後日談:花月弥生の考察
後日談
あの蚕月製糸場での悪夢のような、茶番のような一件から、かれこれ二ヵ月ほど経った。
季節も夏から秋に切り替わり、落ち葉が舞う穏やかな季節となっていた。
そんな中、暮春がトレーナーにジャンパー、ジーンズといういで立ちで喫茶店に入ると、空調の風と一緒にコーヒーとバターの匂いが鼻孔に飛び込んできた。
「いらっしゃいませ」
「あー、予約していた暮春です」
「かしこまりました、お連れの方が既にお待ちです」
ウェイターに席を聞いてから、ようやく暮春は喫茶店の奥へと進む。
暮春が「お任せしました」と声をかけた先には、ライダージャケットにスラックス姿の花月が、雑誌を広げてお冷を飲んでいる姿が見受けられた。
東京に着いた頃には青痣になってしまっていた花月の頬も、二ヵ月経った今はすっかりと腫れも引き、彼女が村人に殴られたという痕跡はどこにも見受けられなかった。
「花月先生、お久しぶりです。お加減はどうですか? 怪我はもう治ったみたいですけど」
暮春は向かい側の席に座りながら声をかけると、花月がようやく雑誌から顔を上げ、いつもの調子でへらへらと返す。
「暮春久しぶりー。あー……大変だったわあ……主に体がバッキバキで。中年が無理するもんじゃねえわな、筋肉痛で動けなくなってたよ。三日後に来たよ。せめて二日後に来いよ。皮膚科だけでなく接骨医にも積極的に面倒見てもらわにゃならんかったし、そのおかげで治療費がかさんでるから、治療費稼ぎのために、あっちこっちに臨時の仕事もらいに行ってしのいだわ。臨時出費つらかったぁー」
「あー……お疲れ様です?」
「いやいや。そのせいか企画がひとつ前倒しになってくれたから、来月に新刊出せることになったしさあ……やっぱり、蚕月製糸場の特集は辞めたんだ?」
そう言って彼女が広げたのは、『Ohカルト』の最新号だった。開いたページは【廃工場写真館】と書かれた新コーナーで、日本の古今東西の廃屋や廃工場の写真がエッセイと共に綴られたコーナーであった。
写真のところには【桃井晩】と名前が書かれている。
それに暮春は苦笑する。
「あのときの出来事を、寝言と思って聞いてほしいと、うちのオカルト監修に蚕月村の因習や、ふたつの儀式、蚕月製糸場が廃止された経緯を話しましたよ……さすがに、桑の木人形の話まではしませんでしたけど」
「そりゃそうだ。で、監修はどう言ってたよ?」
さすがに意識のある繭玉に取り憑かれてゾンビ化した人々に襲われたなんて言ったら、いくら暮春の霊感が確かとはいえども、正気を疑われるだろう。
花月に促されて、暮春は答える。
「満場一致でこの企画は没にしたほうがいいと結論付けました。万が一、オカルトマニアがその儀式を見学したいって村まで押しかけて、狂信者の人たちに襲われて桑の木人形にされたり……最悪命を落としたら……どうやっても責任なんて取れませんから」
「だろうなあ……まあ、よくも悪くも、県政や市政の癒着が絡んでいるから、表立って公表するような馬鹿もいねえだろうしなあ」
そう言って、花月は機嫌よく目を細めて、再び雑誌の特集に視線を落とした。彼女が自作の表紙に使いたいと言わしめた桃井の撮る古さと艶めかしさを併せ持った写真は、編集部でも評判が高い。
「いい写真じゃねえか」
「はい。桃井くんには無茶を言いましたけど、本当に上手い具合に代替記事が完成できました。彼には感謝しかありませんよ……と、それはそうと。花月先生、今度の新刊の紹介記事読みましたけど」
「ああ、もう通販サイトで宣伝が出てるっけ?」
「あのう……これってもしかしなくっても、モデルにしたのは蚕月村の一件なんでしょうか……?」
彼女が他社から出す新刊は、ざっくりと言ってしまえば江戸時代にやってきた宇宙人を神としてあがめていた村が、神仏分離の際に真っ二つに分かれて、互いの信仰をかけて殺し合うという、スラップスティックホラーであった。
やってきたあれを神とするか、得体の知れない敵とするかで、神社の宮司や寺の僧侶、それぞれの氏子や檀家が殴り合うという、蚕月村の件さえ知らなかったら突っ込みどころが追い付かない物語である。
暮春の問いを、花月は鼻で笑う。
「いや? 元々宇宙人出てくる小説を書きたかったけど、どうやって江戸時代と宇宙人ネタを混ぜられるかなあと思っていたところで、蚕月製糸場でいろいろ見たから、それで考えていたネタを組み直しただけ」
「あの……蚕月村で信仰されていたおしら様……あれって本当に結局なんだったんでしょうか?」
「さてなあ。どっちみちこの国はなんでもかんでも神にしちまうから、おしら様の正体については、あんまり興味ねえんだよなあ。俺は勝手に宇宙人じゃねえのと思ってるけど、お前はまだ据わりが悪いみたいだよな」
「……いや、自分はたしかに人より見えますし、気配とか感じますけど。正体まではわかりませんから……あれが宇宙人と言われたらそうなのかもしれないとしか言えませんし、神と言われたらそうなのかって思うんです……」
「なるほど。見えるから余計に気になるっつうことか。まあ、俺はあいつの正体は割とどうでもいいけど、あの村はマジやべえなあとは思ったけどな。村全体で文字通り
「え……蟲毒ですか?」
蟲毒は、元々は中国の呪術であり、毒虫を大量に壺の中に入れて、それを互いに食らい合わせるというものである。最終的に生き残った虫がもっとも毒虫として強く、強力な呪術の使用が可能だとされている。
それ以降、互いに殺し合いをさせることで、強大な力を得ようとする儀式のことを、蟲毒と称されるようになっていた。
思えば、一度魂鎮めの儀式が行われなかっただけで、あの村で祀っていた神は反転してしまった。それ以降、村人たちは反転したおしら様に必死で繭玉に閉じ込めた人々を食らわせ続け、そのたびに雛たち神社の人間が魂鎮めの儀式を行ってどうにかおしら様を抑え込もうとしていた……。
そう聞いているが、どうにもなにかが引っかかっている。なにが引っかかっているのかが、暮春にもいまいちわからないが。
花月はウェイターにコーヒーを注文すると、待ち時間の間ミントタブレットを齧りはじめた。最近の喫茶店はどこもかしこも禁煙で、愛煙家には厳しい時代だ。
ガリガリとミントタブレットを齧りながら、花月は続ける。
「儀式により、おしら様の邪悪さは増す。その儀式の結果、あの村一帯は呪われる……ここまではわかるか?」
「一応……ただ、自分たちの住んでいた村に呪詛をかけ続けるって、それの理由がちっともわからないんですが。なにが意味あるんでしょう? 故郷、ですよね……?」
「だよなあ。俺もちょっと気になったから、伝手を使って調べてもらったんだけど」
そう言って花月は鞄からメモを取り出すと、それをペラペラと捲った。
「大正時代、蚕月村が吸収合併されて消失、旧蚕月村の上に、蚕月製糸場が建てられた……で、それを行っていたオーナーだけど、これがころころ変わってる。最初のオーナーは蚕月製糸場で起こった事件がやばいからと、事件のあとに早々に手放してる。次のオーナーは戦時中までは頑張ってあの工場を使っていたらしいんだよな。都心部では相当人が死んだんだ、田舎でまともに鉄道も通ってない場所の工場なんか、誰も狙わねえから、いい稼ぎ場所だったらしい。で、戦後。平和になったことで、ばらばらになった村人たちが、金を集めて、オーナーから蚕月村を買うことで、村を取り戻そうと思いついたけど、そこで誤算が生じた」
「そこまで、大掛かりなことになってたんですか……?」
「大掛かりっていうか、神様よりも人間が怖くってそれどころじゃなかったっていうのが皮肉だよな……続き。土地の値段が高騰し過ぎて、とてもじゃないが田舎者のカンパだけでは賄いきれなくなった。バブルだな。売買ゲームでどんどん値段が釣り上がっていった。でもバブルが弾けたことで、今度は土地があまりにも安くなった。今だったら買い叩けると村人は踏んだけど、ここでも誤算が生じた。にっちもさっちもいかなくなった貧乏くじ引いたオーナーが外資系の企業に土地を丸ごと売り払っちまったんだよ」
だんだん、今まで起こっていた出来事が、パチリ、パチリと当てはまりはじめた。
「コーヒーふたつ、お待たせしました」
途中でウェイターがコーヒーを運んできてくれたので、暮春は早速コーヒーに口を付け、花月もミントタブレットを齧り終えてから、お冷で口をすすいでから、コーヒーに手を伸ばす。
「元村人たちも代替わりしているし、既に大正時代に村を追い出されたことを覚えている人間も減ってきたけれど、怒りはなかなか収まっちゃいない。まあ、俺たちにとっては大昔の出来事でも、先祖がずっと恨みがましく言っていることは、子孫は案外覚えているもんだからな。村人たちも自分たちの村を取り上げられた挙句に追い出されたことを、昨日のように思っていてもおかしくはねえ。何度も何度も土地のオーナーが変わるのに痺れを切らして、一計案じることにしたんだよ……おしら様の儀式によって、あの土地をいっそ、誰も住めねえ土地にしてしまおうと」
ようやく、ここに来て儀式の話が再び浮上した。花月の言葉に、暮春は一瞬耳を疑った。
「……はあ? 自分たちの故郷を、自分たちの手で呪うんですか?」
「おそらく、最初はこの地で事件を起こしたことで、土地の価値を下げるだけ下げたあとに、オーナーが土地を手放すように仕向けたかった、最初は本当にそれだけだったんだろうけど。もう目的と手段が逆になっちまっている。蚕の殻も、桑の実も、すっかりと儀式のせいで呪詛まみれになってるんだろうな。暮春が蚕月村に入って終止具合が悪かったのは、そいつのせいだろう」
「で、でも……待ってください! 今の時代、人が死んだら、普通に捜索願いが出されますし、いくら私有地でも、司法が動きます……」
「オーナーのこと見込んだ上で、村人たちはやらかしてるんだろうなあ。外資系のオーナーだから、普段そもそも日本にいねえんだよ。それに金の力で司法を抑え込んだら、私有地で起こったことは全部外には漏れない。行方不明事件をでっち上げて、迷宮入りにする。残念ながら殺人事件って確定しない限りは、時効が有効だからなあ。村人は呪詛をし放題だし、オーナーは握りつぶすっていう、最悪ないたちごっこの完成だよ」
花月は淡々と語る言葉に、暮春は言葉が出ない。
村人たちは、自分たちのかつての故郷を呪うためだけに、人が繭玉に閉じ込められて、得体の知れない神に捧げられる。
最初はただ、村を買い戻したい。故郷を返してほしい。本当にそれだけだったはずなのに、いったい全体どうしてこんなことにと、思わずにはいられなかった。
しかし。そう考えるとますますわからなくなるのは、雛のことだ。雛がやっていたのは、村人たちのやろうとしていた儀式とは違う。
「あの……雛さんや、雛さんのおじいさんは、結局村の人たちを止めたかったんですよね?」
「ああ、止めたかったんじゃねえの? ただ俺たちが関わったときみたいに、儀式が成功するというのは、最初から期待してなかったんだと思う」
それに、暮春は目を見開く。花月はコーヒーを飲みながら、冷たい眼差しを向ける。
「村人の儀式を止めるのなんて、体を張らずともできんだよ。供物がなかったら、儀式を成立させることなんてできねえんだから」
まさか……と、暮春は冷や汗を流す。
彼女は何度も何度も「宿から出るな」と言っていた。そして自分たちの宿には火が付けられて、宿から出ざるを得なくなってしまった。
それは、村人たちから観光客を守ろうとする警告ではない……村人たちの供物にされないように、殺す気だったのでは。
それだったら、村人たちから雛や雛のおじいさんが責められていたことにも、説明がつく。ついてしまう。
「……花月先生は、いつから雛さんを疑ってたんですか?」
「んー、具体的にいつからとかはねえんだけど」
いくら言動がぶっ飛んでいて性別不詳とはいえど、彼女もまた女性だ。直観というものは、男性よりもわずかばかりに働くことがある。
花月は心底憐れみを込めた口調で、淡々と続けた。
「ただあいつ、マジで無理してやってるみたいだったから、向いてねえことはさっさと止めたがいいとは思ってたね」
「ああ……だから雛さん、村にもう来るなと言っていたのは……」
「あいつもまた、村人たちと同じく呪われてんだろうさ。故郷を奪われ、生き道を奪われ、コミュニティーを奪われ……そういう絶望を、寝物語のように聞いていたんだろうな。寝物語っていうのは案外馬鹿にならねえ。親から口汚い言葉をずっと聞き続けた子供は、いつしか第三者に同じようなことを吐くようになるし、親と同じような価値観になる……村人たちの価値観もまた、ずっと呪詛として語り続けられてきたもんなんだろうさ」
あくまでこれらは、土地の所有者を調べて回った末に、花月がそうじゃないかと思い至っただけの物語である。
それが真相とは限らない。オカルト知識の長けた小説家の妄想である可能性もあるし、本当に宇宙人により支配された村の悲喜劇なのかもしれない。
「おしら様が宇宙人なのか外つ国の神なのか妖怪変化なのかは俺もわからんが、あいつも村人も、村を呪いながら呪われてんだろう……おしら様に対する畏怖を、決して忘れないようにって」
暮春はあのときの、冷えた村のことを思い出した。
あの桑の木の森の冷たさも、蚕月製糸場の腹の中のような気味の悪さも、糸を引く意思を持った繭玉が人をいともたやすく操っていた様も……。
あのかつてあった村の人々も、潰されてしまった神社の末裔の雛も。
皆、あの土地に、おしら様にとらわれ続けている。
──きっと、またあの地に、あの夜がやってくる。
<了>
桑の木人形と魂鎮め 石田空 @soraisida
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
それにつけても腰は大事/石田空
★11 エッセイ・ノンフィクション 完結済 15話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます