殺戮トロッコ問題
春海水亭
大暴力巨大轢殺トロッコ
***
皆様も御存知の通り、トロッコ問題とは出題者が絶対有利の問題である。
例えばこれをお読みの皆様に一つトロッコ問題を出題してみよう。
【例題】
暴走するトロッコの進路上に五人の人間がいる。
貴方はそのトロッコを停止させることは出来ないが、進行方向を変えることは出来る。
しかし、変更された線路上にも一人の人間がいる。
五人のために一人を殺すか、五人を見殺しにするのが良いか。
貴方は果たしてどちらの選択を取る?
問題を読めばわかるだろうが、トロッコ問題は考えさせることが目的であって完全無欠の正解はない。
それ故に、トロッコ問題は出題時点で回答者側が圧倒的不利な立場に追いやられることとなる。
つまり――
***
「キヒヒィーッ!!トロッコ問題やりてぇなァーッ!適当に轢き殺すかァーッ!!!」
「うわァーッ!!トロッコ問題出題者だァーッ!!」
「トロッコ野郎が来たぞォーッ!!」
平和な町に響き渡る悲鳴。
その通り、勘のいい皆様もお気づきの通り、近未来の日本はトロッコ問題が支配する地獄と化しているのだ。
「キヒヒ……イキの良さそうな回答者共じゃねぇか……」
トロッコ問題出題者は住民達を見回して、下卑た笑みを浮かべた。
身長は三メートルほどあり、この町にいる人間の全てを見下している。
その身体の全てが筋肉による異様な厚みを帯びており、まるで神話からゴリアテが抜け出してきたようである。
だが、今町に起こっている現状は決して神話などではない、現実だ。
トロッコ問題出題者を打ち倒すダビデは存在しない。
「ひ、ひぃぃ~!!」
町の住民達はそれぞれ四方八方に逃げ出そうとしていたが、中には腰が抜けてその場に座り込んでしまった者もいる。
トロッコ問題出題者はその中から中年男性を一人選んで、その男の前に担いだ大暴力巨大轢殺トロッコを置いた。
「た、助けてください……私には養っている家族がいるんです……」
「助ける、助けるとも……お前は助ける」
トロッコ問題出題者は口を半月のように歪めて言った。
「だが、お前の家族はどうだろうな!?出題!!暴走した大暴力巨大轢殺トロッコの進行方向上にはお前の嫁と子供!!そして変更された進路上にはお前の知らない人間が五十人!!!」
そう言ってトロッコ問題出題者は、レバーを中年男性に渡した。
レバーは概念に接続されており、倒せば進路は自動的に切り替わる。
「あっ……うぅ……」
中年男性は泣きながらレバーを倒そうとするが、レバーは錆びついて動かない。
神にすがるように、中年男性はトロッコ問題出題者を見上げた。
「気が早いな……そんなに五十人を殺したくてたまらないのか?んん?だが、トロッコ問題はまだ始まっていないぞ?」
「始まっていない……?」
言われてみればその通りである。
大暴力巨大轢殺トロッコは地面に鎮座しており、暴走の気配をまるで見せていない。
「キヒヒ……問題は最後まで聞け……暴走した大暴力巨大轢殺トロッコの進行方向上にはお前の嫁と子供!!そして変更された進路上にはお前の知らない人間が五十人!!!そしてェーッ!!!大暴力巨大轢殺トロッコは線路など無視してその五十二人全てを轢殺する!!」
「な、なぁ~~~~~!!!!!!」
「さぁ、お前はぐちゃぐちゃになった肉塊からどのようにして嫁と子供を見つけ出して葬式を上げれば良いでしょうかァ!?」
「そ、そんな馬鹿な問題が……」
中年男性の嘆きを気に留めることなく大暴力巨大轢殺トロッコは、その巨大さを増していく。
トロッコ問題出題者はその間に、線路を組み立て、中年男性の家族と中年男性とは無関係な五十人を拉致し、線路の上に配置する。
「さぁ!トロッコ問題の始まりだァーッ!!全員死ねェーッ!!!」
線路を無視して暴走する大暴力巨大轢殺トロッコ。
ビルよりも巨大化したそれは、疾走する四足の巨獣のようにも見えた。
その巨大な車輪はちょうど二股に別れた両方の線路にまたがるようになっており、ちっぽけな進路変更など完全に無視してトロッコ問題に巻き込まれた五十二人を轢殺するであろう。それがトロッコ問題の現実なのだ。
「安子ォーッ!安江ェーッ!」
「貴方ァーッ!」
「パパァーッ!」
響き渡る悲鳴は、大暴力巨大轢殺トロッコの異様なるエンジン音、そして肉が轢き潰される厭な音によってかき消された。
残るはただ、五十二の死体。
そして、轢殺を終えた後の大暴力巨大轢殺トロッコのみ。
「や、安子……安江……」
「キヒヒィーッ!!やっぱりトロッコ問題って最高だぜェーッ!!」
すべてを失った男の哀れな声すらも、トロッコ問題出題者の哄笑がかき消していく。
ああ、フィリッパ・ルース・フットよ。
貴方はこのような地獄を生み出すために、トロッコ問題を考案したというのか。
今の日本ではトロッコ問題など、殺戮ボーナスタイムか大喜利にしかならない。
なんという残酷な現実なのだ。
「さーて、トロッコ問題を続けるとするかなァ……」
トロッコ問題出題者は周囲を見回し、次なる獲物を求める。
住民は皆、逃げ出してしまったのだろう。
ならば、追いかけて不自由な問いを迫ってやろう――そう彼が思った時である。
トロッコ問題出題者の方に歩いてくる男が一人。
その背には大暴力巨大轢殺トロッコ。
同じ出題者側の人間である。
「キヒヒ……アンタもトロッコ問題出題者か?」
「……そうだと言ったら」
新たなる男の身長は180cm程だろうか、普通の人間としては上背がある方であるが、トロッコ問題出題者と比べれば大人と子供ほどの――否、それ以上の差がある。
だが、トロッコ問題出題者に油断はない。
大暴力巨大轢殺トロッコを背負える膂力。
満遍なく鍛えられた肉体。
油断なく周囲を見回す冷徹なる目。
身長ほど、実力の差はないだろう――とトロッコ問題出題者は判断した。
ならば、平和的に去ってもらおうか。
あるいは互いのトロッコで無辜の民をサンドイッチするのも良いだろう――と、トロッコ問題出題者が口を開きかけた、その時である。
泣き叫ぶ中年男性と乱雑に散らばる肉の山を見て、男が言った。
「訂正させてもらおう、俺は貴様のようなゲスとは違う」
「なにぃ……ッ!」
「貴様のやっていることはトロッコ問題などではない、ただのトロッコを利用した殺戮だ!」
「何をォ……!」
瞬間、トロッコ問題出題者は大暴力巨大轢殺トロッコを構えた。
「だったら……その殺戮でテメェも殺してやろうじゃねぇかーッ!出題!!暴走した大暴力巨大轢殺トロッコの進行方向上にはお前!!そして変更された進路上には今家族を殺されたばかりの中年男性!!!そしてェーッ!!!大暴力巨大轢殺トロッコはいくら進路を変更しようとも無関係にお前達を轢き殺す!!さぁ、お前が最期に遺す言葉は何でしょうか!?」
トロッコ問題出題者側が問題を告げ終わるや否や、男にレバーを渡し、新たな線路を建造し、犠牲となる二人をロープで厳重に拘束した上で線路の上に寝かせた。
異常な爆音で大暴力巨大轢殺トロッコが迫る。
トロッコ問題の始まりである。
「キヒヒィーッ!!!!間違ってるだなんて言ったところでどうしようもねぇだろう!?このトロッコ問題の解答はテメェの死だァーッ!!!!!!」
大暴力巨大轢殺トロッコの車輪が、線路を揺らす。
巨大な振動は容赦なく近づいてくる。
トロッコ問題によって、新たに二人の死が証明されてしまうというのか。
「破ァッ!!」
だが、男は自身を拘束するロープを自身の剛力で無理矢理に引きちぎった。
「トロッコ問題中に拘束を解いただとォーッ!?だがいくら拘束を解いたところで大暴力巨大轢殺トロッコからは逃げられねぇーッ!!」
「逃げはせん……止めるのみ!」
ドンキホーテは風車を巨人と思い込み、挑んだ。
しかし、今目の前に迫る大暴力巨大轢殺トロッコは風車よりも大きく、そして巨人よりも凶暴である。
であるというのに、男は――大暴力巨大轢殺トロッコの元へと駆け、そしてある程度接近したと見るや、線路上に寝そべった。
「な、何をやってるんだテメェーッ!?」
「お前もクズとは言えど、トロッコ問題の一つ……太った男を突き飛ばして路面電車を止める話は知っているだろう?」
「ま、まさか!」
大暴力巨大轢殺トロッコは、男を轢き潰さんとした。
だが、男の鍛え上げられた肉体に衝突した衝撃で、逆に大暴力巨大轢殺トロッコの運行は止められてしまったのだ。
「ば、馬鹿な……トロッコ問題には出題者の絶対優位があるんだぞ……いくら鍛え上げられた肉体を持っていようとも、そんなものはトロッコ問題の前には無意味のはずだ!!」
「愚かな……トロッコ問題とは不自由な二択の中で、自身の倫理観を再度見つめ直すもの……貴様のはただの殺戮トロッコ問題大喜利!トロッコ問題を殺戮ボーナスタイムと考える貴様にトロッコ問題の優位性は働かぬ!」
「な、だったら……今から貴様を殺すトロッコ問題を考えてやる……えーっと……」
だが、新たなる出題が行われることはなかった。
トロッコ問題出題者を突如として覆う影。
それは男が大暴力巨大轢殺トロッコを投げ返したことによって生じたものだった。
「グェーッ!!!」
トロッコ問題出題者は、自身の大暴力巨大轢殺トロッコに踏み潰されて死んだ。
「……大丈夫か」
「大丈夫です……しかし、私だけが生き残ったところで」
男は中年男性を助け起こし、線路から除けた。
だが、家族を失った中年男性には生きる気力の一切がないように思えた。
憔悴しきった顔、その目に光はない。
「貴方!!」
「パパ!!」
「お前達!?」
だが、妻子の言葉を聞いた瞬間に憔悴も絶望もどこかへと消えてしまっていた。
殺されたはずの中年男性の妻子、そして無関係の五十人が手を振って中年男性の元へと駆けていく。
「こ、これは……私は幻でも見ているんでしょうか」
「これは叙述トリックだ」
「叙述トリック!?」
「叙述トリック」
死んだと思っていた五十二人は実は生きていた、これが叙述トリックである。
もちろん、皆様に文句はないだろう。
「……ありがとうございます」
地面に額を擦り付けて、中年男性が男に礼を述べる。
「何も出来ませんが……せめて、私の家でゆっくりと」
「悪いが、旅の身でな……このトロッコ問題大乱立の時代を終わらせ、風評被害を消し去るまで、俺に休息はない」
中年男性の呼び止める声を振り切って、男は沈む夕日の方向へと歩き出す。
「一つだけ……一つだけ覚えておいてくれ」
男ははたと立ち止まり、叫ぶように言った。
「トロッコ問題のトロッコは炭鉱とかで使うアレではなく、路面電車のことだ!!」
「あ、そっちに対する風評被害なんですね」
殺戮トロッコ問題 春海水亭 @teasugar3g
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