第11話 助けてくれるって言ったのに
足元が瓦解して奈落の底に落ちていくような、ふわふわとした奇妙な感覚。
ナヴィーン島が寝返った。
何故?
マユリは何をしている?
誰かに脅された? それとも自分の意志で?
「先程の地震は僕の弟子でもある島の魔術士、マユリ・ベレーコの仕業で間違いないでしょう」
ハリシュの声が遠くから聞こえる。
地震の被害についてや敵の攻撃範囲についての話が飛び交う中、ソニタは呆然として立ち尽くしていた。
「リグル帝国は既にメーラ帝国の内部まで侵入可能と見て行動してもらう。また、ナヴィーン島に置いている軍事拠点は壊滅している。そこで南岸の軍隊が既にナヴィーン島に向かって出発している。加えて我ら王宮魔術士の中からも戦士を派遣する。三班の者は現地に向かうように。他にも希望者がいたら名乗り出ろ。それと……ハリシュ・ルイス」
「はい」
「弟子の不始末は師匠が何とかしろ。陣頭指揮は貴様に任せる。必ずナヴィーン島を制圧して来い」
「承りました」
ハリシュはあまり動じていない様子だった。彼はにっこりとこちらを振り返った。
「あなた方も行きましょうか。ソニタさん、ラヤンさん」
「!!」
ソニタは我に返った。
「はっ、はい、お供します!」
「了解です」
ラヤンは意外とすんなりそう言った。ソニタが不思議そうに見ていると、ラヤンは不機嫌そうに言い訳がましく付け加えた。
「あのド貧民めに舐められたままでたまるかよ」
ハリシュはというと、もう別の指示に回っていた。
「そろそろ他の皆さんは、全力で王と町をお守りしつつ、宮殿を持ち上げてください」
「宮殿を? 持ち上げる?」
「ええ。といいますのも、僕の予想では、恐らくもうじき地面がなくなりますので」
「は?」
「ではナヴィーン島に向かう皆さんは一旦外に出て、ひとところにお集まり下さい。僕の魔術でナヴィーン島まですぐに全員運びます」
ばたばたと魔術士たちが動き始める。ソニタとラヤンも急いで宮殿の外に走り出る。
ところが、その瞬間にバキャッと大きな音がした。足に、石畳を踏んだはずの感触がなかった。ソニタは下へ下へと落ちて行った。
何が起きているのか理解するのにしばらくかかった。……地面が割れている。見覚えのある、おどろおどろしい真っ赤な溶岩が顔を覗かせている。
いけない、早く体勢を立て直さないと、高温で溶けるか焼けるかして死ぬ。
「できるだけ高く飛んで!」
ハリシュの指示が聞こえる。
ソニタは大急ぎで水を噴射して上空へ避難した。
宮殿は、丸ごとぐらりと地の底へと落ちようとして、何とか空中にとどまっていた。
にゅっと溶岩が腕のように伸びてきて、低く飛んでいる魔術士たちから捕らえられていく。咄嗟に防御できた者もいれば、そのまま焼かれ飲み込まれた者もいる。
「マユリ……!!」
躊躇なく王宮魔術士を殺した。ソニタの親友が。
ソニタはマユリの言葉を思い出していた。
……私は戦う決意ができているよ。たとえ誰が相手でも。
あれは、こういう意味だったのだろうか。
ソニタは更に一段と高く飛翔し、伸びてくる溶岩の腕に向けて氷の矢を放った。蒸発しないよう魔力で固めた氷は、溶岩とぶつかってその勢いを相殺した。
「皆さん、こちらへ集まって! ナヴィーン島へ行きますよ!」
わらわらと魔術士たちが空高く昇ってゆき、十五名ほどが一箇所に集結した。
そこを黒い幕のようなものがぐるんと丸く包み込んだ。
ギュンッと引っ張られる感覚がして、気がつけばソニタたちは地面にすっ転がっていた。
ハリシュもすっ転がっていて、その脇腹から血が滴っていた。
「え!? 先生っ!」
「だい……じょうぶです。予測はしていたので少しは防御できました」
風の魔術の気配がする。敵の魔術士が、ハリシュの着地する時を狙って、体を抉ろうとしたのだ。
ハリシュは気配の方向に闇の手を十本ほど伸ばした。そのうちの一本が見事敵を捉えたらしい。手は、体を握り潰されて死んだ敵兵を掴んで、戻ってきた。
「うっ……」
ソニタは目を逸らした。ハリシュは冷静に遺体を眺めた。
「ふむ、やはりリグル兵。リグルには一度この技を見せていますから、その時に弱点を見抜かれましたね……」
ハリシュはきりりとした表情で立ち上がった。
魔術士の魔力が強ければ体の治癒力も上がる。命の珠も持っているハリシュだ、大丈夫だと信じたい。
「先を急ぎましょう。ナヴィーン兵とリグル兵の双方に注意するように」
「はいっ!」
部隊は土の魔術の気配のする方へと飛び立つ。そこへ待ち構えていたように、リグル兵たちが浮かび上がってきた。一人、二人、三人、……八人。数の上ではこちらが有利。しかし相手は数多くの国を屠ってきた精鋭だ。
「各自防壁を張れっ! 攻撃開始!」
ソニタは自分の周りを水の膜で丸く覆おうとした。
ところが防壁を張れないどころか、足元で操っていた水すら制御不能になった。
「わっ」
再びの落下。地面に叩きつけられる寸前で受身を取ったソニタは、素早く起き上がって、上空から襲ってきた怪物の爪を、跳んでよけた。続いて降り注ぐ氷の矢から走って逃げる。
こちらの魔術は無効化されている。敵には無の魔術士がいる。
だが身体能力は高いままだ。魔力自体が消されているのではなさそうである。だとしたら突破口は、敵の能力の範囲外からの攻撃か?
ソニタは即座に魔力の適用範囲を可能な限り広げた。遠洋から多量の水を集めて持ってこようとしたが、駄目だった。敵の魔術の範囲に入った途端に魔術が解けてしまう。
「違うぞ、力押しだ! 魔力を強めて魔術の出力を強めろ!」
ラヤンが叫んで、暴風を巻き起こした。敵が巻き込まれて散り散りになる。
それを見たソニタは一転して魔術の範囲を極限まで狭め、最大出力で水を噴射した。それでも申し訳程度の防壁しか張れない。
「そんな効率の悪い……!」
「ごちゃごちゃ言ってる場合か! 攻撃来るぞ!」
「ひゃああっ」
ソニタの水の壁は敵の金属の矢尻にぶち当たって砕け散った。二本目がすぐに来る。間一髪でそれをかわして、また防壁を全力で生成する。防御と逃避で精一杯で攻撃に移れない。
息が上がる。魔力も尽きそうだ。
そこへハリシュが割り込んできた。
「無の魔術師がどなたかは知りませんが、これならどうです?」
ハリシュの持っている命の珠が輝いた。影の力が爆発的に増大する。影は八本の腕に変化して、恐ろしい勢いで敵を捉え遥か遠くまで弾き飛ばした。
「あら……」
敵があっという間に一掃されてしまった。ソニタは座り込んだ体勢のまま、ぽかんとして、敵が消え去った空を眺めていた。
「さて、ひと段落ついたところで、ソニタさん、お届け物が」
「はい?」
「先程そこでこれを拾いまし、て……」
槍の刃先がハリシュの胸を貫通していた。
ぼたぼたと血が、ソニタの腕に、顔に、滴り落ちる。
「おや」
ハリシュは自分の胸に手を当てた。
「先生?」
ソニタは青い顔でハリシュを見上げた。
その後ろでは、魔術士でも何でもない、ただのトゥイ族の人間が、槍を掴んで突き刺していた。
「貴様ッ!」
ラヤンが駆けつけてきて、一般人の胸倉を掴み、腹に蹴りを食らわせて吹っ飛ばした。一般人は大木に叩きつけられて絶命した。
「道理で気配が無かったわけだ……一般人をも戦争に使うとは、彼らは本気のようです」
ガフッとハリシュは血を吐き出した。
「それに、咄嗟に防壁を張れなかった。無の魔術士はまだどこかに……います、ね」
「先生、喋らないで安静に……」
「ソニタさん」
ハリシュは手の中のものを差し出した。
「これは、罠かも、しれません。しかし好機でもあり、ます……」
ふらりと倒れ込んだハリシュをソニタが抱き止める。
ハリシュの手の中には、見覚えのある恐ろしげな土人形がちょこんと座っていた。
「そにたちゃん、ようこそぉぉ」
「マユリ……っ」
「こっちへ、おいでぇぇぇ。案内してあげるぅ」
人形が短い両腕をこちらへ差し伸べる。
ハリシュの胸からどくどくと血が滴り落ちている。脇腹の傷も開いたのか、じわじわと血が滲み出している。
「先生……」
「行けよ、庶民」
ラヤンが肩で息をしながら言った。
「でも、先生が……。それに他の仲間も犠牲に……」
周りには数人の魔術士の体が転がっていた。生き残った者が処置に当たっている。
ラヤンは苛立たしげにソニタを睨んだ。
「先生のことは僕が必ず何とかする。お前はあのクソバカ貧民をぶちのめして来い。でないと先生の厚意が無駄になる」
ソニタの脳裏に一瞬、塾での日々が通り過ぎて行った。
先生とマユリと生徒たちと、楽しく学び競い合った日々。
……今はその先生が重症で、マユリは敵だ。
「……。分かったわ。先生をよろしく」
ソニタは土人形の小さな手を握った。
「案内してちょうだい。マユリの元へ」
途端に人形は物凄い力でソニタのことを引っ張った。
「ひゃっ」
引っ張られたソニタは宙を猛烈な速さで飛ぶ羽目になった。戦場を後にし、山を越え、森の中へと入ってゆく。
腕が千切れそうに痛い。もう人形の手を握っていられない、そう思った時、移動は止まった。
「もう、急に何よ!」
地に投げ出されたソニタは、足をつけて立ち上がった。その点を中心に、土の壁が球状に積み上がっていく。ソニタは丸い壁に閉じ込められた。
試しに氷の刃で壁を削ろうとしたが、うまく魔術が出せない。というか、さっきの戦場よりも無の魔術が強く働いている。無の魔術士はこの近くにいるらしい。いくら踏ん張っても水の一滴も動かせない。もちろん、拳で壁を叩いてもびくともしないし、蹴っても何をしても駄目だ。
「あいつ、何のつもりよ……」
「こんにちは、ソニタちゃん」
耳馴染んだ声がしたので、ソニタは素早く振り返った。
「マユリ」
「久しぶりだね」
マユリは反対側の土の壁のきわに、いつもと変わらぬ笑みを浮かべて、はにかみながら立っていた。
「来てくれて嬉しいよ。お茶とかは出せないけど、少し話そう」
「……何が目的?」
「お友達同士でお話しするのに、目的なんている?」
ソニタは歯を食いしばった。
「……ねえ、この裏切りはあんたの意志なの、マユリ?」
「うん、私の意志と、島のみんなの合意だよ」
「だったら」
ソニタは息を吸い込んで、毅然として言った。
「今の私とあんたは友達じゃないわ。敵同士よ」
「……そんなこと言わないでよ」
「あんたのせいで私の仲間が何人も死んだし、ハリシュ先生も瀕死の重症を負ってる。それでも仲良しこよししろっていうの? 無理に決まってるじゃない!」
「そんなこと言わないでよ」
マユリは悲しそうだった。
「ソニタちゃんは、私を応援してくれるって言ったのに。私を助けてくれるって言ったのに。あれは嘘だったの?」
「そ、それは」
「友達を助けたいって言ってくれたの、凄く嬉しかったんだよ、私。ソニタちゃんは何よりも友達のことを優先してくれるんだって知って、嬉しかった」
「それは……っ、あんたがメーラ帝国を裏切るような真似をすると分かっていたら、助けなかったわよ!」
「そうなの? 今のソニタちゃんにとっては、友達よりお国の方が大事なの?」
ソニタはうっと言葉に詰まった。
そこへマユリが畳み掛ける。
「ソニタちゃんは、私たちがメーラ帝国を裏切ったって言うけれど、メーラ帝国はいつだってトゥイ族の味方じゃなかったよ。搾取して、こきつかって、蔑んできた。なのにどうして忠義を尽くさなければならないの? これはね、メーラ帝国の自業自得なの。異民族を踏みにじって君臨してきた、そのツケが回ってきたんだよ」
「……だからって、人を殺していい理由には……」
「分からないかな、ソニタちゃん」
マユリは笑みを消した。
「これは戦争なんだよ。戦争っていうのはね、敵を殺しても許される状況なんだよ。むしろ、殺せば殺すほどいい」
ソニタは黙った。
「優しいのはソニタちゃんの長所だけど、それも場を弁えなくっちゃね」
「……」
「でも私とソニタちゃんは殺し合ったりなんかしないよね。だって私たちは敵である前に親友だもの。だからもうちょっとお話ししよう? ここなら誰の邪魔も入らないから」
マユリは球の真ん中に来て座り、ソニタに笑いかけて手招きをした。
ソニタは逡巡したが、他にできることもないので、大人しくマユリの前に座った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます