第4話 私は、慣れているから
一年が過ぎた。十人の生徒たちはそれぞれ成長を遂げ、一人前の魔術士に一歩近づいていた。
「始め!」
合図と共にソニタは水の分子を動かして氷の剣を作り上げると、素早くマユリに向けて放った。剣はマユリが作った土の盾に突き刺さって止まったが、その上から更に氷の小刀が襲い掛かる。マユリはぴょんと後ろに飛んでそれをかわす。その先にはぬかるんだ地面があった。マユリは滑って転倒したがすぐさま起き上がる。そして反撃に出た。
ズズズ、と轟音がして地面が大きく揺れ、ソニタの足元がぱっくり割れた。ソニタは氷を浮かせてそれに乗り、落下を免れた。だが今度は横から土の拳が飛んできて的確に氷を殴る。ソニタはあえなく滑って落ちた。体勢を立て直す前に、地面の割れ目が素早く閉じる。ソニタはぎゅむっと潰されて身動きが取れなくなった。
「そこまで」
助け出されたソニタは「ひゃー」と言った。
「まだ氷の扱いには慣れないわ……」
「怪我はしてない?」
「ええ、大丈夫よ。ああーっ、遠征に行く前に一勝くらいしておきたかったのに!」
「えへへ……」
マユリは照れ臭そうに笑った。
明後日からソニタたち二年生は外国遠征に赴くことになっている。
海を越えて遠くの国、リグル帝国にお邪魔するのだ。
「どうして友好国じゃなくて、仲の悪い国に行くんだろう」
「さあ? 敵情視察できてちょうどいいとは思うけれどね。うちの塾、軍志望者も多いし」
リグル帝国は領土的野心が強く、メーラ帝国とはやや緊張状態にあるのだ。
さて当日、荷物をまとめて集まった生徒たちに、ハリシュはいつものように「はいはい注目」と言った。
「では今から移動します。本来なら船を使って何日もかけて行くところですが、今回リグル帝国より特別許可を頂きました。僕の魔術を使って一瞬で移動します。それでこれが……」
ハリシュは服の中から拳大の透明な球を取り出した。
「命の球です。僕の師匠が死ぬ時に僕のために作った、命の結晶。国宝級の代物。いい機会だからよく見ておいてくださいね。これを他人が使うことはできませんが、僕が使うと魔力が爆発的に向上します。これの力を借りて大人数を長距離間連れて行くので。じゃ、この影の中にみんな集まって」
地面に現れた丸い影に、ソニタたちは集った。
「それじゃ包みます」
影のふちから黒々とした闇が伸びてきて、まあるくソニタたちを包み込む。
「準備よし。軌道よし。到着点よし。行きますよ。三、二、一」
バヒュン、と影が持ち上げられた。ソニタたちは一斉に転倒する。影は何かに引っ張られるようにしてどこかへと進んでいく。次いでドシャッと着地の衝撃があって、気づけば影は消えていた。
「はい到着です。お疲れ様」
ハリシュは立ったまま笑顔で言った。生徒たちはわちゃわちゃと起き上がった。
「おい、どけって」
「押すな」
「ごめん……」
「うう、気分悪くなった……」
ハリシュが手を広げる。
「改めまして、ここがリグル帝国です。ここでの今の時間は昼過ぎかな? そしてこちらが今回僕らを案内してくださるお役人様と通訳の方。それでは僕が代表してご挨拶を。どうぞよろしくお願いします」
見慣れない顔つきの背の高い異国人たちが、どこか品定めするようにソニタたちを見ている。
「よろしくお願いします」
通訳の人が言った。
ソニタは物珍しく周囲の街並みを見ていた。薄桃色や薄黄色の壁の四角い建物が並んでいて、地面は石畳である。埃っぽくじめじめしたメーラ帝国の街角とは違って、清潔感があるが、活気のようなものは感じられない。そして、少し寒い。
「初日は、さっそく我が国の魔術学校の生徒と交流戦を行っていただきます。こちらへどうぞ」
通された小さな広場では、妙ちくりんな青い服をまとった背の高い男子たちが、ビシリと整列して待っていた。
何だか緊張感のある光景だ。
生徒たちは互いに挨拶をした。
それから、すぐに交流戦の話になる。
それぞれの生徒たちに、変な赤い被り物が渡された。
「団体戦を行います。大将の帽子を取った方が勝ちです。では作戦を立ててください」
説明はそれだけだった。ソニタたちは急いで集まった。
「誰が大将をやる?」
「まあ……」
「マユリだろうな……」
「が、頑張ります」
素早く役割分担をして、ソニタたちは布陣を組んだ。
大将のマユリを最後列に配置する。ソニタは守備担当だ。
ハリシュは黙ってにこにこしながら様子を見ている。
ピッと笛が甲高く鳴った。これが合図だった。
生徒たちが一斉に魔術を展開する。いや、したはずだった。
だが、何も起こらない。
「?」
全員がぽかんとしている隙に、相手が攻め込んできた。水鉄砲、火の玉、防風。こちらは何一つ防げない。あっという間に布陣は崩れる。敵に懐に入り込まれてしまう。マユリのもとまで駆けこんできた相手を、ソニタはなんとか氷の剣ではじき返した。だがその剣も瞬く間に水に戻って消えてしまった。
(魔術が妨害されているわ)
そして、相手はソニタのとそっくりな氷の剣を取り出した。
「えっ?」
彼も同じ水の魔術使い? いや、それにしては魔術の気配が全く違う。
相手は剣を振り回した。のけぞって斬撃をよけたソニタは叫んだ。
「マユリ、逃げて!!」
「うん!!」
その時、周囲の景色が白黒になった。
周囲の時間が止まったのだ。
ソニタは問題なく動ける。マユリも。
……生徒の一人、ロヒトが、時間の魔術を使ったらしい。
生徒たちは再びひとところに集まった。
「魔術を無効化されてる!」
「どうするんだ!?」
「あっちの大将首。あいつが無の魔術使い」
ロヒトは言った。
「俺の魔術が発動している間に、マユリは守備と一緒に一旦逃げて。攻手は一斉に相手の大将のところへ。じゃ、俺は戦線離脱するから。後はよろしく」
ロヒトの魔術は強力なぶん制約も多く、時間停止も長時間はもたない。すぐに周囲の景色に色が戻った。
戦闘再開だ。
もう攻手は大将首の帽子に手をかけている。
「ぐっ、取れない!」
ラヤンは叫んだ。
こちらは魔術を封じられているが、向こうは違う。帽子を守る方法はいくらでもある。
「ぐぬぬぬぬ……!」
その時、ピッと笛が鳴った。
「あれ?」
マユリが言った。
「私の帽子が無い」
「ええっ」
ソニタは慌てて振り返った。マユリは困惑して頭を押さえている。
そして、足元では、先程ソニタとやりあった相手がぶっ倒れていた。その隣で、別の人がくるくると指先で帽子を回しながら、にやにやしている。
「あらぁ……」
相手を侮っていたわけでは決してないが、負ける気は微塵も無かったので、残念というよりも意外だった。まさか、手も足も出ないとは。
試合が終わったら挨拶である。相手は即座にピシリと整列した。よく統率の取れた生徒たちだ。軍隊のようでもある。
「ありがとうございました」
学校を出たソニタたちは、宿に入って、休憩を取ることになっていた。
夕食に出された品々は、見たことのないものばかりだ。
だがラヤンをはじめ何人かの生徒は、特に気にした様子もなく食べ始めた。おそらく貴族の交流やら何やらで食べた経験があるのだろう。
「これ、何? 手で食べるの?」
「そんなことも知らないのか。これだから平民は」
「うるさいわね、早く教えなさいよ」
「小麦をこねて焼いたものだ。手でちぎって食べる」
「ふーん」
ソニタは神妙な顔で盆の上の食べ物を平らげた。
それから、先ほどの試合の反省会が始まった。
「魔術が効かなかったのは分かっていると思うが、最後のあれは何だったんだ? 一瞬で帽子を取られていた」
ラヤンの問いかけに、ソニタが答える。
「相手には、他人の能力を真似する奴がいたわ」
氷の剣を使った相手は、水の魔術の使い手ではない。だとしたら、ソニタの魔術を写されたか、ソニタが一時的に能力を奪われたか……、詳細は不明だがそういうことに違いない。
「つまり、そいつがロヒトの魔術を真似したのか?」
「多分。あの後ぶっ倒れていたし」
「あの短時間でこいつの魔術を? 凄いな……」
「何というか、判断が早かったよな。魔術の発動の速さもかなりのものだった」
「リグル帝国にはあの強さの魔術士がごろごろいるってこと? さすがは超大国……」
「とにかく、初見殺しの能力者ばかりだったというわけだ。僕たちには何ができただろう?」
「無の魔術にびっくりしていなければ、すぐに対策を練れたかもね。魔術の有効範囲を探ったり。想定が甘かったみたいだ」
「しかし、外国の魔術使いの能力を想定するのは困難だぞ。きっと基礎的な部分から使い方が違う」
「それが分かっただけでも、外国遠征の意義はあるわよ」
「それもそうだな。しかし……」
しばらくして会議はお開きになり、生徒たちはそれぞれの部屋に入った。ソニタはマユリと同室である。
石造りの部屋。ふかふかの布団。見慣れない家具。
「この町は石が多いから、私が魔術を使ったら町をぶっ壊しちゃうかも……」
マユリは言った。
「でもすぐ直せるでしょ?」
「外国のものを元に戻すのって難しそう」
「確かにそうね。っていうか、マユリ、眠れる? 時差のせいで私はちっとも眠くないのだけれど」
「私も眠くない」
「じゃあ、眠くなるまでゆっくりお喋りでもしましょう」
「うん」
ソニタはマユリの布団に腰かけた。
「はあ。リグル帝国って発展しているのね。あんなのが攻めてきたら大変だわ」
「そうしたら私たちが矢面に立つんだろうね」
「ね。能力に恵まれてよかったと思っているけど、それなりに大変よね」
「まあ、魔術士は生まれついて、一般人を守るさだめにあるから」
「ふーん? ナヴィーン島ではそう言われているの?」
「……まあ、そう。生まれ持った能力を悪用する魔術使いもいるけれど、そういうのって良くないでしょ」
ソニタはふと、七年前に盗賊に襲われた時のことを思い出した。
「……そうね。盗みや殺しに使う輩もいるからね」
「魔術っていうのは包丁と同じで、使い方次第だよ。だから魔術使いはいつも、怪我したりさせたりしないように気をつけなくちゃいけない」
「ええ。……何だか真面目な話になっちゃったわね」
「ふふふ、そうだね」
その後は他愛も無い話をして、やがて二人は眠りについた。
翌日である。町を見学する予定になっていた。
石造りの街並みを見て回る。
「……何だか、嫌な感じがしない?」
ソニタはマユリに囁いた。マユリは首を傾げた。
「嫌な感じ?」
「道行く人が、みんな偉そうっていうか……」
あからさまな態度には出ていない。だが、魔術によって研ぎ澄まされた勘が、かすかな侮蔑の視線を感じ取っている。
マユリは困ったように笑って、こう言った。
「私は、慣れているから」
「……慣れている?」
「あの……気を悪くしないでくれる?」
「ええ、もちろん」
「メーラ民族の人も、トゥイ族に対しては、あんな感じだよ」
ソニタは少なからず愕然とした。
「……そうだったのね。ごめんなさい」
「ソニタちゃんが謝ることじゃないよ」
「いいえ、謝らせてもらうわ。……他の民族にこんな思いをさせていたのね、私たちは」
「……思いっていうか……」
「? 何?」
「税の方が、もっと切迫した問題、かな」
マユリは溜息をついた。
「ナヴィーン島の人たちは、メーラ帝国からの重税で苦しんでいるから……。育てた作物をほとんど持っていかれちゃう。私の師匠はいつも、こんな扱いはやめてくれって、島を代表して王様に交渉しているのだけれど、聞いてもらえないんだ」
「……」
「だから、島の魔術士を継いだら、ナヴィーン島の人を救うっていうのが、私の目標」
重責なのだ、とソニタは感じた。
そして恥じ入った。自分は半ば憧れだけで、王宮魔術士を目指していたからだ。
国を背負うには相応の覚悟がいる。その意味をソニタはあまり理解していないかもしれない。
「……私、マユリを応援するわ」
「ありがとう、ソニタちゃん」
マユリはいつものように柔らかく笑った。
遠い遠い異国の地で慣れないことばかりでも、この笑みを見ると、ソニタはなんだかほっとするのだった。
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