第6話 自分の甘さにうんざりしてるだけ
魔術塾での訓練は順調に続いている。
明日からの実地訓練に備えて、生徒たちの先頭訓練にも力が入っている。
ソニタは今日は心の魔術使いルドラと組んでいた。彼の魔術は人の心を喜ばせたり落ち込ませたりすることができる。主に戦闘では敵の戦意喪失を狙ってくる厄介な相手だが、味方だと心強い。彼はラヤンの取り巻きでもないから、意思疎通も円滑だ。
現在は十名の生徒を三・三・二・二に分けて勝負を行っている。ソニタとルドラの相手は、金属の魔術使いのアンシュ、幻の魔術使いのジャティン、変身の魔術使いのヴィプル。人数的には当然こちらが不利。
ルドラは伏し目がちにこう言った。
「僕は、いつも通り後方支援に徹する……」
彼は目に見えないものを扱うが故に攻撃も防御もあまりできないのだ。ソニタは胸を張った。
「分かったわ。後は任せなさい」
さて、相手三人の中で最も面倒なのはジャティンだ。幻覚を見せてこちらの行動を狂わせる。だが人の五感を全て惑わせるのは困難だ。魔力で勘を強化すれば看破できることがある。
「じゃあ始めてくださいね。はいっ」
パチンッというハリシュの拍手が合図だ。生徒たちは行動を開始した。
ソニタは氷の剣を三つ思いっきり投げつけたが、予想通りその矛先にあるのはジャティンの作った幻だった。ドスドスと剣が地面に突き刺さる。ソニタはそれを爆ぜさせて、周囲に細かな氷の粒をばら撒いた。自分とルドラのことは水の防壁で守っている。
「おっと」
アンシュの操る針が防壁に食い込んできたので、ソニタは力づくで押し返した。ところが、その背後から鞭のように伸ばされたヴィプルの腕ががっしりとソニタを捕まえてぐるぐる巻きにしてしまった。
「……!」
近接線に持ち込まれると弱い。どうしよう、どうにかして相手にこの拘束を解かせるには……。
その時ソニタは心臓がドクンと脈打つのを感じた。カッと体が熱くなる。
「ウオオアアア!」
ソニタは咆哮した。そしてヴィプルの腕に氷の剣をいくつも突き刺した。ブシュッと血が噴き出す。ヴィプルが痛みで力を緩めた。
「アアッ!」
ソニタは叫びながら、高い水圧で腕に内側から追加の一撃を加えた。腕は弾き飛ばされ、ソニタは自由の身となって地面に降り立った。
「オラアアアア!」
氷の剣を今度は十振り作り出し、四方八方に振り撒いた。標的が幻でも、幻が解けたら残りの剣を操って敵を串刺しにすればいい。
フッと幻が消え、今度は五本の剣が地面に突き刺さった。すかさずソニタは残りの五本を操作して、アンシュ、ジャティン、ヴィプルそれぞれの喉元に向かって猛烈な勢いで飛ばした。三人は見事な身のこなしでそれをよけるが、ソニタの魔術の方が一枚上手だ。切っ先が相手を斬り裂く──直前で、ハリシュの分身の影がそれを止めた。
「そこまで」
はあ、はあ、とソニタは荒い息をしていた。相手の三人も同様だ。
ソニタは高ぶった感情のまま、険しい表情で後ろを振り返った。
「ちょっと……あんた!」
ルドラは涼しい顔でそこに佇んでいた。
「何で相手じゃなくて私に魔術をかけたのよ!?」
味方に背後から魔術を食らうとは思わず完全に油断していた。先ほどのソニタは完全にルドラの術中にあった。
「あんた、私に何をしたの!?」
「攻撃性を高めて、理性を若干鈍らせた」
ルドラは無気力そうに答えた。
「味方の士気を上げるのも僕の役目だ」
「だ、だからって」
「そうでないと訓練にならない」
ルドラの口調は変わらず淡々としていた。
「お前……対人訓練、いつも本気じゃない」
「……何ですって?」
それは聞き捨てならない。ソニタは王宮魔術士になるためにいつも真摯に授業に取り組んでいる。
「ソニタは、相手を怪我させるの、怖がってる。訓練の時、お前の心はいつも慎重だ」
他ならぬ心の魔術使いに言われると説得力がある。というか図星である。ソニタは黙った。
「お前……氷の剣をよく使うけど、一度もそれで相手を斬ろうとしたことはない。あれは脅しにしか使っていない」
「……、確かに、そうよ。だって当たったら大怪我になるじゃない」
ルドラは溜息をついた。
「今はそれでいい……けど、王宮魔術士になったら、通用しない」
「……何よ。説教?」
「別に……。そもそも僕たちは魔力の増量に比例して体も強化されている。ちょっとの怪我ならすぐ治るし、本気で攻撃しても逃げたり防いだりできる。気遣いはいらない」
「それはっ、そうだけど……」
「だが、感謝する。お前のお陰で、また一つ、心の操り方を覚えた」
ルドラはそう言い残して、回復のために校庭の端の階段へと去っていった。
全く言い返すことができなかったソニタは、唇を噛んで拳を握り締めた。
「大丈夫?」
試合を終えたらしいマユリが駆け寄ってきた。その後ろでは地面が縦横にグチャグチャになっていて、土埃がもうもうと舞っている。
「……ええ、大丈夫よ。ただ、何というか……悔しいわね」
「どうしたの?」
「対人戦でいつも本気を出してないって言われたのよ、私」
「ああ、そのこと」
「……分かっていたの?」
「いつも手加減してるなって……思ってたよ。影が相手の時は全力なのに、対人だと違うなって。こないだ町で襲われた時だって、敵の魔術士相手に、お湯の温度を加減していたでしょう。やろうと思えば、致命傷を与えられたのに」
「うっ……それは……」
「でもそれがソニタちゃんのいいところかなって、思ってる」
「いいところ、なのかしら?」
「うん。私、ソニタちゃんのそういう優しいところ、いいと思うよ」
「そ、そう……」
「そうですねえ」
ハリシュがいつの間にか二人を見下ろしていた。
「わっ、先生」
「優しさは魔術士にとって貴重な宝です。しかし多くの場合は足枷になります」
「足枷……」
「特に明日からは実地訓練がありますからねえ」
ハリシュは肩をすくめた。
「ご存知の通り、正式に依頼を受けた魔術士や軍人以外、人を殺すことは基本的には認められていません。基本的にはね。しかし、王宮魔術士になればいずれ必ず人を殺すでしょう。そして明日から行く現場でもそういうことが起こりうるわけです」
「……はい」
「ま、あとは行ってみてからのお楽しみですから。現実の厳しさをとくと学んできてくださいね、ソニタさん、マユリさん」
「はい」
「はい」
「よろしい。では二人もどうぞ休憩へ」
ハリシュはそう言って、他の生徒のところへと歩み去った。
「……」
「珍しく落ち込んでるね、ソニタちゃん」
「落ち込んでなんかいないわよ。自分の甘さにうんざりしてるだけ」
「そう……」
「しかも、明日もルドラと同じ班だし。あとはアンシュ……。あー、気が重いわ」
「……。お互い明日から頑張ろうね、ソニタちゃん」
「ええ、そうね」
さて、翌日である。
現地集合ということで、南東の町まで自力で行かねばならない。ソニタたちは空を飛んで行くことにしていた。ソニタは水の塊に乗って、ついでにルドラを乗せてあげる。アンシュは制服についている金具を一つもぎ取って引き伸ばし、板状にしてその上に乗って飛んでいた。
目標の町まで一直線。着地に少々手間取ったものの、無事に待ち合わせ場所に着くことができた。
待っていたのは緑がかった黒髪の、少し背の高い男だった。
彼は生真面目な口調で挨拶をした。
「魔法塾の皆さん、こんにちは。王宮魔術士のフィタンといいます。使うのは水の魔術。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
ソニタたちは一人ずつ簡単に自己紹介をした。フィタンは軽く頷いた。
「分かりました。では、これから行く任務の説明は受けているとは思いますが、改めて私から説明を」
そう言ってスタスタ歩き出してしまったので、ソニタとルドラとアンシュもそれに続く。
「この道の奥にある廃村に異民族の盗賊が棲みつきました。近隣住民からの被害報告が多数届いています。よって、なるべく全員捕獲するようにとのことです。捕獲した者は順次刑にかけます。……質問は?」
「はい」
ソニタは声を上げた。
「なるべく全員とのことですが、取りこぼしがあった場合はどうするのですか?」
「殺します。逃したらまた被害を呼びますから」
「……」
ソニタはちらっとルドラを見たが、彼は知らん顔で歩いている。
フィタンは話を続けた。
「敵に魔術使いがいるということは報告されていませんが、それでも激しく抵抗されることが予想されます。主に私が対処しますので皆さんは下がって見ていてください。手出しは無用です。あくまで今回は見学であることを忘れずに。ただし、自分に降りかかる火の粉は自分で払って下さい」
「分かりました」
答えたのはソニタだけだった。ルドラもアンシュも寡黙な方だ。静かな見学になりそうだ。
……と思ったがそんなことは全く無かった。
「王宮魔術士が来たぞーッ!!」
訛りのきつい叫び声が響く。
廃村の前には木で組んだ盾が用意してあり、そこに幾人もの弓兵が控えていた。見張り台も設置してあり、そこに立つ賊がカンカンカンカンと鐘を鳴らして危険を知らせている。
「女子供を逃がせ! 男は戦えーッ!!」
キャーキャーワーワーと村は大騒ぎである。
こちらへは直ちに弓矢が飛んでくる。フィタンは大きく水の膜を作ってそれをはね返した。
「オイあの魔術士ガキども連れてるぞ!」
「やっちまえ! 女だけ生かして人質に取るぞ!」
ソニタたちは身構えた。
容赦なく弓矢の雨が降る。だがアンシュが腕の一振りで、全ての矢尻の形を球形に変えると、軌道を変えて敵の方へと投げ返した。
その隙にフィタンの包囲網を抜けた槍兵が数名こちらへ向かってきた。だが彼らは同時に膝を負った。ルドラが戦意を喪失させたのだ。
「これ、拘束すればいいのかしら?」
ソニタは水の縄を走らせて、絶望に顔を歪ませている敵兵を縛り上げ、地べたに転がした。
それから、どうしようかとフィタンの方を見る。
村の上空には巨大な水泡が浮かんでいて、そこに数多の敵が閉じ込められていた。中は十分な空気で満たされていて、水でできた丸い壁は分厚い。更に沢山の水流が竜巻のように水泡に向かって吸い込まれていく。その一本一本に賊が幾人も乗せられていて、強制的に泡に閉じ込められていく仕組みだ。
「へぇー、あんな使い方もあるのね。参考になるわ」
ソニタが言った時だった。
泡の壁が一部、破壊された。
「は?」
それっとばかりにそこからどさどさと人が飛び降りる。壁の穴はすぐに閉じられたが、今度は別のところに穴が空いた。そこからも人が飛び降りて逃げてゆく。
「敵に魔術使いはいないって話じゃなかったかしら?」
動揺している間にも、何人かの賊が逃げ出して行く。
フィタンは次々に逃走者を指差した。
指差された逃走者は、身体中から水しぶきを噴き出して倒れた。
ソニタは息を飲んで、その内の一人のもとに駆け寄った。
若い男だったらしきものが、からからに干からびて痩せ細って転がっている。
「あの人……人の体から、水分を根こそぎ奪ったんだわ」
水の魔術で人を殺すのは、こんなに簡単なことだったのか。
ソニタは呆然としてしまい、動けなくなった。だが、すぐにそれどころではなくなった。
フィタンはというと、泡の壁の強度を上げると、二つの人影を泡の中から取り出した。小さな泡に閉じ込められたそれは、母親と、泣いている赤子だった。
「……! あの赤ちゃんが風の魔法を使っているようね。制御できていないけれど」
道理で報告に無いわけだ。赤子が狩りに出るはずがない。
母親と赤子を包む泡が、赤子の風の魔法で弾けた。落下する母子をソニタは水の手を走らせて抱き止めた。
「ルドラ、赤ちゃんの気をなだめて! 落ち着かせて!」
「! 分かった」
赤子はただ機嫌に任せてむちゃくちゃに魔力を発散させているだけに過ぎない。気持ちが安らかになれば、殺されずに済む。
赤子はすぐにぐずるのをやめ、寝入った。
ソニタは二人を丁寧に優しく縛って、地べたに転がっている男たちの横に置いた。
フゥー、と溜息が聞こえた。フィタンがこちらに向かって歩いてきていた。
「君たち。手出しは無用と言いましたね?」
ソニタはキリッとフィタンを見返した。
「でもフィタンさん、あのままこの母親ごと赤ちゃんを殺す気でしたよね?」
ハァー、と再びの溜息。
「ま、そこの二人を殺さずに済んだのは良かったです。助かりました」
怒りたいのか誉めたいのかどっちなのよ、とソニタは思った。
フィタンは、ぷかぷか浮かんでいる巨大な水泡にソニタたちの捕らえた人々を加えると、ひょいっと空高くぶん投げた。水泡は遥か彼方へと消え去った。
「さあ、この件は片付きました。帰りますよ」
「あの、今のは?」
「近くの留置所に送ったのです」
「なるほど」
ソニタたちはもくもくと歩いて町まで戻り、フィタンに挨拶して解散となった。行きと同じようにして塾まで帰る。
「はいはい、お帰りなさい」
ハリシュが校庭でにこやかに生徒たちを迎えていた。
「どうでしたか? 初めての実地訓練は」
「学ぶことが多かったです」
ソニタは言った。
「人も、死にましたし」
「おや、早速お亡くなりになったんですね。それは災難でした」
「軽いですよ、先生」
「そうですかねえ。僕らは慣れていますからねえ」
「私は慣れたくありません」
「なるほど……。その辺りも含めて、明日は感想文を書いてもらいましょう。では、お疲れでしょうから、どうぞ寮へ」
「はい。お疲れ様でした。……ルドラもアンシュも、お疲れ」
「お疲れ」
「……」
その日は、それでお開きになった。
ソニタは干からびた死体のことを思い出していた。
目を瞑っても、あの頬のこけた異様な姿は忘れられなかった。
ソニタは苦々しく溜息をついた。
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