第8話 謙遜しないでちょうだい


「そうそう。いい感じじゃないですか」

「むむむ……」


 三年生になったある日、ソニタは久しぶりにハリシュの個別訓練を受けていた。

 ソニタの手のひらの上では、水でできた小人が、ころころと転げ回りながら鼻歌を歌っていた。


「こら、歌っていないで挨拶しなさい」

「あい」


 小人はシャキッと立ち上がると、ハリシュに向かって頭を下げた。


「ソニタ・ガーヤです。よろしくおねがいしましゅ」

「噛むんじゃないわよ」

「フフフフ可愛いじゃないですか」


 小人はスイーと手のひらから浮き上がって、ハリシュの頭の上に乗った。


「おやおや」

「すみません。机の上に乗るように操ったつもりだったんです」

「なんかこれプルプルしてますね」

「水ですからね……」


 はあ、とソニタは嘆息した。分身を操るのは少々疲れる。


「ではソニタさん」


 ハリシュは小人を下ろすと、なみなみと水の入った盥を手で示した。


「早速ですが、その小人をあと九十九匹作ってください」

「はい!」


 ソニタはいい返事をしてから、首を傾げた。


「……九十九?」

「はい。九十九です。合わせて百」

「確かに増やすって言いましたけど、そこまでとは……私まだ五匹くらいしか……」

「目標は高い方がいいでしょう? ソニタさんの器用さは随一です。分身の精度は最優秀と言っていい。どうせなら限界までやってみませんか? 僕だって入塾試験の時は分身を百体作りましたし、ソニタさんだって行けますよ」

「先生と比べないでくださいよ」

「弟子は師匠を超えてゆくものです。さあさあ」

「……」


 ソニタは盥に手をかざした。水面にぶるぶると波紋が走る。やがて、ちゃぷん、と小人が飛び出した。


「にひきめです」


 小人は言った。


「さんびきめです」

「よんひきめです」

「ごひきめ」

「ろっぴきめ」


 ハリシュはにこやかに言った。


「その速さでは日が暮れてしまいますよ」

「うぐっ……」


 ソニタは表情を引き締めて集中を高めた。

 ちゃぷちゃぷ、と今度はいっぺんに十匹の小人が出てきた。ソニタは彼らを頭上へ追いやると、また盥を睨みつけた。

 ポポポポポポポポ、と目にも留まらぬ速さで小人が飛び出してくる。


「……先生」

「何ですか? まだ五十七匹ですが」

「これ以上は増やせません……」

「ふむ。因みに増やしたらどうなります?」

「他の小人たちの魔術が……全部解けます……」

「なるほど」


 息も絶え絶えに机に突っ伏しているソニタを、ハリシュは見下ろした。


「仕方ないですね。では今回はこの五十七匹でやりましょう」

「……? まだ、何か、やるのですか」

「何を仰いますか。ここからが本番です。手始めにこの五十七匹に、僕がいいと言うまで踊りを踊らせて下さい。一匹でも休ませてはいけませんよ」

「ちょ、ちょっと待っていただけますか」

「駄目です」

「うぐぅっ……」


 ソニタはバンッと机に手をついて体を起こし、パチンと手を叩いた。途端に五十七匹の水の小人たちは、てんでばらばらに妙な歌を歌い、ぐねぐねと変な踊りを踊り出した。


「みゃーみーむるるる、むーまあー」

「みいみいみい」

「みひゃらくひょいひょい、ひょわわあー」


 非常にやかましい。そして見ていると頭がくらくらしてくる。


「ンフッ……フフフフフ……これはまた斬新な……」

「わ、笑ってないで、コツを……教えて下さい……っ」


 ソニタは顔を真っ赤にして魔術に集中していた。


「いえ、一匹ずつばらばらに操れている時点で、コツは押さえられていますよ……いや、予想以上でした、お見事です。この調子で規模と精度を上げればいいので……ッフフフ……」

「それって、どうやったら上がりますか」

「フフフフフフフフ」

「先生」


 その後もしばらく訓練は続き、ソニタには二つの課題が出された。


「百匹の小人を出せるようになることと、一匹でできることを増やすこと。この二つをこなすことで、ゆくゆくは百匹を自在に操れるようにしていくってわけ。だから、今日から五日間、お喋りは私の代わりにこの子がやるわ」


 ソニタは口をぎゅっと一文字に結び、向かいのマユリを見ていた。机の上に乗った小人は、饒舌に状況を説明している。


「そうなんだ……」


 マユリはこころなしかシュンとして小人を見た。


「どうしたの、マユリ?」

「いや、ソニタちゃんと直接お喋りできないの、ちょっと寂しいなって……」

「んんっ」


 ソニタの本体がむせた。


「だ、大丈夫?」

「……」


 ソニタは無言で頷き、咳払いした。


「いちゅ、五日間! 五日間だけだから、我慢してちょうだい」

「分かりました、小さいソニタちゃん」


 その時、ハリシュがひょこっと教室に顔を出した。


「マユリさん、午後はあなたです。運動場へ行きましょう」

「はい、先生」


 マユリは立ち上がった。


「じゃあ、後でね、ソニタちゃん」

「ええ、行ってらっしゃい」


 一人になったソニタは、小人を逆立ちさせたりくるくる回したり、色々と実験を行なっていた。そこに声をかけてきた者がある。


「おい、そこの庶民」


 この高慢な態度。ラヤンである。ソニタは小人から目を離さずに、小人にこう返させた。


「何よ、間抜け」

「ちょっと待て、間抜けとはまさか僕のことか?」

「いいから早く要件を言いなさいよ」

「……。その小人はどうやって作った」

「どうやってって……」


 ソニタは小人に手順を説明させた。

 水を集めて、魔力で満たし、人体の形に寄せていく。喉を震わせることで空気に振動を与え、声を出させる。


「と、まあ、こんな感じかしら」

「……」

「何よ」

「……僕もそれ、やってみたかった……」

「んんっ」


 またしてもソニタの本体がむせた。

 咳き込みながらも小人に喋らせておく。


「あんたにそんな可愛げがあったとは知らなかったわ」

「うるさいっ。僕はお前に劣るわけにはいかないんだ。僕こそが王宮魔術士になる男なんだから」

「だからって別に同じことができなきゃ駄目ってわけじゃないでしょう。あんたみたいな風の魔術使いだけじゃなくても、分身が作れない魔術士なんてごろごろいるわよ。ルドラとかロヒトとかもそうだし」

「それはそうだが……あ」

「ん?」

「音は空気の振動だと言ったな……」

「うん? 何をする気?」


 ラヤンが眉間に皺を寄せた。途端にバァンと爆発音がして、教室の机がガタガタと揺れた。ざわっと教室中に驚きが走った。


「……、あんたねえ」


 思わずのけぞったソニタは、辛うじて自分の口から突っかかるのをやめて、小人に喋らせた。小人は衝撃でまだプルプルしていた。


「最近は出力がバカみたいに増してるんだから、加減というものも覚えなさいよ」

「ああ……思い通りの音を出せるように調整が必要だな」


 ラヤンは周囲のことなどまるで意に介していない様子だった。


「全く……」


 ソニタが息をつく間もなく、今度はバキャッと物凄い音がして、教室の床がグラグラと揺れた。ソニタは椅子からずり落ちそうになった。


「また!?」

「いや、僕はやってないぞ」


 ラヤンは困惑したように言った。


「誰だ」

「外だよ」

「外!?」

「マユリか?」


 窓の方に駆け寄って校庭を見下ろすと、そこには凄まじい光景が広がっていた。


 地面が真っ二つに割れている。それだけならよくあることだが、今回は規模が違った。割れ目から煮えたぎる炎が垣間見える。……溶岩だ。その禍々しい真っ赤な色は、この世の終わりを彷彿とさせた。


「え、嘘だろ」

「すげえ」

「あれ大丈夫なのか?」

「噴火でも起こしたら、塾どころか町ごと消滅するぞ」

「マユリはそんなヘマはしないわよ」


 地響きがして、割れ目が閉じてゆく。やがて校庭は元の姿に戻った。生徒たちは安堵の息をついた。


「いや怖いな」

「地の底までとは……魔術の範囲が広すぎないか」

「人畜無害そうな顔をして、得体の知れない奴」

「ええ。私も負けていられないわ……」

「お前あれに勝ったことないだろうが」

「そりゃあ、ないわよ。単純な勝負ではね」


 わいわい言い合っているうちに、マユリが帰ってきた。あれだけの大技を使ったのに、いつも通り気の抜けた笑みを浮かべている。全くもって底知れない魔術使いだ。


「はいはい、注目」


 ハリシュも戻ってきて教壇に立った。生徒たちはひとまず席に着いた。ハリシュはいつものようにペラペラとまくしたてた。


「さて一通り個別訓練は終わりましたね。皆さんはそろそろ、一人前に魔術を使いこなせるようになっていますから、あとは能力を伸ばせるだけ引き伸ばしましょう。限界まで! 卒業までに一つでも多くの技を身につけて下さい。前にも言いましたが、僕の受け持ちの生徒の卒業要件は、『最後まで気を抜かないこと』。一人前では僕の弟子としては不十分です。是非一流になって卒業して下さいね。……では僕は仕事が入ったので、残りの時間は自習とします。各自、言い渡された課題とそうでない課題に取り組んで下さい。以上です」


 ハリシュはサッと教室から姿を消した。

 生徒たちはてんでに自習を始めた。


 マユリはソニタの元に妙なものを持ってきた。


 土でこねて作られた小人で、目はなく、口の部分に穴が開いている。その口から、怨念がこもっているかのような、恐ろしげな呻き声が漏れ出ている。


「あぁぁぁ、うぅぅぅ」


 まるで呪いの人形のようである。気味が悪い。子どもが見たら泣き出しそうだ。


「……何かしら、それは」


 ソニタは小人を通して問うた。マユリは困ったように微笑んで、こう答えた。


「私も小人を作ってみたのだけれど……うまく喋ってくれないんだよね。どうしたらいいと思う?」


 喋りの他にも問題があるように見受けられるが、確かにこの呪詛の言葉はいち早く何とかしたいところだ。


「ちょっと、ちゃんと喋らせてみて」

「分かった」


 土人形は口をモゴモゴさせた。


「すぉぉ、んぃぃ、とぅぁぁ、ちぃぁぁぁあ、う」


 ソニタはまじまじとその動きを観察した。


「……声帯も口の形も問題なしね……。うーん、微調整したいところだけれど、土は水とは随分と勝手が違うから……」

「ああ、つまり、柔軟性の問題……かな。それならもっと魔力を細部まで行き渡らせれば、できなくもないはず……」


 マユリは真剣な表情で土人形を見つめた。


「そ」

 土人形ははっきりと言った。

「!」

 ソニタは身を乗り出した。

「に、た、ちゃ、……むうぅ〜」


 最後の最後で珍妙な鳴き声が出てしまった。

 その声があんまりに面白かったので、ソニタとマユリはけらけらと笑った。


「あ、あはは、駄目、声を出して笑っちゃったわ」

「今のは仕方ないよ」


 ゴホン、と咳払いして、ソニタは改めて小人を操った。


「惜しかったわね!」

「……うん、でも、コツは分かった気がする。ありがとう」

「お礼は結構よ。私は大したことしてないし。代わりと言っては何だけど、魔術の範囲を広げるコツを教えてちょうだい」

「え……っと。いいよ。……校庭に出よう」

「分かったわ」


 マユリは校庭の真ん中まで歩いていくと、四肢を投げ出して仰向けになった。ソニタは疑問に思いながらも、それに倣った。小人も同じ仕草をした。


「自分を自然の一部だと思うといいよ」


 マユリはこちらを向いて言った。


「うん?」

「体内を巡る血はね、大地を巡る水の流れの、ほんの一部に過ぎない。そう思うと、自分と自然の境界線が、曖昧になるでしょう。そうやって世界に自分を溶け込ませていくの。水を操っているんじゃない。自分自身を操る……つまり世界を操る……広い世界を……」

「……」


 ソニタは深呼吸をした。吐いた息が世界に投げ出される。世界から空気を吸い込む。世界では水が巡っている。雨が降り、川となり、海に流れ、雲となって、また雨が……その輪の中に自分もいる。

 空。空には沢山の水の粒がある。かき集められるだろうか。大丈夫だ。今の自分なら……。何せ自分は世界で、世界は自分なのだから。

 乾季でも、水を集めれば雲となる。もっと遠いところから……もっと高く、もっと深く、もっと広く。黒々とした雲を作ろう。


 ソニタちゃん、と遠くで声がする。

 何だろう、今は、邪魔をしないで欲しい。

 でも、この声は……。


「ソニタちゃん!」


 ソニタは頬に容赦のないビンタを食らって、はっと目を覚ました。

 ドバドバと降りしきっていた豪雨が止んだ。

 ソニタは全身ずぶ濡れになって横たわっていた。

 そこにマユリが抱きつかんばかりの勢いで飛びついた。


「わああん、どうなることかと思ったあ! ごめん、ごめんねえ。無理をさせちゃって」

「……あら……私……」


 気づけば小人も消えていて、辺りは水浸しだった。


「ソニタちゃんは返事をしないし……雨はどんどん強くなっていくし……心配したよぉ」

「それは……ごめんなさいね」


 ソニタは自分の手のひらを目の前にかざしてみた。

 今、掴みかけたものは、もしかして、マユリがいつも感じている世界なのだろうか。

 あんな壮大なものを内に抱えながら、平然と魔術を使っていたのか。

 それは強いわけだ。


 ソニタは起きあがろうとしたが、腕に力が入らなかった。それをマユリが助け起こした。


「魔力を使い過ぎたんだよ。とりあえず、他の学年の先生に見てもらおう」

「……いえ、大丈夫」

「でも……」

「大丈夫」


 ソニタはふらふらと立ち上がった。


「この程度でくたばっていたら、一流にはなれない。マユリ……あんたに追いつけない」

「追いつくなんて、そんな。私はまだまだ……」

「謙遜しないでちょうだい。マユリは凄い。これは本当のことなのよ。そして私はマユリみたいに強くなりたい」

「……ど、どうして……」

「それは」


 ソニタは一瞬言葉に詰まった。

 どうして?

 ……いや、雑念は不要だ。

 ソニタは魔力を搾り出して、小人をもう一度作り、こう言わせた。


「多くの人を助けるために。人を助けるには、力が要るのよ」

「……」

「ありがとう、マユリ。あとは自分で歩けるわ。心配させて悪かったわね」


 ソニタは自分とマユリの濡れた体をサッと乾かした。


「戻りましょう、教室に。やることはまだまだ沢山あるんだから」

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