第3話 ちっとも足りません

「はいはい、注目。では昨日までで皆さんのだいたいの能力も見させてもらいましたので、今日からは個別訓練に入ります。まずは一人一人面談をしましょう。では最初は……ソニタさんから」

「はい。よろしくお願いします」

「他の皆さんは僕の影と戦って、みっちりばっちりばきばきに鍛えて下さい。ではソニタさんは別室へ」


 面談室に入ったソニタとハリシュは、向かい合って座った。


「まずですね。君はその歳にしてはなかなか器用に魔術を使います。ですがこのままでは水の魔術を極めることは絶対にできないでしょう。器用さがまだまだ全然ちっとも足りません」


 いきなりきついことを言われてソニタは面食らった。


「そうなんですか」

「はい。僕は教育者として君に安易に答えを与えることはしたくないんですが、時間は有限。この三年間で君を立派な魔術士にするには多少駆け足でやらなければなりません。そこで教えます。水の魔術を極めるために必須なのは二つ。魔力の増大と、魔術の繊細さ。魔力の増大は僕と一緒に鍛えましょう。しかし繊細さの方は、君が研究しなければなりません」

「研究?」

「はい。具体的には、水の粒を一つ一つ丁寧に扱って下さい」

「どういうことですか?」


 ソニタは今でも、目に見えないほどの微細な水の粒を一つ一つ操って魔術を使っている。それでも全く足りないというのか。

 しかしハリシュはにっこり笑ってこう言った。


「今日の面談はここまで。じゃ、教室に戻って鍛錬を始めて下さい」

「! はい、ありがとうございました」


 そして始まった影との戦いは、非常に過酷なものだった。

 結界の中に鎮座していたハリシュの真っ黒い影は、ソニタに向かってこう言った。


「まずは魔力が尽きるまで戦いましょうね」


 それからは猛攻の嵐である。受験の時のあの影とは比べ物にならない強さ。ソニタが全力で水鉄砲をぶつけてもびくともしない。

 ついに魔力を出し切り、水をもう一粒も動かせなくなったソニタは、ばったりと仰向けに倒れた。ぜえはあと息が上がっている。その顔を顔のない影が覗き込んだ。


「終わりですか? では全力で回復に努めて下さい。魔力が戻り次第、続きを始めます」


 これは……容赦がない。

 ソニタは寝転んだままゆっくり呼吸を整えて、体内で魔力が精製されるのを待った。

 十分に魔力が全身に行き渡ったところで、むっくりと起き上がる。まだ疲れは取れていない。というか、魔力を作ったことで余計に疲れた。


「魔力の消費と精製を繰り返すことで、地道に魔力量を伸ばしていきます。まだまだ序の口ですから、音を上げないでくださいね」


 影は言って、再び攻撃を開始した。

 五回ほど魔力を使い切ったところで、お昼休憩になった。

 ソニタにはもう起き上がる元気はひとかけらも残っていなかった。


 結界が解けたので他の生徒の様子も見ることができたが、みんな似たようなものだった。マユリも壁に背を預けてぐったりしている。


「はいはい、お疲れ」


 一方のハリシュは、あれほどの魔術を同時に十体も操っていたのに、ピンピンしていた。


「お昼です。食堂がありますからそこでちゃちゃっと元気を取り戻しましょう。午後は今回皆さんに言い渡した課題について各々考える時間にします。では解散」


 ソニタは何とか起き上がって、マユリと一緒に食堂に行った。

 米と鶏肉と野菜汁の定食が次々に配られている。お盆を受け取って適当な席に座って、温かいものをお腹に入れると、ようやく人心地がついた。


「メーラ民族の食事だね」


 マユリは食べ慣れない味だったのか、不思議そうに言った。


「そっか。そういえばマユリは、先生に何て言われたの?」

「ん……」


 マユリは首を傾けた。


「力押しの傾向があるから、もっと多彩さを身につけるように……って感じかな。あとは、身体能力の向上が必要だって」

「なるほど……?」

「その力押しも、先生の分身の前では効果がないし、まだまだだなあと思うよ」


 マユリは力無く笑った。

 ソニタは少し呆れたような気持ちでその笑顔を見ていた。同期の中では最強のくせに、よくまあここまで謙虚でいられるものだ。


「私は魔力の増強と魔術の繊細さが必須だって言われたわ。でも、繊細さって言われてもよく分からないのよね。午後はそれについて考える予定」

「繊細さ……ソニタちゃんは結構、細かく水を操れていると思うけど……」

「それが、全然駄目だって。私も自分が器用だっていう自負があったから、結構びっくりしてる」

「そう……」


 そして午後である。

 教室にそれぞれ座った生徒たちは、課題に個人で向き合っていた。中にはハリシュの分身を借りて何やら試そうとしている生徒もいる。


 ソニタは空気中の水分を集めて机の上に水の球を作ると、芸術作品のように形を変えてみた。

「繊細……」

 より人間の姿に近い形に造形してみる。……ハリシュの分身のように喋らせることはできるだろうか。

「ぶるるぶるるる」

 人形は言った。

(人間の肉体への知識を深めれば、それこそ分身みたいに扱うことはできるようになりそうね)

 それは今度、図書室で生物学の本を借りることにする。ソニタは人形を潰して再び水の形をこねくり回しながら、引き続き考え事を続けた。

「繊細、繊細、繊細……」


 左隣では、教室に土を持ち込んだマユリが、同じように土の形を変えながら悩んでいる。


「……」


 右隣では、何とかいう名前の男子生徒が、空中から色んなものを取り出しては唸っている。石、水、砂、塩、鉄、糸、紙。

 ソニタはじっとそれを見つめた。


「ねえ、あんた」

「あんたよ、あんた。えーと、オムカ」

「……む?」


 やや目つきの悪い顔がこちらを向いた。


「あんたそれどうやってるの? やたら強かったけど、何の魔術?」

「変化だが」

「変化?」

「体に触れたものの性質を変えられる。だから、空気を色んなものに変えてみていた」

「ふーん。便利ね」

「どうだかな。他の奴らのように自由に操ったりはできん」

「なるほどね……でもほら、私がこうやって水を出しても」


 ソニタは水の玉をぽーんとオムカの手元に放り投げた。

 水はオムカの手に触れた途端に、消え失せた。


「無効化されちゃうわけね」

「今のは酸素に変えた」

「ふーん」


 変化。変化か……。

 あることに気づいたソニタは、バンッと机を叩いた。オムカはびくっとした。

 ソニタはきらきらした目でオムカにずいっと近寄った。

 

「ねえ、あんたも貴族なんでしょ」

「あ、ああ、下級だが」

「じゃあ飲んだことある? 北国の宝石が入った飲み物を」

「氷のことか? 二、三回だがあるぞ」

「そう、氷。氷って水でできてるんでしょ!?」

「ああ。……む、そういうことか」

「そう! それ作ってくれないかしら!?」


 ソニタはまた水の球を放った。水はオムカの手のひらの上で氷になった。


「今の!」


 ソニタは叫んだ。


「今のどうやったの!?」

「どうやったと言われてもな……想像通りのものを作ったとしか言えん」

「ちょっとそれちょうだい!」


 ソニタはオムカから氷をひったくった。


「冷たっ、冷たいわ!」


 試しに上にぶん投げてみる。氷はソニタの意志に従ってビュンビュンと教室を飛び回り始めた。


「やっぱり、私って氷も操れるのね」


 だが、手のひらの上に戻すと、氷はどんどんと溶けていってしまい、やがては全てが水に戻った。

 ソニタはググッと力を込めて、「氷になれ」と念じてみたが、水は水のままだ。


「器用さがちっとも足りない。水の粒を一つ一つ丁寧に。……」


 分かった気がする。

 ソニタは水の性質をも操れるようにならなければならないのだ。


「ありがとう、オムカ。私、図書室に行ってくるわ!」

「おう、行ってこい」


 それから研究の日々が始まった。

 午前中はハリシュにしごかれる。午後は自習や演習。

 繰り返し繰り返し、鍛錬と研究と実践をし続ける。

 だが、魔力を強めても、勉強をしても、水の性質はなかなか変わってくれない。


 そんなある日、ソニタはラヤンの取り巻きの一人と実戦をすることになった。名前はカビア。火の魔術の使い手だ。

 無論、水の魔術との相性は最悪。以前戦った時はソニタの圧勝だった。


 結界が広がった。戦闘開始だ。


 カビアはボッと空間に火を出現させた。以前より規模が大きくなってはいるが、それでもほんの拳大の大きさだ。ソニタはすかさず水を集めて火の玉にぶつけた。

 ジュッと水が水蒸気に変わる。

 ソニタは動きを止めた。手を広げて、水蒸気の動きを感知する。


「魔力を極めれば極めるほど、第六感のようなものも発達してきます。今にきっと色んなことが感じ取れるようになりますよ」


 ハリシュが以前言っていた言葉だ。


 ソニタは注意深く水蒸気の行方を追った。それから、カビアが再び出現させた火の玉を見た。


(どうしてこいつはこんなに火力が弱いのかしら? ……ひょっとして……)


 ひとまずソニタは辺りを水浸しにして戦闘に勝利した。授業が終わってから、ラヤンのもとに行こうとするカビアを、ソニタは引き留めた。


「ねえ、火の魔術って具体的にどうやってるの?」


 カビアはやや不快そうな顔つきをし、ぶっきらぼうにこう言った。


「熱と光を一緒に発生させる」

「実はそれってものすごく大変なんでしょう?」


 ソニタは詰め寄った。カビアは後ずさる。


「……別に」

「いいえ。炎を発生させるほどの熱を作り出すにはかなりの魔力量を消費するはずよ」


 水の性質を変える──水の温度を上昇させ、水蒸気に変えるという、ソニタが全くできないことを、カビアは容易にやってのけたのだ。何かコツがあるに違いない。


「具体的に魔力をどういう風に扱うわけ? 教えてくれない?」

「何で僕が……」

「おい」


 ラヤンが取り巻きを引き連れてこちらにやってきた。


「ソニタお前、こいつに何の用だよ」

「ラヤン、あんたもカビアの話を聞いた方が良いと思うわよ」


 ソニタは言った。


「あんた、そろそろ風以外にも、空気を操る方法を身につけなさいって言われているでしょう」

「うるさいぞ、馬鹿女」

「いちいち一言余計なのよね、ラヤンって。ほら、ラヤンのためにも教えてくれないかしら」


 カビアは渋々口を開いた。


「原始的な方法だよ……魔力を動かして熱に変える、というか……」

「動かして?」


 ソニタとラヤンの声が揃った。


「……熱っていうのは分子の動きの速さで決まる。僕がやっているのは魔力の動きをを熱くなるまで活発にすることだよ。それはすごく効率が悪いから、まだ小さな火しか起こせない」


 ソニタはバシンと膝を叩いた。


「それよ! ありがとう、カビア。参考になったわ。じゃあね!」


 それからマユリのところまで走って行った。


「お待たせ、マユリ。寮へ帰りましょう」

「うん。何の話をしていたの?」

「魔力と分子の動きと熱との関係の話よ」

「……すごく細かい話なのね」

「そう、そうなの!」

「何か分かった?」

「ええ。水を繊細に扱えるようになれるかも」

「応援してる」

「ありがとう」


 その日から自習の時間では、ソニタは一滴の水をひたすら見つめる修行をした。

 水の分子の一つ一つまで、魔力で感知できるように。

 そして魔力を増強すれば、感覚も研ぎ澄まされる。ハリシュとの鍛錬にも熱が入った。


 ソニタの塾生活は、充実していた。

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