第2話 あんた、どういうつもりよ
塾には寮がついている。
ソニタにとっては初めての一人暮らしであり、緊張と嬉しさが入り混じる。
初日は荷物の持ち運びでやたらとばたばたしていたが、翌朝からは早速師匠との訓練が始まる。
ソニタは金の金具のついた黒い短めの上着と、ゆったりした穿きものに身を包んだ。これがこの塾の制服だ。そうして胸を張って、指定された教室まで歩いて行き、ガラリと扉を開いた。
途端に怒声が耳を貫いた。
「ふざけるな!」
何事かと思って見れば、赤い髪の男子生徒が、茶色い髪の女子生徒の胸ぐらを掴んでいる。
「魔術士の弟子の枠は毎年十人! そのうちの一人がこんな、ど田舎の土臭い異民族の女だと!? 納得しかねる!」
女子生徒は、困った様に笑って、黙っている。
「何とか言ったらどうなんだ! それとも言葉が分からないのか?」
「……わ、分かるよ」
「敬語も使えないのか、このド貧民が!」
ドン、と女子生徒は吹き飛ばされて壁に叩きつけられた。そのままずるずると床までずり落ちる。
他の生徒たちはどよどよとざわめいた。
「ちょっと!」
ソニタは慌てて女子生徒のもとまで駆け寄った。
「怪我は?」
「……」
女子生徒は微笑んで首を振った。ソニタはひとまず安堵した。
それから眉をひそめて尋ねた。
「何があったの? どうしてあいつは怒ってるわけ?」
「……出身地を聞かれて」
彼女は鈴のようにか細い声で、しかし穏やかに言った。
「ナヴィーン島だと言ったら、急に怒り出したの」
ナヴィーン島?
ソニタは目をぱちくりさせた。
メーラ帝国の中心部から遠く離れた南方の、比較的大きな島だ。異民族であるトゥイ族が多く住まうと聞く。
ソニタは顔をしかめた。今この場にいるのは全員が試験に受かった者であるからして、たとえ田舎の異民族の出であろうと仲間として扱うべきだ。あいつの言うことはおかしい。
ソニタはつかつかと赤い髪の男子生徒の元まで行くと、「あんた、どういうつもりよ!」と詰問した。
「試験の結果に納得がいかないなら、塾長にでも問い合わせればいいじゃない。わざわざ当人に暴力を振るうなんて、卑怯よ」
「……言わせてもらうがな」
男子生徒は偉そうに座ったまま低く言った。
「魔術士となるべき人間は、そこの人間以下の屑や、お前みたいな成金臭い馬鹿女じゃない。由緒正しい家系から出た、立派なメーラ男子であるべきだ。そんなこともわきまえずにノコノコとこの塾に来て、僕に無礼な口をきくとはどういう了見だ? この恥知らずが」
ソニタは頭に血が上るのを感じた。
「そう。それは失礼したわね」
ソニタは言った。
「あんたみたいな素行不良な坊やが、お貴族様のご子息だなんて思わなかったわ。貴族界も落ちたものね」
「貴様っ」
「これ以上お家の威信を落とさないためにも、下々の者にはお優しく接することをおすすめするわ。特に女の子にはね」
「……!」
男子は動きを止めた。ソニタは頷くと、女子生徒の元に舞い戻った。彼女はその場に立ち竦んではらはらと事の成り行きを見守っていた。
「ねえ、あなた、名前は?」
「あ……マユリ・ベレーコといいます」
「マユリね。私はソニタ・ガーヤ。よろしく」
「……うん、よろしく」
「この学年で唯一の女子同士、お友達になりましょう。構わないかしら?」
「お友達」
マユリは目を見開いてソニタを見つめた。それからこくんと頷いた。
「うん……お友達」
「それじゃ、座りましょう。ちょうど前の席が二つ空いているし、隣になれるわね」
「そうだね」
それから二人は、自分の出身の話などをして盛り上がった。
「私はトゥイ族の出身で、ナヴィーン島の島の魔術士の見習いなの」
マユリは相変わらず細い声で言った。
「生まれた村では、変わり者だって言われていたのだけれど、師匠に……今の代の島の魔術士に拾ってもらってから、森の奥で生活していたの。師匠には色んな事を教わったんだ……基礎的な魔法の使い方や、メーラ語も」
「もう師匠がいるのに、どうしてこの塾に?」
「……島の魔術士は特別な存在だから、ここで一番を取れるようでなければ務まらないって。力試しみたいなもの、かな? 現に、代々の島の魔術士の中にも、この塾の出身者がたくさんいたんだ」
「確かに、ナヴィーン島の魔術士は有名よね。地理的にも、外国との仲介役になることが多いし。異民族の中でも独特の地位を築いている感じがするわ」
「……うん」
「私はメーラ族の商家の出身で、運よく家庭教師とかをつけてもらえて、何とかここまで来たってところ。王宮魔術士になるのが夢なの」
「どうして?」
「実はね……昔、ハリシュ先生に助けてもらったことがあるのよ」
「え!」
「移動中に荷物ごと攫われそうだったところにハリシュ先生が現れて、賊を一網打尽にしていったのよ。それで王宮魔術士っていうものにすごく憧れちゃって……。もちろん、人や国の役に立つ仕事をしたいっていう気持ちもあるけれどね」
「へえ……」
「そうか、君があの時のお嬢さんだったんですね」
急に柔らかい男声がして、ソニタとマユリは飛び上がらんばかりに驚いた。いつの間にか目の前にハリシュ・ルイスがしゃがんでいて、ソニタのことをじっと見ていた。
「ハリシュ先生!」
「うん。でもお喋りはそこまでかな。はい注目」
ハリシュは一瞬で教壇まで移動すると、パチパチと手を叩いた。
「えー改めまして、君たちの先生となります、ハリシュ・ルイスと申します。これから三年間よろしくおねがいしますね。……さて、君たちは見事に僕の試験を突破して選抜された十名の優秀な魔術士の卵なわけですが、はっきりいってまだまだ弱いです。ここで僕がビシバシ鍛えてあげますから、ついてこられる人だけついてきてくださいね。そこでさっそくですが演習を行いたいと思います。時間は有限。さあ、みんなで運動場に移動しましょう」
一方的にぺらぺら喋ると、ハリシュは教室を出て行った。塾生たちはちょっとの間ぽかんとしていたが、慌てて彼の黒い結い髪の後を追った。
「じゃあ二人ずつ組になってもらいますよ。君と君。君と君。君と君。君と君。そして君と君です。さあお互い自己紹介して。どうぞ」
ソニタはしかめっつらで赤髪の男子生徒を睨んだ。
「……ソニタ・ガーヤ。あんたは?」
「……ラヤン・フォールト」
フォールト。聞いたことのある名だ。ということは貴族の中でも位の高い一族なのだろう。まあ、興味は無いが。
「自己紹介終わりましたか? 終わりましたね? では一対一で模擬戦闘を行なってもらいます。審判として僕の分身を用意しますから、彼らの指示に従ってくださいね。それじゃあ、パパッと結界を張ってしまいますよ」
ハリシュが言い終えた途端、試験の時のように、辺りにはソニタとラヤンと影しかいなくなった。
「はい、開始!」
ソニタは咄嗟に構えた。
教室での様子を見る限り、おそらく彼はすぐに攻撃を仕掛けるはずだ。そして魔術の種類も大方見当がついている。
予想通り、ラヤンは無言で魔術を仕掛けてきた。猛烈な強さの風が、ソニタの体を吹き飛ばす。
(やはり、風の魔術。思ったより強いわね)
単一の方向からの力。反対側からより強い力を微調整すれば容易くかわせる。ソニタは水を背中に集めて動力源とし、くるりと宙返りをした。空中で水鉄砲を三つ作り、順々にラヤンに向けて放つ。一つ目はかわしやすいおとり。二つ目で追い詰めて、三つ目で仕留める。計算通り、ラヤンは頭に水流を食らって地に伏した。
「はあーっ!」
ソニタは宙を自在に舞って、がら空きの背中に蹴りをお見舞いしようとした。
ところが直前でぶわっと下から風が巻き起こり、着地点が狂った。ソニタは足を挫かないよう体を横倒しにしてごろごろと地面を転がった。
まずい。相手の方が立ち上がりが早い。
ソニタは転がりながらも急いでラヤンの足元をぬかるみにして、彼を再び転ばせることに成功した。そのままそこに水を集中させて、泥沼を作り上げる。ずぶずぶと沈みゆくラヤンの元に駆け寄って、彼の頭を心なしか強めに踏んづけた。
「そこまで」
影が言い、結界が解けた。
他の四組はもう決着がついていたらしく、おとなしく立ってソニタとラヤンを見ている。
「おい、いつまでこの僕の頭に足を乗せているつもりだ。降ろせ」
「あら、ごめんなさいね」
沼から這い出したラヤンの顔は真っ赤になっていた。そして制服は泥まみれになっていた。
「はいはい、お疲れ。少し休憩を挟んだら別の組み合わせでもう一戦行きますからね。僕はちょっと雑用をこなしてきますから、帰ってくるまで校庭で自由にしていていいですよ。ただし揉め事を起こしたら喧嘩両成敗で罰則ですから心して。それでは」
またしてもハリシュは一瞬でいなくなってしまった。
「おい」
ラヤンが声を掛けてきた。
「ソニタとやら。この僕に恥をかかせるとはいい度胸だな……!」
ソニタは唖然としてラヤンを眺めたが、無視してマユリの方に歩いて行った。
「ねえマユリ、さっきの演習は……」
「おい、無視するんじゃない」
「……何? 構って欲しいの?」
「よくも僕をこんな目に……」
泥にまみれる覚悟もないまま入塾したとは呆れた、とソニタは思ったが、言わなかった。
「悪いけど、喧嘩なら他所で売ってちょうだい。私、罰則は御免なのよね」
「……」
気にするなよラヤン、という声がした。ラヤンの友達連中が彼をなぐさめにかかったらしい。これでもう安心だ。全く手のかかるお坊ちゃんである。
「それでマユリ、さっきの勝敗はどうだったの?」
「あ、私は……」
「はいはい、お疲れ」
ハリシュが戻ってきて手を打ち鳴らした。マユリは黙ってしまった。
「じゃあ次の組み合わせを発表しますよ。君と君。君と君。……」
ソニタはマユリと組むことになった。
「無駄口は禁止。自己紹介をどうぞ。……はい、では二戦目を始めます。はい開始」
周囲の景色は早くも変わっていた。
「行くよ、マユリ!」
そう言った時には、ソニタはまたしても宙に放り投げられていた。
「え?」
何が起こったのか分からない。着地の衝撃をやわらげるのが精一杯だった。そこに黒い影が差す。見上げると、巨大な岩が浮いていて、今まさにソニタの頭上に落ちようとしていた。
「うわ」
ソニタは手のひらを上に向けて勢いよく水を発射した。落下までの時間を稼いで逃げる。逃げた先にまた巨岩が浮いている。その先にも巨岩が。ソニタはひとまず足元に水を集めて、その場から遠く離れた。ズドドンと、洒落にならない音が響いて、巨岩が落ちた。
「あ、危なかっ……」
ソニタは口を閉じた。地面が揺れている。ドン、と高い高い土の壁が現れた。それが走るようにソニタの周りをぐるぐると巡り、ソニタは完全に壁に囲まれてしまった。
……土の魔術。魔力量が多すぎる。具現化するのも速い。
考えている暇はなかった。またしても巨岩が現れて、今度こそソニタを押しつぶそうとしている。
「ええいっ」
ソニタは土の壁をみんな泥に変えてしまった。みるみるうちに壁は解けだして、バシャリと崩れ去った。そうしてできた泥の海に身を投げ出して何とか被害を免れる。続いて、立ち上がろうとした地点の地面が唐突に隆起する。またしてもソニタは宙を舞った。
着地点を変えなければ即座にやられる。
今度は水の噴射で空中を移動する心の余裕があった。ソニタはまっすぐにマユリの元へと飛んで行こうとして……またしても生えてきた高い壁に正面衝突した。
「ぎゃっ」
真っ逆さまに地面へとずり落ちる。落ちる先には、鋭く尖った岩が待ち構えていた。
まずい、串刺しにされる──
「そこまで」
ハリシュの声がして、ぐにゃりと柔らかい触感がした。見ると、尖った岩の直前にて、影が手を伸ばしてソニタのことを受け止めていた。
結界が解けた。
ソニタは泥んこのまま、丁重に地面に降ろされた。
マユリが駆け寄ってくる。
「大丈夫?」
「うん……」
ソニタは放心気味だった。
完敗だわ、と心の中で呟く。
マユリは一歩も動いていなかった。それにあの精度の魔術。
驕っていた。自分は強いとまでは言わずとも、弱くはないと思っていた。そして侮っていた。気弱そうなマユリがここまで攻撃してくるとは思っていなかった。
「凄いのね、マユリって」
「……ありがとう」
マユリは柔らかく微笑んだ。
その後、三日間かけて総当たりで演習が行われたが、誰もマユリには敵わなかった。塾内の力関係は一変しており、もう誰もマユリを怒鳴りつけたりしようとはしなかったが、マユリは相変わらず無害そうな微笑みを浮かべているだけだった。
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