第5話 弱者が何を言っても無駄


 外国遠征を終えて、生徒たちは束の間の休暇を楽しんでいた。

 魔術塾は王都の外れの小高い丘の上に建っている。ソニタとマユリはその麓の町まで出向いて、喫茶店に入っていた。乳で煮出したお茶とお菓子を注文する。


「あら、このお店はいい茶葉を使っているわね」

「そうなんだ」

「ええ、いい店を見つけちゃったわ」

「お菓子も美味しい……」


 その時、ガラリと戸を開けて入店してきた男がいた。ソニタとマユリは横目でちらりとその男を見た。

 ……強い魔力の気配がする人だ。しかも、筋骨隆々。

 男はスタスタとソニタとマユリのところに歩いてきた。


「よお。魔術塾の生徒か?」

「? ええ。そうよ」

「気配ですぐに分かったぜ。魔力が強すぎるからなぁ」

「……。そういうあなたは、どちら様?」

「まあ今は俺のことは気にすんな。それよりも今から向かいの店で火事が起きるぜ」

「は?」


 何を言っているんだ、この男は。意味が分からない。

 ソニタとマユリが困惑の表情で顔を見合わせていると、通りの方でワーッと悲鳴が上がって、バタバタと人が出て来た。

「ほらな」

 ……こいつは何を呑気に言っているのだろうか。

「行ってくるわね、マユリ」

「うん」


 今は乾季だから空気中の水分が比較的少ないが、それでも十分だ。それに近くに川もある。

 ソニタは通りに駆け出すと、魔力を研ぎ澄まして火元を特定し、大量の水を集めて噴射した。水はうねるように店内を泳ぎ、火を根こそぎ消し止めた。


「一丁上がり。怪我人はいるかしら?」


 見たところ、動揺している人は多いものの、逃げ遅れた人や煙を吸った人などはいないようだった。

 ソニタは周囲の人々から喝采を浴びた。


「水の姉ちゃん、ありがとう!」

「おかげで助かりました!」


 ちやほやされるのには慣れている。ソニタは胸を張った。


「当然のことをしたまでよ」

「いやあ、流石だぜ」


 パチパチと手を叩いて、先ほどの男がソニタのもとに歩み寄ってきた。


「まさか水の魔術使いだったとは。まあよくある話か。……残念だなぁ」


 ソニタが口を開く前に、男はソニタの襟首を捕まえた。気づけばソニタは目立たない路地裏に連れてこられており、首根っこを捕らえられて壁に叩きつけられていた。


(速い。反応できなかった)


 急いで水を集めようと手のひらを開く。その手首に、バチンと金属でできた腕輪がはめられた。


「……! これは……」

「そう、魔力を封じる腕輪だ。そこの嬢ちゃんにも装着させてもらったぜ」


 ソニタは近くにマユリが横たわっているのに気がついた。


「あ、あんた、マユリに何したのよ!」

「何,少し殴っただけさ。これだから貧弱な女は駄目だなぁ」

「こんなことして、何が目的?」

「ハリシュだ」


 男はにやにやして言った。


「お前たちがハリシュの弟子だってことは調べがついてるぜ」

「先生に何か用?」

「そうだ。お前ら二人を人質にすれば、あのハリシュも大人しく殺されてくれるかね?」


 ソニタはぐっと拳を握った。


「先生を甘く見ない方がいいわよ」

「へいへい。あまり反抗的な態度を取るんじゃないぞ。そうでないとうっかり乱暴しちまうかもしれねえからなぁ」

「……」


 ソニタとマユリは、男に軽々と抱えらえて川岸まで運ばれ、舟に乗せられた。そしてぐるぐると縄で縛られ、船底に横たえられる。

 男はそこで控えていた仲間らしき男と何か喋り出した。男の名はギリクというらしかった。


「マユリ、マユリ、大丈夫?」

「う……ん、大丈夫……」

「そう……。うーん、どうしたものかしら」

「本当に私たち、魔力がなければただのひ弱な女子に過ぎないもんね」

「そのことだけど」


 ソニタは言った。先ほどから何度も魔術を試そうとしていて、気づいたことがある。


「魔力は消されていないわ。魔術の発動を封じられているだけよ」

「え?」

「幸いにも私たち、無の魔術使いとの戦闘を体験したばかりだわ。何とか解決の糸口を探しましょう」

「……うん、分かった」


 マユリは頷いた。そこに、ギリクが戻ってきた。


「これからお前らを俺たちの拠点の一つに運ばせてもらう。大声で助けを呼んでも無駄だぜ。この船には防音も施してある」

「それは、用意周到なことね」

「そりゃそうさ。王宮魔術士どもに目を付けられねえようにしねえとな。……それより、あっちに着くまで少しお喋りをしようじゃねえか」

「……」


 あんたと喋ることなんか何もないわ、と言いたい所だったが、向こうから情報を吐いてくれるのだったら聞いておくに越したことはない。

 ギリクの仲間がゆっくりと舟を漕ぎ出した。濁った広い川を、小さな船が進み始める。


「さて。これでも俺は正式に免許をもらった魔術士でね。さっきは火事場泥棒をはたらいておいたのさ」


 ギリクはジャラッとお金の入った袋を見せた。


「思ったより消火が早くて焦ったぜ。だが金を盗むには充分だった」

「……つまりあんたらは盗賊の集団ってこと? 魔術士なのに?」

「まあ、な」


 ギリクは足を組んで座り直した。


「厳密には違う。俺たちは、下の階級の者を助けようとしているのさ」


 ソニタは不快感も露わに顔をしかめた。


「助けるですって? 火事で人死にが出てもおかしくなかったのに?」

「時には犠牲が必要なこともあるのさ。……俺らは富を貯めすぎている者から少しお金を頂戴して、貧しい者たちに分け与えているだけだよ」


 ソニタは眉をひそめた。


「分け与える……?」

「俺の一団はな、貴族や富豪からの扱いに耐えかねて逃げ出してきた貧民の受け皿になっているんだ」

「……」

「盗みの成果は貧民たちに渡している。いわば富の再分配さ。俺たちの活動によって、少しは平等がもたらされているんだぜ。ご立派だろ?」

「納得しかねるわね。結局はやっていることは盗みと人殺しじゃない!」

「それも王様の作った決まりだろう? 富豪たちは平気で貧民を飼い殺し、搾取しているが、それが許されるのは何故だろうな? 罰されるべきは貧富の差を放置したままのうのうと玉座についている王様の方じゃないか?」


 ソニタはすぐには言い返すことができなかった。ギリクは手を広げた。


「そう、俺たちは崇高な理念を掲げて活動しているのさ。……それなのにハリシュの野郎は次々と俺の仲間を牢にぶち込んでくれやがる。邪魔で邪魔でしょうがねえ!」

「犯罪の取り締まりをしている魔術士は、他にもいるでしょう」

「おいおいおい、お前は知らんのか? 王宮魔術士として誰よりも実戦に出向いているのはハリシュ・ルイスだって」

「え?」

「あいつは影を伸ばしてどこまででも行けるからな。おまけに命の珠も持ってやがる。先生のお仕事もしているってのに、まあよく働く野郎だぜ」

「……そう……」

「あいつを落とせば俺たちも少しは活動しやすくなるってもんさ。なあおい。お前も貧民なんだろ?」


 ギリクはマユリをつま先で小突いた。


「……」

「貧民を助ける俺たちのことを支持してはくれねえのか? 偉い奴らが弱い奴らを搾取しているのに、怒りを感じねえのか?」


 ソニタはこころなしか鼓動が速くなるのを感じた。

 マユリは、ギリクの話を聞いて、何を考えているのだろうか。


「……」

「何とか言ったらどうだ?」

「……」


 マユリはちらっと目線を上げてギリクを見た。そしてぽつりと言った。


「……弱者が何を言っても無駄」

「……あ?」

「何かを変えたいなら強者にならなくちゃ、ね」


 ヒュルルル、と不思議な音が上空から聞こえてきた。

 そして、ガツン、と岩の塊がギリクの脳天にぶち当たった。


「ガアッ」


 ギリクは仰向けに倒れ込んだ。


「ギリク隊長!」

「な、何が起きた!?」


 漕ぎ手の二人が手を止めてあたふたし始める。その二人の頭にも岩が命中した。二人はあえなく気絶した。


「ぐっ……お前、魔術を封じたはずじゃ……」


 起き上がろうとするギリクにもう一度岩をぶつけて気絶させた後、マユリはソニタを見た。


「ソニタちゃん。この腕輪には範囲に限界があるよ。うんと遠くの場所でなら、魔術を発動できるんだ」

「うんと遠くって?」

「分かんない。とにかく魔術の適用範囲を広げて!」


 言われてソニタは感知能力をうんと伸ばしてみたが、どこまで行っても魔術が使えるようにならない。そもそもそんな遠くからこんなに正確に魔術を操ることは困難だ。


「ごめんマユリ、私もやってみるけど期待しないで!」

「分かった。私ももうちょっと探ってみるね。ソニタちゃんはその人たちに、色々と頼んでくれないかな?」

「了解したわ。……さあそこの雑魚二人。とっとと起きなさい。そして早く舟を岸につけて、私たちを解放しなさいよ。でないとマユリがあんたら三人の頭を粉砕しちゃうわよ?」

「ひ、ひぃっ」


 漕ぎ手の二人は恐れをなしてその通りにした。


「ほら、縄も腕輪も外しなさい。そう。それでいいわ。丁重に扱うのよ。乱暴したらどうなるか分かるわよね?」


 ドーン、ドーン、と脅すようにマユリが川に岩を投げ落とす。

 こうして、ようやく鬱陶しい腕輪が外された。

 ソニタはすかさず、氷の枷で二人を地面に固定した。

 目を覚ましたギリクにも同じ仕打ちをしようとしたが、氷はよけられてしまった。


「……あんたは、一筋縄ではいかなさそうね」


 ソニタとマユリは隣り合わせになって、立ち上がったギリクと対峙した。


「ちっ。誤算だぜ。だが、まだ手立てはある。お前ら二人をぶちのめして、何が何でもハリシュを呼び出してやる!」

「そう簡単に行くかしら」


 ソニタは氷の剣をいくつも出してギリクに向かってぶん投げた。そのことごとくがかわされる。続いてマユリが地面に大穴を開けてギリクを突き落とす。ソニタはそこに向かって剣を振り落とす。だがギリクはそれをも俊敏な身のこなしでよけてしまった。そしてほとんど垂直な土の壁を自力で駆け上がって、空中に躍り出た。


「すごい……動きが人間離れしてる」

「そういう魔術の使い手なんだわ、きっと」

「うん」


 ギリクが殴りかかってくる。ソニタは氷の壁を作って防御したが、それは拳に貫通された。その勢いのまま拳がソニタの顔面を殴る。ソニタはごろごろと地面を転がった。

 お次はマユリだ。ギリクの拳が分厚い岩の壁を崩す。マユリも同じように殴られそうになったところで、ソニタが氷を鉤の形にしてマユリを上に引っ張り上げた。


「マユリ、近接戦は不利!」

「分かった」


 ソニタは鋭い水流を巻き起こして、ギリクを遠くに突き飛ばした。マユリが岩の遠隔操作でギリクを殴る。ソニタはギリクの足元を泥沼に変貌させて沈め込み、身動きを遅くさせた。

 マユリは執拗にギリクを殴っている。


「ちょっとマユリ、あんまりやったら殺しちゃうわ!」

「殺すくらいのつもりでやらないと勝てないよ」


 マユリが大岩を作り出して直撃させたが、それは拳でぱっかりと割られてしまった。


「ほらもうこっちの戦法に対応してきてる」

「ああもう、何なのよあの筋肉馬鹿は!」


 ソニタはギリクの浸かっている泥沼の水分を操作して、熱湯に変えた。途端にギリクが狂ったように暴れ出す。

 いくら力が強く身体能力が高くとも、火傷には耐えられまい。


「あいつ、やっと余裕がなくなったわよ」

「うん。仕留める」


 マユリはもう一度大岩を作り出して、今度こそギリクの脳天に当てた。


「やったかしら!?」

「ううん、まだ油断は……」

「はいはい、そこまで」


 聞き覚えのある声がして、ソニタとマユリは影にふわりと巻き取られた。


「! ハリシュ先生!」

「あとは僕たちが対処しますからゆっくり休みましょうね」


 次々と王宮魔術士が駆けつけてくる。ギリクは岩と泥沼の間から引っ張り出され、拘束される。


「二人とも、よく頑張りました。お疲れ様です。おかげで盗賊組織の幹部の一人を逮捕できました」

「盗賊組織の幹部……」

「メーラ帝国の裏社会を代表する組織ですよ。僕たちの主な敵といったところでしょうか。幹部が派手に動くことは少なかったのですが……今回は珍しい事件でしたね」

「そうなんですね」

「さ、病院へ行きましょう。ソニタさん、顔がかなり腫れていますよ。マユリさんもお腹を庇っていますね。……二人とも、その程度の怪我で済んで良かったですが」

「はい……」


 ハリシュは空を飛んで町まで二人を連れて行った。


 後程、王宮魔術士から二人に感謝状と賞金が届いた。ソニタは賞金をみんな慈善団体に寄付することにした。

 ギリクに感化されたからではない。まっとうな貧民に寄付が行き渡れば、犯罪集団も数を減らすのではないかと思ったからだ。

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