第2話 末期の伯父から明かされた真実


 

 そんなテツオに本当のことを教えてくれたのは、最後まで生き延びた伯父だった。


 白寿を間近にした老人が、ホスピスのベッドで窪んだ目を真っ赤にしながら「義姉さん」と懐かしむのはテツオの母親……いや、そう思いこんでいた人ではなかった。

 父が戦争に行く前に一緒に暮らしていたという「きれいな人」のことだった。


 父の出征中にテツオを産んだが、生来の病身に不慣れな農村暮らしの心労もあって乳飲み子を残して亡くなった。どこの馬の骨とも知れない飲み屋の女を一族に入れるわけにはいかないと、本家から頑固に反対されて籍を入れられなかったので、テツオは戦後にやって来た後妻の子として育てられることになったが、その義母は、子どもながら感じるところがあってか、心を閉ざして懐かないテツオの扱いに困っていた。

 

 ――真実を知らないおまえが哀れでならんかった……すまん。

 

 末期の床で滂沱ぼうだの涙をこぼす伯父の枯れ枝のような手を握りながら、テツオは幼いころから抱いていた不可思議な違和感の謎解きに、安堵とさびしさを感じていた。


 めちゃくちゃにこんがらかっていた糸が、とつぜん、するする解けて来る。

 和気藹々わきあいあいというべき家庭団欒のなかで、なぜか居心地がよくなかったこと。いつも威張っている父親が、ふと母に見せる奇妙な遠慮。「末っ子だから」という理由で、いつも弟の皿に余分に盛り付けられるお菜。同じく弟のみに与えられる珍しいおやつ。より寡黙になった思春期の自分に向けられた、義母のいら立ちのまなざし……。


 そういえば、近所のお節介婆さんから、それらしいことを囁かれた記憶がある。

 戦後の混乱の余韻が残っていた当時、その手の話は珍しくなく、子ども同士でも「橋の下から拾って来たと言われた」「もらいっ子と言われた」など言い合っていたので、よくある話だろうと聞き流していたが、本当だったのか、おれの場合は……。


 ずいぶん長いこと、なにかヘンだと思って来たが、これでようやくすっきりした。

 伯父が慕う義姉さんに瓜ふたつだという自分が、弟と似ていない理由についても。


      *


 家庭内の孤独から自然に読書好きな少年に育ったテツオは、大人になって歴史小説を好むようになると、そこに登場する人物の親子関係に、とりわけ過敏に反応した。


 たとえば、平安末期の公卿・藤原忠実は、温厚な長子・忠通より「悪左府」の仇名をもつ頼長を偏愛したし、戦国期の土田御前は、長男・織田信長をさしおいて次男・信行ばかり可愛がったし、江戸時代、二代将軍・徳川秀忠とお江ノ方夫妻は、生来の病弱で吃音の長男・家光より、一見、聡明そうで活発な次男・忠長を贔屓した……。


 そうした記述のつど自分の身に照らしていたが、根本からして異なっていたのだ。


 あの家族集合写真を撮影したとき、自分だけ、なぜみんなからあんなに離れていたのか、カメラマンの伯父は「もっと寄って」と指示したろうが、なぜそうしなかったのか……訊いてみたかったが、積年の重荷をおろした伯父は深い眠りに入っていた。


       ****


 県庁近くのホスピスからの帰路、水商売あがりと蔑まれても心根の清い人だったという生母と、葛藤しつつも懸命になさぬ仲の子を育ててくれた養母、ふたりの母への哀悼に、粉雪の高速道路のハンドルを握るテツオの頬には、いく筋もの滴りがある。





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家族写真 📷 上月くるを @kurutan

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