雨降る国の魔術士たち

白里りこ

第一章

第1話 絶対一発合格してやるわ


 豪商ガーヤ家の馬車の一団が、田舎道を通ってゆく。雨季が終わり、北方の別荘から戻ってくるのだ。

「馬車の旅って退屈だわ」

 ガーヤ家の一人娘、ソニタは家庭教師にこぼした。

「そんなことをおっしゃらずに。ほら、またぬかるんだ道がありますよ」

「別に構わないのだけれど」


 ソニタはヒョコッと小さな手のひらを出す。魔術を使って、道に染みこんでいる水を脇の森にどかした。道はみるみる乾いてしまった。ソニタは嘆息する。


「魔術を使えるのって千人に一人くらいのものでしょう。それもまともに教師についてもらえる身分の者なんてほんの一握り。それが、ただただ道のぬかるみを乾かすためだけに魔術を使うなんて、つまらないわよ。もっと人のためになる、役に立つことがしたいわ」

「おうちのお手伝いも重要な事でしょう。それにこのあたりの人だって通るのに助かりますよ」

「……まあね。そうかも」


 ソニタは頬杖をついて外の景色を見る。その肩を家庭教師ががしっと掴んだ。


「お嬢さん、何だか嫌な予感がします。伏せてください」

「えっ」


 その瞬間、怒声が聞こえてきた。

 あっと思った時には近くを歩いていた護衛が倒れていた。血を流して、息絶えている。ソニタは息を飲んだ。

 ワーッと見慣れない装束の大人たちが襲い掛かってくる。


「異民族の盗賊です。しかも魔術の使い手がいるようだ。お嬢さん、絶対に動かないでくださいよ」

 そういうと家庭教師は飛び出した。

「ちょっと!」

 ソニタは引き留めたが、わずか十歳の娘っ子にできることなどそう多くない。


 不意を衝かれた護衛たちはほとんどやられてしまっていた。その隙に他の盗賊たちが次々と乗り込んでくる。家庭教師が対応に当たったお陰か、どこからともなく攻撃が飛んでくるのは止んだが、相手は数が多い。

 

 メーラ帝国は多くの民族を抱える多民族国家で、ソニタたちメーラ民族とは違う生活形態の者もたくさん住んでいる。民族同士でただでさえ衝突が多いところを、最近は諸外国が国内に踏み入ってきて対立を煽るような真似をしているから、最近はどこも気を抜けない状況である。


 賊はついにソニタの乗る馬車にも盗賊が踏み込んできて、ソニタを担ぎ出した。

「ちょっと、やめなさいよ!」


 ソニタは大暴れした。魔法で周囲の水を集めると、ソニタを抱えている男の顔に張り付ける。

 ごぼっと水を飲んだ男はひっくり返った。だがソニタを手放さない。


「やめなさいったら!」

 ソニタは繰り返し男を窒息させようとしたが、魔力の制御がきかない。それに殺してしまうのも気が引ける。どうにか気絶させることには成功したが、もたもたしているうちに他の男がやってきて、馬車の外まで連れ出されてしまう。

「こらーっ! この人さらいーっ! 今に見ていなさい、私がぶちのめして……」


 そこにサッと影が差した。と思ったら、その影の中から、影の色をした人間の腕のようなものがにょきにょきと生えてきて、盗賊たちの足を鷲掴みにした。

「わーっ」

 ソニタは地面に放り出された。その間にも腕はにょきにょき出てきて、大勢いた盗賊たちを次々と捕縛していく。


 呆然と尻もちをついているソニタの前に、一人の男が舞い降りてきた。男は金の金具のついた裾の長い黒い服を着ていた。国家試験に合格した王宮魔術士の制服だ。彼は、ソニタが気絶させた盗賊の男を興味深そうに眺めると、ソニタを見下ろした。


「魔力の残滓がある。これは君がやったのですか?」

 ソニタは目を大きく見開いて男を見た。

「ええ。私が溺れさせました」

「ふむ。水の魔術ですか……」

 男はそれをしばらく観察してから、闇の腕で縛り上げてしまった。


「あ、あの」

「ん? なんですか?」

「助けてくださってありがとうございました」

「ああ。いいのですよ、それくらい」


 それからソニタの父親がいるであろう馬車まで近寄って行った。捕縛した族をぞろぞろと引きずりながら。

 幸い、父も母も家庭教師も無事だった。

「本当に何とお礼を申し上げていいか」

 父は地に突っ伏さんばかりの勢いで頭を下げた。

「礼は結構です。では私はこれで」

「いえ、助けて頂いたのに何もなしでは私の気が済みません。どうかこれを受け取ってください」

 父が差し出した小包を、魔術士はきっぱりと拒絶した。

「僕は王宮魔術士としてお給料を頂いている身ですから、本当に結構です。代わりにそれは貧しい人々に恵んで差し上げなさい」

「……! はい、あなた様がそうおっしゃるならば」


「待って」

 ソニタは大人たちの間に割って入った。

「魔術士さん、お名前をお聞きしてもいいですか?」

 こら、と父はソニタの肩を引き寄せたが、ソニタは魔術士から目を離さなかった。

 魔術士は黒くて細い目でソニタのことを見下ろした。

「……いいでしょう。あなたとは何か縁を感じますからね」

「縁……?」

「魔術士にもなると、色々なことが分かるようになるのですよ」

 彼はソニタの顔の近くまでしゃがんだ。


「僕は王宮魔術士で、王宮で働きながら弟子の指導も行なっている、ハリシュ・ルイスといいます。以後よろしくお願いします」

「……! はい、よろしくお願いします」

 ソニタも深々と礼をしたのだった。


 魔術士はにっこり微笑むと、一つに縛った黒い長髪をなびかせ、大勢の賊を引き連れて、その場を飛び去ってしまった。


 その日の遅く、やっとの思いで家に着いたソニタたち一行は、死んだ者を弔い、荷物を片付け、方々に連絡を飛ばし、ようやく一息ついていた。召使いに出されたお茶を一口飲んだソニタは、唐突にこう宣言した。


「父さん、母さん、私決めたわ。私、大きくなったら王宮魔術士になる」


 それから、ソニタの猛勉強が始まった。


 家庭教師をもう一人増やしたし、近所の武術道場にも通って、日夜訓練に励んだ。

 王宮魔術士は国の護衛から国事の事務まで幅広く仕事を行なう誉れ高い職である。勉強も実技も双方が重視されるのが特徴だ。


 王宮魔術士になるには大きく分けて二つの道がある。

 独学で勉強して試験を受けて魔術士になるか、師匠についてもらって認定をもらい魔術士になってから試験を受けるか。

 特に有利とされるのはもちろん後者だ。中でも王宮魔術士にじかに見てもらえる塾に入るのには相当な実力が必要だったが、そこを卒業すれば王宮魔術士になれる確率は飛躍的に上がる。あのハリシュ・ルイスという魔術士も、その塾で師匠をやっているという話に違いなかった。


 そうとなれば目指すはその王宮塾だ。入塾試験を受けられる年齢は十六から十八。そして一年に合格する人数はメーラ帝国全土で計十人。狭き門だ。


「私は私が恵まれているのを分かっているわ」

 ソニタは家庭教師にいっぱしの口を利く。

「そりゃあ貴族みたいにはいかないけれど、お金持ちの家に生まれて、魔力も偶然持っていて、こうしてみっちり教育を受けさせてもらえるのだから。感謝しなくちゃね。この恵まれた環境をめいっぱい活かして、周りの人にきっと恩を返して見せるわよ」


 この言葉通り、ソニタは惜しみなく努力を重ねたし、一日たりとも鍛錬を怠ることはなかった。魔術の扱いは日増しに上達していった。そうして六年の月日が流れた。


「絶対一発合格してやるわ!」

 心配そうに見送る両親に背を向け、ソニタは馬車に乗り込んで、試験会場へと旅立った。

 魔術の基本的な知識から一般教養まで、ソニタの頭には色んな勉強の成果がぱんぱんに詰まっていた。それを惜しみなく試験用紙に書き出した次の日は、いよいよ実技試験である。


「みなさん、こんにちは」

 青空の元に並んだ受験生たち総勢百名の前に現れた先生の姿を見て、ソニタは声を上げそうになった。

 それは紛れもなく六年前に会ったあの魔術士、ハリシュ・ルイスその人だった。あの時から少しも変わっていない。細い黒目に長い結い髪。


「実技試験は師匠となる僕が直々に行います。このように」

 ハリシュは前に手を差し伸べた。途端に、うすぼんやりとした黒色の人影がずらずらと出現した。

「僕は僕の影を引き延ばして百体の分身を作ります。皆さんの周りには魔法で結界が張られ特別な空間が出現しますから、そこで僕の影と一対一で好きに戦ってください。説明は以上です。では始めます」


 次の瞬間、ソニタは広い運動場でたった一人になっていた。……否、一人ではない。ハリシュの影が遠くからこちらを見ている。どこかゾっとするような光景だ。

 ソニタは構えを取った。

 影は攻めてこない。


「……先攻は私ね!」

 ソニタは地を蹴った。同時に空気中の水を沓の裏に集めて、噴射させた。

 水勢を借りて宙を舞いながら猛然と影に迫るソニタ。

「はあぁっ!」

 今度は手のひらに水を集めて、影に向かって勢いよく噴射した。

 ところが水は、影を透過して向こう側へと落ちていってしまった。全然効いている様子が無い。


「ええーっ!!」


 驚いて足元の水の噴射がおろそかになったところで、影が動いた。腕を長く伸ばして鞭のように振り回し、ソニタを殴打。ソニタが地面に転がった所をもう一度殴打。殴打、殴打、殴打。更にはソニタをぐるぐる巻きにして空高くつるし上げた。


「わーっ」


 ソニタは試しに、自分に巻き付いている影の内側に水を滑り込ませ、それを全方位に向かって撒き散らした。

 すると影は水にはじかれてあっけなく消え、もとの長さに戻ってしまった。

 ソニタは空中から落下を始めた。

「おっと」

 落下の衝撃は水の逆噴射で容易にやわらげることができる。

「ふう、危なかった」


 ……さて、向こうがこちらに触る時は、こちらも向こうに触れるということが分かった。


 だとしたら向こうの攻撃を誘って、隙を見て逆襲するのが手っ取り早そうだ。


 ソニタはすたすたと影の元まで歩いて行った。

 影は動かない。

 ソニタは影にとおせんぼうをして、間近で顔をじろじろ睨みつけた。

 しばらくやっているうちに、影が動いた。伸ばした手を鞭のように振りかぶる。


「来たわね!」


 ソニタは道場で鍛えた反射神経で影の動きを見切り、サッと体をのけぞらせた。と同時に影の腕に容赦ない水鉄砲を食らわせる。ぎりぎりまで細く速く研ぎ澄まされた水の攻撃は、岩をも穿つ威力がある。それを、長く伸び切った腕に、きっちりと正確に、何本も突き刺す。

 影は初めて痛そうなそぶりを見せた。腕がちぎれて、霧消した。影は片腕になった。


「……腕がちぎれただけでは倒せない? 残った手足を一本ずつやるのも面倒だし、やっぱり頭か心臓よね……でも簡単に触らせてはくれないでしょうし」


 ソニタは影の肩の断面を見た。

 不思議だ。

 ハリシュは影を自在に増大させ変形させて百体もの分身を作れたのに、分身は損傷した箇所を増大・変形によって補おうとはしない。


「あそこが弱点かしら」


 ものは試しだ。ソニタは損傷個所を狙って水を放った。すると影は飛びすさって水をよけた。


「正解みたいね」


 ソニタはたくさんの水の帯を出現させた。その一本一本を器用に操り、影と鬼ごっこを開始する。


 損傷個所に水を当てたら、手ごたえがあった。もう逃がしはしない。


「そこから全身削り取ってあげるわ!」


 水鉄砲を集中させて、ガリガリと影を攻めまくる。影はだんだんと小さくなっていき、やがて綺麗に消滅してしまった。


「ふう。これで終わり……よね?」


 その時、ゴウンと腹に響くような鐘の音が鳴り響いた。気づけばソニタは百人の受験生の中に突っ立っていた。


「はい、注目してください」


 ハリシュが前に立ってパチパチと手を叩く。


「お疲れさまでした。実技試験はこれにて終了です。みなさん、気を付けてお帰り下さい」


 ざわざわと若人たちの疲れた声が広がる。ハリシュは一瞬で姿を消した。


「いやにあっさりしているわね」


 ソニタは呟いて、荷物のある部屋へと引き返した。本当はハリシュに会って挨拶をしたかったのだが……。



 帰宅して数日後、ソニタの家に結果通知書が届いた。そこには、合格であるという旨と、これからの塾生活で必要なものごとが記されていた。


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