第18話 そばにいるよ
決行日になっても、マユリは何も言わなかった。というより、言を左右して曖昧な返事しかしなかった。
ソニタは苛々していた。
もうじき戦いの火蓋が切られる。
準備は万端だ。兵士たちには情報を共有してある。奴隷たちもこの日から仕事を放棄するように伝えられている。ことはもう動き出している。
それなのにこれじゃあ、ソニタはどう行動していいか分からない。
「ねえ、もう時間がないのよ」
ソニタは朝食後すぐに、ソニタをひとけのない広間に連れていった。
「私の味方でいてくれるって、決心を固めてちょうだい!」
「でも……」
まだ迷っている様子のマユリに、ソニタは怒りをぶつけた。
「あんたの私への思いはその程度だったの? 違うわよね? あんたは私の親友だものね!?」
「そうだけど」
「決めて! 今! ここで! すぐに! そうでないと……」
「……?」
ドッ、と外の大雨が一段と強くなった。水の魔術士たちが、全国に向けて、合図を送ったのだ。
「ああーっ! もう始まったわ!!」
「えっ? えっ?」
すぐに王宮内はドタドタと大騒ぎになる。兵士たちが一斉に蜂起して、リグル人たちを襲い出したのだ。すぐに、近くでもうめき声や叫び声が聞こえ始める。
こんなにも早く反乱が起きるとは予測していなかったリグル人たちは、明らかに狼狽し、対応が遅れていた。広間の外を走り回る様子がここからでも聞き取れる。だがメーラ人の兵士たちは軒並みこちらの味方だ。迂闊に走り回っては控えていた兵士にやられること間違いなしである。
それでも果敢にやってきた男が、広間の扉を開けて声をかけた。
「マユリ、貴様こんなところにおったのか! 早く反乱分子を始末しろ! なるべくたくさん殺せ! いいな!?」
ソニタはキッとそのリグル人を睨んだ。
「一丁前に邪魔すんじゃないわよ、クソジジイ」
ソニタはリグル人を氷の塊に閉じ込めた。ついでに大広間を氷で覆い、増援が来ないようにしっかりとマユリを閉じ込めてしまった。
「さあ、私は反乱分子よ。これから総督府にいるリグル人を皆殺しにしに行くわ。あんたはどうするの? 命令に背くの? 従うの?」
「そんな……!」
「どうしてさっさと決められないの?」
マユリは泣きそうな顔になった。
「……命令は、遂行しなくちゃ……。でも相手がソニタちゃんだなんて」
駄目だ、とソニタは悟った。
懐柔は失敗だ。
ソニタは、はーっと大袈裟に息を吐いた。
どうせ駄目なら、ぶっちゃけてやる。
「こうなったら正直に言うわ」
「な、何」
「私があんたを許したなんていうのは、全部嘘よ。私は半年以上もの間、あんたにずっと嘘をついてた」
「……」
「私はあんたを絶対に許さない。本当に忌々しい。大っ嫌いよ」
「そんな、ソニタちゃん」
「でもね……それと同じくらい大好きだっていうのも、悔しいけど本当よ。大好きだからこそ大っ嫌いで、大っ嫌いだからこそ大好きなの。あんたといられて、ちょっと楽しかったのも事実だし。分かる? この気持ち」
「な、何となく……」
「そう。良かったわ。それで? あんたはどうなの? マユリ」
「私は……私も、ソニタちゃんといられて幸せだった……」
「そうよね。それなら」
ソニタはつかつかとマユリに近づいていき、その襟元を掴んで引き寄せた。
「トゥイ族のことは放っておいて。私だけを見て。私だけを信じて私だけについてきて。……できない?」
「……でも」
「私ならメーラ人もトゥイ族も異民族もみんな救ってみせるから。だから今は私だけを信じて。世界に一人だけの親友として、私だけを」
「……」
「……」
「……ごめん、できない……」
ドッ、と腹に衝撃が来て、気づけばソニタは床に転がっていた。
速すぎて見えなかったが、マユリの魔術だ。マユリがいつも小袋に土を入れて携帯していることくらいはソニタも把握している。そうでもしないと、室内での戦いができないからだ。
ソニタも即座に窓の外から水を集めて応戦した。幸い、今は雨季。状況はソニタに有利だ。転がった姿勢のまま水を勢いよく噴射する。
「何でよ、マユリ! どうして私と敵対するの!」
ソニタは叫んだ。
マユリもソニタの攻撃を捌きながら返答する。
「駄目なの。犠牲が大きすぎる。私がリグルを裏切ったら、ソニタちゃんがどうこうする前に、トゥイ族が皆殺しにされる。さすがに放っておけない。だからソニタちゃんが譲って」
「私だって……! この反乱が失敗したら、リグル帝国にとっては虐殺の口実を作るようなものじゃない! 一体どれだけのメーラ人が殺されるか!」
ソニタはマユリの周囲にぐるりと氷柱を出現させた。一斉に突き刺さろうとするそれを、マユリはたった一握の土で、全て砕いて弾き飛ばしてしまう。
「私には大勢のトゥイ族の命を守る義務がある! 分かってよ!」
「私だって多くのメーラ人を助ける責任がある! どうか反乱を邪魔しないで、マユリ!」
「ここで私があなたを邪魔しなかったら、たくさん人が死ぬって言ってるんだよ!」
「ここであんたが私を邪魔するせいで、たくさんの人が死ぬって言ってるのよ!」
「ああもう埒があかない。とにかく、何を言われたって、私は邪魔をするからねっ!」
ズドンと衝撃音がして、窓から大量の土が雪崩れ込んできた。
土は広間の壁をめりめりと破壊しながらどんどん流れ込んでくる。
「……!!」
襲いかかってくる巨大な土の塊の圧力を、ソニタは咄嗟に水の防壁を全方位に向けて張ることで跳ね返した。
だが、このままだと生き埋めにされかねない。ソニタは自分で張った広間の周囲の氷を溶かした。次いで土に水を混ぜてドロドロにして、その流動性を利用して扉という扉から泥を流して押し退けた。
泥まみれのまま、二人の猛攻は続く。ついには戦いは室内では収まり切らなくなった。ソニタは泥に押し流されて窓外に放り出された。だが動じることなく、素早く足元に水を集めて高く飛び上がる。
案の定ソニタを追って飛び出てきたマユリに向かって熱湯をぶちまけた。以前とは違う、容赦なくグツグツに煮えている湯だ。
だがこの程度の不意打ちはマユリも予測済みのようだった。呆気なく土で防御され、熱湯は遥か下へと滴り落ちる。
次いでマユリが仕掛けてきたのは、土で作られた怪物だった。大きな口と鋭い牙がソニタに襲い掛かる。水や氷をぶつけてもびくともせず、自由自在に動き回ってソニタを追い回す。雨を浴びても泥と化さないあたり、かなり強固に魔術で固められている。
「あんたの魂胆は分かってんのよ!」
ソニタは怪物の攻撃をひらひらとかわしながらマユリに近づいた。化け物に頼るということはやはり近接戦に持ち込まれたくないのだ。だとしたらこちらから近づくのが正解だ。
マユリに近づいた瞬間にソニタは背後に巨大な氷の壁を出現させ、怪物を正面衝突させた。その隙にマユリの顔面に左手で熱湯をぶちまけようとする。もちろんこれは隙を作るためで、本命はその後、右手に持った氷の刃で首を狙う。
「近接戦も対策しなきゃいけないって、前に話したことあるよね」
マユリは目にも止まらぬ速さでソニタの左手を掴み取り、ソニタに魔術を発動させる隙を与えず、思いっきり氷の壁に激突させた。
「うっ」
魔力が強ければ身体能力も上がる。いくら苦手分野だったとはいえ、マユリの素の力が強いのは当たり前だった。
地面までずり落ちたソニタの顔面に今度はマユリの拳が迫る。
「わ、私だって旅の間ずっと呑気にしてたわけじゃないのよっ!」
ソニタは身軽な身のこなしでくるりと体を回転させると、マユリの拳を蹴りで受け止めた。
「はあああ!」
「うあああ!」
ソニタとマユリの素手での猛攻。しかし互いに体も頑丈な分、これではなかなか決着がつかない。やはり魔術での戦闘に戻るべきか。
ソニタは殴りかかるふりをして大きく空へ跳躍した。殴る相手を見失って耐性を崩したマユリに、再び熱湯をぶちまける。
今度は当たった。
「きゃあっ! あ、熱いっ! 痛い!」
「隙ありーっ」
畳み掛けるように大きな氷の刀を、マユリのうずくまった背中に突き刺そうとする。もちろんこの攻撃は土で防御されるだろうから、その次の手を早く考えなくてはならない。すぐに水を集め直さなければ。
……と思っていた。
しかし、ソニタの作り出した氷の刀は、過たずマユリの背中にズブリと突き刺さった。
「え?」
ソニタは呆然として、次の手として用意していた水を、サバーッと全て地に落とした。
「え? ……ええ?」
マユリが倒れ込む。
大量の血がどくどくと溢れ出す。
真っ赤な色が雨に流され、地に染み込んでいく。
「嘘っ」
ソニタは大急ぎでマユリの元まで急降下して、その体を支えた。
「嘘でしょマユリ、あんたがそんなに簡単にやられないでよ!!」
「やった本人が何を言ってるの。……でも、そうだね。ふふふ」
マユリは口から血を吐き出してから、微笑んだ。
「ごめんね、ソニタちゃん。私、あなたがいなくなるなんてやっぱり耐えられないの。……だからわざとやられたの。せっかくの真剣勝負だったのに、ごめんね」
そして、何故か、マユリの全身が白く輝き出した。
「マユリ? 何? 何をしているの?」
「前に本でやり方を読んでおいて良かった。……これなら体裁上、私はリグルを裏切ったことにならない。私はあなたという反乱分子を邪魔して、そして負けた。そういうことになるでしょ?」
マユリを包む光がどんどん強くなる。そして、マユリの体がどんどん軽くなっていく。
「な、何を……」
「そして今後は、全力であなたを助けられる。すごく良い案だとは思わない?」
「……え?」
ある可能性に気づいたソニタは、悲痛な声を上げた。
「ちょっと、マユリ!! やめて!! お願い、そんなことはやめて!! 私はそんな……そんな!! そんなことは望んでない!! そんなの許さないわよ!!」
「ごめん。……あとはソニタちゃんに任せるから。信じてるよ。……ずっと、死ぬまで、そばにいるよ。ソニタちゃん」
ぱあっと眩い光が辺りに満ちた。ソニタは思わずマユリから片手を離して、顔を腕で覆った。
それから恐る恐る、目を開いた。
「マユリ!!」
マユリはソニタの片腕にもたれかかって倒れていた。その体重はあまりにも軽く感じられた。
急いで脈と呼吸を確認する。いずれも、止まっていた。そんなはずはない。そこまでの攻撃をソニタは仕掛けていなかったのに。あの程度の怪我でマユリほどの人物が死ぬはずがなかったのに。
そして、マユリのだらりと垂れた右手の先には、きらりと光るものが出現していた。
どこまでも澄んだ透明な珠が、コロンと一つ。
「い……」
ソニタは呆然として声を漏らした。
「命の、珠……」
稀に、魔術士が死ぬ時に命をかけて作ることが可能な、特殊な魔術道具。一つにつき一人しか扱える者はなく、その者の死とともに砕け散る運命にある球。扱う者の魔力を飛躍的に高める効果を持つ宝玉。
マユリは命をかけて、ソニタに、力を与えたのだ。
トゥイ族とソニタ、双方を守る選択をしたのだ。
「何で、そんなこと……」
ソニタは命の珠を手に取った。
つるりとした冷たい感触をしていた。
ここに、マユリの魔力と命と魂が詰まっている……?
納得いかない。
ずっと一緒にいたいと言っていたくせに。
それが、まさか、こんな形になるなんて。
嘘だ。
嘘だと誰か言ってくれ。
こんな現実、ソニタだって耐えられない。
許容できない。
「う、うああ……うあああああ!!」
ソニタは天を仰いで慟哭した。
「お願い、死なないで!! 元の姿に戻って、マユリ!! 返事をして!! お願いよ!! うわああああん!!」
次から次へとあふれる涙は、どうどうと降り注ぐ大雨に洗われて、地面に吸い込まれていった。
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