第16話 私が終わらせてやる


 むーっと黙って考え事をしながら北へ飛ぶ。

 マユリがやったことを許せないのはソニタの中でもはや確定事項だ。

 その上で、問題は、マユリという人間をこの先友人として受け入れられるかどうか。

 あんなことを平気でする人間を友と呼べるかどうかだ。

 そんなことを悩んでしまうほど、ソニタはマユリのことを信頼できなくなっていた。

 ソニタを操って、国を裏切らせて、人殺しまでさせて、それでのうのうと「そばにいられて幸せだ」と言える神経が分からない。

 ムカつくどころの騒ぎではない。はらわたが煮えくりかえる。一発殴ったくらいでは収まらない。あと千回は殴りたい。その上でキッパリと縁を切りたい。

 ……本当に?

 本当にマユリのことを少しも好きではない?

 あそこまで巨大な感情を向けてくれた相手を本当に無碍にできる?


「あーもう、苛々するわね……」

「なんか言ったか、ソニタ?」

「盗賊風情が気安く名前を呼ばないでくれる?」

「おいラヤン、こいつぶっとばしていいか?」

「僕は構わないが、また火傷しても知らんぞ」

「けっ」


 さて、そろそろ到着である。


 北の山脈の麓にある小さな廃村に、ギリクの仲間たちが身を寄せ合って暮らしていた。

 多くは、奴隷商から逃げてきた人。それから、目が見えない人や、耳の聞こえない人、重い病気で動けない人。

 ソニタは何人かから話を聞いた。皆、ギリクたちに感謝している様子だった。できることならまっとうに生きたかったが、と言う者もいた。


「……驚いた」


 ソニタは言った。


「本当に慈善活動もやっていたのね。犯罪者のくせに……」

「だから言ってるだろぉ? 俺たちは、金を持ちすぎてる奴から少し分け前をもらって、困っている人に分配してるだけだってな!」

「物は言いようね。詭弁とも言うけど」


 働ける人々は、せっせと何か作業をしていた。覗いてみると、魔術道具を作っているようだ。一般人が形を作り、数少ない魔術使いが魔力を吹き込んでいる。


「主に作ってるのは、伝達用の飛び手紙だ。それから一般人でも戦いで身を守れるような武器とかな」

「一般人も巻き込むの?」

「ほんの少しさ。多くの人には、反乱の決行日に労働を拒絶してもらったりして、リグル側を混乱させてもらうつもりだぜ」

「ふうん」


 ソニタは静かに、壊れかけた家々に集まっている人々を見て回る。ラヤンは得意げに説明した。


「軍にいるメーラ人たちとの協力も、この超小型の飛び手紙のお陰で、順調に進んでいる。ハリシュ先生の弟子たちが中心になって、兵士の蜂起を計画してくれているんだ」

「そう。意外と計画が進んでいるのね」

「いいや、まだまだだ。決行日は来年の雨季だと決めている。雨の多い季節なら、リグル人たちも慣れていないだろうから、こちらに有利だろう?」

「一年とちょっと後……」


 じきに暑季が終わって雨季が来る。その更に一年後ということだ。

 それでも結構差し迫っているとソニタは感じた。占領されて二年やそこらでそんなに準備が進むとは、普通は考えにくい。戦争で負けてへろへろになっていてもおかしくないのに。

 ギリクたちの組織がしっかりしているお陰なのだろうか。悔しいがその可能性が高い。


 とにかくソニタは、この一年で今後の決断をする必要性が高まった。


 ソニタは一日中村を回って、多くの人と話をした。盗賊とじっくり話す機会など今までに無かったので新鮮だった。いつしかソニタの心には同情のようなものが芽生えていた。


 ……だが、犯罪者に国を任せるという方針には、やはりどうしても賛成できない。盗みや殺しという選択肢を容易に持てる人間は、どう考えても悪人だ。そんな奴が国の中枢を担っていいはずがない。


 それと、ソニタはまだこの組織のごく一部しか見せられていない。いいところしか見ていない。本当の姿を知らない。この組織のせいで犠牲になってきた人たちの涙も知らない。全幅の信頼を置くにはあまりにも情報が足りない。


 でも、それでも。

 それ以上に、リグルの支配は許容できない。それはもうこの数日で既に分かった。


 自分も反乱に加担したい。


 決意は、固まった。


 となると、ソニタが協力するのは……盗賊組織ではなく、兵士たちの方だ。

 戦力的にも兵士たちの蜂起が主力になるだろうし、反乱が成功したとして盗賊組織に国の主導権を握らせたくないから、これは自然な選択だ。


「とうとうこっち側につくことを決めたか。それは英断だ」


 ラヤンは偉そうに言った。


「いや、あんたにつくとは言ってないわよ。私は兵士の味方だから」

「同じことだ。……となると、分かっているな? 邪魔なのはマユリだ。お前が味方につくとなったら、マユリのことを任せようと前から決めていた」

「……」


 ソニタはうっと胸が苦しくなるのを感じた。

 自分がわざわざラヤンに会いに来た理由が分かった。そういう運命の巡り合わせになっていた理由が。

 一つは反乱計画の実態を知るため。もう一つはマユリとの仲に明確に決着をつけるためだ。

 いずれの話も総督府にいたのでは軽々しくできなかった。旅に出て正解だった。


「……分かった」


 ソニタはふてくされて言った。


「仲直りしたふりをして、なるべく懐柔してみるわ。ただし、ルドラの魔術には頼らないからね」

「何でだよ。あいつも使った手だろう」

「だからこそよ。どうせすぐにバレるでしょう」

「確かに」

「懐柔できなかったら、全力で動きを止めてみせるから」


 はあーっ、とラヤンは盛大な溜息をついた。


「なあ、お前。いざとなったらマユリを殺せるか」


 は? 何を言っているのだ、こいつは。


「はあ? あんた何を言っているの? 殺しはしないわよ。というか、そもそも無理よ、あんな化け物」

「なら他の奴にやってもらうが」

「は?」


 ソニタの冷たい対応にも動じず、ラヤンは語った。


「メーラの反乱は必ず起きるぞ。そして反乱が失敗した例なら西の大陸にいくつかある。そいつらがどうなったか、聞いたことはあるだろう」

「……」


 知っている。見せしめに大量虐殺が起きた。二度と立ち上がれなくなるように。……リグルはそういうことを平気でする国だ。

 メーラでも反乱が失敗したら、大量のメーラ人が死ぬ。これは間違いない。


「反乱は起きる。そして起きたら絶対に成功しなければならない。だから邪魔者は確実に息の根を止めたい。マユリには死んでもらわないと困る」

「あの子が簡単に死ぬと思ってるの?」

「無論、一人のところを狙って複数人で近接戦に持ち込む。塾でもそうやって戦ってきただろう」

「……」


 その時胸に込み上がってきた感情を何と呼ぶのだろうか。

 激情……支離滅裂な、ぐちゃぐちゃな思い。

 ……マユリを許さないのはソニタなのに!

 あいつを殴るのは自分だ。

 他の奴らがマユリを殺すなんて絶対に駄目だ。

 そっちの方がよほど許せない!


「うわあーっ!」


 ソニタは叫んだ。ラヤンはぎょっとして身を引いた。


「おい、どうした急に?」

「駄目駄目駄目駄目ーッ!! 誰かに取られるくらいなら私がやる!!」


 自分の中にこんなに強い感情があるだなんて、今の今まで知らなかった。ありとあらゆる感情が滝のように体中を駆け巡る。

 マユリを譲りたくなんかない。他の奴になんかやらせない。自分で決着をつけたい。やるなら、必ず、この手で!


「私がマユリの一番なんだから! 私がマユリを許さないんだから! この私が手を下すんだからぁっ! 私が終わらせてやる! マユリは、私が、私が、私が……!」

「待て、落ち着け」


 魔術の風で肩を押さえつけられて、ソニタはフーッと息を吐いた。


「……他の奴らは連れてこないで。私一人で止めてみせる。そして、なるべく殺さない。殺すのは最終手段! そういう条件でなら、あんたたちに協力するわ。この条件が許容できないなら、私は全力でリグルに協力してやるから!」


 ラヤンはやや狼狽していた。


「わ、分かった。だが、控えの戦士は用意させてもらうぞ。お前が負けたら全て無駄になるからな」

「いいわ。ただし、私とマユリの邪魔をしたら、そいつから殺すから」

「お、おう……」

「じゃあそういうことで! 私は休ませてもらうから!」


 足音高く、ソニタはその場を立ち去った。

 ラヤンの目につかないところまできて、へたりこんだ。


 どうしよう。


 何とかしないとマユリが殺されてしまう。

 いいのか、それで?

 殺したいほど憎んでなどいないのに。

 そもそもソニタは殺しなんて誰が相手でも嫌だというのに、よりにもよって、相手がマユリとは。


 マユリ殺害を阻止するには、マユリと仲直りしたふりをしなければならない。

 許したふりをして、友達のふりをしなければ。

 偽りの友情を築かなければ。

 そして味方についてくれるように説得する。心の魔術に頼ることなく。


 そんな誠意に欠けるようなことが、ソニタにできるだろうか。


 いや、できるできないではない。やらなくては多くの人が死ぬことになる。

 大丈夫だ、猶予はまだ一年以上ある。

 旅を途中で切り上げて、早めに離宮に戻ろう。そしてマユリの信頼を勝ち取る。


 そうすることで、ソニタとマユリの友情という根本的な問題は、いよいよややこしくなってしまうだろう。だがそれも致し方ない。ソニタが我慢すればいいだけの話……。


 考えを整理しよう。

 まず、ソニタはマユリを許せない。信頼関係はほとんど完膚なきまでに破壊された。

 今後友情を築くことは、本来ならばかなり困難だろう。

 だが、計画のために、ソニタはマユリを許したふりをして、信頼を取り戻したふりをする。

 偽の友情を築き直す。幸いマユリはソニタと仲直りしたいと思っているようなので、そこに付け入る隙がある。

 そうすることで反乱計画を成功に近づける。

 それでもマユリが最後まで味方についてくれない場合、ソニタはマユリと一対一で戦う。戦うことでマユリの行動を制限する。そして最悪の場合、マユリを殺す。


「……そんなこと、できるわけない……」


 能力的にも心情的にも、殺すなんて無理だ。


 ……殺すためにはどうすれば?


 マユリのせいで犠牲になった人々の声を聞けば良い。


 この国に生きるみんなのために……悪を滅ぼす。


 リグルは悪だ。だからマユリも悪だ。


 正義のために、みんなを守るために、戦う。

 それがソニタの原初の夢ではなかったか。


 いやでも、ことはそう単純な話ではない……。

 かつての友の命を奪うというのは、生半可なことではない。


「もう少し、旅を続けて……」


 それで、考えを深めよう。


 この日ソニタは、空き部屋を貸してもらって眠ることができた。

 翌朝早く、ソニタは盗賊の村を出た。


 色んな町を巡った。

 色んな声を聞いた。


 ラヤンからの頼まれごとも随時こなしていった。

 まず、五大魔術士の一人と面会した。

 東の港に住む老婆だった。


「反乱には参加しますよ、ええ」

 彼女は言った。

「他の三人もそう言ってますものねえ。島の魔術士以外は、あなた方の味方ですよ」

「……はい」

 何だかこの人は話を聞いてくれそうな雰囲気だった。ソニタはいつの間にか胸の内を吐露していた。

「……島の魔術士は私の親友だったんです。今は敵同士ですが、私は彼女も味方につける必要があるんです。……そうでないと殺すことになるから」

「まあ」

 東の魔術士は茶碗を机に置いた。

「それは、どちらにせよ、必ずやらなくては駄目ねえ」

「はい……」

「迷っていては駄目よ」

 老婆は穏やかに言う。

「必ずやるという信念を持ってやらなければ、どちらの計画も失敗してしまう。覚悟をお決めになってね、若い魔術士さん」

「! ……はい」


 そうだ、自分はずっと迷っている。

 これで良かったのかと。

 次々と色んな行動に出ながらも、心の内はずっと揺れ動いている。

 そのままでは失敗する。

 やるなら、迷わず、完璧にやらなければ。


「ありがとうございます。参考になりました」


 ソニタは頭を下げた。


 いずれ、決心をつけなければ。


 それからも色んな場所を巡って、色んなものを見た。

 さまざまな光景を心に刻んだ。


 半年が経った。


 ソニタは、決然とした表情で、離宮に帰還した。

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