04 Mizuki

 私が決心をした日、パパの帰りは珍しく早くて、久しぶりに平日に家族三人で夕飯の食卓を囲んだ。なんだか神様が、取り繕ったようなタイミングだった。

 「私、大学行くのやめる」

 ママに行儀が悪いと注意されつつも、猫背んなってスマホで経済新聞の記事を読みながら、ようやく晩御飯を食べ終えたパパに向けて、言った。

 どきどきしたけど、思ったよりするりと、その言葉は私の口から出ていった。

 パパは猫背のまま首だけかしげて、私を見る。驚いてる顔。まあ、そりゃそうだろう。

 反対されることは覚悟してた。

 大学に行くという“フツウ”を、私は正面切って拒否してるのだ。今まで、私が信じて疑わなかった“フツウ”を。

 大それたことを言ってる。その自覚はあった。でも、なんだかその日の私は、背中にすっと何か針金みたいなものが通っているようで、その後ろから、真奈美さんが、ガクトが、背を押していれてくれているようで、親の反対をむりくり押しきる勇気みたいなものを感じてた。絶対に言いくるめてやると、私は意気込んでいた。

 「そうか。うん。わかった」

 でも、すぐに驚いた表情を引っ込めたパパから返ってきたのは、臨戦態勢で挑んだ私の肩を空かすような、そんな、ふわっと軽い返事だった。

 「え?」

 「うん、だから、わかった」

 「でもさ、こういう時、理由とか、じゃあどうするのかとか、聞かない?」

 「じゃあ、どうするの?」

 すごくライトなパパのリアクションに、私は思わず押し黙ってしまう。

 面食らった私を見て、パパはふっと柔らかく笑むと、猫背を直して一度大きく背伸びをしてから、笑んだまま、また私を見据えた。

 「そんなさ、覚悟しましたって目で見られたら、パパはもう、わかったとしか言えないよ」

 言って、笑みを深くする。

 「真奈美には私から言っとくから、いろいろ相談してみな」

 と、キッチンカウンターのほうからそんな声が飛んできた。洗い物をしていたママだった。

 「え?何で?」

 「何でって、やっぱり服飾の勉強、したいんでしょ?」

 「どうしてわかるの?」

 「あの自分で作ったワンピース着て、泣いて返ってきた日から、ミズキ、真奈美のとこ行くのやめたでしょ。あの服着るのも、服作るのも、ぴたっとやめて。何があったか知らないけどさ、あんた頑固だから、どうせ好きの裏返しで意地張ってただけでしょ?でもホントはずっと好きだったんでしょ?わかるよ。母親だもの」

 なんだかどこかの詩人みたいに締め括るママの言葉は、それでも、私の心に染みてくる。

 私を私と認めてくれる両親の言葉が、胸に染みて、私は涙ぐみそうになる。

 でもなんだか泣いちゃうのが悔しくて、こみ上げてくるものをぐっとこらえた。


 翌日私は登校前、まだ開店していないスーパーの前で、ガクトを待った。

 ガクトにプレゼントするはずだったあのネルシャツを、WEGOのショッピングバッグに入れて。

 ここはガクトの通学路のはずで、またあの自転車で通るはずだった。

 でも、学校まで自転車で10分のこの場所に、始業15分前になってもガクトは現れない。

 もしかして、他のルートでいっちゃったのかな、と諦めようとしたその時、信号の向こう側から必死な立ち漕ぎでこっちに向かってくるガクトを見つけた。

 私を見つけたガクトも、赤に変わりそうな信号の手前で急加速して渡りきって、私の前で停まった。

 「何やってんだよ、こんなとこで」

 軽く息を切らせながら、ガクトが言う。

 「これ、渡したくて」

 私は、WEGOの紙袋を手渡す。

 自転車に跨がったまま、ガクトは紙袋からネルシャツを取り出した。

 今じゃもう、全くサイズの合わないちっちゃなネルシャツ。

 それを目の前に翳すガクトの浮かべたきょとんとした表情は、すぐに苦笑いに変わる。

 「お前さ、いまさらかよ。これ、あん時のだよな?」

 「うん、ここからやり直そうと思って。ガクトにこの服を渡すところから」

 「やり直す?」

 「そんなことより、早く!遅刻する!」

 言いながら、私はガクトの自転車の後ろに跨がる。

 お前なぁ、と愚痴りながらも、ガクトは自転車を漕ぎ出す。

 しばらく走って角を曲がって、あの幹線道路に出た。

 「あん時さ、この服、マジで着たかったんだよなー!」

 走りながら、ガクトが声を張る。

 「この先いくらでも作ったげるから!」

 私が返す。

 ガクトは一瞬漕ぐのを止めて、ほんの少しだけ振り向く。

 唇のはしっこが笑んでた。

 その一言だけで、多分いろいろ、察してくれた。

 たまには、ね。

 鈍い勘を働かすこともあるんだ、コイツも。

 「よっしゃ」

 言ってガクトは、立ち漕ぎを始める。

 吹き抜けていく風が、少し冷たい。もうすぐ冬だ。

 でも、私の胸は熱い。そんな風には、冷ませないくらいに。

 「ガクト!」

 車の音に掻き消されないように叫ぶ。

 「なに!?」

 ガクトも、負けじと。

 「大好き!」

 未来を決心した勇気に便乗して、私はもうひとつの心も解放する。

 それがガクトの私の大好きに対する、どんな答えだったのかはわからないけれど、自転車がぐんと、速度を増した。

 心の靄が晴れた向こうに、くっきりと希望が見える世界は、思っていたよりもずっと、色鮮やかだと知った。

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アンイージー・ガールズ・ウィッシュ / High-School Girls' Universe 2nd 北溜 @northpoint

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