第9話 これまでよく頑張りました


 塾の生徒たちがこのように切磋琢磨して過ごしている間にも、世界は少しずつ動き始めていた。


 メーラ帝国としては、南西の大陸にあるヤミラ半島の運命に注目していた。

 ヤミラ王国はメーラ帝国の友好国である。しかしリグル帝国をはじめとする列強各国は、南西の大陸の国々を次々と制圧し、植民地化していた。ヤミラ王国にその魔の手が伸びるのも時間の問題だった。

 ヤミラ半島が敵の手中に収まってしまえば、ナヴィーン島への足掛かりができる。そしてナヴィーン島を押さえてしまえばメーラ帝国本土も容易く落ちるだろう。

 今、列強の国々は、どの国がヤミラ半島を征服し、メーラ帝国に手を伸ばすかで、熾烈な争いを繰り広げている。


「全く迷惑な話よね」


 ソニタは盤上遊戯の駒を動かしながらマユリにこぼした。

 塾の時間が終わって、二人は遊戯で暇を潰しているところだった。


「あいつら、誰の許しを得て植民地化なんて野暮な真似をしているのかしら」

「国だから……。戦争の勝ち負けが全てなんだよ」


 ソニタがコトンと置いた駒を見て、マユリはしばらく考える素振りを見せた。


「全く嫌になるわ。戦争なんて要は魔術士同士の殺し合いでしょう」


 一般人が参戦しないわけでもないが、彼らは魔術士の前ではほぼ役に立たない。参加するより避難する方が賢い。よって必然的に、魔術士たちによる高度な戦いのみが繰り広げられることになる。


「ソニタちゃんは国内の治安を守る仕事をしたいんだから、希望が通れば前線には立たずに済むかもね」

「……そうだけど……。国の危機を前に、戦わずに傍観することが、果たして私のやりたいことなのかしら……」

「ソニタちゃんは、国を守るために戦いたいの?」

「いえ、率先して戦いたいわけじゃないわよ。でも、メーラ帝国が植民地になんてなったら、国民がどんな扱いを受けるか……それを思うと、戦わないことは許されない気もするの」

「そう……」


 マユリはようやく自陣の駒を持ち上げた。


「マユリこそどうなのよ。もし敵がヤミラ半島まで迫ってきたら、ナヴィーン島はじきに戦場になるわよ」


 マユリは穏やかに微笑んだ。


「私は戦う決意ができているよ。たとえ誰が相手でも」

「はあー」


 ソニタは椅子にもたれかかった。


「やっぱりマユリは私とは違うなあ」

「どういうこと?」

「魔術士としての格……っていうのかな。マユリは優秀だよ」

「どうかな。私はソニタちゃんが羨ましいけどな」

「は?」


 ソニタは本気で意味が分からず、身を起こした。


「何で?」

「立派な人だよ、ソニタちゃんは。真っ直ぐで、優しくて、他人のために一生懸命になれる」

「……そんなの、大層なことじゃないわ」

「ううん。大事なことだよ。魔術士は生まれついて、一般人を守るさだめにあるって、前に言ったでしょう。ソニタちゃんはそれを体現しているような人だよ」

「マユリは違うっていうの?」

「さあ、ね」


 マユリはコトンと駒を置いた。


「はい、王手。やっと勝てた」

「あ」


 そんな中でも塾での指導は続いていく。

 ハリシュは限界というものを知らないかのように、ビシバシと課題を出してくる。お陰様でソニタは急速な速さで、百匹の水の小人を自在に操れるまでに成長した。魔術の範囲も広がって、今や町一つ沈められるくらいの水量を扱える。


「でも実際に町一つ沈めるわけがないじゃないですか。こんなに魔力を強めて、どうするつもりなんです?」

「魔力は強ければ強いほどいい。それに比例して本人の身体能力や第六感も強化されますし」


 ソニタの疑問に、ハリシュはにこやかに答える。

 二人はそれぞれの分身を百体使って、激しい争いを繰り広げている最中だった。分身に戦わせておきながら、本人たちは呑気にお喋りをする。そういう訓練だ。


「ソニタさんだって、強くなりたいでしょう」

「それはまあ、はい」

「僕はね、個人の力でどれほどのことができるのか、それを引き出すのが、たまらなく楽しいのです。ワクワクします」

「先生の趣味の問題なんですか?」

「まあ、半分くらいはそうです」


 ソニタは肩を落とした。


「私たちは先生の玩具ではありませんよ……」

「でも僕は、王宮魔術士として、間違ったことはしていませんよ。メーラ帝国の未来のためには、一人でも多くの強い魔術士が必要ですからね」


 ドーンと一段と大きな音がして、影の小人と水の小人がそれぞれぶっ飛んでいく。勝負も佳境を迎えていた。


「ええと……それは、世界の動きと関係がありますか」

「あるかないかと言われれば、あります」

「でも私、戦場に出るとは限りません」

「そうでなくとも、危険な仕事を任される可能性はあります。この先この国がどうなるかも分かりませんし。どんな状況になっても、可愛い弟子には生き延びて欲しいですからね。これがもう半分の理由です」

「……はあ」

「ほら、気を抜いていると、負けてしまいますよ」

「いいえ、そうはさせません!」


 ところが、ドーンと再び音がして、ソニタの小人は全滅してしまった。砕けた水の玉がぷくぷくと空中を浮遊している。


「あーっ。負けたわ!」

「残念。惜しかったですね」

「もうーっ。加減というものを知らないんですか? 私が先生に勝てるわけないじゃないですか!」

「加減なんてする余裕はありませんよ」

「え?」


 ハリシュは嬉しそうだった。


「いやあソニタさん、強くなりましたねえ」

「そんな……そんなにですか?」

「はい。そもそも、生まれついての才能は、僕なんかより君たちの方が上ですよ。強くなって当然です」


 何と言っていいか分からず、ソニタは沈黙した。


「さて、次のお相手はいつも通りマユリさんですが、ソニタさんにはついでに話をしておきましょうか」

「はい?」

「もう僕は素の力ではマユリさんに勝てません。ですから今日からマユリさんとの訓練では、これを使います」


 ハリシュが巾着から取り出したのは、透明の玉。命の珠だった。


「えっ」


 ハリシュにこれを使わせるほどの実力。ただごとではない。


「改めて凄いんですね、マユリって」

「悔しいですか?」


 ハリシュが指摘した。ソニタは一瞬、言葉に詰まった。


 塾に来て出会った一番の友達。

 いつも笑顔で接してくれる優しい人。

 なのに決して敵うことのない相手。

 二人の間には絶対的な差がある。

 対等に接していたいのに。隣に並んでいたいのに。

 どうしようもない劣等感が、彼女への友愛の情を邪魔する時がある。そんな自分が憎くもある。

 強くなりたい。彼女のように。

 いつでも笑ってそばにいられるように。


「悔しいです。とっても」


 ソニタは答えた。


「素直でよろしい」


 ハリシュは頷いた。


「ソニタさんも、卒業までに僕にこの奥の手を使わせてみせて下さい」

「……努力します」

「期待しています」


 そんな会話をした数日後、リグル帝国が敵国との戦いに勝利して、ヤミラ王国をも征服し、ヤミラ半島を手中に収めた。

 暑季の最中のことだった。

 メーラ帝国の緊張感は否が応にも高まった。

 王宮は各地の魔術士をナヴィーン島およびメーラ帝国本土の南海岸に集結させ始めた。

 島の魔術士として、マユリも一度ナヴィーン島に帰らなければならなくなった。

 十日ほどで塾に帰還したマユリは、浮かない顔をしていた。どうしたのかと尋ねても、歯切れの悪い返事しか返ってこない。


「機密事項が多くて、あんまり話せることが無いんだよね……」

「へえ、大変なのね」

「リグル人はもうナヴィーン島に何人か来てる。王宮の人や島の長と会って、色々と交渉しているみたい。交渉の結果によっては戦争になるし、ならなくても経済的に何かしらの打撃を食らうのは間違いなさそう」

「マユリは? 何か言われたの?」

「ううん。特に何も。島の決定に従って力を貸すっていうことだけ……」


 そう言って溜息をつくマユリは、いつもよりひどく疲れて見えた。


「島の魔術士としての役目も大変でしょうけど、無理だけはしないでね」

 ソニタは言った。

「何かあったら私を頼ってくれていいのよ。もし私にできることがあったらの話だけど。あんたは島の魔術士である以前に、私の友達なんだからね」

「……ソニタちゃん……」

 マユリはきゅっと口元を引き締めた。

「うん。ありがとう」


 リグル帝国の動きは、いつになく緩慢だった。雨季が訪れても、まだ交渉の段階から先に進まない。

 メーラ帝国は他国と違って、近年は優秀な魔術士を多く輩出しているから、警戒されているのかも知れなかった。

 しかし戦争の危機が迫っていることに変わりはない。メーラ帝国は長期間の緊張に晒されて、やや疲弊していた。


 それはさておき、雨季の湿度の高さはソニタに有利に働いていた。毎日襲ってくる大雨も、水の魔術の味方をしてくれる。

 ハリシュに奥の手を使わせる絶好の機会だ。

 これで少しでもマユリに近づきたい。そう思ってソニタは鍛錬を重ねた。

 同時に、王宮魔術士の採用試験の勉強もせねばならなかったが、これはほとんど問題ないだろうとのハリシュのお墨付きだった。


「僕との鍛錬と勉強をしっかりやっていれば、あんな試験どうってことないですよ」

「そうですか」

「来年の枠は五つもありますし、余裕でしょう」

「普通こういう時、師匠なら、気を抜くなとか言って、激励するものじゃないんですか」

「僕は事実を言っているだけですよ。だってソニタさん、僕が言わなくたって、試験を舐めてかかったりなどしないでしょう」

「そりゃあ、しませんけど」


 そんなやりとりをしながら、分身同士を戦わせつつ、本人同士も殴る蹴るの近接戦闘訓練をしている。


「ぐあっ」


 腹部に強烈な蹴りを食らって、ソニタは吹っ飛ばされた。


「オエッ……何か先生、今日は容赦がないですね……」

「ああ、言い忘れていました」


 ハリシュは懐から巾着を取り出した。例の珠が入っている袋だ。


「今日からこれ、使ってます。と言っても、一割ほどの力ですが」

「!」


 ソニタはぽかんとした。


「そ……」

「はい?」

「そういうことは早く言って下さいよっ!」

「フフフ、いやあ、おめでとうございます。目標達成ですね」

「今この時に言われましても」

「さあ、そうと分かったら早く続きを始めましょう!」

「ちょ、ちょっと待って……」


 そうこうしているうちに雨季も過ぎ去り、遂に卒業の時がやってきた。

 特別な日を迎えても、ハリシュはいつも通りにこやかに、てきぱきと話を進めてしまう。


「皆さん、これまでよく頑張りました。近頃の世間は何かと物騒ですが、何があろうと皆さんなら大丈夫です。誇り高き魔術士として、各々の歩むべき道を歩んでください。では、卒業おめでとうございます。以上、解散。お気をつけてお帰りください」


 がやがやと生徒たちは別れの挨拶をし始める。

 ソニタはマユリの元に歩み寄って、その手を握った。


「あんたに会えて良かった。マユリ」

「うん。私も……。元気でね、ソニタちゃん」

「うん。マユリも」

「……」


 マユリは無言でソニタの肩に抱きついた。ソニタは少し驚きはしたが、優しくマユリを抱きとめた。


「ありがとう……」

「……ありがとう」


 さようなら。

 三年間共に学んだ仲間たちは、今日から別々の道を歩み始める。


 そして、十人の生徒たちはみな、夢を叶えることができた。


 軍に入りたい者は軍に。

 島の魔術士は島に。

 王宮魔術士になりたい者は王宮魔術士に。


 ソニタとラヤンは王宮魔術士採用試験で一発合格し、新人王宮魔術士としての第一歩を踏み出したのだった。

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