年をむかえる話

 この世界に来てから二年目の冬、そして再びの「正月」は、雪江の実家に俺も招かれた。

 しかも正月だけではなく、年を越すには色々と準備があるから、といって三十一日には呼ばれ、行ってみると大変な騒ぎになっていた。


 三月に結婚の話をしにここへ来た時は、雪江の叔父だという男と従兄妹の夫婦の三人だけだったが、今年は俺たちの顔を見ようと親戚が集まって来たらしい。

 俺の感覚からすればでっかい家だが、それでも何家族も集まるには狭い家だ。

 おまけに雪江の従兄妹は一人ではなかったらしく、それぞれに結婚して子供がいて、この子供たちが家じゅうを駆けずり回る。

 お陰であちこちで怪我をしただの喧嘩が始まっただのと騒ぐので、その面倒を見るのが大変だった。


「ザグー、ちょっと頼まれてくれない?」

 ようやく喧嘩をやめさせて一息入れたところで、台所にいる雪江に呼ばれた。


 年越しの料理というものがあって、これを「おせち」と呼ぶらしい。そのおせちを作っていた彼女は、少し疲れたような顔になっていた。


 なにしろ普段作る量とは大違いなのだ。集まった家族全員が食べる量を作るため、鍋釜もでかいし多い。

 だというのに男どもは居間でダラダラしている奴が多くて、台所に立っているのは女たちばかりだ。年かさの子供たちが手伝いをしているが、力仕事が多くて大変のは見れば分かった。


「どうした?」

 すぐに台所に向かうと、雪江は鍋を二つ持って待っていた。

 片方には皮を剥いて煮たサツマイモ、そしてもう片方には砂糖で煮たリンゴが入っているという。

「この芋をね、そこのマッシャーで思いっきり潰してほしいの」

 そう言って、何やら丸い穴のたくさん開いたおたまのような物を渡された。


「分かった、潰せばいいんだな」

 初めて見る道具だが、使い方は何となく分かった。すぐに鍋に突っ込み、何度も何度も上下に動かす。

 すると鍋いっぱいの芋がどんどん潰れ、挽肉をこねる時のようにだんだん重たくなってきた。

「さすが早いね、私もう腕が痛くなっちゃって」

 肩を回し、大きく伸びをしながらそう言う雪江に、俺はずっと気になっていた疑問をぶつけた。


「なぁ、あっちでぼけっとしてる男どもには頼めないのか?これじゃ大変だろ」

「うーん、まぁそうなんだけどさ。みんな結婚してる人だから普段料理してないだろうし、何していいか分からずにウロウロされても困っちゃうのよね」

「料理してない? こっちじゃ男が料理作らないのか?」

「まぁ、最近は家事分担して料理もするって人居るけど、まだまだ珍しい方かなぁ」


 俯きがちな雪江の顔はどうにも説明がしにくそうで、それ以上は何も言わなかったが、俺は内心で少し呆れてしまった。


 俺の故郷では、男だろうと女だろうと料理ができなければ一人前とは言われない。子供がいるならなおさらだ。

 どんなに気を付けていても病気になったり、戦で死んだりと、急に夫婦の片割れだけ残される事は少なくない。そうなった時に自分と子供の面倒が見られないのでは話にならないからだ。



「じゃ、お砂糖入れるね。そしたらまた混ぜて」

 よそ事を考えていた俺は、そう言って雪江が鍋に入れ始めた砂糖を見て仰天した。

 なんと今潰したサツマイモを完全に埋め尽くすほどの砂糖の山が、どさりと鍋に入れられたのだ。

「お、おい待てよ!? これ本当に全部混ぜるのか!?」

「ああ、びっくりした? そう言えばうちではお菓子作った事ないもんね。甘いもの作る時の砂糖ってこんなもんだよ」

 俺は目玉が飛び出そうだったが、雪江は涼しい顔をして「はい、また混ぜて」と言った。


 本当にこれでいいのかと心配になった俺は、台所を見回してみたが、声は聞こえているだろうに誰も振り向く様子がない。

 どうやら本当に「こんなもん」らしい。一体どんな味になるのか不安で仕方ないが、大人しく混ぜ続けた。


 やがて砂糖の粒も完全に見えなくなり、全体がツヤツヤとしてくると、雪江はもう一つの鍋に入っていたリンゴを入れた。

「なぁ待ってくれ、これも砂糖で煮たって言ってなかったか?」

 俺は本気で不安になって来た。芋にあれだけ砂糖を入れたのなら、このリンゴを煮るにもかなり入れた筈だ。


「大丈夫大丈夫、これで混ぜたら出来上がり。食べてみれば分かるよ、ちゃんと美味しいから」

 眉一つ動かさない雪江は、そう言って今度は竹べらを寄越した。

 とても信じられない気分だが、雪江は肝心なことを黙っている事はあっても、噓をついたことは無い。

 ならば本当に美味しくなるんだろう、と覚悟を決めて竹べらを鍋に突っ込み、グルグルかき混ぜ始めた。



 背後から声が掛かったのはその時だ。

「あれー、ザグル君ここにいたの? よそん家なんだからゆっくりしてればいいのに」

 呑気を通り越してむしろ呆れたようなその言葉に、ビクッ、と腕の筋肉が一瞬で固くなった。


「すみません谷田やたさん、ちょっとこれ、力がいるから大変で。私はもう腕が痛くなっちゃってて」

 なぜかそう言って謝る雪江は、申し訳なさそうな顔で困ったように笑った。

 しかしそれに対する谷田の返答は、やはりどこか呆れたような調子だった。

「あーそうなんだ。でもこれだけ居るなら他の人に頼めばいいじゃん? たまの休日くらい、ザグル君だってゆっくりしたいでしょ」


 ぶつん、と俺の頭の中で確かに何かが切れる音がした。

 竹べらを置いて後ろを振り返ると、谷田と呼ばれた男は台所の入り口に立っていた。

 俺と目が合うとへらりと笑って手招きし、「ほら、女性陣だって好きでやってるんだから」と言うその顔を見て、一瞬で頭に血が上った。


「ふざけるんじゃねぇ!!」

 バシィ、とかなり大きな音がして、気付くと俺は谷田の横顔を平手で殴っていた。

 よろけた谷田は戸口でそのまま頭を打ち、呆然とした顔のままその場にしゃがみ込んだ。

「や、谷田さん!」

 悲鳴のような声で男を呼ぶと、雪江が慌ててその側にしゃがんだ。

 怪我はしていないか、頭を打ったけれど大丈夫か、と雪江が彼の様子を確かめるその横で、俺は頭が真っ白になっていた。


 この世界に来てから、いやその前から、俺は人間に暴力を振るったことは無かった。

 明らかに体格も腕力も劣る相手に暴力など、決して振るってはいけないと、親父もお袋も喧嘩の度に俺を叱った。

 戦となれば話が別だが、俺たちはみな子供の頃からそうやって躾けられる。

 だというのに、雪江を侮辱された瞬間、そんな理性は頭から消し飛んでしまっていた。


 すぐに救急車が呼ばれ、谷田は奥さんに付き添われて出て行った。

 静かな田舎の住宅街が一時大騒ぎになり、警察に事情を説明しなければならなくなって、俺と雪江はもう年越しの準備どころではなくなった。



「お疲れ様、ザグ」

 一段落ついたころにはすっかり日が暮れ、保護機関の支部の者達にもさんざん叱られて、帰宅した俺はもう動く気力もなかった。

 誰もいなくなった居間のソファに身を沈めると、深い溜息が漏れてくる。

 そんな俺の顔の前に、雪江は小皿に何か黄色い物を載せて差し出した。


「今日作ってくれたリンゴきんとんだよ。食べてみて」

 そう言いながら自分の分も小皿に取り、小さなスプーンで口に含む。途端に幸せそうに目を細める雪江を見て、俺も恐る恐る口を付けた。

 そして驚いた。あれだけ砂糖を入れた甘味の塊のような料理なのに、口の中で溶けていくようなその味は、ほどよく甘くてリンゴの酸味が効いていた。


「あ……うめぇなこれ」

「でしょ? 普通は栗きんとんって言って栗で作るんだけど、うちではいつもこのリンゴきんとんなの。意外と食べやすいでしょ」

「ああ、マジで美味い。なんかこう、疲れが取れる味だな」

「ふふっ、今日は大変だったもんねぇ」


 しみじみとそう言う雪江の顔にも疲れが滲んでいるが、その割にはむしろ愉快そうだった。

 帰宅してから彼女にも怒られると思って覚悟していたのだが、逆に俺を労わろうとするその様子に、ほっとしつつも疑問が口をついて出た。


「なぁ、ユキは怒ってねぇのか?俺のせいで色々台無しになっちまったのに……」

 殴ってしまった谷田にも悪かったが、一番迷惑が掛かったのは雪江だ。幸い谷田は大きな怪我もなく、すぐに病院から戻って来たが、俺はそれが分かるまで何もできなかった。


 頭が真っ白になっている俺の代わりに事情の説明をしたり、保護機関に付き添って叱られたり、親戚中から「あんな乱暴な奴と結婚したのか」という視線で見られたりしたのは雪江だ。

 せっかく大勢で集まって楽しむはずの年末が、俺のせいで台無しになってしまった。


 だが彼女は、むしろ驚いたように目を見開くと、静かに首を横に振った。


「怒る理由が無いよ。ザグの力で殴ったのは良くないだろうけど、私だって引っぱたいてやりたかったもの。それにさ、ザグは私のために怒ってくれたんでしょ?」

「けどよ、俺がもうちょっと自制できてりゃ、こんな事にはならなかっただろ」

「それが分かってない人なら、私だって分かるまで叱るよ。でもザグはすぐに反省してたじゃない。やっちゃいけない事やっちゃった、って泣きそうな顔してる人に、それ以上怒る必要なんてないでしょ」

 言いながら雪江はこちらに体を向けると、めいっぱい腕を伸ばしてきた。

 えっ、と驚く俺の首に腕を回してくると、そのままぎゅっと抱き締められた。


「大丈夫だよ。今日の事だって、分かる人は分かってくれてる。分かんない人も居るだろうけど、それは仕方ないことだし、いつかは分かってくれるかも知れないし」

 細い指の冷えた手で、俺の後ろ頭をゆっくり撫でながら、雪江は胸元に顔を寄せて来た。

 一度も俺を恐れたことのないその彼女の態度が、今はとてつもなくありがたい。

 雪江の体は俺よりはるかに小さいのに、安心していいよ、と全身を包まれているようで、俺は胸が一杯になった。



 出会った時はどこか足元が危うかった雪江は、今やその手でしっかりと、俺を支えてくれるようになっていた。

 元いた世界では料理も出来ない奴は一人前じゃない、ここに居るのは子供までいるのに半人前の連中ばかりか、などと思っていたが、俺だってまだまだ半人前だったのだ。

 だが雪江は、周囲との関係にきちんと気を配り、俺の考えも理解し、その上でずっと面倒を見てくれていた。

 十歳の年の違いなどあって無いようなものだと思っていた俺は、とんでもない勘違いをしていたのだ。


 その事に初めて気が付いた俺は、今までずっと、言おうと思いながら言えなかったことを、その時やっと口に出すことに決めた。


「なぁユキ、そろそろ子供作ろう。今の俺とユキなら、ちゃんと育てられる気がする」

「うん、いいよ。頑張ろう」

 二つ返事で頷いてくれた雪江を抱きしめ返すと、雪江はまた幸せそうに微笑んでくれた。


 彼女を、そして生まれてくる子供を守れる一人前の男になろう。そして雪江がそうしてくれたように、俺ももっと、この世界と人間たちを理解する努力をしよう。


 明日から始まる新しい一年に、俺は心の中で強くそう誓ったのだった。

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リンゴと彼らの話 しらす @toki_t

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