ある日うちのネコが年の瀬を迎えたんだけど
杉浦ヒナタ
前編 ノブナガ、松の廊下で襲撃される
「起きてノブナガ、雪が積もってるよ」
年末のある日。窓の外を見たあたしは声をあげた。昨夜からの雨が、明け方に雪に変わったらしい。向かいの家の屋根がうっすら白くなっている。
「なんじゃ、朝から騒々しい」
茶トラのネコが迷惑そうに猫用ベッドから這い出して来た。こいつがうちのネコ、ノブナガだ。
このノブナガ、いつからか中の人が並行世界の織田信長とつながっていて、こっちの商店街のネコをすべて制圧すると、向こうの世界でも天下布武が成るらしいのだ。
ノブナガは、のそのそとやって来てあたしの足に頭をこすりつける。
「白いのは雪ではなく、年末年始のお前の予定であろう、蘭丸」
こいつは、あたしの事を森蘭丸だと思っているのである。しかし相変わらず飼い主に対して遠慮のないやつだな。あたしにだって、ちゃんと予定くらいあるのだ。
「今日は来年の日記帳を買いに行くんだからね」
どうだ。恐れ入ったか。
「ああそうか、ならば気を付けて行くがよいわ」
やはり買い物くらいでは関心をひかないようだ。ノブナガは日の当たる窓ぎわで丸くなっている。
「えー、いっしょに行こうよ。後でおやつあげるから」
ぴく、とノブナガの耳が動いた。
「わしを子供あつかいするでない。だが蘭丸がそこまで言うなら、付き合ってやってもよいぞ」
軽い足取りであたしの所にやって来た。ノブナガ、けっこう単純なのだ。
☆
「こんにちはー」
あたしはノブナガを連れて『松野文具店』へ入った。
「ああ、しずくちゃん、いらっしゃい。あらノブナガちゃんも」
店のおばさんがノブナガの頭を撫でる。
「いい子だね、ご主人さまのお供かい」
ノブナガは不満げに、しっぽをぴんぴんと振る。
「ネコちゃん、ノブナガだっ!」
松野文具店の廊下の奥から、ちっちゃな女の子が出て来た。
たしか、3才になったばかりの
「ねこーっ」
「うにゃうっ!」
綺羅ちゃんは逃げ腰になったノブナガを、構わず、ぐわしっと押さえつけた。ノブナガは悲鳴をあげて身体をよじっている。
「綺羅、そんな乱暴にしたらノブナガちゃんが痛いってよ」
「大丈夫ですよ、ノブナガ子供好きだから」
「蘭丸、きさま。おぼえておれよ」
笑うあたしを、恨めしそうにノブナガは睨んでいる。
「やれやれ。殿中で襲撃されるとは思わなかったぞ」
やっと綺羅ちゃんから解放されたノブナガは、息も荒く、身体を舐めている。
「よかったじゃない、遊んでもらえて」
「一方的に弄ばれただけではないか。だから子供は嫌いなのだ」
そう言いながら、結構うれしそうだったけど。
「さて、どれにしようか」
日記帳を選んでいると、また綺羅ちゃんがやって来た。今度は手にノートとクレヨンを持っている。
ノブナガの前にすわり、何か書きはじめた。
「綺羅ちゃん、なに描いてるの」
「ノブナガ!」
綺羅ちゃんは笑顔で答えた。
「な、なんじゃと。この娘、わしの名をノートに書きおったのか」
急にノブナガがあわて始めた。なんだろう。綺羅ちゃんがノートに名前を書くと、何か問題があるのか。
「蘭丸わしはもうダメじゃ」
そのまま、ぱたりと床に倒れる。なるほど、きっと隣に住む幼なじみの影響だ。また一緒にそういう映画を観てたのだろう。
「ネコちゃん、死んじゃった?」
綺羅ちゃんがクレヨンで突っついている。
「大丈夫だよ」
あたしはノブナガの両脇に手をいれ、ぶらーん、と持ちあげた。
ノブナガはまん丸い目で辺りを見回す。
「生き返った、きゃっきゃっ」
大喜びで綺羅ちゃんはノブナガのしっぽを掴むと、いきおいよく振っている。
「おのれ、せっかく死んだふりをしておったのに。やはり幼児は猫の天敵じゃ」
にゃうー、とノブナガは唸った。
買い物を終えて帰ると、家の前でとなりの幼なじみと出会った。
「へへ、ちょっと驚かせてやろう」
この男が最近どんな映画を見たかを、ズバリ当ててやるのだ。おそらく今回は〇〇ノートとか死神とかが出て来るあの映画に違いないからな。
「やめておいた方がいいと思うぞ」
ノブナガは素っ気ない。
「なんでよ。きっと、あたしたちは心がつながりあってるんだと、あの鈍感男も気付くと思うけどな」
そして、あわよくば二人で初詣など……むふっ。
☆
「だから言ったではないか」
落ち込むあたしに、ノブナガは頭をすり寄せる。
「ううっ、あいつにストーカーだと思われたよぅ」
考えてみれば、そうかもしれない。あいつも、まさかネコから情報を得ているとは思わないだろうし。疑われてもしょうがない。
あいつの部屋のカーテン、いつになくしっかりと閉まっているような気がする。
「もう、おしまいだぁ」
どうやら今年も、ノブナガの天下布武もあたしの恋も、ぜんぜん進展しないまま終わりそうだ。
さっきからカバンの中で音がしている。
「おい、電話が鳴っておるぞ」
ノブナガはうるさそうに耳をぴくぴくさせる。
「ああ、そうだね」
あたしはのろのろ、と携帯電話をとりだす。相手は……あ、あいつだ。
「はっはっは。あたしの勝ちだよ、ノブナガ」
あたしは嫌がるノブナガをつかまえ、散々に撫でまわす。
「じゃあ、これからあいつの部屋でいっしょに映画を観てくるからね。今夜は帰らないかも、なんつって♡。あ、絶対ついて来ちゃだめだからね」
あたしは意気揚々と部屋を出る。季節は冬本番だが、あたしには一足はやく春が来たようだ。
「だがあの男は、映画を観ながらすぐに寝てしまうからのう。たとえ一晩いっしょに過ごそうと、別に何事も起きんと思うがのう」
ノブナガはちいさな声で言った。
「ええ、なにか言った?」
「いや。なにも言うておらぬぞ」
「あ、そ」
「まあ、せいぜい楽しんでくるがよい」
くわーっと大きなあくびをしたノブナガは、また猫ベッドへ戻っていった。
つづく
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