第17話 この際、覚悟を決めましょう
事前に飛び手紙をやっていたので、入り口ではマユリが待っていた。
久々に見るその顔。
嬉しそうだけれど不安そうな、複雑な表情だ。
トンッと石畳に降り立ったソニタは、あかかじめ決めていた通り、少し気まずそうににこっと笑って見せた。
「ただいま、マユリ」
「! おかえり、ソニタちゃん」
「……この間は、私も悪かったわ。殴ったりしてごめん」
「そんな……!」
「あんたの事情を聞きもしないで出ていったことも、申し訳ないと思ってる。良かったら今からでも教えてくれる? あんたがどう思ってあんな行動に出たのかを」
マユリは今にも泣き出しそうな顔で笑った。
「いいよ。一緒に話そう? 今日は私も休暇を取っているの」
「それなら話す時間は十分ありそうね。良かったわ」
「うん……!」
ソニタはマユリを自室に案内した。これも、心を開いているということを知らしめるため。旅帰りにもかかわらず、お茶も上等な土産物を手ずから淹れる。
「で? どんな心境だったわけ? 私の心を操らせていた時は」
茶菓子を机に置きながら問う。
マユリはすっかり安堵した様子で、ぺらぺらと喋った。
「私は、ソニタちゃんを閉じ込めておけて安心してたよ。ソニタちゃんを絶対に逃げられないようにしておきたかったよ。その結果ソニタちゃんの意志がちょーっと制限されても、ソニタちゃんがいなくなるよりずっと良かったんだよ」
「うううん」
ソニタは天井を仰いだ。
「それが本当の私じゃなくても?」
「うん。いないよりは、いる方がいいでしょ?」
「私が怒るとは思わなかったの?」
「思ったけど、友達じゃなくなるとは思わなかった……」
「何でよ」
「だって、何があっても、どんな形でも、私といられて幸せだったって言って欲しかった」
「うううううん」
ソニタは額を押さえた。
「まあ、あんたの言い分は分かったわ」
ソニタは言った。
「今度は私の話だけど……正直、私はまだちょっと怒ってる」
「あ……」
「でもね、あんたとはまだ友達でいたいんだって、旅の中で気づいたの。だから、仲直りをしましょう」
大嘘を堂々とついたが、マユリは歓喜の表情を浮かべた。
「……! うん!」
「あんたはもう私の自由を奪ったりしない。私はあんたのことを許す。これで手打ちにしましょう。それでいい?」
「うん、それでまた友達でいてくれるなら……! というか、それだけでいいの?」
「え?」
「何か私からできることってない? まだ怒ってるんだったら尚更」
流れがこちらに来た、とソニタは内心にやりとした。
もちろん、今ここで反乱の話を出すのは早すぎる。まずは、言質を取って、少しずつ取り込んでいくところから。
「じゃあさ、今度は私のこと助けてよ」
「助ける?」
「そうねえ。たとえば、私、今の立場を捨てる気はないのよ。便利だから」
ソニタはすらすらと喋り出す。
「だから、リグル人の奴らの信頼を得たいのよね。私が、心の魔術がなくても、総督府で仕事ができるっていう信頼。そうじゃないと、ここを追い出されちゃうかもでしょ?」
「追い出すなんて私がさせないから、大丈夫だよ」
「それじゃあ私自身への信用は得られないじゃない。私、居心地が悪いのは嫌よ」
「なるほど」
「他にも助けて欲しいことがあったら随時頼むかもしれないけど、いい?」
「もちろん。ソニタちゃんのためになるなら喜んで」
マユリが微笑んだので、ソニタもにっこり笑みを返した。
期待以上の成果が得られた、と思う。うまくいって良かった。
それからは雑談が始まった。
「ねえ、旅ではどんなものを見てきたの?」
「そうね、色々……。そうそう、ナヴィーン島のトゥイ族の村にも行ったわよ。平和そうで安心したわ」
「そうなんだ! ありがとう」
「やっぱり多民族国家はかくあるべきよね。互いを尊重しあって、文化を守っていかなくては」
「そうだよね。私も何度かみんなのところに様子を見に行ってるけど、本当に良かったと思ってる」
「そうね」
「……でも、メーラ人のことも見に行ったでしょ?」
マユリは不安そうに上目遣いでソニタを見た。
「どう思った?」
ふむ、とソニタは息をついた。
「……まあ、正直、良い思いはしなかったわよ」
「……」
「何もあそこまで虐待しなくたっていいのに、と思うわ。苦痛を生むだけで何の益にもならないし。その辺、総督府から働きかけることってできないかしら」
「うーん……」
「できることなら奴隷の待遇を向上させたいわよね。この立場がその役に立つと良いけど」
「……そうだね」
その日はソニタはずっと、仮面をかぶったようなつもりでマユリと接した。憎らしさも恨みも悔しさも全部忘れて、笑顔を貼り付けて。
だが、心のどこかで、また会えて良かったと思っていることを、否定できなかった。
そして、時はゆっくりと過ぎていった。
小型の飛び手紙は稀にソニタのもとに届いたし、ルドラたち兵士との接点もあったから、反乱の計画が滞りなく進んでいることはソニタにも把握できていた。マユリを殺せるだけの戦力が集められていることも。
そんなことは露ほども匂わせず、ソニタはマユリと仲良く過ごした。
美味しいものを一緒に食べたり、庭を散策したり、共に夕日を眺めたりした。
何だか昔に戻ったようだった。
ソニタは改めて認識せざるを得なかった。
マユリのことを心から嫌いになれない自分のことを。
それどころか、偽りの友情を築いているはずなのに、いつの間にか本心から笑っていたりする。
何があっても、マユリといられて幸せだ……それは本当のことだったと言わざるを得ない。
だったら、尚更。マユリを味方につけなくては。
「ねえマユリ」
いつものようにソニタの部屋でお茶を飲みながらソニタは言った。
「なあに、ソニタちゃん」
「マユリ、メーラ人のことも少しは考えてくれているのよね?」
「……うん」
「そうよね。私もメーラ人なんだものね。私の大事なものはマユリも大事にしてくれるでしょ?」
「そうだね」
「私もそう。トゥイ族もメーラ人も他の異民族も、等しく大事にしたいのよ。分かってくれる?」
「うん」
またある時は、マユリの部屋で果物を口にしながら会話をした。
「ねえマユリ」
「なあに、ソニタちゃん」
「もしもの話……他国のように、メーラでも反乱が起きたら、私どうしたらいいと思う?」
「え」
「メーラ人を虐殺なんて、私とてもできないわ。それどころか私も殺されるかも」
「殺させないよ。大丈夫」
「でも私、自分だけじゃなくメーラ人たちも大事にしたいって言ったわよね」
「……うん」
「虐殺なんて絶対嫌よ。そうなったら私、メーラ人を助けなくちゃ」
「…………」
「マユリ?」
「…………」
「ね、これは大事な話だから、マユリもどうするか考えて欲しいの」
「……うん」
「もしも、の話だけれどね」
「……うん。私も、なるべくメーラ人を助けてあげたいよ……」
よし、とソニタは拳を握った。
ここまで来るのに随分かかった。慎重に慎重に、信頼関係を築いて、話を進めてきたから。
「ありがとう、マユリ」
ソニタは笑いかけた。
「やっぱりマユリは私の親友だわ。頼りになる」
「うん……それなら、良かった」
季節は巡っていた。
乾季は過ぎ去り、暑季も終わり、とうとう雨季に突入していた。
外では毎日のように豪雨が降り注いでいた。
計画の実行まで、あと少し。
ところがその段階で、リグル人が妙な動きを見せた。
具体的には、総督府の朝の会合で、ずばり反乱の話題が持ち上がったのだ。
秘密裏に魔術道具の取引が行われているという情報が、いよいよリグル人に捕まれた。いや、むしろ、よくぞここまで隠しておけたというべきか。
「反乱の準備かも知れん。まだまだ初期段階のようだが……」
リグル人は言った。ソニタは顔色を変えないようにするので精一杯だった。
「ソニタ。貴様、何か知っていることはないのか」
ドクンと心臓が鳴った。ソニタは無理矢理笑って見せた。
「まさか。私が旅をして見てきたのは、メーラ人が衰えている様子だけです。彼らに反乱するだけの余力があるようにはとても見えませんでした」
「どうだかな。メーラ人の言うことは信用ならん」
そこでマユリが立ち上がった。
「御言葉ですが、彼女は私たちの味方です! 私が保証します。リグルを裏切ることがどれほど大きな代償を生むのか、彼女は分かっているのです」
「貴様に保証されても何にもならんのだよ、マユリ。貴様もまたリグル人ではないからな」
「……! あなたがたは、誰のお陰であれほど容易くメーラを落とせたのかを、お忘れですか」
「口を慎みたまえ。貴様こそ、己の言動にトゥイ族の命運がかかっていることを忘れるな」
「……。すみません。しかし、ソニタのことは疑わないであげてください」
「まあ、善処はしてやろう」
とにかく警戒を怠らないよう、ということで、今日の会合はお終いになった。
ソニタはいつも通り書類整理の仕事をこなした。そして昼休憩になった途端、マユリを部屋に連れていった。
マユリはおずおずとソニタに話しかけた。
「ねえ、ソニタちゃん。反乱だって……本当に……」
「そうね」
「ソニタちゃんは……」
「それはそうと、あんたは私を助けてくれるって言ったわよね、マユリ?」
「え?」
「メーラ人のことも大事にしたいって言ったわよね?」
「……まさか」
「この際、覚悟を決めましょう」
ソニタは真剣な眼差しをマユリに向けた。
これがほとんど最後の機会だ。確実にマユリを引き込む。
「私、あんたには死んでほしくないの」
「死……?」
「反乱計画はあんたたちが思っているより遥かに進んでいるわよ。あんたの殺害計画も整ってる」
「嘘……」
「私、あんたのこと好きよ。あんたといられて幸せだったって、今度こそ言えるわ。一番の親友だと思ってる。だから、絶対に殺させない。分かってくれる?」
「う、……」
マユリは追い詰められたようにたじたじと後ずさった。
「私、ソニタちゃんと離れたくなんかない……」
「そうね」
「ソニタちゃんとずっと一緒にいたい」
「ええ」
「だからソニタちゃんには、考え直して欲しい。反乱を阻止して欲しい」
ソニタは眉間に皺を寄せた。不安が胸を覆っていた。
「……無理ね」
「どうして? 反乱なんて成功するわけないでしょう。だったら私たちは今度もリグル側につかなきゃ」
「却下」
「どうして」
「反乱は成功させるからよ。根拠は二つ」
ソニタは椅子に座って足を組んだ。
「一つは、歴代のハリシュ先生の弟子のほとんどが結束して事にあたるから。これはルドラたちが主導してる。そしてもう一つ、階級や民族を超えて繋がる情報網が周到に形成されているから。これはラヤンたちが動いてる。ずうっと前からね。これの意味が分かる? 魔術大国メーラで育った一流の魔術士が揃って計画的に動く上に、前回みたいに民族同士の対立を利用されることもないのよ。勝率ははっきり言って五分五分。それが、あんたがこっちについたらもう少し上がるわね」
「……いつの間に……」
マユリは呆然として呟いた。
「そんなこと、これまで誰にも知られずに進められるわけない……」
「それはまあ、今回使っている情報網がちょっと特殊だからね」
「どういう……」
「とにかく」
ソニタはビシリと言った。
「マユリは今度こそ、私のことを心から信じて、ついてきてくれるのよね? 期待しているわよ。大の親友として」
「ソニタちゃん」
「ね、お願い」
今度は柔らかく言って、ソニタはマユリの手を握った。いつかマユリがソニタにそうしたように。
「私の一生のお願い。あんたなら聞いてくれるわよね。私の味方でいてくれるわよね。もう二度と、私をがっかりさせたり怒らせたりなんか、しないわよね?」
「……!」
「ね、マユリ?」
「……ちょっと、考えさせて」
マユリはソニタの手を丁寧に引き剥がして、部屋を辞した。
ソニタは心臓がうるさいくらいに鳴っているのを、ただただ聞いていた。
これで、全てが決まる。
あと数日で、全てが。
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