第7話 だったら私は友達を助けたい
実地訓練は王宮魔術士の仕事についていくだけではない。地方に散らばっている様々な魔術士からも、学ぶことは沢山ある。そう何度も訓練に行く訳ではないが、行くたびに収穫があった。
魔術士たちはいつも全力を見せてくれる訳ではない。むしろほんの少ししか魔術を使わないこともある。ただ、その仕事ぶりを間近で見るのは面白い。
「で、今回はどんなところだったの?」
ソニタは喫茶店でお茶を飲みながらマユリに聞いた。
「南東の港町に行ったよ。あそこは外国人も多いから揉め事も多いんだけど、殺したら問題になる危険があるから難しいんだって。でもそういう荒事より、貿易や観光業に貢献することの方が大事みたい」
「そうね。魔術士のいる町は急速に発展するから。その人が死んだら衰退するけど。……だからマユリみたいな後継者を置く地域もあるわけね」
「うん。ソニタちゃんは?」
「北の国境線近く。といってもあそこは山脈だからそんなに警戒する必要はなくって、田舎町として細々とやってる感じだったわ。……いえ、田舎町にしては作物の収穫量が段違いで、その辺をあそこの魔術士が手伝っていたみたい」
「なるほど……いたた」
マユリは右肩を押さえた。
「あら、まだ昨日の怪我が残っているの? 大丈夫?」
「あ、うん……。でもまさか全員が私に向かってくるとは思わなかった……」
「これまでの訓練でみんな学習したのよ。みんなというか、ラヤンたちがね。全員参加の個人戦なら、まず最初に九人で一致団結してマユリを叩かないと、勝機が無いって」
「そんなあ……うーん……。もっと多対一の近接戦の対策をしておかなくちゃ」
「女の子にそれはちょっと難しいんじゃないの? 私たちみたいなのは、まず近付かれないことが大事だと思うけど」
「でも、いざ近付かれて、何もできなかった、じゃ済まないよ」
「……そりゃそうね」
その時、机の上に、ひょこっと黒い小人が登ってきた。
「マユリさんマユリさん」
「はい? 先生?」
小人は紛うことなき、ハリシュの分身だった。
「先生、どうしてここに?」
「緊急事態です。至急、塾に戻って来てください」
「え? あ……はい」
マユリは立ち上がった。
ソニタはマユリの顔色を伺い見た。マユリは不安そうに目を泳がせている。
「緊急事態って……ご家族に何かあったのかしら?」
「ううん、家族は死んでるから……」
「え、ちょっと、そんなの聞いていないのだけれど」
「……可能性があるとしたら……」
マユリはいっとき、ぎゅっと目を瞑った。
「ごめん、ソニタちゃん。先に戻ってる」
「……ええ。支払いが終わったら追うわ」
「ありがとう。それじゃ」
マユリは店の外に走り出ると、土の塊に乗って空高く浮かび上がり、一直線に塾を目指した。
遅れてソニタが塾に戻り、ハリシュの部屋まで向かうと、白い顔をしたマユリが扉の前で立ち尽くしていた。
「何があったの、マユリ」
「──、──」
「……何て?」
今のはトゥイ語だろうか、聞き慣れない発音体系だ。
「師匠が」
マユリは言い直した。
「師匠が亡くなったって」
ソニタは呆気に取られた。
「師匠って、島の魔術士が?」
「うん」
「そ、それは」
高齢とは聞いていたが、急な話だ。
「ご愁傷様……です」
「うん……」
マユリはその場でうずくまった。
「死に目にお会いできなかった……」
「……」
「──……」
泣いているのかと思ったが、違った。マユリは心細そうな顔でソニタを見上げると、すぐに立ち上がった。寮に向かって歩き出したので、ソニタもついてゆく。しばらく無言で歩いていたが、ぽつりとマユリが沈黙を破った。
「明日の夜、お葬式のために、一旦島に帰るんだ」
「うん」
「……師匠の遺言書には」
「うん」
「私を、次の島の魔術士に正式に任命するって」
「あ……。じゃあ、塾をやめるの?」
「ううん、魔術士がいつも島にいる必要はないから、それは別に……」
「そう」
「島の魔術士の仕事自体も大したことなくて、しかも師匠に仕込まれてきたから、大丈夫なはず」
「……そう」
二人は寮の前に着いた。
「マユリ」
「ん?」
「大変だと思うけど、無理しないで。何かあったら私を頼ってね」
マユリは少しだけ目を見開いた。
「……うん。ありがとう」
そう言って自室へと向かって行った。
翌日、ソニタは心配していたが、マユリは普段と変わらない様子で教室に入ってきた。
ハリシュはマユリの事情を静かに生徒たちに伝えた。生徒たちはざわめいた。
「奴が僕たちより先に魔術士の資格を……?」
「そこじゃないだろ、ラヤン」
「しかし塾の生徒が五大魔術士の一人になるなんて……」
はいはい静粛に、とハリシュは言った。
「というわけで、マユリさんは今日の晩から少し外します。それとは別に、来月は特別に実地訓練を行います。ナヴィーン島の魔術士の任命式典を見に行きましょう!」
「えっ」
マユリは驚いた様子で言った。
「えっ?」
「ええっ?」
「よろしいでしょうか、マユリさん?」
「それは、まあ、見学は自由ですが……」
「御本人に了承を頂きましたので決定です。皆さんは心の準備だけしておいて下さい。くれぐれも島の皆さんに失礼の無いよう。では、午前の訓練を始めます」
というわけで一月後、ソニタたちはハリシュの魔術でひとっ飛びに、南方に浮かぶ島ナヴィーン島にやってきていた。
今はメーラ全土で雨季なのでいつ大雨が降り注いでくるか分からない状況だが、島民の中の水の魔術使いたちが雨雲をよけているので、式典の会場だけはぽっかりと晴れていた。時刻は夕方、思ったよりは暑くない。
会場は円形で、石でできた観客席が、それを取り巻くように階段状に置かれている。
儀式は簡素なものだった。
不思議な縦笛が聞いたことのない音を奏でる中、紫色の長い着物を着たマユリが、舞台の真ん中にしずしずと進み出る。島の代表者らしき老爺が、木で編まれた冠をマユリにかぶせ、古びた金属の腕輪をマユリにかける。マユリは四方を見渡すと、袖の中で手を組んで膝を軽く折る、独特の礼をした。途端、拍手が巻き起こる。
後はお祭り騒ぎだった。太鼓と笛が鳴り響き、見物客が舞台や客席を自由に移動して歌い踊る。マユリは真ん中で静かに笑って、次々とやってくる島民と一言ずつ言葉を交わしている。やがて食べ物とお酒が出回って、宴の様相を呈してきた。
ソニタは串刺しの鳥の肉を頬張りながら、知らない味だ、と思った。味付けが濃く、やや癖がある。最初は驚いたが、悪くない味だ。白米が欲しくなる。
「うわ、まずっ」
「失礼なこと言うな、このボンボンが」
「貴様もボンボンだろうが」
「美味しいと思いますけどねえ」
「俺もそう思う」
「私も」
「そういえばソニタはマユリと話しに行かないのか」
「島民の方を押し退けて行くのはやめておくわ」
結局、マユリと会話できたのは、日が沈んで少し経ってからだった。
お祭りも終わって人もまばらになってきたので、ソニタは隙を見てマユリのところに一人歩いて行った。
「お疲れ、マユリ」
「ソニタちゃん」
マユリは微笑んでソニタを迎えたが、さっと表情を曇らせた。そして切羽詰まったように言った。
「悪いけど、迎撃をお願いできる? 私は島のみんなを守るから」
「ん、ああ、分かったわ」
魔術の気配が二つ、空を飛んでこちらに向かってくるのを、ソニタも感知できた。
「いくよ」
「そーれっ」
ソニタは斜め上に向かって水の防壁を張った。
マユリは大地を緩やかにうねらせて、島民を舞台から外へと退避させた。
ジュッ、とソニタの方に手応えがあった。防壁が瞬く間に蒸発していき、辺りは湯気で満たされた。
(やはり、片方は火の魔術。もう片方は……?)
湯気が消えて、二人の男の姿が現れた。
見覚えのある、長い裾の黒服。
「えーと……こんばんは、王宮魔術士さん」
マユリは遠慮がちに挨拶した。
「お二人とも、物騒なご挨拶ですね……。何か御用ですか?」
火の魔術士の方が、偉そうに進み出た。
「マユリ・ベレーコだな」
「はい」
「今から島の魔術士は俺が務める。お前は降りろ」
ソニタはあんぐりと口を開けた。
何を言っているのだ、この男は。
マユリは不思議そうに男を見ている。
「ですが遺言には、私を後継にすると記してあります」
「トゥイ族の戯言など法的根拠にならん。これはメーラ帝国政府の決定である」
「えっと……それは政府の方が違法です。五大魔術士の選定に関してはそれぞれの地域に一任されています。ご存知ですよね?」
「ナヴィーン島に限り、政府が任命できるとの特別許可が出た」
「ああ……そういう……」
そんな、とソニタは困惑した。
政府の許可が下りてしまったのならマユリに手立てはない。どうすればいいのだろうか。
だが、マユリは冷静だった。
「許可書はお持ちですか? 見てもいいですか?」
「……」
「そもそもそんな許可書が存在するのでしょうか」
「……、あるとも。そら、これだ」
マユリは一枚の紙切れを受け取って一瞥した。
「……やはり、王の印鑑が押されていませんね。この特別許可とやらは実質無効でしょう」
「……」
「そういう手口はメーラ政府に昔からありました。先に私の印鑑をもらえれば、多少強引でも契約は成立しますからね……」
「……」
「でも駄目です。私はまだ引退する気はないので……。お引き取り願えますか」
火の男は、後ろに控えているもう一人にこう囁いた。
「……お前、仕事してるか?」
「してるんですが……」
うん、とソニタは確信を持った。
二人目の男は心の魔術士だ。先程からマユリに魔術をかけようとしているが、マユリの持つ莫大な魔力がそれを拒んでいる。
火の魔術士は咳払いした。
「印鑑は押してもらう。多少力尽くでもな」
「でも印鑑は魔術道具ですから、私でないと押せませんよ」
「押させる手段はいくらでもあるのだよ」
「さっきからそちらの方がやろうとしている手段では、私は動きませんけど」
「……おい、本気でやれ」
「承知」
心の魔術士が手を差し伸べた。マユリはぐっと苦しそうに顔を歪め、よたよたと数歩下がった。
ソニタはつかつかと心の魔術士の近くまで歩み寄ると、その顔にビンタを食らわせた。
「ぶっ」
彼は魔術を解いた。
「何だこの小娘ッ……」
火の魔術士がソニタを捕まえようとする前に、ソニタは身軽な動きで彼らから距離を取った。
「ちょっと、ソニタちゃん、王宮魔術士になりたいんでしょ?」
膝をついていたマユリは、立ち上がろうとしながらソニタを咎めた。
「先輩相手にそんなことしちゃ駄目だよ。心象が悪くなるよ」
はあ、とソニタは溜息をついてマユリの元に歩み寄り、助け起こした。
「私、王宮魔術士になりたいのって、人を助けたいからなのよね」
かつてハリシュが、ソニタたちを盗賊から救ってくれたように、ソニタも誰かを助けられる人になりたい。
「でも最近分かったわ。王宮魔術士は決して英雄じゃないって。助けられる人には限りがあるって」
それは実地訓練で思い知った。助けられなかった人もいた。殺されなければならない人もいた。
全ての人を助けることは不可能だ。
「だったら私は友達を助けたい」
「……ソニタちゃん……」
「ねえ、未来の先輩方。力尽くって言ったわよね? だったらこっちも力尽くで対応するわ。覚悟なさい」
ソニタは人差し指を立て、その先に水を集中させた。
「チッ、相性が悪い……」
火の魔術士も炎の玉を出現させた。
「それっ」
「オラアッ」
両者はぶつかり、再び湯気が辺りを満たした。それがまだ晴れないうちに、マユリは地形を大きく変形させた。
舞台は高くて巨大な土の壁に囲まれていた。壁のてっぺんにソニタとマユリは立っていた。
「ま、あとは簡単よね」
「うん」
二人は、壁の中に取り残された王宮魔術士二人に向かって、やたらめったら岩と水をぶつけ始めた。
二人は何か叫んでいるが、ソニタたちのところまでは声すら届かない。
「どこまでやろうかしら?」
「今回は殺しちゃ駄目だから、あとは……」
フッ、と漆黒の影が二人の間を通り抜けて行った。
「……先生に任せよう」
マユリは土の壁を少しずつ沈ませた。舞台は元の形に戻った。辺りに岩と水がとっ散らかってはいたが。
「あまり僕の生徒に手荒な真似はしないで欲しいですね」
ハリシュはいつの間にか、王宮魔術士二人と、後ろから肩を組んでいた。
「ハリシュ・ルイス……!」
「こんばんは、久しぶりですね、お二人とも」
「よくも邪魔を」
「おや? 僕は手出しをしていないでしょう? 僕は同じ王宮魔術士としてお二人とは今後とも仲良くしていきたいと考えていますからね、お仕事の邪魔なんてしませんとも」
「だったら弟子の躾くらいちゃんとしたらどうだ!」
「凄かったでしょう、僕の生徒。強く育ってくれて僕はとても嬉しいです! それとも……君たちが実は大したことなかったのですか?」
「……、ゴタゴタぬかすな!」
「ま、今日のところはこの辺にしておくことをおすすめしますよ」
ハリシュはにこやかに言った。
「これ以上無様を晒すのは王宮魔術士の沽券にかかわるでしょう?」
「くっ……」
ドンッと火の魔術士が地面を踏み、仲間を連れて空高く飛び上がった。……炎を使っている様子はない。飛行用の魔術道具だろう。
「はいはい、お疲れ」
ハリシュはソニタとマユリの頭をポンッと叩いた。
「よくやりました」
「王宮魔術士ってあんな弱くてもなれるんですか?」
「いやいや、あれでも出来の良い方ですよ?」
ハリシュは笑った。
「ただ、僕の目標は、並の魔術士を凌駕する実力をつけてもらってから、生徒を世に送り出すことですからね」
「はあ……」
「さ、帰りますよソニタさん。マユリさんも、後日塾で会いましょう」
「はい」
「はい。じゃあね、マユリ」
「うん」
さて後日、塾に舞い戻ったマユリは、いつものように微笑んではおらず、こころなしか膨れっ面だった。ソニタは飛んでいってその訳を聞いた。
「軍事拠点を増やされたの」
マユリは不機嫌そうに言った。
「ん? どういうこと?」
「政府は私を島の魔術士に据え置いてくれるみたい。でもその代わりみたいにして、メーラ帝国直轄の新しい軍事拠点を、ナヴィーン島の南海岸に勝手に置かれた」
「あら……」
「リグル帝国を警戒してのことだと思うけど……ちょっと邪魔なんだよね……」
「そう。どうするの?」
「仕方がないから、放っておくよ」
マユリは溜息をついた。それから小さく言った。
「──」
「……何て?」
「何でもない」
教室の外では今日も強い雨が降りしきっていた。
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