第14話 ちょっと話を聞かせて


 実家に泊めてもらった翌日、ソニタは両親に礼を言って、少し手持ちの資金を分けて渡してから、家を出た。

 今度は目的地を決めていない。

 手始めに、この町の新しい農地を調べておくのが無難だろうか。使用人たちがどんな仕事をしているのかも気になるところだし、一箇所くらい訪ねてみても良いかもしれない。


 というわけでソニタは、少し移動した先の農地を、柵にもたれかかってじっくり観察し始めた。

 奴隷らしき人々がもくもくと雑草を引き抜いている。ひたすら土を耕している人や、井戸と家を何往復もしている人もいる。


「ねえ、ちょっとあんた」


 ソニタは空っぽの桶を持った人に話しかけた。その人はびくっと飛び上がった。


「はい? 今忙しいんですが……」

「あんたの一日分の仕事私がやってあげるから、ちょっと話を聞かせて」

「え?」

「どうせ一日中水汲みでしょう? 何に使うんだか知らないけど」


 ソニタは柵を乗り越えて農地に踏み入った。


「ちょっとお、困るよ! そこのメーラ人!」


 すぐにリグル人がすっ飛んできた。


「うちの畑を荒らすんじゃないよ!」

「いえ、手伝おうと思いまして。今日中に、そこの大きな甕に水を満たせばいいんですよね?」

「はあ? そうだけど……」

「はい、おしまい」


 ソニタはパンパンと手を叩いて、甕になみなみ水を満たした。周囲の人が目を丸くしてその光景を見ていた。


「その代わりちょっとこの人を借りていいですか? 聞きたいことがあるんです」

「だ、駄目、駄目。ここの仕事が終わったなら別のところに回ってもらうよ。あんたもさっさと帰りな!」

「あら、手伝って差し上げたのにお礼の一つもないなんて。それならここいらの水をみんな枯らしてしまおうかしら」

「そっ、そんなことはさせない。メーラ人が他人の畑を荒らすなんて大罪だぞ! そうしたら軍に捕まることくらい、お前にも分かるだろう」

「別にいいわよ、そんなこと。あんたの畑をカラカラに枯らせるならそれで」

「何でだ! どうしてそんなに枯らしたがるんだ! ひどすぎる!」

「話を聞かせてくれないからよ。ねえ、いいわよね? この人に話を聞いても」

「……このっ、すぐにリグル人の兵を呼んできてやるからな!」


 畑の主は憤怒の形相で外に走り出た。


「さ、監視の人も消えたし、あなたの話を聞きましょうか」

「でも、リグル兵が来てしまいますよ。あなたは早く逃げないと!」

「大丈夫、大丈夫。あなたが気にすることじゃないわ」


 ソニタは笑って、地面に座った。相手の人も恐る恐る座り込んだ。


「さっさと聞いちゃうわね。あなたは、貧民としてこき使われるのと、奴隷としてこき使われるの、どっちが嫌?」

「そりゃあ、奴隷の方が嫌ですね」

「即答ね。それは何故?」

「リグル人たちは、俺たちを人として扱わない。くれるメシがすごく少ないし衣服も粗末だ。夜は床で眠らされて、日中は一日中休みもくれずに肉体労働。おまけに少しでも休むそぶりを見せると容赦なく暴力を振るわれる。病人でも容赦なしだ」

「まあ……」

「正直、商人たちに使われる生活にも不満はたくさんありました。でも今は百倍はつらいですね。精神的にも肉体的にも消耗が激しい」

「……。ここには何人くらい雇われているの?」

「ざっと百人でしょうか」

「そうしたら一人くらい魔術が使えるでしょうに」

「うちにはそういう人はいませんね。基本的に、魔術を使える者は、軍に徴用されますから」

「はあ? 何でよ? 農業でも魔術に頼った方が儲けになるのに」

「恐らくですが、奴隷たちの反乱を防ぐためだと思います」

「ふうん」


 意外と脆いのだろうか。リグル人の支配は。

 ソニタは相手にまたいくつか質問をして、情報を手に入れた。住環境のひどさ、虐待の様子、強制労働の実態。特にメーラ人が目の敵にされていること。早くリグル語を覚えないと折檻を食らうこと。リグル人はそのかたわらで優雅な生活をしては、奴隷たちを怒鳴りつけて回っていること。


「……なるほど。……使用人を怪我させたら利益にならないと思うけど、その辺をどう考えているのかしら」

「働ける程度に怪我をさせるんですよ」

「えぐいわね」


 ソニタは深刻な顔で頷いた。

 そこへ、わあわあと声がして、魔力の気配が近づいてきた。次いで、複数の人がドタドタと駆け寄ってくるのが見えた。


「リグル兵だ! 道を開けろ!」

「あら、思ったより早かったわね。残念」

「あの……」

「ありがとう、話を聞かせてくれて」


 ソニタは立ち上がった。と同時に垂直に空に飛び上がった。


「逃げるわね! さよなら!」

「おっ、追え!」


 すぐに敵もソニタのいる高度まで飛んでくる。だがソニタは高笑いした。


「植民地の地方都市に派兵されるような雑魚兵なんて、私の敵じゃないわ!」


 ソニタはすぐさま空中から水を収集し、敵に向かって盛大にぶちまけた。広がった水は敵兵の集団をまるっと包み込んだ。巨大な水玉の中に閉じ込められた敵兵は、息ができず、魔術どころではなくなっている。


「これでよし。それ、私が十分遠ざかるまで解かないから、せいぜい溺れ死なないように気をつけなさいねーっ!」


 さっさと退散する。あっという間に街は点のように小さくなった。


「ちょっと目立ちすぎちゃったわね……。総督府に連絡が行ってしまうかも」


 水玉の魔術を解く。この程度の時間なら、身体能力の高い魔術士たちが溺れ死ぬことはないだろう。多分。


「次からはこっそりやらなくちゃ……はーあ」


 暑季の蒸し暑い空の中をふわふわと漂う。


「さて、お次はどうしようかしら。港の様子も見ておきたいし、山の方も行きたいし、ナヴィーン島も見物しなきゃだし」


 ひとまず、ここから近い港町に行こうか。


 ソニタは進路を南に取った。

 飛びながら、暇なので、考え事をする。


 マユリのことを、考える。

 たった一人の親友のことを。


 一体何があってマユリはソニタの心を操ろうなどという暴挙に出たのだろうか。あのままルドラが来なかったら、ソニタは死ぬまで術中にあったのだろうか。自由意志の無い人間と仲良くすることの何が楽しかったのだろうか。


 昨日ソニタが「それで満足か」と詰問した時、マユリは「えっ、それは」としか言わなかった。あの時はソニタも激昂していたから、続きを聞く余裕など無かったが、答えは何だったのだろう。やはり満足していたから実行していたと考えるのが妥当か。


 マユリがそんな変な奴だとは、これまでに見抜けなかった。マユリとは純粋に友情を築けていると勘違いしていた。だが……。


 出会った時から、ソニタとマユリは違う立場にあった。王宮に仕えることを夢見る者と、王の支配で苦しむ人々の守護者となる者。友達でいる方がおかしい。異民族は来るな、と初日に突き放したラヤンの方が、ある意味普通だった。


 戦争という形で、二人の関係のねじれが顕在化した。ソニタとマユリはついにその決定的な断絶と向き合わざるを得なくなった。それをいち早く察知したマユリが、それでもソニタを失うまいと、強硬手段に出た……?


 いや、ここで推測しても真実は分からない。

 ……ちゃんとマユリに話を聞くべきだった。

 「しばらくはあんたと話す気は無い」と言ったのは、おとなげなかったかもしれない。一年間も会わないということを決めたのは、早計だったかもしれない。


「はあ……私って思ってたより短慮なのかも……」


 溜息をついて、ソニタは降下を始めた。メーラで一番の港湾都市に到着していた。


 見下ろすと、リグルの軍艦と商船ばかりが停泊している。

 商船には夥しい数の荷物が詰め込まれていく。中にはメーラの貴重な歴史的財産なども含まれているようだった。全くリグル帝国ときたら、やりたい放題やってくれる。この国のことを道具としか思っていない。

 そして相変わらず魔術は使われていない。非効率的なことこの上ない。リグル人にとって魔術は武力でしかないらしい。

 魔力は軍事力に全振りする。生産力は奴隷の労働力で容易く補う。資金源も植民地で不公正な取引をして賄う。それがリグル帝国か。だとしたら無限に領土を拡大したがるのも頷ける。限りある土地を他国と奪い合うのも。


「傲慢極まりないわね。もっと他人に迷惑をかけない形でやれないのかしら」


 それから商店街の外れに着地した。人混みの中に入ってみる。

 この町にはリグル人の姿が比較的多い。色白で背の高い人ばかりで、何だか息苦しい。

 奴隷商の店があった。立派な檻が設置されていて、メーラ人たちが足枷をつけられて閉じ込められている。海外から連れてこられたらしい人の姿もある。その顔には虚無が張り付いていた。ソニタは、今すぐ檻を破壊したい衝動を、懸命に抑えた。ここで騒ぎを起こしても、何にもならない。メーラ人の運命は変わらない。


「失礼」

 ソニタはリグル語で店主に声をかけた。

「この奴隷たちはどのように入手されたんです?」

 店主は鼻に皺を寄せた。

「なんだあ? おめえメーラ人じゃねえか。しかも女だ」

「そうですけど。特権階級なのでお気になさらず」

「ふんっ。気に食わねえ。俺から話を聞きてえなら金を払いな」

「はい」

 ジャラリとソニタは躊躇なく硬貨を一握り渡した。店主の機嫌が少し良くなった。

「どうやっても何も、部下に捕まえさせるんだよ。その辺を歩いてる奴やその辺に住んでる奴を、縄とか網とか拘束具でな。あと西の大陸の未開人なんかは、部族同士の対立を利用して誰かを買収すれば、同士討ちで勝手に捕まってくれるから楽勝だぜ。俺も何度か見たが、ありゃ愉快だ。同じようなツラしてるくせに、集団で追いかける奴と惨めに逃げ惑っている奴がいて、そしてそいつは網に絡まって転んであっけなく捕まっちまうんだもんなあ」

「ふうん」

「メーラ人は小せえからすばしっこくて厄介だが、力尽くでやりゃあどうにかなる。それにこっちにも異民族はいるからな、そいつらもメーラ人を捕まえるにゃあ役に立つぜ。……どうだ、おめえも檻ん中入ってみるかあ? おめえみたいな細腕ならすぐ捕まっちまうだろ」

「やめておくことをおすすめするわ。私に何かあったら逆にあんたの身が危ないわよ」

 下品に笑っていた店主は、気圧されたように身を引いた。

「そうかい。けっ、つまんねえ奴だな。さ、対価ぶんの話は終いだ。買う気の無え奴は帰った帰った」

「はいはい」


 ろくでもない話だったくせに偉そうな奴だ。

 ソニタは人混みに紛れて立ち去った。

 一通り町を散策してから、宿を探す。別にこだわりはないからと、メーラ人用の安い宿にしたら、これまで経験したことのないほどひどい環境だった。ソニタはぶったまげた。

 寝具はぼろぼろで布団は薄くて、床には虫が這いずっている。出される食事は冷めていて、驚くほど味が薄くて素材も悪く、非常に不味い。立地も悪く、夜は暑苦しくて眠れたものではない。ソニタは己がお嬢様育ちであることを改めて実感した。

 酷い目に遭った……奴隷ほどではないが。

 そう思いながら宿を発ち、更に南へ向かった。海を越えてナヴィーン島に行くのだ。


 特権を約束されたトゥイ族たちは、一体どのような暮らしをしているのだろうか。とても気になる。


 これまで二度ナヴィーン島に行ったが、いずれもハリシュの特別な魔術にお世話になったのだった、とソニタは思いを馳せた。ソニタはあの時のように一瞬で移動することはできない。

 ……ナヴィーン島を見終わったら、墓参りをする頃合いかもしれない。一度、総督府の町にこっそり戻って、塾に寄ろう。あの丘の上の見晴らしのいい塾は、今どんな姿だろうか。建物は壊れずに残っているだろうか。

 ぼーっと飛んでいると、島の姿がはっきりと見え始めた。ソニタは加速して、浜辺を通り過ぎ、森を飛び越えて、集落の方を目指した。


「ふうん……」


 上空からしげしげとトゥイ族たちの暮らしを見下ろす。そんなソニタを不審そうに人々が見上げている。


 一言で言うと、のどかだった。


 のんびり畑仕事をする人々。家畜の世話をする子ども。昔ながらの建築物。着心地の良さそうな涼しげな着物。

 見張りのリグル兵はいるが、特に何か乱暴をする様子はない。欠伸でもしそうな呑気さだ。


 もっと、トゥイ族もリグル人のように、他民族に対し偉そうに振る舞っているのか、そうでなければトゥイ族も何だかんだリグル人に利用されているのだと予想していたが、違った。

 トゥイ族の望みが、「昔ながらの伝統的な暮らしをすること」なのか。重税に苦しめられず、抑圧を受けず、のびのびと普通の暮らしをする。

 裏切りの対価にしては、どこまでも平和的で、何だか優しさを感じるようで、悪くない。

 リグル人は、見下している民族に対して、こんな素敵な生活を許すこともあるのか。それが利益になるのか。他国を支配するコツなのか。よく分からない。

 気になる点は、この生活の成果物がどの程度リグルに渡るのかだ。税を全く取らないという訳ではなかろう。人々の表情を見る限り、かつての王ほど過酷なものではないはずだが。


 ソニタは、鶏の世話を放り出してぽけーっと自分を見上げている少年の元までふわふわと降りていった。


「ねえ坊や。メーラ語は分かるかしら?」

「え……ちょっと話せる」

「良かった。教えて欲しいことがあるんだけど。あなたたち、税はどれくらい取られてるの?」

「税は、島の長と、リグル人に、渡す。収穫の、一ずつ。合わせて、二」

「一ずつ……一割ずつ?」

「そう、一割ずつ。合わせて、二割」

「……因みに、前はどうだったか覚えてる?」

「前? 前は、島の長に一、王様に七とちょっと」

 ソニタはギュッと渋い顔をした。

「分かったわ。ありがとう、坊や」

 逃げ出しそうだった鶏を、水の縄で捕まえて少年の元に連れ戻してやる。

「動物の世話はぼんやりしてちゃ駄目よ。それじゃあね」

「うん? さ……さよなら」

「さようなら」


 この日ソニタは、ナヴィーン島に新しくできたらしいリグル人用の宿を取った。食べ物も寝具も建物も慣れない感じがするが、ともかく人心地がついた。床に入ってから、ソニタは、トゥイ族用の宿を取っても、酷い目に遭わなかったんじゃないかと気づいた。まあ、いいか。トゥイ族のしきたりは知らないから、失礼をしてしまうかもしれないし。


 朝を迎える。身支度を整える。朝食を取る。魔力を溜める。

「会いに行きます……先生」

 気合を入れて空を飛んだ。

 総督府までは一日かかった。着いた頃には日が傾いていた。休みなく飛んで、ソニタは少しくたびれてしまった。そこから丘を目指し、先生の墓を探す。

 塾の建物は半壊していた。リグル人はこの場所を使ってはいないようだ。


「……あ」


 空き地のようになっている場所に、ぽつんと墓石が立っていた。メーラ語でしっかりと、「ハリシュ・ルイス」と書いてある。

 ソニタは喉に込み上げてくるものをぐっと飲み込んで、墓石に静かに歩み寄った。

 跪こうとして、ぴたりと動きを止めた。

 聞き慣れない声が聞こえる。


「え? 何て?」

「……ん! お前そうだろう!」

「は? 誰? どこ?」

「庶民!」


 声の主はどこからともなく言った。いや、これは、この声は、空気を直接振動させて作られたもの。

 ソニタは大きく目を見開いた。


「ラヤン?」

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