第19話 すごく調子が良いんだけど
ソニタはマユリの亡骸と命の珠を大事に持って、ぐちゃぐちゃになった大広間まで飛んで戻った。
「もう来ていいわよ、控えの戦士」
そう言うと十名もの戦士が入室してきた。その中には、ラヤンもいた。
「……マユリはどうなった」
ソニタはスッと命の珠を差し出してみせた。それはただただ沈黙して、ソニタの手のひらにちょこんと乗っかっていた。
「これ」
「え?」
「これ、マユリ」
「え?」
ラヤンは困惑して、マユリの遺体と透明な珠とを見比べた。
「えーと……つまりあいつは、自分を犠牲にして、お前に命の珠を作ったのか」
「そういうこと……」
ソニタはふわっと魔術で涙を乾かした。
「お陰で私、今すごく……すごく調子が良いんだけど……」
「そうか……」
「今ならメーラ全土のリグル人を皆殺しにできる……」
「は?」
ラヤンは信じ難いと言う顔をした。
「そ、そんなにか?」
「だってこれは、あのマユリが、魔力どころか命も何もかも全部懸けて作ったものなのよ」
「……凄まじいな、そう考えると」
「このことは秘密で。これはしばらくは隠して使いましょう。でないとトゥイ族が酷い目に遭う」
ソニタは命の珠を、服の内側に縫い付けてある袋に丁寧に仕舞い込んだ。
そして魔術を発動した。
目を閉じて、国中の空間を全身で感じ取る。
……全員、殺してあげる。
ソニタはメーラに住み着いている悪徳なリグル人を全員、一人残らず捕捉した。働かない奴隷たちを叱咤して虐待している者たち、それを傍観して笑っている者たち、呑気に酒を飲んで休んでいる者たち、等々。
……死ね!
ソニタは彼らの体の水分を一瞬にして全て抜き取った。
「ふう。次は、魔術士ね」
彼らはある程度体を守っているから、水分を抜き取るのはやや面倒だ。
「手始めにこの離宮のリグル人を一掃しましょう」
そしてその通りになった。
総督府の中を動き回り戦いに勤しむリグル人の背後から、突然氷の刃が出現して、彼らの心臓を一突きにした。中には防御を展開できた者もいたが、命の珠で強化された刃はその程度の防壁などものともしなかった。
これで総督府のリグル人はお偉いさんから下っ端まで全員死んだ。
「あとはメーラ各地で戦いが勃発しているから、それを何とかすればひと段落ね」
同じように氷の刃で突き刺して終わらせる。
「さ、これで、この国のリグル人はほとんど死んだわよ」
「…………」
ラヤンはかなり恐れをなしたようにソニタを見た。
「何よ」
「いや、大虐殺だな……と思って……」
「人聞きの悪い。これは戦争よ。たくさん殺した方がいいに決まってるじゃない」
「……なんかお前、雰囲気変わったな……」
「そう?」
それからは離宮の死体処理にかかった。外に運んで、土に埋める。血の跡を掃除する。魔術を使えば造作もない。その日のうちに作業は終了した。
夜は宴が開かれた。勝利の宴だ。
リグル人たちが溜め込んでいた食料と酒を頂戴してパーッとやる。
ソニタはマユリに追悼の意を込めて、あまり多くは食べず、酒も口にしなかった。
「あまり調子に乗って羽目を外すなよ」
ラヤンが注意して回る。
「そのうちリグルから軍隊が来るぞ。戦いはこれからだ」
しかしみんなはあまり気にしていなかった。
リグル帝国は遠いし、大量の軍隊を送り込むには時間がかかる。明日にでも戦闘開始というわけではないだろう。
事実、彼らが乗り込んできたのは数日後だった。
メーラは準備を万端に整えていた。
警戒すべきは無の魔術──しかし今のソニタの出力なら問題なく戦えるだろう。それよりも、相手にも命の珠の持ち主がいる可能性。これは十分にありえることなので要注意だ。ソニタが主に相手するのはそいつらになるはず。メーラには他に二人、命の珠の所持者がいるから、彼らと手分けして事にあたる。
兵士たちが立てた作戦にのっとり、ソニタはナヴィーン島に配備された。
緊急時用の飛び手紙が、敵襲を告げた。ソニタたちは急いで配置につく。
やがて遠くから大量の魔術の気配が近づいてきた。
魔術で厳重に守られた、魔術士を大勢乗せた軍艦と、隊列を組んで飛んでくる魔術士たち。
「近づくことすら許すものですか」
ソニタが呟いた。横にいたルドラが怪訝な顔でこちらを見た。
「もう、来ているのが、分かるのか」
「ええ、遠くにいるわよ。うじゃうじゃとね!」
ソニタは手を広げた。雨季、加えて海に囲まれた島。これ以上の好条件は無い。
ソニタは降り注ぐ雨を氷の矢に変えて、飛行隊を襲った。
それから広範囲に渡って海を凍らせて、軍艦の行手を阻んだ。
「……ま、この程度で全滅してくれるほど、敵も甘くはないでしょうけれど……」
身動きが取れなくなった軍艦が数個。飛行している魔術士も三割ほどが海に落ちた。
「反撃、来るわよ。備えて」
「しかし……僕の魔術は、相手に届かないと効果が無い……まだ遠すぎて無理だ」
「だったら私の陰にでも隠れて魔力を温存してなさいよ」
「分かった」
やがて、反撃が来た。しかし、遠すぎるせいか、そよ風のような竜巻が起こっただけだ。
「何よこれ。張り合いがないわね」
戦士たちは各々それを吹き飛ばして凌いだ。
「……ん?」
ソニタは違和感を覚えて、自分の手を見た。
フッと魔術が解けた気配がした。
ソニタの腕にはいつのまにか、服の上から切り裂かれたような傷がついていた。
他にも何人か、痛みでうめいている戦士がいる。
「……幻の魔術」
敵の気配がまだ遠いと言うのはまやかしだ。そよ風のような攻撃も偽物。ソニタが動きを止めたと思ったのも半分くらいは気のせい。リグル軍はもっと近づいてきている。
「やってくれたわね」
ソニタは魔力を集中させて幻を見破り、敵の真の位置を特定した。次の瞬間にはもう行動に出る。メキメキと海を凍らせて、氷の矢も作り直す。
「これほどの精度の幻を見せられるなんて」
ソニタはもう一度、敵の気配を探った。
やはり、命の珠を持った敵がいる。幻の魔術士が。
「面倒くさい相手を当ててきたわね……!」
それから、おとなしく後ろに控えているルドラを軽く蹴っ飛ばした。
「あんたいつまで隠れてんのよ! 敵はすぐそこ! 早く戦意喪失でも同士討ちでも自殺でも何でもさせなさいよ!」
「わ、分かった」
そして、本格的に戦いが始まった。
だが、強力な幻の魔術士がいては、こちら側が圧倒的に不利。ここはソニタが何とかしなければ話にならない。
索敵。
相手はまず間違いなく、自分の居場所を誤魔化している。本当の居場所を突き止めるところから始めないといけない。
ソニタは全魔力を集中させて気配を探った。
そして左の方向に氷の槍を放った。
「そこ……と見せかけて、そこね!」
すかさず真正面に向かって槍を突き刺す。手応えがあった。
幻の魔術士は最初こそ攻略が厄介だが、幻を見破ってしまえば脆い。心の魔術士と同じく、自分の身を守る術を持っていないからだ。
だが命の珠の持ち主だ、見破れたのだと慢心してはいけない。手応えも偽物かもしれない。
全ての感覚を疑え。こちらに気を向けるよう相手を誘導して味方を守りつつ、確実に仕留めろ。
「味方だけは攻撃しないように……!」
ソニタは次々と槍をぶん投げる。幻に惑わされて味方を攻撃したら大変だ。敵の気配を追うことを怠ってはならない。
かなり神経を使う戦いだ。
何発目かの槍で、今度はかなり手応えを感じた。だがその距離にソニタは驚愕した。
敵の姿を初めて視認できた。敵は目と鼻の先にいた。そして鳩尾に槍が突き刺さっている。
そんなに近くにいるとは見抜けなかった。危うく、直接殴られてこちらが怪我を負うところだった。頭を潰されてもおかしくなかった。
幻の魔術士は、それでもまだ動けるようだった。こちら側の陣営に向けて手を差し伸べる。何か仕掛ける気だ。
まずい、と思った瞬間、彼の手がだらりと垂れ下がった。
気づくとルドラが隣にいた。
敵は戦意を喪失させられたらしい。
「ありがとう。助かったわ」
「……もうそいつは捨て置いて構わない」
「分かったわ」
ソニタは突き刺さった槍ごと敵を海の中に投げ捨てた。
「これでようやくまともに戦争ができるかしら……!」
今度は心置きなく敵を丸ごと襲える。
ソニタが魔力を全開にして滅茶苦茶に暴れ回ったせいで、すぐにリグル軍は残らず海の中に没した。
海岸にはいっときの平和が訪れていた。
ソニタたちは死んだ仲間たちを回収して回った。
だが今やっつけた軍は、植民地からかき集めた間に合わせの軍だろう。本命のリグル本国からの軍が、合流のためにこちらに向かってきているはずだ。
本当の戦いはこれからだ。
ソニタは気合いで腕の傷を癒やすと、ふうっと息を吐き出した。
「主戦力を小出しにするなんて愚の骨頂だけど、次の軍隊にも命の珠の保持者はいそうよね……」
今度は何の魔術士だろうか。考えると憂鬱になってくるが、落ち込んでいる暇はない。気力を奮い立たせなければ。
今度もソニタはいち早く敵の接近を察知した。すぐに魔力の気配を分析する。やはり一人だけ魔力が異様に強い魔術士がいた。魔術の種類は……。
「火!?」
ソニタは信じられない気持ちで言った。
「バカにも程があるでしょう!! 私の情報が伝わっていないの!? それとも何か罠が……!?」
改めて敵の情報を探る。軍艦に乗った火の魔術士の、隣に控えている奴が怪しい。そして他の魔術士がそいつを、爆発的な速さでこちらに投げてきた。あっという間に魔術の射程範囲に入り込まれてしまう。
「あっ」
ソニタは青くなった。
慌てて味方全員の前に水の防壁を張った。そのはずだった。
だが、間に合わなかったらしい。
周囲は一瞬にして焼け野原になっていた。
めらめらと、仲間たちの体が燃えている。
ソニタも全身を焼かれた。魔力での防御に加え、特別な軍服を着ていなかったら、死んでいたところだ。
額には大きな火傷が残った。
「痛い! よくもこの私の顔に火傷なんか……!」
ソニタは伝令用の水の小人を作って島全域に飛ばし、喋らせた。
「今こっちにぶん投げられてきた奴、そいつは時の魔術士よ! 一瞬でも気を抜いたら蹂躙されるわ!!」
時の魔術士は珍しいが、対策は塾でばっちり体に叩き込んできた。
時を止める魔術はそう長くはもたない。必ず休憩が入る。その間に考えうる限りの防御を施して、時が止まっている間の攻撃に備えるのだ。
「次こそは!」
ソニタは分厚い水の防壁を作り出した。おそらく次の時間停止で敵もかなりこちらに接近してくるだろう。味方をまるっと包み込まなくては、背後からの一撃に耐えられない。
「よし、防御は間に合ったわ」
しかし次の瞬間、ソニタは再び火傷を負っていた。
「あっつ……!? 何で!? ……お湯!?」
信じがたい火力だ。ソニタの防壁に火を当て続け、熱湯に変えたのだ。
味方も、防壁の熱に触れてしまい、苦しんでいる。
「あーっもう、これじゃあ私のせいじゃない!」
だが、これほどの量の水を熱するには相当の時間がかかったはず。次の時間停止までにはかなりの猶予が生まれる。
「敵の奴、わざと火の魔術士を当ててきて、私の油断を誘ったのね」
だが相性的にこちらが有利なのは変わらぬ事実。時の魔術士が回復する前に火の魔術士を力で押し切ってやる。
「今の二回で私を殺せなかったのは失態ね! お生憎様! 私の命の珠はそんじょそこらのやつとは訳が違うのよ! 愛情も魔力もバカみたいに大きいんだから!」
ソニタは海に魔術をかけて、あやまたず火の魔術士に海水をぶちまけた。
ザアッと遠くの方で水蒸気が上がるのが確認できた。
「水びたしじゃあ、火の魔術も扱いづらいでしょう!」
海と雨を氷に変えて敵を切り裂く。さすがに命の珠の持ち主なだけあって身のこなしは素早いし、氷もかなり溶かされた。だが、水に囲まれたこの環境で逃げ切れるものではない。
「死にさらせー!」
ソニタは叫んだ。こちらだって素早さなら負けない。逃げる隙も魔術を発動する隙も与えず、敵を細切れにした。
火の魔術士はズタズタになり、海の藻屑となった。
「みんな、敵の親玉は死んだわよ! 畳み掛けなさい!」
おおーっと気合の入った声が上がる。
魔術同士が激しくぶつかりあった。
火花が散る。風が舞う。地が揺れる。武器が飛び交う。
そして、敵は……敗走を始めた。
とうとうリグルはメーラを諦めたのだ。
こちらの、メーラの勝ちだ。
「やった……か、勝ったわ……」
わああっと歓声が上がる。
ソニタは疲れ果てて座り込んでしまった。
こんなに魔力を使ったのは生まれて初めてだ。もう何もできそうにない。
後方支援の人が駆けつけてきて、戦士たちを労ってくれた。ソニタは食べ物をもらって少し落ち着いた。そして、肩を貸してもらいながら立ち上がり、メーラ本土の離宮への帰還準備を整えた。
凱旋は華やかなものだった。町中の人が歓待してくれる。悪い気はしない。ソニタは堂々と空を飛んで離宮まで入っていった。
広間では先に帰還していたラヤンたちが待ち受けていて、無事を喜んでくれた。向こうの方では、また宴の準備が始まっているようだった。
お互いを称賛し合って、ソニタは一旦人だかりから離れた。一息つきたかったのだ。
その時、服の内側から、くぐもった声が聞こえた。
「ソニタちゃん! ソニタちゃーん! 頑張ってくれて、ありがとう!」
「うん。……うん?」
何だ、この声は。
ソニタはごそごそと、服に縫い付けた袋から、命の珠を取り出した。
それは、どういう原理か知らないが、聞き馴染んだ声を発していた。
「お疲れ様! うまくいってよかったね!」
……命の珠が喋るだなんて聞いたことがない。
ソニタはひゅっと息を飲み込み、それから叫んだ。
「どえええええええ!?」
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