あとがき

 この度は拙作「絶好の自殺日和を待つ僕らは」をお読みいただき、ありがとうございました。

 これは2013年12月から書き始め、エブリスタさんにて初めて公開した作品、「自殺プランナー」の改題・大幅改稿版です。

 作品のメッセージの部分につきましては原題と変わりませんので、あとがきをコピペします。


「何が言いたかったのか言いますと。

 自殺志願者に「悲しむ人がいるよ」とか「迷惑だ」なんて言ったって、本人たちからすれば「知るか」って話なんです。

 ずっと周りに気を遣って、周りに振り回されて、そこまで追い込まれたんです。最期くらい自分のことを考えたいんです。死ねって言ったり死ぬなって言ったり理不尽だなって、死んだ方が楽だなって思うんです。

「死にたい」と相談すると「絶対にだめだ」「間違っている」と言われてしまう。シンプルな気持ちさえも否定されてしまうと、余計に悲しくなるものです。分かってもらえないということは、とても悲しいことなのです。

 そして、「誰にも相談せずに死ぬ」に結びついてしまうのだと、私は考えます。

 それが夏目がファインダー越しに見た景色であって、当事者たちのそんな叫びを、多くの人に知ってもらいたかった。そういうお話です。


 でも自殺志願者さんたちにも知ってほしい。

 止める人たちは、気持ちを理解していないなりに本当に悲しんでいるんです。それをきっかけに、誰かが同じように死を選ぶかもしれない。

 気持ちを分かってくれていなくても、彼らは彼らの気持ちがあるから、止めたがるのも無理もないことなんです。それが、椿が見た風景。」


 以上が、原題のままなにも変わっていない、この物語の軸部分です。

 今回の改題を経て、夏目の毒牙が若干弱まっていますが、根底の部分はなにひとつ変わっていません。彼はいつだって自殺者に想いを馳せ、見届けているのです。


 この物語は、死にたい人を救うためのものでも、遺された人へのエールでもありません。ただひとりでも多くの「私みたいな人」に、そういう思考回路の人はあなた以外にも、ここに私がいるよと、伝わればいいなと思っています。


 細心の注意は払っておりますが、明らかに伏線なのに拾い忘れている箇所や矛盾点等ありましたらご指摘いただければと思います。

 筆者の知識不足・力量不足で至らない点も多かったかと思いますが稚拙な文章に最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。


 植原 翠

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絶好の自殺日和を待つ僕らは 植原翠/『おまわりさんと招き猫4』発売 @sui-uehara

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