後編 蘭丸、ついに討ち入りを決行する
夜明け前にあたしはこっそり部屋に戻った。暗い中、音をたてないようにベッドに倒れ込む。そのまま大きく息を吐いて目を閉じた。
「ふはぁ……」
―――ああ、疲れた。
しばらくすると、何かがあたしの耳のあたりをさわさわ、とくすぐる。
「ん……うわっ!」
目の前に茶トラの大きな顔があった。
くんくん、とノブナガはあたしの匂いをかぐと、お尻を向けて後ろ足で砂をかける仕草をして、ベッドから飛び降りた。
「ちょと待て、なんだその態度は」
女子に対して失礼過ぎるだろ。
ノブナガはもう一度あたしの枕元にやって来た。
「蘭丸、きさま。朝帰りのみならず、こんなに酒臭いとは何事だ。わしはお前をそんな小姓に育てた覚えはないぞ」
ううう。頼むからそんな大声を出さないで欲しい。うちの母親に聞こえる、というより頭に響くじゃないか。
「なんじゃ。今のいままで、あの男と飲んでおったのか」
あー。幼なじみのあいつ、ね。
「もう、信じられないよ。映画を見始めて、わずか5分で熟睡するなんて」
そうなると、揺すっても叩いても目を覚まさないのだ。ほんとにもう、女子を部屋に招いておいて、何をひとりで寝てるのだ、あの男は。
「ほう、それは男の風上にも置けぬ奴ではあるな。いやいや、それは災難じゃった」
なんだかノブナガの態度がおかしい。そっぽを向いて、あたしと目を合わせようとしないのだ。
「まさか知ってたの。あいつの性癖を?」
「ん、いや……どうであったかのう。だが蘭丸よ。それを性癖というのは、ちょっと違うのではないか。そもそも性癖というものはだな……」
「おい。なにか誤魔化そうとしてないか、ノブナガ?」
ノブナガは急に、聞こえないふりで身体のあちこちを舐めている。ああ、これは完全に誤魔化しにきているな。動揺しているのが見え見えだ。
ふとノブナガは身体を舐めるのを止めて顔をあげた。
「ところで蘭丸。あの男が目を覚まさぬのを良いことに、よもや卑猥な行為に及んではおるまいな」
「はあっ。な、なにをいっているの。そんなことするわけがないじゃないの。へんなこといわないでよ。こまったねこだな、のぶながは」
「貴様こそ、動揺しているのが丸わかりではないか。セリフに漢字が一箇所もないぞ」
おやおや。
まったくもう。でもあいつを起こすことを口実に、ちょっとだけ身体のあちこちを触ったくらいで猥褻行為よばわりとは心外だぞ。まあ、普段はさわれない部位に、偶然に手が当たったのは否定しないが。
「だけど一線は越えてませんからね!」
諦めて帰ろうとしたら、あいつのお母さんに捕まって、今までずっと一緒に飲んでいたのだ。まだまだ呑み足りないと駄々をこねるのを寝かしつけ、やっと帰ってきたところなのである。
まあこれも結果的にではあるが、あたしの深謀遠慮の一環といっていいだろう。
「だって『将を射んと欲すればまず馬。幼なじみを攻略するならまず義母から』というからね」
まあ、まだ義母じゃないけれど。
「それは寡聞にして初耳だがのう。しかし酒以外に、この匂いは何なのじゃ」
ん、なんだろう。ああ、そうか。
「たぶん
ノブナガは眉間にしわを寄せた。
「フナだと。うむう、この鮒ずし侍、いや鮒小姓め!」
そんな柚子胡椒みたいに罵倒しないでほしい。
「だけど、あたしは決心したよノブナガ」
ぽん、とベッドをたたいた。
「あたしは、あいつにちゃんと告白する」
夜があけたらもう一度、お隣さんへ討ち入りだ。今度こそ討ちもらしはせぬぞ。
という訳で、あたしはその夜、幼なじみの部屋に押し掛けた。
「おのおのがた、討ち入りでござる」
「おのおのがたと言われても、僕しかいないんだけど」
幼なじみは怪訝そうな顔であたしを見返す。
「ねえ、がっちゃん(幼なじみの
「なに? しずく」
「あの。す、好きなんですっ」
そいつは、おおっと目を瞠った。
「やはりそうだったのか。実は僕もなんだけどね」
な、なんと。
☆
「おい。それで、これは何だ」
呆れた顔でノブナガは言った。それから立ち上る独特な匂いに、ちょっと腰が引けている。
「えーと、鮒ずしです」
たくさん貰ったからおすそ分けなのだと。それもお皿いっぱい。
「あはは。昨日あれだけ食べたのにね。まだ残ってたみたいでさ」
哀しく笑うあたしを見て、ノブナガは沈黙した。
「つまり、奴は鮒ずしが好きだと言ったのだろう。お主ではなく」
「いや、それはまだ、そう言い切れる訳では……」
ごにょごにょ言うあたしを見て、ノブナガはくわーっと大きなあくびをした。
「まったく。お主も諦めぬやつよのう」
そう。恋もスポーツも、あきらめたらそこでゲームセットなのだ。
「あたしは、ラブゲームをめざすんだからっ!」
「それでは完封されておるではないか」
あれれ。ラブってそういう意味じゃ無かったっけ。
やれやれ。ノブナガだけじゃなくあたしも目的の達成も、まだまだ遠そうだ。
おわり
ある日うちのネコが年の瀬を迎えたんだけど 杉浦ヒナタ @gallia-3
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