外伝1 鳴無家の年末年始宮崎旅行 中編

 鳴無家一行はチェックイン時刻10分前の14時50分に青島グランドホテルに到着し、啓太けいたはホテル前の駐車場に車を止めた。

 エンジンを止めた啓太が社内を見渡すと、三人ともすやすやとお休み中である。

 助手席では長女の恵子けいこがチャイルドシートにうずくまるようにして、後ろでは恵子とそっくりな姿でチャイルドシートの中で寝る長男の啓聡ひろあき、そして運転席の後ろでは最愛の妻、恵里菜えりながシートに身を預けて顔を窓とは逆側に向けてその長い髪をカーテンにして、それぞれが眠っている。


 ――わかっていたけど、これは結構……

 

 啓太はすやすやと眠る家族を見て苦笑した。

 このままいつまでも眺めていられるのであるのだが、チェックインを済ませてそれから部屋でゆっくりすればいいだろうと、気が引ける思いをしつつも全員を起こした。

 

「あ、パパァ、おあよー――」


 まず助手席の恵子を起こした。

 

「うん、おはよう、けいちゃん。目が覚めたら後ろに行ってママとひろくんおこしてくれる?」

「うん、わかったー。その前にジュースちょーだい」


 恵子に催促された啓太は、センターコンソールに置かれているペットボトルのりんごジュースの蓋を開けて渡した。

 

「はい、こぼさないように注意するんだよ?」

「はーい」


 とふた口飲んだ恵子は、「パパ、ありがと」とペットボトルを啓太に渡すと、チャイルドシートの中で大きく背伸びをした。

 背伸びをし終わった恵子のシートベルトを外した啓太は、そのまま恵子をチャイルドシートから抱き上げると、靴を履いていない恵子をそのままセンターコンソールボックスの上に一旦立たせると恵子を後ろの席に向かせてセンターコンソールボックスに座らせて後ろの席に移動させた。

 後ろの席に移った恵子はまず母親の恵里菜を起こす。

 

「ママー、起-きーてー!」


 しかし全く起きようとしないので、今度は大きく揺さぶって起こしにかかったところ、その振動から啓聡が先に目を覚ました。

 

「んーん……お姉たん、まだぼくねむいよ――」


 そう言いながら啓聡は手で目をこする。

 そんな啓聡に恵子は助手席の後ろに付けているドリンクホルダー付きのテーブルから恵子と同じりんごジュースのペットボトルを取って蓋を開けると、啓聡の足元の荷物からストローを取り出して差し込むとそれを啓聡に渡した。

 

「はい、啓くん」

「あ、お姉たん、あいがとー」


 と啓聡はジュースを受け取ってストローでチューチューりんごジュースを飲む。

 そんな啓聡の頭をくしゃくしゃと撫でた恵子は、もう一度恵里菜に向き直って、さらに大きく揺さぶって恵里菜を起こす。

 すると、恵里菜が身じろぎを始めて、


「んーパパ、チューしてくんなきゃ起きない――」


 と恵里菜が言うので恵子は一瞬目を丸くして、啓太を見る。

 啓太は苦笑しながら「キスして起こして」の意味で頷くと、恵子はニヤリと不敵な笑みを浮かべて、恵里菜の脇腹をくすぐり始めた。

 

「きゃはははははは」


 と突然のくすぐり攻撃を受けた恵里菜は身をよじりながら笑いだす。

 突然の車の揺れに啓聡は目を丸くしながらも、ペットボトルを落とさないようにとしっかりと持って揺れに対応している。

 

「ほら、ママ! 起ーきーてー!」


 そう言いながらくすぐり攻撃を止めない恵子。

 

「わ、わかった。お、お、起きる。起きるからくすぐりはやめてー!」


 と、ようやく目を覚ました恵里菜は、恵子がくすぐりの手を止めたところでゼエゼエと肩で息をする恵里菜。

 

「ママ、お寝坊さんだよ」

「ごめんなさい――でもくすぐりで起こすのはやめてほしいな」

「それはママ次第だよ」

けいちゃん、鬼だよー」

「起きないママが悪いんだよ。それにパパにチューしてなんて。恵ちゃんでも言わないよ、そんなこと」


 と残念そうな目で恵里菜ママを見る恵子。

 

「うー、恵ちゃんも大きくなったらわかるよー」


 と恵里菜も一応反撃を試みてはみるものの、

 

「わかっても、二人っきりのところでしか言わないと思うよ」

「う゛――」


 恵子の一言で恵里菜のKO負けを示すゴングが鳴り響いたように、恵子がニヤリと勝ち誇った表情かおをして、そんな愛娘に苦笑いを浮かべる恵里菜。

 全員が起きて、恵里菜の化粧直しも終えたところでチェックインのためホテルに入った鳴無家一行。

 

 料金は事前にネットで支払い済みでもあったので、ロビーに入ってカウンターでチェックインを行うとすぐにルームキーが渡された。

 ロビーフロアには、プロ野球チームも宿泊することからサインだったり写真だったりも飾ってあったりして、6年前に啓太と恵里菜が婚前旅行できたときと何も変わっていない感じで懐かしさも感じながら、一行はエレベーターで5階に上がると、海側の和室に入った。

 部屋の玄関で靴を脱いでそれぞれに靴を下駄箱に入れて入口の障子を開けると、奥に見える窓ガラスに子供二人は突進していって、

 

「パパ! ママ! 海だよ!」

「パパ! ママ! 海ー!」


 と恵子と啓聡の子供2人は窓から見える青く輝く日向灘の景色にテンションが爆上がり状態であった。

 

「海だね。あとで見に行こうね」


 と啓太が言うと、

 

「うん!」

「海、見に行くー!」


 と恵子と啓聡は今度は啓太に飛びついた。

 と、子供達のあまりのテンションの高さに、恵里菜は二人をテーブルの場所に呼んだ。

 二人共ニコニコしながら恵里菜の前に恵里菜の真似をして正座する。

 

「恵ちゃん、啓くん。家を出るとき、飛行機を見た時にパパとママに約束したことあったよね?」


 と恵里菜が2人の顔を見ながら訪ねると、その約束を思い出した恵子が少しシュンとなって、

 

「騒がない、大声出さない、飛び跳ねない――」

「そう。約束はちゃんと守らないと、海には連れて行きません。いい?」

「わかった」

「ぼくもわかった」


 素直な子供達である。

 そんな愛し子達にニッコリ微笑んで頭をくしゃくしゃと撫でた恵里菜は、

 

「じゃあ、パパに言う事あるよね?」

「うん!」


 恵里菜の言葉に恵子が大きく頷いて立ち上がると、啓聡を促して啓太のところに行き、

 

「パパ、騒いじゃってごめんなさい」

「パパ、ごめんなさい」


 恵子が謝罪して頭を下げると、啓聡も真似をして頭を下げた。

 

「はい。じゃあ約束は守ろうね。約束守ってくれたらいいことあるかもしれないよ?」


 という啓太の言葉に恵子は「やったー」と言いかけて、両手で口を押える。約束を守ろうとしているのだ。そんな姉を真似して啓聡も両手で口を押えて両親をちらちらと見る。

 そんな2人を見て啓太も恵里菜も噴き出しそうになって声を我慢しながら笑う。

 そんな両親に感化された恵子と啓聡も何とか声を殺して笑う。

 

 ひとしきり笑った鳴無家一行は、約束通り子供たちを海に連れていくことにした。

 といっても年末だ。いくら南国といっても夕方の気温は10度代前半まで下がるので、恵子と啓聡が風邪をひかないようにと時間も短めの予定で出た。

 

「恵ちゃん、啓くん、ここなら大きな声出してもいいよ」


 と恵里菜が言うと、恵子も啓聡も堰を切ったかのようにきゃっきゃと笑い声をあげて砂浜を走り回った。

 そんな風に海岸で子供二人を遊ばせていると、啓太の横に白髪の男性がやってきて声をかけてきた。

 

「可愛いお子さんですね」

「ありがとうございます」


 そう応えてその男性に目をやって、その男性に見覚えがある気がして記憶を遡った。

 そして――

 

「あ、6年前にここで写真を撮ってもらった方ですね」

「覚えていらっしゃいましたか――」

「もちろんですよ。あの時は本当にありがとうございました」

「いえいえ。私も久しい方を見られてうれしいですよ。あれからもう6年経つんですね」

「そうですね。私も31になりました」

「そうですか。それじゃ私がジジイになるのも頷けますね。もしよければ砂浜で遊ぶお子さんたちを撮っても?」

「よろしいんですか?」

「もちろんです。あ、もし明後日までいらっしゃれば写真お渡しできますよ?」

「あ、それはありがたいです! ここのホテルに4泊する予定にしていますので」

「よかった。素人の写真ですから何枚か撮りますからお好きなものを差し上げます」

「わざわざすみません」

「いえいえ。袖触れ合うも他生の縁、ですから」

「ありがとうございます」


 と啓太が礼を言うと、男性はニッコリ笑って砂浜で遊ぶ子供二人とその母親であり啓太の妻。三人の写真は6年前に撮ってもらった者とは少し趣が違い、西日で影を長くしながら遊ぶ三人の親子。数枚撮ってもらったのだが一枚目の方が気に入った啓太は一枚目の写真を貰うことにした。

 

 部屋に戻って子供達を遊び服から着替えさせているときに、啓太がその男性との話をすると、

 

「パパだけずるい! 私も話したかったのに――」


 と絶賛ブーイング中の恵里菜だったのだが、明後日の大晦日に写真を持ってきてくれるという事を伝えると、

 

「じゃあ、その時には私も一緒にね」


 と笑顔で答えてくる恵里菜。そんな両親の会話に水色のワンピースに首を手を通した恵子が不思議そうに小首をかしげる。

 

「ママ、誰かと会うの?」

「そうだよ。家のテレビの横にパパとママが海で写ってる写真があるでしょ?」

「うん、黒いパパとママが映ってるきれいな写真だよね?」


 黒い……確かにシルエットだから黒いのだけど、言い方を変えればシュールである。

 

「黒……ま、まあその写真を撮ってくれた人がね、今日ママと恵ちゃんと啓くんを撮ってくれたんだって。その写真を明後日貰えるんだよ。みんなでお礼言おうねぇ」

「恵ちゃんも写ってるの?」

「そうだよー」


 自分も写っていることを知ると凄い笑顔になってその場で飛び跳ねそうになったのだが、ホテルに着いた時にも確認された約束を思い出して、腰をかがめた状態でグッとこらえる恵子。

 そんな恵子のポーズをトイレかと勘違いした恵里菜ママに恵子が、

 

「違うもん。嬉しくて飛び跳ねちゃいそうになったから我慢したんだもん!」


 と反論したところで、

 

「ママ、ぼくおしっこー!」


 と啓聡が言ってきた。

 そのやり取りにテーブルでお茶なんぞ飲んで寛いでいた啓太は思わず吹き出しそうになって我慢したことで、口に含んだお茶に咽て咳込んでしまった。

 

「パパ……恵ちゃん、パパの背中をトントンしてあげて」


 と恵子に託けて啓聡をトイレに連れて行った。

 恵子は「はーい」と高く右手を挙げると啓太の背中に回って、

 

「パパ、大丈夫?」


 と言いながら父親の背中を「エイッ」と叩いたのだが、その叩いた場所がちょうどみぞおちの裏側で、一瞬息が止まり余計に咽る啓太なのであった。

 

 

 夕食だからとレストランに呼ばれた鳴無家一行は、相変わらずの豪華なその料理に感嘆した。

 啓太と恵里菜の料理は海の幸山の幸がふんだんに使われた御膳で、子供達2人の料理は所謂お子様ランチであった。チキンライスに日の丸の旗が着けられたつまようじが立てられており、横には小さく切られたチキン南蛮に温野菜が盛られてプレートの奥にはプリンがあった。

 

「パパ、凄いね」

「凄いねぇ。食べられるだけ食べてね」

「ママ、ぼくとお姉ちゃんのご飯に旗が立ってる」

「立ってるね。凄いねぇ啓くんたちのご飯」


 そんな会話をしている鳴無家一行を旅行に来ていた中年夫婦や老夫婦が微笑ましそうに見ながら自分達の席に着いていく。

 

 6年前に来た時よりも少し豪華になっているような気もする啓太と恵里菜。

 子供達と一緒に「いただきます」をした後、子供たちに食べさせながらも刺身に肉にとその料理に舌鼓を打つ啓太と恵里菜。

 恵里菜にお酒を勧められて冷酒を飲む啓太。

 ニコニコ顔でお子様ランチを食べる子供達。

 鳴無家が着くテーブルの穏やかで朗らかなその雰囲気に周囲の視線も自然と優しいものになっていった。

 

「家族で旅行っていいわねぇ」

「今度孫たちも連れてくるか」


 とか、

 

「あの子たちが小さかった時のこと思い出しますね、お父さん」

「そうだなぁ。またあいつらと一緒に旅行も良いかもしれないな、母さん」


 などと言った会話があちこちから上がる。

 それもこれも家庭に専念することにした恵里菜がしっかり子供たちを育児し、その恵里菜を陰から表から啓太が支えてきた結果が今この空気を作っているのでもあった。

 

 

 食事のあと、啓太は子供達2人を連れて、恵里菜は一人寂しく大浴場で旅の疲れを癒すと、その日は啓太もさすがに疲れたのだろう、子供達と一緒に早々と床に就いた。

 そんな夫の寝顔を幸せそうに眺める恵里菜は、三人の寝顔をスマートフォンで写真に収めると、自分も布団に入って早めに就寝した。

 

 

 

 翌朝、早起きした子供達は窓辺の障子をあけると、ちょうど海面から分離した朝陽をソファに上って窓の木枠に2人同じように頬杖をつきながら眺めていた。

 開けられた障子からヒヤリとした空気を感じた恵里菜と啓太が目を覚まして状態を起こすと、同じ格好で朝陽を眺める子供二人を見てクスクス笑う夫婦。

 

「連れてきてよかった」


 と呟く啓太に、

 

「連れてきてくれてありがとう、啓太」


 と恵里菜が啓太の首に抱き着いて頬にキスをしてきたので、啓太も恵里菜の額にキスを返したりしてイチャついていると、いつの間にかこちらを眺めていた子供二人と視線が合った。

 両親がイチャイチャしている様をおませさんの恵子はニヤニヤしている。

 

「パパ、ママの唇にキスしないの?」


 愛娘の一言にパッと一瞬で離れる夫婦。

 

「別に慌てなくてもいいのにぃ。恵ちゃんパパとママが仲良くしてるの大好きだもん」


 おませさんというか、なんというか――

 ある意味親思いの恵子であった。

 

 

 二日目は県最南端の天然記念物の野生馬「岬馬」が闊歩する都井岬へ行き、馬を見た一行は、その光景を写真に撮って6年前の自分達の写真と一緒にSNSに上げた。

 三日目の大晦日は宮崎港のほとりにあるレストランで南国の海の幸に舌鼓を打った。

 夕方ちょっと前にホテルに帰った一行を受付のカウンター前で出迎えてくれたのは写真を撮ってくれた初老の男性。

 

「あ、戻ってこられましたな」


 その男性の顔をみて思い出した恵里菜が

 

「あ、あの時の! 先日はありがとうございました」


 と子供達2人と一緒にお辞儀をする恵里菜。は

 

「いえいえ、こちらこそですよ」


 と初老の男性は言いながら鞄の中から3枚のフレームを取り出すと一枚を恵里菜に、他を一枚ずつ恵子と啓聡に手渡した。


「ありがとうございます」


 と恵里菜が受け取った写真を手にお辞儀をしてお礼を言うと、恵子と啓聡も恵里菜ママのおマネしてお辞儀をしてお礼を言った。


「偉いねぇ」


 そう言いながら初老の男性は恵子と啓聡二人の頭を撫でる。

 頭を撫でられた姉弟は、初老男性を見上げてニコニコ笑顔で答えた。

 恵子と啓聡を撫でていた両手を放すと、


「では私はこの辺で失礼します。皆さん良い旅を」


 と鞄を肩にかけてホテルを出ていこうとしたので、啓太が「お茶でも一緒に」と誘ったのだが、


「お気持ちだけ。妻が自宅で待ってますので」


 とニッコリ笑って会釈すると、そのままホテルを出て行った。


「お礼したかったのになぁ……」


 初老の男性を見送った啓太がそう呟くと、


「あの人はいつもそうなんですよ。まあ奥さんファーストな人ですから」


 受付に立っているホテル従業員の女性がそう言ってきた。


「素敵な方なんですね――」


 と、恵里菜が言うと「ここら辺では奥さんファーストで有名ですからね」とクスクス笑う従業員。

 啓太と恵里菜は目を合わせると、一つ頷いてお互いに微笑んだ。


 ――ああいう人になりたいな――と啓太。

 ――あんな夫婦になっていきたい――と恵里菜。


 鳴無家は初老の男性によって、さらに結束が高まったようであった。

 啓太は受付から部屋の鍵を貰ってエレベータに歩を進めようとして、


「そういえば、あの人の名前聞いてなかった――」

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