家族写真 📷
上月くるを
第1話 モノクロ写真の不可思議な情景
その奇妙な家族集合写真は、そのころはまだ結婚前で、兄夫婦が仕切る実家に同居して獣医師の卵として保健所に勤めていた、父の末弟が撮影してくれたものだった。
太平洋戦争の敗戦後、中国大陸から復員し、近所の悪友と花札賭博にパチンコにと荒んだ生活を送り、借金のカタに、先祖が残した持山まで売り払った男の体たらくを見兼ねた世話好きが銃後の青年部で旗を振っていた30歳の女性と
その生家に居候していたのが8人兄弟姉妹の末弟で、当時はまだ珍しかった月賦で購入したカメラで、兄の家族と自分の婚約者を玄関先に並べてシャッターを押した。小学5年生だったテツオの
いつまでも復員軍人気質が抜けず、かたときも一升瓶を手放さない父親や負けずに激しく言い返す母親より、テツオは、丸い眼鏡の奥で知的な眸を瞬かせている穏やかな伯父が好きで、伯父さんが父ちゃんだったらなあ……ひそかに、強く思っていた。
4つ下の弟はどう思っていたか分からない。
というより記憶にも残っていないのだと知ったのは、大人になって幼少時の思い出を語り合ったときだった。弟が物心つくころには、父は酒も博打もすっぱりとやめ、朝星夕星を仰いで一心に野良稼ぎをする、謹厳実直な農夫に変身を遂げていたのだ。
*
なぜか1枚だけ手もとにある家族写真に、テツオは一番端っこに写りこんでいる。
写真の中央には弟の笑顔があり、それを挟んで母と叔父の婚約者、3人のうしろに背の高い父が口を真一文字に結んで立っている。かたやテツオは一団と明らかに距離を置き、ツンツルテンのセーターの肘のあたりが一部欠けてはいるものの、なんとかギリギリでフレーム内に収まりつつも、ひとりだけ途方に暮れた表情をしている。
*
それから語るに尽くせない悲喜こもごもがあり、父も母もとうに故人になった。
両親に顧みられなかったテツオは早くに家を離れていたので、生家は当然のように弟が継ぎ、現在は甥の代になっている、少年時代から予感していたとおりに……。
孤独を抱えて生きて来たテツオの拠りどころは、一編の短い詩のフレーズだった。
――みんな、云っとくがな、
生れるってな、つらいし
死ぬってな、みすぼらしいよ
んだから、掴まえろよ
ちっとばかし 愛するってのを
その間にな
ラングストン・ヒューズ『助言』(水島始訳)は、テツオのバイブルでもあった。
だが、人生の最初から愛に飢えていた者に、真の愛がもたらされたかどうか……。
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