第13話 言うことがあるんじゃないかしら


「……取り返しがつかないことをやったのはお前だろ、マユリ」


 ルドラはたじたじとして呟いた。ソニタは穴が空くほどマユリの顔を見つめていた。マユリは一切動じた様子を見せない。


「そんなことない。私はトゥイ族に繁栄して欲しいし、ソニタちゃんと仲良く暮らしたい。だから今までの状態が夢みたいに最高だった。とっても幸せだったんだよ。なのにいきなりソニタちゃんをたぶらかすなんて、ひどいよルドラくん」

「いや、たぶらかしたのはお前だし、ひどいのもお前だ。普通に考えておかしいだろ……強制的に、国を裏切らせるって、お前……」


 ルドラは石畳にずるりと座り込んだ。


「ルドラ」

「大丈夫だ、ちょっと疲れただけ……」

「ソニタちゃんっ」


 マユリがいつかのようにソニタの手をきゅっと握ってきた。


「ソニタちゃんは私を見捨てたりしないよね……?」

「あの、マユリ?」

「これからも一緒にいてくれるよね? 私の味方でいてくれるよね? 私の元を去ったりなんかしないよね?」

「マユリ、それより他に、私に言うことがあるんじゃないかしら?」

「え? なあに?」

「分からないの? なら、こうよ」


 ソニタはマユリの手を振り払い、その顔面に正面から渾身の力で拳を食らわせた。

 殴られるとは予想だにしていなかったらしいマユリは攻撃をもろに受けてしまい、ボカーンと茂みの中まで吹っ飛ばされた。がさごそと起き上がったその顔には鼻血が滴っていた。


「げほっ。ソニタちゃん?」

「悪いことをしたら、謝るのが筋でしょうがッ!!」


 ソニタは出会って以来初めて、マユリに対して本気で怒鳴った。中庭にビリビリと声が響き渡る。

 マユリはびっくりして、座り込んだまま石のように固まっていた。


「わ、悪いことって。私そんなつもりじゃ……」

「だったら尚更タチが悪いわ。じゃあ何よ。良かれと思って、私の心を操ったっていうの?」

「そのことなら……だってそうしなきゃ、メーラを裏切ってもらわなきゃ、私たちは一緒にいられないと思ったから……」

「ふうん? それで?」


 ソニタは怒りに燃える目でマユリを見下ろした。


「あんたは私に、本心でもないのに慕われて嬉しかった? 魔術で作らせた友情を味わえて幸せだった? あんたがこの半年間で私と築いてきたものは全部偽物だったっていうのに、それであんたは満足だったわけ?」

「えっ、それは、……」

「全く! とんだ茶番ね! お陰で何もかも滅茶苦茶だわ!!」

「えっ、えっ、何もかも?」

「これから先、私はどうすればいいのよ!」


 ソニタの声は最早悲鳴に近かった。


「あんたと接する時、いつも私はあんたの弟子の魔術を警戒しなきゃいけなくなったじゃない! あんたと一緒にいる時、いつも私はあんたへの気持ちが本物かどうか疑わなくちゃいけなくなったじゃない! もう私は二度とあんたと素直な気持ちで会うことができないわ。つまりもう私たちは友達なんかじゃないのよ。それもこれも全部あんたのせいよ、マユリ!!」


 マユリの瞳が大きく見開かれ、そこから大粒の涙がぽろぽろと落ち始めた。


「嫌だ、嫌だよそんなの。お願い許して。どうすれば許してくれる?」

「はあ? まずはきちんと謝りなさいって言ってるでしょう。私との友情をこんな卑怯なやり方で捻じ曲げたことをね!」

「ご、ごめんなさい、ごめんなさい……! もうしないよ! もう絶対しないから! 許して! 友達でいて!」


 ふんっ、とソニタは顔をそむけた。


「駄目。まだ信じてあげないし、絶対許してなんかあげないわ。……そうね、とりあえず、一年間の休暇をちょうだい」

「きゅ、休暇?」

「ええ。ちょっとここを離れて旅に出るわ。因みにその間、私のことを誰にも監視させたり探らせたりしないこと。その旨をリグル人に伝えて、是が非でも承諾させなさい。そうしたらその一年間で、私はあんたを許すかどうかを考えてあげる」

「わ、分かった。今すぐに許可を取ってくるね」

「このバカ。今は真夜中でしょう。明日の朝一番で行ってらっしゃい」

「はい」

「以上よ。しばらくはあんたと話す気は無いわ。私の機嫌を損ねたくなかったら、さっさと私の前から消えてちょうだい」

「分かった」


 マユリは悲痛な声でそう返事をすると、大急ぎで茂みから這い出て、脱兎の如く中庭を去っていった。後には点々と血の痕が残った。

 地面にへたりこんだままのルドラが、心底呆れたように口を開いた。


「凄いなお前……」

「何が?」

「いや、怒る所がそこなのか、というか……まさかあの状況からマユリが言い負かされるとは思わなかった」

「だってマユリが全面的に悪いじゃない」

「……そうだが……」

「もう本当に最悪。私はマユリを信用していたのに、台無しだわ」

「……そうだな……」


 ソニタはルドラに手を差し伸べて、立ち上がるのを手伝った。

 二人してソニタの部屋まで戻り始める。


「それで、ルドラは何を知っているの? 何か話してくれるって言ってなかった?」

「ああ、まあ……そうだな。……塾のそばに、ハリシュ先生の墓がある。ほとぼりが冷めたら行くといい。ここで僕が言えるのは、それだけだ」

「ふうん……分かった。いずれ行きたかったところだし、頃合いを見て行ってみるわ」


 何となくだが、すぐに行くべきではないという気がしていた。理由ははっきりとは分からないが、強いて言えば魔術士としての勘だ。

 他にも行きたいところや見たいものはたくさんあるから、それらを回ってからでも遅くはないだろう。


 ソニタは無事に部屋に戻り、ひとまずぐっすり眠った。


 翌朝、旅の支度をした。給料はたっぷりもらって溜め込んでいるから路銀には困らない。服は念のためリグル式とメーラ式の双方をいくつか引っ張り出して袋に詰める。あとは櫛などのこまごまとしたものを一式。それで準備は終いだ。


 そこへ何者かが戸を叩く音がした。


「何かしら?」

「マユリ様からの伝達です」

「……。今行くわ」


 伝令係によると、ソニタの休暇は無事に確保できたらしい。供の者や見張りもつけないとのことだ。


「まあ当然よね。伝達ご苦労様。下がっていいわよ」


 見張りの件に関してはあまり信用ならないが、これはソニタが警戒するしかないだろう。とにかくこれで心置きなく出発できる。

 ソニタはスタスタと離宮の出口まで歩いて行くと、足元に水を集めてふわっと浮き上がった。


 さて、やることは山のようにあるが、最初の行き先は決まっている。


「水よ、私を故郷の町へ!」


 ソニタはすいすいと空を進み、生家のある町を目指した。


 家族に会うのは半年ぶりだ。今や居場所も定かでない。無事でいるかどうかさえ分からない。ずっと離宮に閉じこもっていたから何も知らないし知らされていない。


 辿り着いた街を上空から見下ろすと、その様子はかつてとは一変していた。


 目につくのは、リグル式の塗装がなされた一軒の大きな建築物。行き交う人々の姿は大変みすぼらしく、みんながみんな貧民以下であるかのようだった。実際そうなのだろう、奴隷というものは。

 かつては食べ物や小物などを売っていた商店街は破壊され、空いた土地は軒並み農地に変わっている。そこではせっせと人々が作業に勤しんでおり、一人の見張り役が偉そうにふんぞり返っていた。見張り役の男はリグル人ではなく、リグル人に雇われた異民族であるように見えた。


 ソニタは道端にゆっくりと降下した。その様子を人々がぽかんと眺めていた。ソニタは上着を翻すと、リグル人の邸宅につかつかと歩いて行った。戸を叩いて、出てきたメーラ人の召使いに身分を明かす。


「総督府に仕えている魔術士のソニタ・ガーヤよ。ここの主人はご在宅かしら?」


 実家に戻ったことくらい、総督府のリグル人たちに知られたって何も問題はない。ここは与えられた権力を遠慮なく使わせてもらう。

 少し待たされたのち、ソニタは屋敷の中に通された。リグル語で簡単な挨拶が交わされる。


「それで魔術士殿が、拙宅に何の御用で?」


 リグル人の主人は、慇懃無礼な態度だった。立場としてはソニタの方が目上だが、あくまでメーラ人であるソニタにへつらうのは嫌なのだろう。ソニタは気にせず質問した。


「メーラ征服時、この辺のメーラ人の処分を担当したのはあなたで間違いないのよね?」

「そうですが」

「私の家族、ガーヤ家の所在を調べて欲しいの。このあたりで有力だった豪商の家よ。どういう処分を受けてどこへ行かされたのか、教えてちょうだい」

「承りました……」


 明らかに面倒臭そうな態度が鼻につく。どうせすぐに調べがつくに決まっているというのに、何を渋っているのか。

 待っている間、ソニタはリグルから取り寄せられた茶を飲んだ。離宮でもさんざん飲んだのだが、やはり慣れない香りがする。

 しばらくして主人は戻ってきた。ガーヤ家の受けた処分と今の居場所を教えてくれる。ソニタは礼を言って邸宅を出た。


 ガーヤ家はそこから飛んですぐのところに住まわされていた。


 他の家々よりやや頑丈そうに見える、それでも以前と比べて非常に貧相な、木の扉を叩く。


「はあい」


 母の声がした。


「母さん」


 ソニタはなるべく気丈な声を出すよう努めた。


「ソニタよ。様子を見にきたの。入ってもいい?」

「……!」


 すぐに戸が開いた。


「ソニタ!? ずっと連絡が取れないから、心配していたのよ」

「ごめんなさい。色々あって……母さんたちほどじゃないけど」

「もう……母さん、あんたがもしかしたら戦死したんじゃないかと……ああ無事で良かった!」

「……」


 ソニタはうつむいた。

 母に家の中に案内される。綺麗に整頓されてはいるが、作りは簡素で、おまけに湿っぽかった。とてもではないが豪商の家には見えない。そこに驚いた様子の父が立っていた。


「父さん、ただいま」

「ああ、ソニタ……よく帰ったね。いやあ、良かった。良かった……本当に」


 それから三人で机を囲んで話をした。


「働いていた人々や、使用人の貧民たちは、みんな奴隷としてタダ同然で連れて行かれてしまったよ」


 父は説明した。


「うちは商人としての地位は何とか守れたが、リグル人に農産物を安く買い叩かれるだけでね。ちっとも儲けにならないんだ」


 はあ、とソニタは息を吐いた。自分の家族が強制労働などの酷い目に遭っていなかったことへの安堵と、それでもリグル人に軽んじられて不当な扱いを受けていることへの落胆と。


 ソニタは父母から家の現状を聞いた後、自分の話をした。自分がどのように戦争に関わったのか、離宮でどのように生活していたのか、それらが誰のせいなのか。

 両親は真剣に話を聞いてくれた。


「自分が何をしでかしたのか、ちゃんとこの目で見ておきたいのよ」


 ソニタは言った。


「国を裏切ったことだけじゃない。私、初めて人を殺した時も、心を操られた状態でやったのよ。それもこれも私が油断したせい」

「そう自分を責めるものではないよ」

「でも私、その結果この国がどうなったのかをちゃんと確かめて、今後どう動くか決めたいの」

「どう動くか?」

「リグルに飼われたままでいいのかどうか、考えるわ」


 ソニタは決然としていた。


「これから旅に出て、それで考えたいことが二つあるの。一つ目は、マユリを許すかどうか。二つ目は、リグルの支配を受け入れるかどうか」

「そ、それはつまり、リグルに抗うということかい? それは、やめた方が……。万が一ソニタが傷付いたら……」

「まだ分からないわ。今の地位のままでできることがあるなら、このままでいる。でも、リグルがあんまりひどいようなら、考えを変える。……私の夢は、人を助けることだから」


 ソニタは少しの間目を逸らした。


「ちょっと前までは、助けられる人には限りがあるから、どうせなら友達を助けたいと思ってたわ。でも友達を信用できなくなった今、どうしたらいいか考え直さなきゃいけなくなってる。私は、……より多くの人が助かる道を探したい。そっちの方が、私のやりたいことに近いと思う」


 ……たとえその結果、誰を敵に回そうとも。

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