第12話 二人一緒なら、何だって


「リグル帝国はね」


 マユリは穏やかに話を進める。


「メーラ帝国の植民地化に協力すれば、トゥイ族は奴隷じゃなくて一般市民として扱うって、約束してくれたんだ」

「……そんなの嘘っぱちに決まってるわ。征服されたらリグル人の天下になるんだから。またこきつかわれるのがオチよ」

「ううん、ちゃんと協定の文書に押印してあるの。それに仮にこきつかわれるのだとしても、メーラ人よりは優遇してくれそうでしょ? だってこっちは協力関係にあるんだから」

「それはまあ……そうね」

「私には、島の魔術士として、トゥイ族を救う使命があるの。リグル帝国が攻めてきたこの好機を逃したくないんだ」


 ソニタは嘆息した。

 マユリは血迷ってなどいない。脅されてもいない。至って冷静に損得勘定をした上で、寝返る決意をしたのだ。

 リグル帝国もやり方がうまい。メーラ帝国内の力関係を見抜いて、都合よくそれを利用した。


「私は、トゥイ族が弱者であり続ける時代を、この手で終わらせる。今度は支配者側について、強者に成り上がる。……強くなくっちゃ、何を言っても無駄だもの」


 どこかで聞いた台詞だな、とソニタはぼんやり思った。

 そう、確か二人で一緒にさらわれた時に……。


「ねえ、一緒に強くなろう、ソニタちゃん」


 マユリはソニタの手を取った。


「ソニタちゃんもリグル帝国に協力してよ。そうしたらきっと征服後も、特別にソニタちゃんは優遇してもらえるよ」

「嫌よ。そんなこと、了承できないわ……」

「お願いだよ。前みたいに一緒にいようよ。私は友達が虐げられているところを見たくないんだよ。だから、私についてよ」

「だってそんなの、正義に悖るわよ……」

「戦争では勝った方が正義なんだから、むしろリグル帝国についた方が正義でいられるよ」

「そういうことじゃなくて……」

「ねえ、しっかりしてよ、ソニタちゃん。ソニタちゃんは何が大事なの? 誰を助けたいの?」


 そんなことは前から決まっていた。

 ソニタは以前にも口にした言葉を、呟いた。


「私は友達を助けたい……」


 マユリは手を握る力を強めた。


「そう、そうだよね。ソニタちゃんは私を助けてくれるんだよね。ありがとう、本当にありがとう……!」

「でも」

「なあに?」

「私、先生やみんなを裏切るのも嫌だわ……」

「……ソニタちゃん、前に言ったじゃない。助けられる人の数には限りがあるって。申し訳ないけど、みんなのことは、諦めなくちゃ……! ね?」


 マユリは涙ぐんでいた。ソニタもつうっと涙を流した。


「マユリ、私、ひどい人間だわ」

「そんなことないよ。私がついてる。私はいつでもソニタちゃんの味方だよ」

「ええ……ありがとう」


 ソニタはぐいっと涙を拭った。


「泣くだなんて私らしくなかったわね。ごめんなさい。……覚悟は決めたわ。私はマユリにつく」

「ああ、良かった! ありがとう! ソニタちゃんがいたら百人力だよ! じゃあ早速、やりたいことがあるから、手伝ってくれる……?」

「いいわよ。この際、何でもやってやるわ」

「うん……!」


 マユリは土の壁を崩した。現れたのは木や葉の生い茂る森。一軒の小屋が建っていて、そこに一人のリグル人の青年と、一人のトゥイ族の少年が控えていた。


「この人はマティス。無の魔術士。前に遠征で戦ったことがある人だよ。こっちの子はニハル。私の弟子で、心の魔術を扱うんだよ。マティスはリグル語しか喋れないし、ニハルはトゥイ語しか喋れないんだけど、とりあえずよろしくね」


 ソニタはそれぞれ二人に「よろしく」と挨拶をした。


「この仲間たちを主力にして、メーラ帝国をぶっ潰すよ。計画はリグル帝国と共有してあるから、ソニタちゃんにも伝えるね」


 さてソニタは、マユリたちと共にナヴィーン島の北の浜辺へとやってきた。そこではまだ魔術士たちが待機していた。ちょうど軍隊も到着したらしく、今にも森に向けて出発しそうな雰囲気である。

 ソニタは一人で、ハリシュを抱えて座り込んでいるラヤンのもとに歩み寄った。その足元には、きらきらとした水晶のかけらのようなもの……砕けた命の珠が、散らばっていた。


「ラヤン」

「庶民、すまない……ハリシュ先生は、助からなかった……」

「……そっか」


 ソニタは動かなくなっているハリシュの白い顔を見下ろした。

 ……これが、今から自分が見捨てようとしている者たちの顔だ。


「それで、あの貧民はどうした。捕らえたのか」

「私が、マユリに敵うわけないでしょう……」

「……じゃあどうなったんだ」

「ごめん、ラヤン」


 ソニタは手のひらを差し出して、水を集めた。


「は? お前、まさか……」

「逃げて」


 幾百もの氷の刃が出現した。ソニタはそれを軍隊に向かって鋭く投げつけた。……殺意を込めて。

 ハリシュを抱えながら大きく跳躍して攻撃をよけたラヤンは、叫んだ。


「おい、何のつもりだ!」

「私、マユリの味方になったの」

「バカか! 正気に戻れ! ソニタ・ガーヤ!!」

「……ごめんなさい。先生、ラヤン、みんな」


 突然の氷の奇襲は効果覿面で、軍隊は早くも態勢を崩した。加えて隠れていたマユリの地面からの攻撃が畳み掛けられ、すぐに壊滅状態に陥る。マティスの無の魔術が強いために、誰も反撃も防御もできないままやられていく。全滅するまでにそう時間はかからなかった。


「これで、この島は安全だね」


 マユリは言った。


「今、メーラ本土ではリグルの軍隊が暴れているから……それに加勢するよ。町や建物や色んなものは、ちょっとくらい壊しちゃっても構わない。どうせ全部、農地か何かに変わっちゃうんだから」

「それなら、マユリが全部ひっくり返した方が早くないかしら? どうせマユリはもう、メーラ全土を滅茶苦茶にするくらいはできるんでしょう」

「うーん、それだとリグル兵も犠牲になっちゃうから……そこは器用なソニタちゃんにお願いしたいんだよね。うまくメーラ兵だけを攻撃して欲しいんだ」

「ああ、なるほど……」

「ぶっ壊していいところは私がみんなぶっ壊すから、ソニタちゃんは戦場を何とかしてね」

「ええ、私にできる範囲でよければやってあげるわ」

「できるよ。二人一緒なら、何だって」


 そう言うマユリの目はどこまでも希望に満ち溢れていて、ソニタはつい吸い込まれそうになってしまった。

 そして、マユリの言葉は本当だった。

 ソニタはメーラ帝国じゅうを飛び回ってリグル帝国に加勢し、マユリは地形をどんどん変えてリグル帝国に有利な状況を作り続けた。

 かくしてメーラ帝国は一夜にしてリグル帝国に征服され、植民地となった。


 王は国外逃亡を余儀なくされた。北の山を越えて、リグル帝国の手の届かない北国まで逃げたという。


 壊れた王宮は捨て置かれ、離宮にリグル人たちが入った。そこに総督府が置かれ、メーラ本土は完全にリグルの監視下に入った。メーラ人をはじめとする諸民族は、逮捕されたり、土地や権利を奪われたりした。多くはリグル人が定めた割り振りに従って労働することを強いられた。

 一方でナヴィーン島には特別措置が敷かれた。トゥイ族の人々は重税から解放され、ある程度の自由を保証された。


 ソニタとマユリは総督府つきの魔術士として雇われ、離宮で暮らす権限を得た。

 とはいえ、外での仕事はリグル人が受け持つことになっていた。ソニタは与えられた広い部屋に閉じこもって、リグル語を勉強しつつ、事務仕事をすることが多くなった。

 仕事量は多くなかった。分身を作って手伝わせてしまえばあっという間に片付く。空いた時間で勉強と訓練を行う。それで一日が過ぎる。


「ソニタちゃんもそばにいるし、トゥイ族の仲間も解放されたし、私はとっても幸せだよ」


 マユリは忙しそうだったが、ソニタに会うたびにそう言って笑った。

 ソニタはその後考え込むことが多かった。

 自分は今幸せなのだろうか?

 マユリの力になれるのはいいことだ。それは間違いない。だがそのために捨てたものはあまりにも大きすぎないか。それを思うと何だか眩暈がするようで、思考が鈍る。


「ああ、だめね」


 ソニタは頭を振って、目の前の本に集中した。とにかくリグル語の語彙を増やさなければならない。この国で立派な魔術士として仕事を得るには、リグル人とまともに会話できるようでなければ話にならない。人手は不足しているから、自分も早く一線で活動できるようにならなくては。


 ソニタの部屋の外にはいつも護衛が二人ついていた。そんなものはなくとも自分で自分の身は守れるとソニタは主張したが、リグル人には聞き入れられなかった。向こうからしたら監視目的もあるのだろう。やはりメーラ人はリグルからの信用を得られていない。

 護衛は軍から選ばれた人が代わる代わる勤めていた。メーラ帝国の軍は征服完了時に即刻解体されており、リグル人を中心とするものに編成され直されていた。とはいえよほど高位の者以外は、やはりメーラ人などで構成されている。リグル帝国に忠誠を誓った旧メーラ兵が、植民地化後も引き続き軍の主力である。忠誠を誓わなかった者の行方はソニタには知らされていない。


 ある日ソニタが軽い訓練を終えて部屋に戻ろうとすると、珍しく護衛の者が声をかけてきた。


「おい、ソニタ」


 この離宮でソニタにメーラ語で雑な物言いをする者はこれまでにいなかった。ソニタが不審に思って顔を上げると、そこにはかつての塾仲間の顔があった。


「……ルドラ?」


 かつてハリシュのもとで共に学んだ、心の魔術士。


「久しいわね。無事だったのね」


 ひとまず昔の仲間が一人は息災であるという事実にソニタは安堵した。ルドラは戦争を生き延びた後、リグルに寝返って、軍の中で活動していたのだ。


「また会えて嬉しいわ」

「……お前」


 もう一人の護衛はリグル人だったらしく、二人が何の会話をしているのか理解していない模様だった。

 ルドラは何故だか深刻な顔をしていた。


「……やはり気づいてないのか。魔術にやられてることに」

「? 何を言っているの?」

「最初にここで見かけた時から、おかしいと思っていた。だからここの仕事を志望した」

「おかしいって?」

「……どうすることが正解なのか、僕には分からない……。ただ、少しでもこの生活に違和感があるなら……また僕に声をかけてくれ。今晩中なら僕はここの番をやっているからな」

「……ルドラ?」

「もういい、怪しまれる。中へ入れ」


 背中を押され、バタンと戸を閉められた。ソニタは訳が分からず、すとんと椅子に腰掛けた。


「少しでもこの生活に違和感があるなら?」


 ソニタは呟いた。

 違和感なら……ある。

 メーラ帝国がリグル帝国の手に落ちてから……いや、そのもう少し前からか。雲を踏んで歩いているような奇妙な感覚。これは本当に自分がやりたいことだったのか、それを考えると決まって……意識が曖昧になる。

 ルドラは何を知っているのだろうか。


 夜が更けるまでソニタはずっと同じ姿勢で考え続けていた。月が高く昇った頃、ソニタはふらりと立ち上がって歩き出し、部屋の戸を開けた。


「……ルドラ」


 松明の炎で照らされたルドラの表情は、どこか暗く、迷っているようでもあった。それでも彼は言った。


「……分かった。ついて来い」


 ソニタの外出時に護衛がついてくることは不自然ではなかった。ルドラはもう一人の護衛にあとを任せて、ソニタを連れて部屋を離れた。


「……夢見が悪かったふりでもするわ。中庭まで出る」

「了解した」

「でも、何を話すつもりなの。何を知っているの」

「僕は割と色々知っているが……話すのは後だ」


 中庭で二人は向かい合って立った。ルドラはすっとソニタの心臓を指差した。

 トンッ、と頭の中の霧が晴れる感覚がした。ソニタは目を丸くした。ルドラは低くこう言った。


「思い出せ。お前はメーラを裏切るような奴じゃない。マユリが相手だから油断したんだろうが、お前はずっと術中にある。マユリの手先に心を操られている。だからこれは、お前の意志じゃない」

「……!」


 ソニタは後ずさった。


「違うわ。私はマユリのために全部を……」

「……敵の魔術士が厄介だな。マユリの弟子なだけある、か……」


 ルドラは改めてソニタの目を見た。


「ソニタ、お前は何か違うと思ったから僕を連れてここまで来たんだ。だから、さっさと正気に戻れ」


 ……正気に戻れ! ソニタ・ガーヤ!!


「あ!」


 ソニタは声を上げた。


「戻ったみたい! ありがとう、ルドラ」


 思えば全て嘘だった。

 マユリに土の壁に閉じ込められてから、あのニハルとかいうマユリの弟子が、ソニタに魔術を使い続けていたのだ。そのせいでソニタは、ほとんど迷わずにメーラ帝国を裏切る決断をさせられた。それから半年ほど、ずっとソニタは自分の意志で行動できていなかった。

 だが今は違う。自分が術中にあったことを認識できている。思考が整頓されている。何もかも思い出せる。そう、自分がしでかしたことを、何もかも。


 はあーっ、とルドラは深い溜息をついた。


「これで、良かったか」

「……多分。ええ。操られているよりは、自分で動く方がいいもの。……ありがとう」

「じゃあ、僕は、少し休むから、しばらくここで……」


 その時、タッタッと石畳を蹴る音が近づいてきた。

 息を切らして駆けつけて、木の陰から顔を出したのは、他でもないマユリだった。


「……ニハルから緊急で連絡をもらって来たんだけど……」


 マユリは焦ったように口走って、ふうっと息を整え、顔を上げた。そして、どこか遠慮がちに、ルドラに微笑みかけた。


「えーと、何て言ったらいいのかな……うん。取り返しのつかないことをしてくれたね、ルドラくん」

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