第15話 いろいろと事情があるんだよ

「そうだ、僕だ! お前、凄くちょうど良い時に来たな。ド庶民の割にはやるじゃないか」


 ちょうど良い? ラヤンはソニタのことをどう認識しているのだろうか。少なくとも声の調子からは、裏切り者を恨む様子や、怒っている様子が、伝わって来ない。


「ちょっと待ってあんた今どこにいんのよ」

「指示するから今すぐ来い」

「嫌よ。まだお墓参りしてないんだから」

「……。終わったら言え」

「……了解」


 ソニタは改めて墓石の前に跪いた。麓の町で何とか買えた花を捧げる。静かに黙祷する。

 ……。

 これまで来られなくてごめんなさい。あの時助けられなくてごめんなさい。たくさんお世話になったのに、たくさん助けてもらったのに、たくさんのことを教わったのに、恩返しできなくてごめんなさい。

 どうか安らかに眠ってください。

 どうか。


「……終わったわ、ラヤン」


 ソニタは呟いた。すぐに声が降ってくる。


「声で誘導する。音の聞こえる方へ進め。こっちだ」

「難しいことを注文してくるわね。何でそんなまどろっこしいことするのよ」

「僕にはいろいろと事情があるんだよ。いいから来い」

「全く……」

「こっちだ、こっち」

「……」


 事情とは何だ。何のつもりだ。

 ここでホイホイついていったら大変な事態になる。過去の経験がそう言っている。また他人にいいようにされたいのか? そんなのは御免だ。


 だが、この声を警戒して無視するのは、正直言って惜しかった。ソニタはルドラの助言と己の勘に従って、然るべき時にハリシュの墓参りにやってきた。そしてちょうどラヤンに見つかった。これが、災いの前兆だとは考えにくいのだ。むしろ、何かの好機である可能性……。

 ソニタは意を決し、声を追って墓の裏の荒地に踏み入った。


「そうだ、それでいい。そのまままっすぐ来い」


 何も返事をしないのも何なので、小声で話しかけてみる。


「あんた、生きてたのね。良かったわ」

「まあ、お陰様でな」

「戦争の時はごめんなさい。あんたには悪いことをしたと思ってる。でもあれは……」

「ルドラから話は聞いている。お前も災難だったな」

「……あら」


 ソニタは内心とてもほっとした。良かった、少なくとも裏切り者とは認識されていない。恐らくラヤンはソニタの敵ではない。


「あんた、ルドラと連絡を取れているの。意外。というかあんたは今何をしているの?」

「後で言う」

「そう」


 煮え切らない返事。……敵ではないが、何か裏がある。


 ソニタは荒地の先の森の中に入って行った。森の奥へと、誘導は続く。


「ラヤンあんた、魔術が随分うまくなったのね。前なんか爆音ばっかりで、こんなに繊細な音は出せなかったくせに」

「ふん。お前と違って、半年間うだうだしていたわけではないからな」

「ずっと修行していたの? 何を企んでるの?」

「おい、滅多なことを言うなよ。誰が聞いているか分からない」

「そうは言っても、こんな森の奥まで来てるのに……」


 よいしょとソニタは木の根を乗り越え、大きな葉っぱをよけた。


「もう、何のつもりよ。こんなところまで連れてきて、罠でも仕掛けてるの?」

「ド貧民じゃあるまいし、そんなことはしない」

「あの子なら今じゃド貧民どころか、総督府つきの魔術士よ。私もだけど」

「腹立たしいな」

「全くね。……あの子には同情の余地が無いわけじゃないけど」

「僕は全く無い」

「あらそう?」

「当たり前だ。お前に関しては、同情してやらなくもないが」

「それはどうも」


 がさがさと道無き道をゆく。もう迷いは無かった。ここまで来たら行くところまで行ってやる。


 やがて、大きな木の下にある、狭い洞窟の入り口のようなところに辿り着いた。


「ここに入れって?」

「そうだ、早くしろ」

「もう……」


 横ばいになって洞窟に滑り込む。

 中はぽっかり穴が空いていたが、やはり狭かった。頭が天井にぶつかりそうだ。

 松明に照らされて、ラヤンと、その後ろに知らない男が立っているのが見えた。

 それから、申し訳程度の家具が置いてある。これはどういうことだろうか。ソニタは首を傾げた。


「よく来たな」


 ラヤンは言った。それからソニタの怪訝な表情を見て、付け加えた。


「……僕らはたまにここに潜んでいるんだ。仲間を集めるために」

「はあーっ!?」


 ソニタは衝撃を受けた。


「あんた大貴族様のお坊ちゃんのくせにこんなところで生活してるの? 大丈夫?」

「住んではいない。今は仕方なくここにいるんだ! メーラ人の大貴族なんて、逃げ隠れでもしないと処刑される。現にお父様とお母様は亡くなってしまわれた。今は僕がフォールト家の当主だ」

「そ、そうなの!? あんたは今までよく逃げてこられたわね」

「当然だ。本当は両親もお守りしたかったが、叶わなかった」

「そう……それはご愁傷様」


 ソニタは呟いた。それから、奥にいる筋肉質な男に目をやった。


「で、あの人は誰?」

「ギリクだ。覚えてないか?」

「いや、知らないわよ」

「そうなのか? こいつはお前を知っていると言っているんだが」

「そうだぜ」


 ギリクとやらが口を利いた。


「忘れるものか。俺を全身火傷させて、監獄送りにしやがった、水の魔術使い」

「は? そんなことした覚えは……」


 言いかけてはたと思い当たった。


「あ!」


 ソニタは声を上げた。


「あんたあれじゃない。前に私とマユリを攫った、盗賊組織の幹部!」

「やっと思い出したかよ」


 ギリクは不機嫌そうに言った。ソニタは警戒心を強めた。


「何よあんた。捕まってたはずなのに。戦争のゴタゴタで脱獄したの?」

「ま、そんなとこだな」

「呆れた」

「奴隷化や徴兵を逃れた人々が、ギリクの組織に身を寄せているんだ」


 ラヤンが説明した。


「そして俺たちは今、こいつの組織の情報網と人脈を使って、メーラ帝国の復活を企てている」

「……!」

「そこで、お前にも僕たちの活動に参加してほしいんだが、どうだ? やる気はあるか?」

「それは……」


 ソニタは言い淀んだ。


「リグルに仕えるか、リグルを倒すか、私はまだ決めかねているから即答はできないわ。でも……」


 ソニタはギリクをちらりと見た。


「あいつに頼るのは、ちょっと看過できないわね。犯罪組織が主導権を握ったら、復活後のメーラ帝国が荒れることは必至よ」

「僕がそんな下手を踏むと思うか?」

「思うわ」

「こいつ……!!」

「まあまあ、仲良くやろうぜ」


 ギリクが仲裁に入ったが、ソニタはふんっと顔を背けた。


「嫌よ、盗賊と仲良くなんて」

「ひでぇ言いようだな」

「最後まで話を聞け!」


 ラヤンは苛立っていた。


「いいか、こいつらはただの犯罪者じゃない。そこらのちゃちな犯罪組織とは訳が違う。苦しんでいる貧民どもや異民族どもを助けるために、活動していた組織なんだ」

「何を騙されてんのよ。貧民たちを救うだなんて、組織を拡大して利益を増やすための口実に決まってるじゃない」

「おいおいそいつは聞き捨てならねぇな。俺たちはちゃんとみんなを養っているんだぜ」

「だとしても、盗みと殺しで、でしょ?」

「そりゃ他に選択肢がないからだ」

「もう!」


 ソニタは歪な形の机にばんっと手をついた。


「あのね、大前提として、盗みや殺しに手を染める組織なんて、はなから信用ならないわ。復活した国でまず救われるべきは、犯罪をやらずにまっとうに生きてきた人間だとは思わないの?」

「それは……っ、確かにそうだが……。背に腹はかえられないだろう。僕は身をもって知った」

「何をよ」

「生きるためにみんな必死なんだってことをな。正しく死ぬか、間違って生きるか……選択を迫られた時、多くの人が選ぶのは後者だ。僕もそうだった」

「……」

「僕はリグルから逃げている途中で限界が来た。本当に飢えて野垂れ死ぬところだったんだ。そこへギリクが現れて、一杯の飯を奢ってくれた。その飯は盗んだ金で買ったそうだ。だが、お陰で僕は生き延びた」

「……」

「ギリクの組織にはそういう奴が集まっている。事情があって働けない奴とかがな。会ってみたが、だいたいは良い奴だよ。だから僕は、善人が犯罪に手を染めなくても生きられる国を作りたいと思ったんだ」


 ソニタはぽかんとしてラヤンを見ていたが、やがて口を開いた。


「あんたってそんなにしおらしい人だったの? 全然知らなかったわ。むしろ高慢でバカだと思ってた」

「何だと!?」

「でもそうねえ……うん、分かったわ。私もその人たちに会ってみる必要がありそう。この旅で、この国のいろんな姿を見るって決めたもの。身の振り方はそれから考えるけど、それでいい?」

「構わない。リグルに情報を漏らさないならな」

「さすがにそんなひどいことはしないわよ。私だってメーラ人なんだから」


 それからソニタは、ギリクのことをビシリと指差した。


「あとは感情論だけど、私はそもそも気に食わないからね。ハリシュ先生を殺そうとしてた人間が、ハリシュ先生のお墓の裏で、国を乗っ取ろうと画策してるなんて!」

「……は?」


 ラヤンは素っ頓狂な声を出した。


「ギリクお前、先生を殺そうとしたのか? 初耳だぞ!」

「昔の話だろ! そこは掘り返すなよぉ」

「いいえ私は忘れないわよ」

「忘れてただろうが、俺のことを!」

「あんたの顔と名前なんか心底どうでもよかったけど、これからは覚えておくわ」

「かー! 腹の立つ小娘だな!」

「それに関しては僕も同感だが、ギリクお前、先生を殺そうとしたのか? いつ? どこで?」

「あー分かった分かった、そうだよ俺が悪かったよ!」


 ここで、ソニタとマユリが襲われた一連の事件が語られた。ラヤンはギリクを睨みつけた。


「お前、それで火傷と打撲と投獄って……自業自得じゃないか!」

「悪かったって! 反省してるよ!」

「どうだかな」

「冷たいこと言うなよな、ラヤン」

「まあいい。犯罪者が信用ならないってことは、僕にも分かったよ、ソニタ」

「でしょう?」

「待て待て待て待て」

「だが今は利用できるものは全て利用したい。ギリクは使える。味方として認めてはくれないか」

「まあ、利用価値があるなら今は我慢してあげるわ……」

「ひでぇ扱いだな、俺」


 ギリクのぼやきを無視してラヤンは続けた。


「お前が僕たちの仲間に会うと言うなら、こいつらの根城を一つだけ紹介してもいい。リグルの監視が少ない北の山脈の近くにあるから、明日の朝に出発するが、いいか?」

「分かったわ。明日の朝待ち合わせね。じゃあ……」

「いや、ここに泊まっていってくれ。床で寝ることになるが」

「は?」


 ここに? こんな狭い場所に? ラヤンとギリクと一緒に?

 申し訳ないが滅茶苦茶嫌だ。絶対にお断りだ。


「どうしてよ?」

「あまりここを出入りしているところを他人に見られたくない」

「………………」

「そんなに嫌か」

「嫌に決まってるでしょ! この無神経野郎!」

「わがままを言うな。万が一にもリグルにバレたら命取りだ」

「……。……んあーもう! 分かったわよ! ドチクショー!!」


 思わずお嬢様らしくない言葉を吐いてしまったソニタだった。


 そこで夜は、二人のことなど頭から追い出して、マユリのことを考えることに決めた。


 不思議なのは、マユリと距離を置いたら冷静になれると踏んでいたのに、むしろ思いが強まっていることだ。戸惑いも友愛も、怒りも憎しみも、増すばかりである。


 マユリ。

 ソニタのただ一人の親友だったマユリ。

 そんなソニタの信頼を裏切ったマユリ。

 ソニタの本当の気持ちを無視してまで、ソニタをそばに置きたがったマユリ。

 それが仕方なくのことだったとしても……。


 許せない。許せない許せない許せない。

 絶対に許すことができない。


 ソニタだってマユリのことが大好きだから。好きじゃなかったら許せたかもしれない。でもマユリへの友情が本物だったからこそ、それを曲げられたのが許せないのだ。


 あんなに信頼していたのに、マユリはソニタの意志を無視した。そういう人だと分かってしまった。もう信頼関係は崩れてしまった。

 もうお終いだ。

 では、この胸の中に大事にとっておいた友情は、どこへ行けば良い?

 怒りと混ざり合って、もう収拾がつかなくなっている、この感情は。


 ドクンドクンと心臓が脈打つのが分かる。


 大好きだ。

 苦しい。

 許さない。

 大嫌いだ。

 つらい。


 訳が分からなくて頭が爆発しそうである。


「うぐぐ……」


 ソニタは唸って身を縮めた。洞窟の床はひんやりとしていて心地良くもあったが、ゴツゴツしていて何だかんだ寝心地は最悪だった。

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