第20話 何も悲しいことなんかないわよ
「あんた喋れるの!? い……生きてるの!?」
「うん、多分これは生きてるよ」
「生きてるの……!?」
「うん」
「う、うああ」
「ソニタちゃん?」
「うああああああああん! 生きてて良かったああああ!」
ソニタは天井を仰いで叫んだ。それから涙の滲んだ目をカッと見開いてマユリを見た。
「っていうか喋れるのね? 意思疎通が図れるのね? そんな話聞いたことないんだけど! どうなってるの!?」
「何か、ソニタちゃんを想って、えいやーって頑張ったら、できたよ」
「えいやー……って……? 全然分からないのだけれど」
「うん」
「何なのよ一体」
「ふふ」
マユリはあの微笑みを思い起こさせるような笑い声を上げた。
「多分、世界にある他の命の珠も、砕けるまで生きてはいると思うんだ。眠っているか、喋れないでいるか、どっちかなだけで」
「し、知らなかった……。生きてるどころか、音が聞こえて、しかも喋れるなんて、前代未聞よ……。あ、目は? 目は見えてるの?」
「ううん。真っ白。何も見えてないよ」
「そうなのね……」
「うふふ。それにしても、良かった」
「何がよ」
「目が覚めた時、とっても嬉しかったんだ、私」
マユリは幸せそうに言った。
「生きてる……これでソニタちゃんと本当にずっとずーっとずうーっと一緒にいられるんだって……おはようからおやすみまでずっと一緒なんだって……そう思うと嬉しくてね……うふふ」
「そ、そう……」
ソニタは引き気味に返事をした。
やっぱりマユリはちょっと変な奴だ。
そこに、ラヤンが呆れた顔をしてやってきた。
「お前、何を一人で叫んだり喋ったりしてるんだ? 変人みたいだぞ」
「いえ、マユリの方が変人……じゃなくて、マユリが喋ったのよ」
「……? はあ? バカ言うな。命の珠が喋るわけないだろう」
「それが喋ったのよ。ほら」
「久しぶりだね、ラヤンくん」
ラヤンは顔をしかめた。
「……? 何も聞こえんが」
「えっ」
「えっ!」
マユリが何故か嬉しそうに声を上げた。
「私の声ってソニタちゃんにしか聞こえないの? それって……それって……私がソニタちゃんのためだけのものってこと? ひゃー!」
「ううううん」
ソニタは渋い顔をした。
「今、滅茶苦茶喋ってるのよ、この子……」
「お前にしか聞こえんのか。というか、こいつは生きているのか……」
「そうなのよ。この子曰く、命の珠は砕ける時までみんな生きてるらしいわよ」
「そ、そうか……何か混乱してきたな……」
「私もちょっと眩暈が」
ソニタは思わず額に手を当てて、火傷の痕に触ってしまい「痛っ」と言った。
「だって……マユリとずっと一緒ですって? それって困ることの方が多くないかしら!? た、例えば厠に行く時とか……ああもう、私に一人の時間は訪れないの!?」
「そんなこと言わないでよ、ソニタちゃん。困る時は置いていっていいから。盗まれないよう、ちょっとだけね」
「うううううん」
「ひとまず、その現象はいずれ研究機関に相談した方がいいと僕は思うぞ。大発見だからな」
「ええ、国の復興が済んだらね……」
その国の復興はというと、多くの人の予想よりも円滑に進んだ。
リグルをはじめとする列強は、メーラを征服することの利益よりも損害の方が大きいと判断してくれているようだった。今のところ大きな動きはない。
少なくともソニタが生きているうちは、メーラは大丈夫だと思われる。マユリという類稀なる戦力は、他国を牽制しうるものだ。
そしてソニタが死ぬまでに、メーラも魔術士の教育に注力すれば、今後とも国際的な地位を何とか保っていけるだろう。
戦争の被害は、町にはあまり出ていなかったので、メーラがまずやるべきことはリグル人がやらかしたことを元に戻すことだった。
奴隷たちは解放され、各々の家に戻った。家が壊されたり土地が農地になっていたりした人も多くいたが、そこは魔術使いたちが手伝って、家の建て直しに尽力した。
そして、北の山脈を越えて、王様が戻ってきた。離宮の玉座に腰をかけて、メーラ帝国の復活を宣言した。集まった人々は盛大に拍手をした。
しかし王様はこの後ちょっぴり大変な目に遭うことになる。戦争を主導した魔術士たちから、過去の統治体制のまずさを問い質され、権力をかなり削ぎ落とされてしまったのだ。
代わって権力を手にした王宮魔術士たちは、国の復興と格差の是正を目標に活動し始めた。
だから、トゥイ族が過剰に虐げられることは、もう無かった。
それから、盗賊組織が大手を振って国中を闊歩するような事態も、防ぐことができた。
まず、組織に匿われていた人には、自立して生活できるよう支援が与えられるようになった。加えて、犯罪行為の取り締まりの強化が決まった。
盗賊組織を率いていたギリクたちは、今回の戦績に免じて恩赦を受けたが、それ以上のことは無かった。また犯罪行為に手を染めたら問答無用でしょっぴかれることになるだろうが、まだどうなるかは分からない。
もちろん、うまくいったことばかりではない。支援を行き届かせるためには色んな準備が必要だし、国庫も無限ではない。特に異民族への重税を取りやめた今、財源の確保には難儀していた。まだまだ政策の実施は進んでいないというのが現状である。
良い国作りというのは本当に難しい。
ソニタもなるべく多くの人を救えるように、王宮魔術士として飛び回るように働いていた。
少し落ち着いてきて、たまに休日をもらえるようになると、その日は研究機関に顔を出す。命の珠の分析や、魔術の実験などに協力するのだ。
実験が終わったら町まで出かける。
マユリにさまざまなものを聞かせてあげたかったから。
路上演奏を見に行くことが多かった。弦楽器や笛、それに歌や踊りなんかもあった。聞いた後は決まってソニタは、一握りの硬貨をじゃらりと箱に入れてやる。
お茶を飲みに行くこともあった。個室を用意してもらえる店に行って、机の向かい側にマユリを置き、ゆっくり話をする。
「実験、嫌じゃなかった? あちこち突っつかれてたけど」
「ううん。自分の体って感じもそんなに無いし、触覚とかあんまり無いし」
そう、とソニタはメーラ式のお茶を飲んだ。
「それにしても、これから私、どうしようかしら」
「なあに? 悩み事?」
「あんたのことよ。言ったでしょう、大っ嫌いだって」
「えっ」
マユリはこわばった声を出した。ソニタは澄まして言った。
「あら、忘れたの?」
「いやっ、そのっ、忘れたわけじゃないけど、何か、こう、うやむやになったとばかり思ってた」
「残念ながらなってないわよ。しっかり恨んでるから」
「ぴぇ……」
「何よその情けない鳴き声」
「ううっ、ソニタちゃんに嫌われるのはつらすぎる……」
「まあそこは一生後悔してなさい」
「でも、同じくらい大好きだって言ったよね?」
「ええ」
「あれはどういう意味?」
「そのまんまよ」
「分かんないよぉ」
「私もよく分からないのよ。だからどうしようかなって」
「じゃあ、嫌いの方は忘れちゃおうよ。その方が単純になって気が楽だよ」
「そう都合良く行くものですか」
「ぴぇ……」
「私はあんたへのこの愛憎渦巻く全ての感情を大事にしたいの。忘れるなんてそんなこと絶対にないわ」
「……あの」
「何よ」
「と、友達で、いてくれる?」
ふっとソニタは柔らかく笑った。
「どうしようかしら」
「ぴぇ……」
「嘘よ。親友でいてあげる。感謝なさい」
「……! ソニタちゃあんッ!!」
あまりの声量に、ソニタは頭を押さえた。
「うるさっ、うるさいわね! 近所迷惑にはならないけれど、私が迷惑よ!」
「うっうっ、良かったああ」
「……あんたってそんなに感情ボロボロ表に出す感じだったかしら? いつもニコニコしてて得体の知れない感じだったと思うけど」
「えー、命の珠になってから性格変わっちゃったのかな? でも、分かりやすい方がいいでしょ? もう私には顔がないから、ニコニコできないし」
「……。そうね」
ソニタは嘆息した。
「あんたの笑顔がもう見られないのは、ちょっぴり惜しいわね」
「そうなの?」
「あんたが笑うと、結構安心してたのよ、私」
「本当? 何かごめんね」
「? どうして謝るの?」
「ソニタちゃんが好きだったものをもう見られなくしてしまったから」
マユリはシュンとした声で言った。
「ずっと言いそびれていたけれど、勝手に命の珠になっちゃってごめんね。びっくりしたよね。ソニタちゃんを悲しませたくはなかったんだけど、あの時はああするしか方法が思いつかなくて」
「……」
「……?」
「本当はそれも許さないつもりだった」
ソニタは低い声で言った。
「?」
マユリは黙り込んだ。
「それこそ一生かけて許さないつもりだった。私の意志を犠牲にした次は、自分の命を犠牲にしたのよ、あんたは。とんでもない悪行よ。そんなの絶対に許せるわけないじゃない」
「……」
「……でもね、あんたがあの時ああしなかったら、私はあんたを殺さなきゃいけなかった。そうなるよりは千倍……一万、いえ一億倍マシよ。あんたが生きててくれて本当に嬉しかった。取り返しのつかない事態にならなくて本当に良かった。だからね、それもおあいこ。大っ嫌いで大好きなのと一緒で、許さないけど許してあげる」
「……」
「私にも落ち度はたくさんあったし、私も悪かった。あんたのことを騙したり、怒ったり、殺そうとしたり、いろいろやったし。あんたをこうなるまで追い詰めたのも私だし。私も謝らなきゃいけないの。いろいろごめんなさいね、マユリ」
「……ううん。ソニタちゃんは悪くない……」
ソニタはぐっとこみあげてくるものを飲み込んだ。
いや、ソニタだって悪いのだ。それでもソニタを許して、慕ってくれるマユリは、とても優しい。
「私はマユリを大事にするわ。マユリの親友でいるわ。今後それは変わらないから、安心してちょうだい」
「……うん……」
マユリも泣きそうだった。
「……あんたそれどうやって泣くの?」
「え……」
マユリは洟をすするような音を出した。
「分かんない……気づいたらこんな声に……」
「本当に不思議なことね」
ソニタはマユリを撫でた。
「泣かないで、マユリ。これからはずっと一緒なんだから、何も悲しいことなんかないわよ」
「うん」
「ずっと一緒に、楽しく生きていきましょう。死ぬまで一緒に」
「うん」
「もう、泣かないでって言ってるのに。しょうがない子ね」
「うん」
「大丈夫。大丈夫よ」
ソニタは笑いかけた。ソニタの顔はマユリには見えないけれど、きっと伝わっていると信じて。
その時、ざあざあと喫茶店の屋根を叩いていた雨音が、少しずつ止んでいった。
「ほら、雨が上がったわよ」
「……本当だ」
「雨季ももう終わりが近いわね」
「気持ちのいい乾季がやってくるね」
「あら、雨季も悪くないわよ。湿気って嫌いじゃないの」
「うふふ。水の魔術士らしいね」
「そうかしら。でも、乾季が気持ちがいいのにも同感。歩きやすくなるし。そうしたらもっと色んなところに行きましょう、マユリ」
「色んなところ?」
「休暇には旅に出て、メーラ帝国じゅうの色んなものを聞いて回りましょう。機会があったらまた外国にも。きっと楽しいわよ」
「うん。楽しみにしてる」
「さて、それじゃあおいとまいたしましょうか」
ソニタはマユリを袋に入れて、喫茶店を出た。
雨上がりの空には虹が出ていた。
道ゆく人が眩しそうに空を見上げている。
「虹だわ。すごく大きい」
「そうなんだ」
「見られなくて残念ね」
「ううん。でも、きっと綺麗なんだろうなあ。ソニタちゃんが綺麗なものを見られて良かったなあ」
マユリの声は幸せそうで、それを聞いているとソニタも幸せな気持ちになった。空は綺麗で、空気は暖かく湿気を帯びていた。この空気の肌触りがソニタは嫌いではなかった。
「さあ、この後は王宮の様子でも見にいきましょう。かなり直ったって聞いてるわ」
「そうなの? 見たらどんな感じか教えて、ソニタちゃん」
「当然よ。任せておきなさい。……っていうか、王宮をぶち壊したのってあんただったわね」
「そうだよ」
「地割れなんか起こして……全くもう」
「後悔はしてないけど反省はするね」
「何よそれ。本当にマユリって変な子!」
「えーっ」
「あっはは」
ソニタは笑って、ぬかるんだ道の水分を全て空へと消し飛ばした。
人々が突然の足元の変化に驚いてざわめく。
その中でソニタは身軽に跳び上がると、水に乗って空を飛び、復旧中の王宮を一直線に目指した。
おわり
雨降る国の魔術士たち 白里りこ @Tomaten
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