは「嬉しいです!」と声を弾ませた。


「私、冬に誰かとお祝いするの初めてなんです。帝国ではそもそも冬にお祝い事がなくて、リベルタ王国に来た後も、仕事に追われる毎日で」


「喜んで貰えてよかった。実はシェフにはお祝いの料理を頼んでいたんだ。今頃、きっと張り切って仕上げに取りかかっている頃だよ」


「楽しみです! あれ? アーサー様? 腕組みしてどこへ行かれるんです?」


「ん?僕もシェフを手伝ってあげようと思って」


「絶対に変な物を混ぜようとしていますね……?」


「変な物は混ぜないよ。ただ、すこーしばかり独創的なアレンジをしようかと」


「初めての冬祭りのお祝いなので、私は独創的なものより王道が良いです!」


 必死に説得すれば、アーサーは「そうかい?じゃあ、僕の出番は来年かな」と言って浮かした腰を落ち着けてくれた。


 せっかくの美味しいご馳走が、珍味になるところだった……。


 ソフィアが内心ほっとしていると、リビングにオルランド伯爵が入ってきた。


 片手に招待状らしき物を持った彼は、険しい顔で「アーサー、今日はこれから時間はあるか?」と尋ねてきた。


「今日はこれからソフィアと冬祝いをする予定だよ。父様も一緒に食べるだろ?」


「いや……それが、少々困ったことになってな」


 伯爵によると、王家ともゆかりのある公爵家が本日の夜、急にサプライズで舞踏会を開催するそうだ。


 アーサーと伯爵には是非参加してほしいと、先方から直筆の招待状が丁度いま届いたらしい。


 権威ある公爵家から直々に招待されては、特別な理由がなければ断るのは難しいだろう。


 難しい顔をするアーサーに、ソフィアは「私のことは気にせず、どうか舞踏会に行ってください」と頼んだ。


「だが……」


「お祝いならまたいつでも出来ますよ。安心して下さい!シェフの心を込めたご馳走は、私がしっかり堪能しておきます!」


 だから、私に気兼ねせず行って下さい――と付け加えれば、彼はしぶしぶ頷いた。


「ありがとう。寂しい思いをさせてすまない。この埋め合わせは必ずするよ」


「はい!雪が降っているので、お二人とも気をつけて行ってきて下さい」


 アーサーと伯爵は頷くと、急いで舞踏会に行く支度を整える。


 かっちりとしたベストと燕尾服をまとい、足下は磨き抜かれた革靴。

 髪を後ろに上げたアーサーの夜会姿は、いつも以上に高貴で麗しかった。


「じゃあ、行ってくるよ」


「はい、お帰りをお待ちしてます」


 アーサー達を乗せた馬車を見送っていると、二階からミスティが下りてきた。

 彼女もこれから冬祭りに行くのだろう。


 普段はサラサラと背中を流れる黒髪は、編み込みしながら薄桃色のリボンでまとめられている。

 

 歩くたびにポニーテールが弾み、ふわりふわりと白いドレスコートの裾が揺れる。


 緊張した面持ちだが、色白な頬は桃色に色づき、緊張と期待に揺れる瞳はキラキラと輝いている。


 いつもはシンプルな大人っぽい服装を好む彼女だが、今日はベネディクトと過ごす初めての冬祭り。

 

 白を基調とした柔らかなシルエットのコートを身にまとった彼女は、まるで雪の妖精のような可憐さだった。


 ミスティはそわそわした様子でソフィアの近くに来ると、申し訳なさそうに眉を下げた。


「ソフィアを一人にしてしまってすみません」


「私のことは気にしないで。ミスティ凄く可愛いわ!」


「ほ、本当ですか?おかしい所はないでしょうか。大丈夫かしら……」


「おかしな所なんてないよ。むかし本で読んだ雪の妖精みたいに可愛らしくて、でもミスティの凜とした雰囲気もあって、すごくすっごく素敵!」


 一生懸命思ったことを口にすれば、ミスティは「ふふっ、ソフィアに褒められたら何だかすごく自信が出てきました」と微笑んだ。


 玄関扉を開くと、遠くの門の方に人影が見えた。

 グレーコートのポケットに両手を突っ込み佇む金髪の青年――ベネディクトは、緊張した面持ちで空を見上げていた。


 門の近くに立つ恋人の姿に気付いたミスティが、驚いた様子で「商業区の入り口で待ち合わせのはずなのに」と呟いた。


「待ちきれなくて迎えに来たのね」


「そうみたいですね」


 ミスティは、ふぅ――と一つ息を吐くと、緊張を振り払うように一歩踏み出した。


 恋人の元に向かって歩き始めた彼女に、ソフィアは笑って手を振った。


「いってらっしゃい、ミスティ!楽しんできてね」


「はい!いってきます――!」

 

 こちらに手を振り返した後、ミスティは『待ちきれない』とばかりにポニーテールと息を弾ませて走り出した。

 

 雪道で転ばないか冷や冷やしながら見守っていると、彼女は無事恋人の腕の中にたどり着いた。

 

 何か言葉を交して微笑みあい、手を繋ぐ。

 

 ベネディクトがこちらに大きく手を振り、二人は寄り添って冬祭り会場へと続く曲がり角の向こうに消えていった。



「いってらっしゃい二人とも、良い冬祭りを過ごしてね」


 誰もいなくなった景色を眺め、ほんの少しの寂しさを覚えながら温かな屋敷の中に入る。


 それからほどなくして『夕食の準備が整いました』と声をかけられてダイニングルームに行くと、室内にはメイドや執事、シェフなど使用人の皆さんが集まっていた。


 どうしたのかと首をかしげていると、『ソフィアが寂しくないよう夕食を共にして欲しい』とアーサーから頼まれたのだという。


――やっぱり、私のやせ我慢なんてアーサー様には全部お見通しだったのね。本当に優しい人なんだから。後で帰ってきたらありがとうって言おう。


 アーサーの心遣いと気さくなオルランド伯爵家の人々のおかげで、夕食会は寂しさが吹き飛ぶくらい楽しく賑やかなものだった。


 シェフが腕を振るったご馳走を食べ終え、満腹になったお腹をさすりながら給仕の女性達と談笑していると、使用人の一人がこちらに一通の手紙を手渡してきた。


「さきほど郵便配達人が、ソフィア様宛の手紙だと言って届けに来ました」


 使用人の言葉に、隣に座っていたメイドの一人が首をかしげる。


「こんなに夜遅くまで夜間配達してる郵便社ってあるかしら?」


「そう言われれば……私は聞いたことがありませんが、今日は雪の影響で配達に遅れが出ているんでしょうか……?」


 僅かに違和感と不気味さを覚えるが、ソフィアは手紙の差出人欄に『リベルタ王国 迎賓館』と書かれているのを見て、封を開けることを決めた。


 もしかしたら、年末の夜会ラッシュによる、職場からの緊急出勤依頼かも知れないから。


 使用人からペーパーナイフを受け取り、封筒の蝋印を切って中から手紙を取り出そうとした、その瞬間――。


「っ――!」


 指先に鋭い痛みが走って、ソフィアはとっさに手を引っ込めた。


 手紙が床に落ちる。


 紙の角に鋭利なカミソリの刃が貼り付けられており、指を確認すると皮膚が切れて血がにじんでいた。


「ソフィア様!!大丈夫ですか!」


「救急箱持って来て!こんな悪戯するなんて酷い!一体どこの誰よ」


 駆け寄ってきた使用人たちに大丈夫と言おうとして……出来なかった。


「ソフィアさま?」


 ドクンと心臓が不気味に脈打ち、体から一気に血の気が引けて激しい悪寒でブルブルと震え始める。


 血の滴る指を押えたまま、ソフィアは自分の身の内に突如として起きた不吉な変化に絶句した。

 

 ふいに視界がぼやけ、目がぐるぐると回り始める。


 頭を激しく揺さぶられるような衝撃と気持ち悪さに立っていられず、思わずその場に崩れ落ちるように倒れ伏した。


 床に体が叩き付けられる痛みもあったが、それ以上に襲い来る吐き気と頭痛に意識が急激に遠のく。


「ソフィアさま!大丈夫ですか!ソフィア様!!」


「まずは医者だ! 連絡のつく医者を片っ端から呼べ!」


「とにかく下手に動かすと危ない。毛布をもっと持ってこい!!」


 バタバタと慌ただしく走り回る使用人の声を聞き、様子をぼんやり眺めていたが、とうとう瞼を持ち上げていられず、ソフィアはゆっくりと目を閉じた。


 音も光も匂いも、感覚と意識がどんどん遠のいてゆく。


 完全に眠りに落ちる寸前、思い浮かべるたのはただ一人。

 愛しい人の姿だった。


――アーサー、さま。えがおで、おかえり、なさいを、言えなくて。ごめ、んなさい……。言いたいこと、たくさん、あるのに……。私、まだ、なにも……。


 閉じた瞳から一筋、頬に涙が伝う。


「アーサ―、さ、ま」



 大好きな彼の名を呟いた一瞬。ほんの少しだけ意識が浮上したが、すぐさま視界も思考も黒一色に塗りつぶされる。



 ソフィアの華奢な手が、パタリ――と床に落ちた。



 

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