ひみつの魔女とおおかみ少年:the Tower World
こたろうくん
ひみつの魔女とおおかみ少年
酒造都市クラリス――踊りと歌と、そして酒の都。
陽気でお気楽をモットーとする都市クラリスでは年中人々が酒に酔い痴れ、麗人は踊り詩人が歌っている。
昼も夜も無い、寝る人起きる人が代わる代わる飲んだり踊ったり歌ったりしているのがここクラリスなのだ。
「ぬ~どる~?」
「コイツ、変わった名前してんな」
「それも“異界”から伝わった食いもんなんだぜ。旨いだろお?」
食べにくい――露店が並び、簡易的な舞台で踊りをしたり芸をしたり、千鳥足の男を数名の女がけたけた笑いながら自分たちの店へと連れ去ってゆく光景が常にある繁華街。
赤い提灯の下、列べられた丸テーブルを囲む少年と少女が、どんぶりの中のスープに浸かった細麺を咥えながら、口を揃えて言った感想に保護者と思しき男性が笑みを引きつらせていた。
そんな光景もよくあるもの。ここは旅人が一時の娯楽に溺れるために訪れる場所でもある。
とは言え子ども二人を連れての旅人というのは中々珍しい。警備のある街や都を出てみれば外の世界はならず者に獣にと危険は尽きない。近頃は“魔物”も時折現れるという。
食べものや生活用品がたくさん詰まった紙袋を二つも抱いて、その三人のいる“天下無双”ののれんが掛かる屋台を横目に歩いていた獣人の少年は彼らに大した人たちだと称賛の念を懐いた。
この世界には幾つかの人種がある。
帰路を急ぐ少年の体はそのほとんどが白色の硬い毛に覆われていて、手の先や腹部、顔と言った一部にのみ人肌が見られる。頭の上に尖った耳があり、鼻は黒く顎に牙。そして尻尾。
パアプというその少年は狼の獣人であった。
「……外ってどんななんだろ」
生まれも育ちもクラリスのパアプにとって、外の世界とは“砦”の門が開かれたときにだけ見られる、ほんのちっぽけなものでしかなかった。
興味がないわけではない。しかし出てゆこうと思うほどクラリスでの暮らしに不満があるわけでもない。
何よりも――
「ボクがいなきゃパオプが生活出来なくなるからな……」
満更でもない顔でそんなことをパアプは独り言ちて、思わず向こうから来る人にぶつかりそうになると謝りつつ少し歩調を速めるのだった。
1
露店で出来た繁華街の特別な喧騒から離れて、住宅街の灯りの少ない路地裏へと入り込んだパアプ。
手配所やチラシ、ちり紙などのゴミにそしてネズミが蔓延るそこを駆け抜け、彼は裏口たちの中に混じって存在する唯一の入り口の前に立つ。そして埋まっている両手に変わり爪先で閉ざされたドアを叩いた。
「パオプっ、パアプだ! 開けてよっ」
不審者ではないことを伝えるべく声を張るパアプ。それから少しの間の沈黙があり、やがて彼の耳に近付いてくる軽やかな足音が届いた。パアプの尻尾が勝手に左右に振れ始める。
「ぱお――」
「パアプを語るお前は誰じゃ……? 真実を語らねば、その身に恐ろしき厄が降り掛かることであろう……」
「下らない事言ってないでさっさと開けてよ! 荷物重くて両手がくたくたなんですけど」
せっかく揺れていた尻尾も途端に静かになり、聞こえてきた老婆の声に呆れたような沈んだ声で応対したパアプの前で静かに扉が開き隙間が出来る。
パアプの黄色い瞳がその隙間を覗くと、その先に満ちた闇の中に真っ赤な瞳が淡い輝きを纏って浮いていた。
気は済んだかとパアプが問うと、赤い瞳が闇に消え、次いで扉が開け放たれた。そして出てきたのは声のような老婆ではなく、濃紺の艶めく髪を垂らした長身の麗人だった。
「も~っ、遅いぞ! パアプ!! 私ったら待ちくたびれておばあさんへの変身術と声帯変化を習得してしまったぞ」
「それはなによりで……」
「早う入れし」
声も老婆のそれではなく、“魔女”パオプは眼前で突っ立つパアプの肩を掴んで家の中へと引き入れるのだった。最後に顔を出して、見られていないことを確認した後に扉が閉まる。
入ってみると不思議なことに暗闇などなく、蝋燭に灯った“火のような光源”により暖色満たされ、バニラの甘い香りに外観以上に広く清潔な室内は満たされていた。
玄関から続く長い廊下。それぞれ色の違う光を灯したランタンが掛けられた扉が並んだそこを、パアプはパオプに背を押されながら歩いた。パオプが甘えた猫撫で声で言う。
「まったく。買い物などせずに良いと言っているのに、どうしてお前は出掛けようとするのだ? 私に掛かれば必要なものなどちょちょいのちょいと……」
「盗んでくるんでしょ。ダメだよ、そういうの」
「むぅ、なぜ私が叱られているのか全く謎なんだが。私はただお前にここにいて欲しいだけなのだぞ?」
「ちゃんと帰ってきたでしょ。それよりこれからごはん作るから、テーブル片しておいてよ。あと、お菓子とか食べてないよね? あんなものでお腹いっぱいにしたらダメだよ?」
聞こえな~い――そう言ってパアプの追及から耳を塞ぎ逃げ出すパオプ。彼女が入った扉は食卓への扉だ。
その様子を見て鼻を鳴らしたパアプ。「まったくはこっちのセリフなんですけど」とぼやきながら、パオプが入った扉の向かいにある扉の前に彼が立つと、今度は何もせずとも扉が勝手に開き彼は調理場へと入っていった。
2
果実酒に蜂蜜酒を傍らに、厚切りハムのステーキを主食に葉菜と根菜のサラダにマッシュポテトが大皿に盛られた食卓。
床まで伸びるテーブルクロスが敷かれたテーブルにはパオプが席に着いていて、背もたれに体を預けふてぶてしく足など組みながら果実酒のグラスを口許で傾けている。
最後の逸品を調理場から持ってきたパアプは垂れ下がったクロスを持ち上げて、片手に持った小皿を差し入れた。影の中には一匹のハチワレネコが居て、パアプにより床に置かれた皿に盛られたドライフードを食べ始めた。これは“異邦人”が発明した商品で、猫用の餌の普及により彼らの寿命は随分延びたという。
「なんで果物から食べてるのさ」
席に着いたパアプがナプキンを襟元に詰めて食事の準備をしながらパオプへと言った。彼女は今まさに伸ばそうとしていた手を止め、パアプの方を見る。
パオプの口には兎の形に切られたリンゴが既に咥えられていたが、止まった彼女の手の行き先は果物が盛られた皿だった。
やがてリンゴを食べてしまってからパオプはなぜか得意そうに言う。
「私は食べたいものを食べるのだ。小市民のように本当に食べたいと思っているものをあとに取っておくことなんてしないのだ」
「まあ、言っても聞かないだろうから別に良いけどさ。ぼくは小市民のようだから果物は最後に食べる。だから一人で全部食べないでよ。それと、果物だけでお腹をいっぱいにしないこと」
「肉は好いが、甘くない野菜や芋はどうもなぁ……」
「好き嫌いしないの」
せめてこれくらいは食べてねとパアプがわざわざ小皿にサラダとマッシュポテトをよそってパオプの前に置いてやる。それに視線を落とした彼女の表情は険しい。
そうしてようやく自らの食事にありつけるパアプ。彼は手を被う毛が料理についたりしないように気をつけながらナイフとフォークでこんがり焼かれたハムを切って口に運んだ。香ばしい風味と程好い塩味が利いた肉の味、出てくる脂と食感に幸福感を覚え、椅子からはみ出た尻尾が揺れる。
蜂蜜酒やハムと一緒になんとか嫌いな野菜たちを食べていたパオプであったが、すると彼女の耳に腹を揺らす低く響く爆発のような音が届いた。
「なんだなんだ? やかましいではないか」
腰を捻り、背もたれに肘を預けて後ろにある窓に目を向けるパオプ。窓には彼女が見たいと思った景色が映る魔術が掛けてあるのだが、どうも最近不調なようで映りが悪い。
中々鮮明に映らない窓に苛立ちを募らせるパオプであったが、パアプは繰り返す轟音を気にした様子もなく彼女に言う。
「“異人”たちのお祭りでしょ。いつもこの時期になるとやってるじゃない。パオプ、ずっとこの街にいるのに分からないわけ?」
彼の言葉に姿勢を元に戻し食事を再開したパオプが返す。
「はんっ、なんせ私は超が付く引き籠もりだからな。外の祭りなぞ知ったことではないのだ。だいたい一部の異人が“元の世界”とやらのことを引き摺って未練がましく行っておる習慣なのだろ。ますます以て下らんと言うのだ! あ~、ヤだヤだ」
大分こじらせているなとパオプの言い分に呆れるパアプ。
しかし彼はこの“花火”の音に思い出すのだ。自らがここに居る、超が付くほどの引き籠もりと自負する魔女の許に来たときのことを。
そのときもちょうど同じ“異邦人”の祭りが催されていた。彼らが自分たちの時の歩みを忘れないために繰り返している祝い事の夜にパアプはパオプに拾われた。
「ぼくは好きだよ。このお祭り」
孤独と餓えから救ってくれて、名前まで贈ってくれたパオプへの感謝の気持ちが甦るから――などとは、到底照れくさくて結局口には出来ないままパオプはハムをもう一切れ口に運んだ。至福に彼の頬が緩む。
「こらっ、パアプ! お前、私には散々ああ言っておいて自分だって肉ばかりじゃないかっ。食べろっ、野菜も食べろ!」
「一番野菜食べない人の言うことなんか聞かないよー」
「ああ~っ、そういうこと言うのだなお前は! だったら風呂に入れてくれる。私がお前を風呂に入れて洗ってくれるぞ!!」
「っ――!?」
お風呂はイヤだっ――風呂の一言にパアプの尻尾が丸まる。立ち上がり目を輝かせたパオプがパアプににじり寄ると、彼も立ち上がりおもむろに後退りした。
「私に洗わせろ~~いっ」
「いいっ、いやあ~~っ」
そして逃げるパアプを追うパオプ。追いかけっこを始めた二人を他所に、テーブルの下から出てきたハチワレは窓辺に上がり、ようやく窓が映した“世界樹”のそびえる夜空に咲く光の花を眺めるのだった。
ひみつの魔女とおおかみ少年:the Tower World こたろうくん @kotaro
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