深淵
霧が晴れると、玄関付近に散らばったピクシルの死体をはじに丁寧に並べ、頭数を数えた。数えると十一匹並んでいる。おそらくこれで家の中は安泰であろう。
私はピクシルの羽を根元から切り取った。そして腹を切り内臓を引き出し、肉を干し肉サイズに削ぎ落とす。かなり大量になった肉と羽を、ポケットから出したビニール袋にゆっくり入れた。それとすっかり反応しなくなった歯車をリュックに詰め込み、今度は二階に登っていった。
二階には部屋が一つあった。警戒をしながら一通り探索を済ませるが、だだっ広い部屋には机とベッドと本棚しかなかった。その内のほとんどを本棚が占めている。暇を潰すには適している場所かもしれない。
この部屋には雨漏りの跡が一つあった。そのせいで青い布団の一角が白っぽく変色していたが、それ以外には特に目立った損傷はなかった。
私は背の低い本棚の前にしゃがみ、びっしりと詰まった背表紙を眺める。ざっと見ていくとSF作品がなかなか多く、期待することができた。
上段から順に見ていくと、その中に時たま恋愛ものや探偵ものが紛れ込んでいた。そして、上から三段目の一番右に、私の好きな作家の名前を見つけたのだ。
私はその本をつまみ、そっと引き出す。思ったよりも損傷は少なく、ページをめくっても目立った傷はなかった。ただ少し日焼けしており、虫に食われていた。
リュックを下ろし、中から茶色い革のブックカバーを取り出す。新しい本をそれで覆うと、その他の本も数冊リュックに入れた。
本というものはいくらあっても困らないが、なかなかに重たい。それを考慮して、探偵ものを一冊、そしてSFものを二冊、追加で持っていくことにした。そんなこんなでしばらく休憩した後、次なる目的地を目指すため外に出た。
暑い日差しの下、私は地図を広げる。黄ばんだ紙に日光が反射し眩しい。目をすぼめながら現在地を指で押さえ、そこから西南西に伸びる鹿野座通りを指でなぞった。おそらくさっきの塹壕を真っ直ぐに進めば、例の横手にたどり着くだろう。
しかし、距離を見るになかなかの日数が必要になりそうであった。考えていても先には進めないので、私は日の暮れないうちに鹿野座大交差点まで進むことに決めた。地図をしまい、リュックを背負う。そして数枚引っ張り出した干し肉をかじり、水筒の水を飲んだ。
私が好きなのは地道な努力である。これは私が物心ついた頃からのものであったが、特に意識し始めたのは故郷での訓練が始まった頃だった。
故郷では十歳になると要塞壁の守護者になるための訓練が始まる。そして大体十六歳ごろになると、五人組での異形狩りや本格的な守護者の任務が与えられるようになる。
そんな中、私は身体的にも小柄で、剣の腕なんかは最悪だった。他の人が戦闘面で次々クラスを上げていくのに対し、私は万年初歩クラスであったほどだ。そこで私は、違う面で人々の役に立とうと考えたのである。
まず私は共同書庫にこもってさまざまな文献を漁り、打たれ強さを学んだ。たくさんの武術の受け身の取り方を熱心に会得したり、体の柔軟性を上げる体操なんかにも率先的に励んだ。それらは大した効果を見せなかったが、そこで諦めようとは思わなかった。
今度は異形について学んでみることにした。おかげで座学は常に学年首位を保っていたのを覚えている。しかし、今となっては僅かなことしか覚えていない。いずれの知識も私の役に立っていないと言っても過言ではない。そんな中唯一残ったことが、地道な努力をすることは楽しい、という感覚であった。
そういった感覚をこの身に感じ始めた頃、約五十年ぶりとなる「壁外探索隊」の募集があったのだ。多くの人が功を求めてこの募集に詰めかけたが、ただでさえ倍率が高い上に、審査も厳しく、次々にふるい落とされていった。私はまさか合格できるとは思ってもいなかったので、合格報告がされた時はまるで信じられなかった。後で知ったことだが、これにはどうやら伊丹師範の推薦があったらしい。
足場の悪い道を進み、さまざまな世界を見ながら旅をするというのは、私が思い描いていた地道な努力の最たる形であるようだった。そして、その当時の考えは今でも正しいと自負できる。
日の暮れ始めた頃、塹壕を歩いていた私は、ビル群に「ディアー・モール」があることに気づいた。ということは、鹿野座大交差点はもう目と鼻の先にある。目的地がよく見えるように私は塹壕から這い出たが、前方を見るにその必要はなさそうだった。
鹿野座大交差点には目一杯に広がる穴が開いていた。この前見たような浅い穴ではなく、まさに深淵といえるような穴である。
塹壕もそこで途絶えていた。つまり、塹壕を掘った存在がこの穴をくりぬいていったのだろう。試しに剥がれたコンクリートの断片を投げ入れてみると、空虚な音が反響した。が、比較的短い距離で鳴り止む。つまり、何キロも続くような竪穴ではない、ということなのかもしれない。
そのことが私の好奇心を無性にくすぐった。もうじき日が暮れることや、ここらには損傷の激しい建物しかないことも関係していたのかもしれない。とにかく、この深淵に入ってみたいと思ってしまったのだ。そう考えた時にはもう、片足を壁面から突き出るパイプに乗せていた。そして、突起という突起に足を乗せ、順繰りに深淵へと降りていった。
時折足を乗せた岩が欠けて転落しそうになったり、逆に上から降ってきた有象無象に頭を打たれそうになった。それでもひたすら降り続けた。もはやこの穴の奥に何がいるのか、そして何があるのかにしか興味がなかったのだ。
頭上を見上げると、すっかり星の瞬く天蓋は小さくなっていた。そこに、つっ、と月が姿をのぞかせる。それでも深淵の底が光ることはなかった。
さらに十分ほど降り続けると、光の減少に伴って少しづつ壁に傾斜がつき始めた。やがて突起が必要なくなった頃、傾斜を滑り降りるようにして底を目指す。やがて傾斜もなくなり、ようやく平坦な場所に辿り着いた私は、今度は横に広がる闇を見た。やたらと広い空間についついクラクラしてしまう。ランプを取り出し火を灯すが、照らすのは身の回りのみ。
上を見上げると、青白い点が暗闇に浮かび上がっていた。もはや私を照らすことはない地上の光は、私の眼孔のみに僅かに光を届けていた。そこで私は勘づいてしまう。これが片道切符の深淵旅行であるということに。
もはやこの場所から地上に戻る手段は見出せなかった。垂直に切り立った土壁を登るのは降りと比べても大きな危険が伴うし、第一そこまでして登る勇気もなかった。少し後悔したものの、こうなってはしょうがない。はるか先まで進んでいるこの横穴が、いずれ地上に繋がっていることに賭けるしかなかった。
ところで横穴を歩いていると、時折その断面に鉱石が埋まっていたりした。飴色の半円球や緑色の長方形などその形や色は様々であり、ついつい近寄ってみてしまう。その都度拾った手帳の余白に姿を模写し、特徴を書き記すのであった。
そうこうしているうちに、今度は大岩の裏に四角い何かを見つけた。近寄ってランプをかざすと、ネジがあった。おや、と思いさらによく見てみると、その下部には漢字で「培養肉場」と書かれていたのである。つまり、これは何かしらの人工物なのだ。そして「場」と書かれていることからも、この奥には部屋があると考えられる。とすれば、今見えているのは扉であろう。
こうなってはいよいよ興奮を抑えることはできなかった。私は大岩を退けるため、動かなくなった歯車をリュックの中から引っ張り出す。そして、それを扉と岩の間に挟み込み、歯車に足をかけ、ぐっと踏み込む。岩が少し動いた時を見計らい、そこにもう一つの歯車を差し込んだ。すると、大きな岩はぐらりと揺れ、重々しく転がり出た。
土煙をあげて転がった岩は真っ二つに割れ、湿気た断面を見せていた。それとは相反し、現れた扉は冷たく、さわやかな光を放っている。扉にはノブがついていた。それに触れると手袋越しでもほんのりとした冷たさが伝わってくる。銀色のノブをひねると、扉はすんなりと開いた。音もなく、静かに。そして最後まで開き切ると、役目を終えた扉の蝶番が外れた。
扉の倒れる音が反響する中、私は培養肉場なる場所に入っていった。その先にも闇が広がっていたが、ランプが照らすにはやはり人工施設であるようだ。
入って一つ目の部屋は小さかった。至る所にスチールラックがあり、その上には雑多な書類が束になって置かれていた。しかし、その隙間隙間にはなぜかシャーレが点々と置かれている。その中には黒々とした肉のようなものがウニョウニョしているが、これが培養肉なるものだろうか。
資料の一つに手をとってみるが、「黒素」や「異形」云々と書かれている。「黒素」についてはよくわからなかったが、「異形」の語が用いられている点からもなかなか怪しい。まさか、ここが崩壊の発生源か?
暖簾のように入り口にかかった布を押し、より慎重に二つ目の部屋に侵入した。すると、そこには未だかつて見たこともないほど、遥かに巨大な円筒状の空間が広がっていたのである。壁一面には機械が備え付けられており、それらはもはや見えなくなっている天井にまで伸びているようであった。しかも、そのいずれもチカチカと光を灯らせ稼働している。もしかすると生存者がいるのかもしれない。
僅かな希望を胸に慎重に歩みを進め、中央に備え付けられたカウンタ―のような場所に着く。そこにはまだ暖かいコーヒーとウニョウニョしたものの入ったシャーレ、そして開きっぱなしのノートパソコンがあった。その画面は爛々と光っており、さまざまなグラフや数値が忙しなく動いている。とにかく、少し前までここには人がいたのである。それは確実なことのようであった。
「誰かいないか。いたなら返事してくれ。決して危害は加えないから。って言ったら余計に怪しまれるとは思うが。」
言葉はわんわんと反響した。しかし返事はなかった。
土の小瓶 唯六兎 @rokuusagi
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