第二章
第10話 いや、そんなまさか
身支度を整えて食堂へ向かう。王宮の食堂はそれはもう見たこともないほど立派で、座っているだけで給仕の者が次々と朝食を運んで来る。
朝食を終えて、与えられた仕事部屋に向かうと、連絡係の者が今日の仕事を伝えに来る。
「ありがとう。早速行ってくるわ」
「お気をつけて行ってらっしゃいませ」
これが王宮魔術士としての初任務だ。これまでは王様への挨拶やら書類の整理やらで忙殺されていたが、ようやく魔術士らしい仕事ができる。嬉しいと同時に、少し緊張する。
豪華な装飾の施された廊下を、憧れだった黒くて長い衣装を着て、てくてくと歩く。角を曲がったところで、ばったりとラヤンに遭遇した。
失礼なことにラヤンは少し不機嫌そうな顔をしたが、ソニタは構わずに挨拶した。
「おはよう、ラヤン。今日が初任務?」
「……まあな。不届きな異民族の貧民どもを蹴散らしに行くだけだ」
「へえ。私も異民族の貧民の反乱の鎮圧よ」
「ふうん。最近多いらしいな。異民族との衝突」
「よりにもよってこの御時世に、やめて欲しいわね。国内と国外、どっちもごちゃごちゃしていたんじゃ手が回らないわ」
「全くだな」
「じゃ、私はこっちだから」
「ああ」
ソニタは出口から少し離れた庭園の中に入って行った。そこが、今日の任務に付き添いで来てくれる上司との待ち合わせ場所なのだ。
担当の上司は、以前も世話になったことのある、水の魔術士フィタンである。
待ち合わせ場所に着くと、フィタンは既にそこに立っていた。
「おはようございます。お待たせしてしまいすみません」
「おはようございます。別に、構いませんよ。出発しましょう」
「はい」
二人は目的地に向かって空高く飛翔した。
「今回は貴族からの応援要請です。火事が大きくなっているとか。消火活動と反乱の鎮圧が主な任務です」
「はい」
「人死にも多く出ています。抵抗する者は殺して構いません」
「うっ……はい」
フィタンはちらりとソニタを振り返った。
「まあ、あなたにはまず消火活動に回ってもらいましょう。それが終わり次第私の補助に入るように」
「分かりました」
「では、少し速度を上げます。ついてきて下さい」
そう言ってフィタンは、ソニタがついて来やすいように徐々に速度を上げて行った。意外と優しい人なのかもしれないとソニタは思った。
さて現場に着くと貴族の屋敷はごうごうと盛大に燃えていた。
「では消火の方、よろしくお願いします」
「承知しました」
ソニタは黒煙の上がる屋敷の方まで飛んで行った。
「うわあ……ゲホッ」
少しくらくらする。
上空からだと煙を吸い込んでしまって良くない。
ソニタは一旦地上に降りた。
皮膚が痛くなるほどに熱い。迂闊に屋敷に近づけない。
「何だって貧民たちはこんなことを……。主人の家が燃えたら、雇われている本人たちだって困るでしょうに」
言いながらソニタは近くの川から大量に水を集めた。十分な量の水の塊を形成し、屋敷の真上からドッと落下させる。火の勢いは瞬く間に小さくなった。あとはまた水を集めて、細かく火元を特定し、炎を根こそぎ殲滅する。
「これでよし。あとは……」
ソニタは水の小人を十匹放って、逃げ遅れた人の探索及び救助に当たらせた。
それからフィタンの救援に向かうために駆け出そうとした、その瞬間だった。ぞわっと嫌な予感がしたので、ソニタは咄嗟に地面に伏せた。
頭上を岩の塊が飛んでいき、燃え残った柱にぶつかった。柱は折れて、焼け焦げた建物がガラガラと崩壊する。
背後からの攻撃……土の魔術。
「よく、よけましたね」
聞こえたのは、ぎこちないメーラ語だった。
「ですが、そちらには行かせません。王宮魔術士」
ソニタが振り返ると、そこには背の高い男が立っていて、差し伸べた手の先で二つ目の岩の塊を生成していた。
「あんたは……もしかして、リグル人?」
「はい。私、リグル人です」
ソニタとリグル人はしばし睨み合った。
何でこんなところに、よりにもよってリグル人が?
「……あんたには少し話を聞きたいところだけれど、そうもいかなさそうね」
「はい。あなた、邪魔者です。殺します」
今まで色んなものを見てきてはいるが、本物の殺意を真正面から向けられたのは初めてだ。
ぞわぞわと恐怖に似た何かが背中を這い上ってくる。
だがそれはすぐに収まった。ソニタは落ち着いていた。それどころか、思わず笑いが漏れてきた。
リグル人は不快そうな顔をした。
「何が、おかしいですか」
「いえ、何でもないわ」
その程度の土の魔術でソニタに挑もうだなんて、何と愚かな異人だろうか。相手との実力差も読めないほどの弱者が、こんな大袈裟な騒ぎを起こしているとは。
「はっ!」
ソニタは巨大な氷柱を放って、岩を粉砕した。それから水の鎖を作り出して敵の足を縛り上げ、地面に引きずり倒した。
敵は岩の刀をこちらに投げて寄越したが、勢いも速さも強度も、何もかもが圧倒的に足りない。あっけなくソニタの氷の刀で粉砕される。氷の刀はそのまま敵の周囲に突き刺さった。そのうち一本は、喉笛の手前でピタリと止まる。
「次、魔術の気配を少しでもさせたら、その刀があんたの首を刺し貫くわよ」
ソニタはめいっぱい威厳を込めて脅した。
「……メーラの魔術士が優秀という噂は、本当のようです」
敵は弱々しい声で言った。
「そうよ。さあ、答えてもらうわ。あんたは何でこんなところで、貧民の反乱に加担しているわけ?」
「……」
「答えなかったら、あんたの体内の水分をどんどん抜いていくから」
ソニタは、相手の毛穴という毛穴から、少し血の混じった水分をドクドクと流出させた。敵は小さく悲鳴を上げた。
「私もそれ、ちょっとだけ自分にやったことあるけど、痛くて苦しいでしょう。終いには干からびて死ぬわよ。でも、質問に答えたら止めてあげる。さっさと吐きなさいよ」
敵は真っ青な顔色をして、震える声でこう言った。
「祖国からの……指令で……」
「もっと詳しく」
「戦争に……備えて……メーラの力を……削ぐために……」
ソニタは魔術を止めた。相手は気を失っていた。
ソニタは彼を水の泡の中に閉じ込めた。
それからフィタンの方へ行こうとしたが、そちらは粗方片付いていた。フィタンが親玉を見つけて泡の中に捕まえているので、残りの勢力が総崩れになっている。あとはここの貴族に雇われた護衛たちの力で何とかなりそうだ。
「おや」
フィタンは泡をぷかぷか浮かべながら歩み寄ってきた。
「何ですか、それは」
「反乱に加担していたリグル人です」
「リグル人……なるほど」
「戦争に備えてメーラの力を削ぐとか言っていました」
「ええ……。昔からのことですね。メーラ帝国の民族同士の分裂を諸外国が煽っているのは。ヤミラ半島を手に入れたリグル帝国が、その手を積極的に使ってきても、不思議ではありません」
それからフィタンは自分の引き連れている泡をぽよんとつっついた。
「こちらでも一匹捕まえました。盗賊組織の下っ端ですね」
「盗賊組織……。あの、国内で勢力を拡大しているというやつですか」
「はい。貧民たちに反乱を起こさせた後、彼らを根こそぎ自分の組織に招き入れるつもりだったのでしょう。……その企みはある程度成功していると言わざるを得ませんね。焼け出された人が大勢出ている」
「そうですか……」
フィタンはふわっと宙に浮き上がった。
「ではこの二人を留置所へ。事情をもっと詳しく吐いてもらいましょう」
その後の作業は円滑に進んだ。留置所へ連れて行かれた二人が魔術道具で拘束されるのを見届けてから、フィタンとソニタは王宮へ向かうために飛び立とうとした。
その時、ぐらりと地面が揺れて、ソニタはひっくり返った。
「えっ!? な、何!?」
揺れが止まらない。立てない。這いつくばるのが精一杯だ。
「地震!?」
それにしてはおかしい。気配がする。魔術の気配が。
「まさかあのリグル人……」
「いえ、あやつの魔術ではないでしょう。気配が遠すぎる」
フィタンもひっくり返っていたが、顔色一つ変えていなかった。
「遠い……」
「規模も大きいようだ。強力な土の魔術士の仕業と見ていいかと」
強力な、土の魔術士。
「……いや、そんなまさか……」
「急ぎましょう、ソニタさん。海岸線の方へ」
「えっ?」
「こういう時、水の魔術士がやるべきことは一つ。津波を食い止めることです。付近の土の魔術士が堤防を築いてくれるでしょうから、彼らと連携して津波の被害を阻止するのです」
「は、はいっ!」
「二手に分かれましょう。揺れが収まり次第、ソニタさんは東の方面へ。私は西へ向かいます」
「了解です!」
ソニタは何とか踏ん張って立ち上がると、超高速で南東に飛んでいった。すぐに海が見え始める。何だか異様に海面が膨らんで見えた。
「はああああーっ!」
ソニタは精一杯魔力を送って、津波を押し返そうとした。
だが、それ以上に、波の力が強い。まるで海全体が底から丸ごと押し寄せてくるような強力さ。
「これが、津波……!」
こんなものが上陸してきたらひとたまりもない。大勢の人が犠牲になる。決して失敗は許されない。
でも、どうしたらこの災害を止められるだろう?
……世界に自分を溶け込ませていくの。
マユリの言葉が蘇った。
……水を操っているんじゃない。自分自身を操る……つまり世界を操る……広い世界を……。
ソニタは、海を押し返そうとするのをやめた。
途端に膨れ上がり暴れようとする海を、静かに、なだめて、抑え込む。
鎮まれ。慎重に。穏やかに。
自分を操るようにして、自然を操る……。
「フゥー……」
他の魔術士が集結して、それぞれが対策に乗り出しているのを感じる。ソニタは波に乗ってたゆたうようにして、魔力に身を委ねた。
ドパン、と陸に到達した津波の規模は予想よりも遥かに小さく、魔術士たちが築き上げた堤防によって被害は容易く防がれた。
気が抜けたソニタは宙から落下を始めた。
それをふわりと抱き止める手があった。見覚えのある、漆黒の影。
「あ……お久しぶりです。奇遇ですね、先生」
「ソニタさん、よくやりました。お疲れ様です。しかし、気を引き締めて下さい。今すぐに!」
ハリシュは相変わらず手厳しかった。
「……? 津波は防ぎましたけど……」
「敵の攻撃はこれからです。急ぎ王宮へ行きますよ。何はともあれ首都と国王を死守せねばなりませんからね」
「ふぁ……」
ソニタは猛烈な速さで王宮まで連れ戻された。
幸い、王宮は無事だった。多少、貴重な装飾品や置物などが落下して壊れてしまっているが、建物自体に大きな被害はみとめられない。
廊下をずんずんと歩くハリシュについて行きながら、ソニタはふるふると頭を振って気を取り直した。
「先生、あの地震の魔術の気配……」
「ええ、分かっています」
「どうしましょう。マユリに何かあったんでしょうか。ついにナヴィーン島が侵攻されたんでしょうか」
「どうでしょうね。その程度であれば手の打ちようもあるのですが」
「えっ……?」
二人が辿り着いた集会室には、続々と他の王宮魔術士が集まっていた。
国王陛下が立ち上がる。その手に握られているのは飛び手紙……速報を伝えてくれる魔術道具だ。
魔術士たちはしんと静まり返って、国王のお言葉を待った。
国王は重々しく口を開いた。
「ナヴィーン島がリグル帝国に寝返った。これよりメーラ帝国は、リグル帝国およびナヴィーン島との戦争を開始する」
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