第11話 世界で一番かわいい彼女【2/2】

「これで操縦の説明はおしまいだよ。わかったかな?」


 シゲがラグビーボール状の乗り物――『種』という名だというアイリネシアが乗ってきた乗り物を覗き込みながら言った。『種』は境界の外から脱線した電車の近くまで移動させられており、中には景が乗っている。


 景は首に巻かれたレースに黒い手で触れた。体が黒いスーツで覆われているのだ。


「わかりましたけど……こんな簡単でいいんですか?」


「基本的にはHATOに打ち込んだアンカーに紐で引っ張られるだけだからね。紐を巻き取ってHATOに近づいて捕まえる。それが基本であり全てさ」


「わかりました」


 景がうなずくとシゲは搭乗口から離れた。すると掬が顔を見せ、中に入って――


「こら! 掬はお留守番よ!」


 篝が後ろからつかんで『種』に入るのを阻止した。掬は口を尖らせる。景は掬に笑いかけた。


「ごめん掬。大丈夫。僕はすぐに戻ってくるから」


 景は手を伸ばして掬の頭を撫でた。掬はとがった口をそのままに、胸に抱いていたクマのぬいぐるみを景に向かって差し出す。


「景の……」


「うん」


 景は一度ぬいぐるみに手を伸ばしたが、途中で引っ込めた。


「やっぱり掬が持っててよ。なくしちゃうといけないから」


 掬はしばらくぬいぐるみを差し出したまま固まっていたが、一間おいてこくこくとうなずき、ぬいぐるみを抱きしめた。


 篝が掬を少し後ろに下げる。


「時間ないんだから、さっさと行きなさい。いっておくけど、掬を泣かせるようなことになったら、あんたを絶対に許さないから」


 篝はそれだけ言って、掬を引きずりながら離れた。景は席を立って搭乗口からそれを見送る。


 篝が戻る先にはアイリネシアと羽月が立っていた。アイリネシアは景が着ていたシャツを身に着けている。


「景さーん! 頑張ってくださいねー!」


 アイリネシアが大きく手を振った。


「景! みんながあんたを信じてるんだ。期待を裏切るんじゃないよ」


 羽月は腕を組んだまま、景を見る。景はみんなにわかるほど大きくうなずいた。


「うん! 行ってきます!」


 シゲがハッチに手をかけた。


「じゃあ閉めるよ。ああ、そうだ。これを渡しておかないとね」


 シゲはポケットから木の棒を抜き取り、景に手渡した。棒の先には鉄がついていて、T字になっている。


「トンカチですか?」


「そう。シンプルだけど、これが手っ取り早い。頼んだよ」


「はい」


 景がうなずくのを見ると、シゲは景の肩を押して席に座らせた。


「景くんならきっとできるさ」


 ハッチが横から滑り込むようにしまり、景のいる運転席は真っ暗になる。すぐに青い光がうっすらと景の周りを照らし出した。システムが起動した合図だ。


 景は深呼吸した。


「ふぅ。巻き取り開始」


 右足近くにあるレバーを引いた。景からは見えないが、『種』の先端部分からアイリネシアが使っていたような緑に光るワイヤーが天に向かって伸びていく。それは雲の上で天から下りてきたワイヤーとつながった。ワイヤーはすぐにぴんと張り、『種』が持ち上がる。


「えっと……接続確認。加速」


 景は両肩部分から出ているシートベルトで体を固定し、右のペダルを踏んだ。『種』は完全に宙に浮き、空へと上がっていく。その姿は糸を伝って上るクモのようにも見えた。


 どんどん加速していくのを景はGで感じていた。だが計器類のない『種』の中では自分がどれくらいの高さにいるのかわからない。


「まぁ、計器の読み方とか知らないから、あってもわからないんだけど」


 景は声を出して緊張をやわらげようとした。自分がこれからすることは絶対に失敗できない一発勝負なのだ。


「なんだか、掬に告白したときを思い出すな」


 自分以外の客がいない二人きりの剥製屋の中で、景は掬に告白した。あのときも今と同じように体の芯が潰れてしまいそうなくらい緊張していた。違うところといえば、今は高鳴る心臓がないということだろうか。緊張が思っていたよりも加速しないのはそのおかげかもしれない。


「集中しないと」


 景は目をつぶり、深く息を吐いた。外が見えないということは、いつHATOにぶつかるかわからないということだ。いつ訪れるかわからない衝撃への恐怖もあったが、その瞬間を逃してしまったらという不安のほうが大きかった。


 景は天井からぶら下がる二つの手すりを握る。そろそろぶつかってもおかしくないと思い始めたのだ。しかし衝撃はなかなか訪れない。先に景を襲ったのは感じたことにない浮遊感だった。その浮遊感はまったく消える気配がない。


「もしかして、宇宙に――」


 ちょっとした感動をかみしめようとした瞬間、『種』が大きく揺れた。加速していたときとは逆方向に強いGを感じ、『種』が止まったのだと強く実感する。


「HATO……だよね? わからないけど、もうやるしかない!」


 景はつかんでいた手すりを力いっぱいに引いた。外で『種』の両端から腕のようなものが伸び、正面にあるものを抱きしめるように交差させる。HATOにぶつかって止まったのならば、それを捕まえているはずだ。


 景はシートベルトを外した。『種』にできることはこれが全てだ。あとは景が自分で行わなければならない。

 

 壁に固定してあったリュック型の機械を外し、背負う。詳しい説明はされなかったが、シゲが言うにはこれがとても大事なものらしい。景はリュックの紐をしっかりと絞めて固定し、左手のトンカチを確認すると、壁に平行についてるレバーを起こした。


 風船の口を緩めたようなような音とともに『種』が揺れ始める。全身が張るような感覚がするのを確認すると、景は深く息を吐く。いつもより多くの空気を吐き出しているのが感覚でわかった。すぐに張るような感覚はなくなり、息が出なくなる。普段の癖で息を吸おうとしたが、腹は膨らんでも口や鼻には何も感じない。


(うわ……空気が吸えないって、やっぱ気持ち悪いや。音も全然聞こえないし)


 『種』の中から空気が出て、真空状態になったのだ。もちろん意味もなく空気を捨てたわけではない。


 景は起こしたレバーを押し込み、左に引いた。するとレバーをドアノブ代わりにしてハッチが左に開き始める。空気を捨てていないと、この時点で外に吸い出されてしまうらしい。

 

 開いたハッチから白いセラミックのようなものが見えた。


(やった! HATOだ! ここまではうまくいってる!)


 HATOは『種』に抱き付かれているにも関わらず、平然と飛行を続けていた。


(気づいてない……わけはないよね。あんまり頭がよくなかったりするのかな? まぁいいや。静かにしてくれたほうがやりやすいし。えっと、結晶はどこかな?)


 HATOのくびれ部分が見えたので、景は頭に近い部分にいるらしい。目の前に結晶が見えなかったのは残念だが、HATOの体のむこう側にセミのような羽が見える。


(こっちは正面側ってことだよね。じゃあ……)


 景はハッチとHATOの隙間から身を乗り出す。そこから見えたのは星空によく似た闇だった。目印になるHATOから目を離すと目が回ってしまいそうだ。景はHATOの羽の向きから下だと推測した左を見た。


(わぁ……)


 目に飛び込んできたのは宝石のように青く輝く地球だった。その美しさを目の前にして『滅んだ』といっても誰も信じてはくれないだろう。星はまだ生きている。そう思わせる輝きが地球にはあった。


(いけない。見とれてる場合じゃないよ)


 景は頭を軽く振って頭をリセットし、緊張感を取り戻した。HATOの胴体へと目を向ける。


(あった!)


 HATOの胴体にピンが刺さっていた。その根元にはヒビの入った彗透ガラスが見える。


(まだ割れてない……なら)


 景は隙間から上半身を全て出した。足をハッチにひっかけ、飛ばされないようにする。HATOから離れてしまったら、もう結晶を取り戻すことはできない。


(左手なら、届きそう)


 景がトンカチを持って左手をめいいっぱい伸ばすと、トンカチの金属部分がちょうどガラスに届いた。


(いつまでHATOがおとなしいかわからない。一回で割ってやる)


 景はトンカチを振り上げ、力いっぱい振り下ろす。手ごたえは十分にあった。


(割れた……?)


 音がしないので実感が薄かったが、景が叩いた場所の近くにキラキラと光る破片がいくつも浮かんでいた。ピンもどこかへ飛んでいってしまったのか、見当たらない。ヒビで白くなっていた部分は綺麗に無くなっていて、奥に結晶が見えている。


(あれをとれば)


 今の体勢では届かない。景はハッチにひっかけている足を調節し、体を膝まで出した。結晶に手を伸ばす。その瞬間、手元が赤い光に照らされた。


(え……?)


 後ろを見ると、HATOの赤い目が景に向けられていた。


(まずい!)


 景はとっさに手を伸ばし、結晶に触れた。だがつかむ前に強い遠心力が景の体を引っ張る。


(うわ!)


 ハッチへの引っ掛かりが甘くなっていた足は簡単に『種』から離れ、景は宙を舞う。それ以上のことは何もわからなかった。体がぐるぐると回転しているのはなんとなくわかったが、どのあたりを飛んでいるのか、HATOは近くにいるのか、つかまる物は近くにあるのか。全くわからない。


(うぅ……気持ち悪い。せめて回転さえ止まれば)


 手足を動かして回転を止めようとしたが、それは全く意味をなさない。しばらく回転していると、背中のリュックからモーターが回るような振動が伝わってきた。体の回転はだんだんとゆっくりになり、数秒ほどで回っているという感覚がなくなる。


(このリュックはこういうときのためにあったのか)


 シゲに感謝しつつ、状況を確認する。青い地球は足の方に見えた。そこを下だと景は決め、上を見た。学校の天井くらいに離れた場所に『種』が浮いている。右のアームが折れ、もうHATOに抱き付いていない。


(HATOはどこに行ったんだろう)


 『種』の近くにいるのではないかと、周辺へ目を凝らす。すると小さな玉が浮いているのに気づいた。


(あれは結晶? あれさえ確保できれば)


 景はクロールをするように手を動かした。だが手に何をかいている感覚はないし、体も全く進まない。なんとかならないかと平泳ぎやバタフライの動きも試していると、視界に白い影が入ってきた。それは土偶のような形をしていて、セミのような羽が生えている。


(HATOだ! まずい。急がないと)


 HATOはゆっくりと結晶に向かっていた。景はより一層早く手足を動かしたが、結晶に近づいている気配はない。むしろ、少しずつ遠ざかっている気がしていた。


(あれ? もしかして、地球に引っ張られてる?)


 景の体は落下し始めていたのだ。この間にもHATOは結晶へと近づいている。


(どうしよう。なにかいい方法は……)


 何か道具がないかと、リュックに触れた。だが手に取れそうなものや、外せそうなものは見つからない。


(ない……なにもないの!?)


 ズボンのポケットを探る癖で、腰部分に触れた。すると、お尻の近くに輪っかがあるのに気づいた。それを手に取ってみる。


(これはアイリネシアがワイヤーをひっかけるのに使ってた……)


 使えそうな道具だったが使い方がわからない。結晶に目を向けると、HATOはもう数メートルのところまで来ていた。考えている暇はない。


(ええい! もうダメ元だ!)


 景は輪っかを結晶めがけて投げた。コントロールに自信があったわけではないが、輪っかはまっすぐ結晶に向かって飛んでいく。HATOが結晶のすぐ横で止まるのと同時に、輪っかは結晶に命中した。すると緑に光るワイヤーが結晶から伸び、景の腰へとつながる。


(やった!)


 景はワイヤーを力いっぱいに引っ張った。まっすぐ飛んできた結晶を、景はドッジボールの要領でキャッチする。たいした衝撃ではなかったが、景の体は後ろに流れた。地球に向けて体が加速していくのが感覚でわかる。


(このまま落ちて大丈夫って、シゲさんは言ってたけど)


 大丈夫な気は全くしない。宇宙から地球に落ちてくるたいていの物が空気の抵抗で燃え尽きているのは景でも知っている。剥製の体など、簡単に燃え尽きてしまいそうなものだ。


(でも、もう何もできないし)


 景はもう、落下に身をゆだねるしかない。


 だがそれすらも景には許されなかった。HATOが赤い目で景を見たのだ。赤い目は一気に光を強くする。


(撃たれる!)


 そう思った瞬間、景の前に緑色の光の粒子が広がった。それは景を避けるように後ろへと流れていく。まるで景が大きなカプセルに包まれていて、それに沿って光が流れたかのようだった。粒子が消えた奥に見えたHATOの目は、光が弱まっている。


(な、なにが起きたの?)


『お…………の……けい……ず』


 声が聞こえたような気がした。だがここは宇宙空間。音など一切聞こえない。


『落ち着くのじゃ、景の坊主』


 耳を澄ましていると、今度ははっきりと聞こえた。ただ耳に聞こえたのではなく、体全体に響いている感じだ。それを声として認識してしまえば、思いのほかはっきり聞こえる。


(この声は……ネッジイ?)


 景は声を出すことはできない。だがネッジイには何か伝わったようで『うむ』と頷いたような感覚が背中からした。


(もしかして、リュックの中にいるの?)


 正確にはリュック型の機械の中だ。姿は見えないが、一人ではないと思えただけで景は視界が明るくなったような気がした。


『COMETが満ちたおかげでやっと声を出すことができるわい。坊主よ。ワシの教えた奥義を使うときじゃ』


(いや、何も教わってないんだけど……)


『なんてのは冗談じゃ。結晶を絶対に離すな。坊主はそれだけでよい。坊主には感じれんじゃろうが、COMETの結晶は強力なエネルギーをまとって自己防衛をしておる。それに干渉して範囲を広げてやれば――』


 すぐにHATOの目はまた強く光りだした。だがやはり、緑の粒子が眼前で広がるだけで景が撃ちぬかれることはない。


『こうやって坊主も守ることができる。ま、シゲの作った機械がやっていることじゃがの。ワシは制御しているだけじゃ。結晶がなければこれは機能せんからの。絶対に結晶を手放すでないぞ』


 景は結晶を抱きかかえる腕に力を込めた。


 HATOは何度も目を光らせたが、緑色の光が景を包み込むだけだ。HATOの目の光はだんだんと弱まっていき、動かなくなった。


(ありがとうネッジイ。シゲさん)


 景はネッジイとシゲの技術に守られながら、地球へと落ちていった。


※ ※ ※


 景が目を覚ますと真ん丸の月が見えた。大きな波の音が聞こえる。


 体を起こすと、そこは砂浜の上だった。月明かりに照らされる海は大きく波打ち、荒ぶっている。風が砂を巻き上げ、景の視界を濁らせた。

 

「そうだ! 結晶は!」


 景の腕の中にCOMETの結晶がなかった。景は大慌てで近くを探る。景の心配をよそに、それはすぐ横に転がっていた。


「よかった。ここまでやってなくしたんじゃ、みんなに顔向けできないよ」


 景はそれを拾って立ち上がった。海とは反対側に目を向けると、近くに堤防が見える。景は少し歩いて階段を見つけ、昇った。


「ここは……」


 堤防の先には緩やかな丘に町が広がっていた。正面に大きめな道が真っ直ぐ丘を登っており、その先にひときわ大きい屋敷が見えた。そしてその向こうには森がある。


「金裾町だ。ネッジイがリュックで誘導してくれたのかな」


 落下中の記憶はないが、奇跡的にたどり着いたわけではないのだけはわかる。景は大通りをまっすぐ進み始めた。

 

「早く結晶を持っていかないと。みんなが、翼くんが待ってるんだ」


 剥製になってから月明かりには慣れていたので、十分に明るいと思えた。だが吹き付ける風が強く、景は表情を歪め右手で顔をかばう。坂の上から吹きおろす風は強烈で、油断すると後ろに倒れてしまいそうだ。

 

 金裾町では夜になると風が海に向かって吹くことがあったが、歩く妨げになるほど強く吹くことは少ない。月が見えているほど晴れているときに限れば、あり得ないといってもいいぐらいだ。


「そうか。気象をコントロールする装置が止まってるから、境界の外みたいになってるんだ」


 ますます急ぐ理由が出てきた。景は踏ん張りながら一歩一歩確実に進んでいく。だが屋敷はまだまだ遠い。普通に歩いても二十分はかかる距離なのだ。このまま歩けば一時間以上かかってもおかしくはない。


「急がないといけないのに……もう!」


 景は両手で結晶を抱え、走り出した。顔に直接強い風があたり、目をまともに開いていられない。

 

 とっさに右手を顔の前に戻しそうになったが、なんとかこらえる。万が一にも結晶を落としてしまったら、この風と坂でどこまで行ってしまうかわからない。

 

 視界をほとんど奪われた状態でも、景は走るのをやめなかった。前が見えない状態で走るのはやはり怖かったが、全て手遅れになる方がもっと怖かった。幸い道はまっすぐだし、障害物はない。


「まっすぐ……まっすぐ走れば大丈夫」


 自分にそう言い聞かせ、景は走り続けた。体力が尽きることはない。景が恐れで足を止めなければ、屋敷などすぐ近くなのだ。それが五分後なのか十分後なのかはわからないが、走っていれば必ず着く。


「う――」


 電柱にでも当たったのか、肩に衝撃を感じ、走っている勢いのまま地面に叩きつけられた。それでも両腕の力だけは絶対に緩めない。


「届けるんだ。絶対に」


 体を起こすと、そこは剥製屋の前だった。もう屋敷は近い。


 景はまた走り出す。少しの距離であっても走って、より早く結晶を届けたかった。そうすればまた、掬やみんなとの生活が始められる。


 景は坂が緩やかになるのを感じ、足を緩めた。目を開くと、景の背の丈の三倍はある鉄の門が見える。その門は人が一人入れる分だけ開いていた。


「着いた……」


 景は門の中に体を滑り込ませ、屋敷を見上げた。視界を埋め尽くすほどの巨大な佇まいに、剥製になったばかりのときは恐怖を感じたが、今はこんな状況でも変わらず存在していることに安心感を覚える。


「ただいま」


 景は一言つぶやき、扉へと駆け寄った。普通の扉の二倍はある大きさだが、その見た目にそぐわないほど軽い扉だと景は知っている。景はその扉を引いて開けた。


 中に入って扉を閉めると、屋敷の中は静かだった。風の音も入って来ない。


「みんなは戻って来てないのかな?」


 景は広間から左の通路に入り、ダイニングへと向かう。みんなが集まるとすればそこしかない。


 ダイニングの扉に近づいても静かなままだった。みんなが集まっているなら話し声が聞こえてきそうなものだが、それすら聞こえない。


「誰もいない……のかな?」


 景は恐る恐る扉を開いた。


 月明かりの下で、白く大きなテーブルが映えている。そこにいくつかの人の姿を見つけて、景は思わず息を飲んだ。


「な、なんだ。いるならいるって言ってくださいよ。いないと思ってたから驚いたじゃないです……か?」


 様子がおかしい。


 テーブルには四つの人影が席に着いていた。左側でテーブルに突っ伏しているのはシゲで、右側で同じようにしているのは篝だろう。羽月はシゲの横の席で翼を抱いて背もたれに寄りかかって眠っているようだった。だが剥製が眠ってしまうはずがない。


 篝の隣で黒いドレスが立ち上がった。頭にはベールはかかってなく、宍色の髪が見えている。


「景。おかえり」


「掬? よかった。掬は大丈夫なんだね。他のみんなはどうしちゃったの?」


 景は掬にむかって走り出した。だが掬が振り向いて景を見ると同時に足を止める。黒く無垢なはずの掬の瞳が片方――右の瞳が金色に輝いていたのだ。


 掬はにっこりと笑った。


「なに。奴らは選ばれなかった。ただそれだけじゃ」


「その喋り方……」


「この国の姫はこういう話し方をするのじゃろう? 妾もただ命を奪っていただけではない。奪った命から知識も学ばせてもらった。伴侶と話すのに何も知らないと不便じゃからのう」


 掬の笑顔はとても自然だったが、普段ははにかみ顔くらいしか笑顔といえるものを見せない掬の表情としては不自然に思えた。


「君は一体……? 掬じゃないよね?」


「普段通り掬と呼んでもらって構わんのじゃが、そうじゃな……そう呼ぶのに抵抗があるのなら、コメットと呼んだらどうじゃ? 貴様ら人間がつけた名じゃ」


「コメット……って、COMET?」


 景は自分の手元にある石を見た。掬――いや、コメットが景に近寄り、その石を手に取る。


「そうじゃ景。おぬしが命をかけて取り戻してきたこの石が妾を地球に連れてきたのじゃ」


「COMETって生き物だったの? いや、そんなことよりも、どうして掬に? 掬はどうなっちゃうの?」


 コメットは石――結晶をテーブルに置いた。


「この体のことか? これは妾のものになったのじゃ。もともとそのためにある体じゃからな」


 景は大きく首を振った。


「違うよ。その体は掬の体だ。掬に返してよ」


「なにも知らぬのじゃな。おぬしには説明しないわけにはいくまい。たしか童中……じゃったな。ここの一族の名は」


 コメットは右手で結晶をテーブルの上で転がし始めた。


「童中はある宿命を負う一族じゃった。それが世界の再生じゃ」


「世界の再生?」


「そうじゃ。まぁ、実際に世界を作りなおすのは妾なのじゃがな。童中は世界が衰退したときに備え、妾が入る体と、世界を再生する準備をしておかなければならぬ」


「準備って、もしかして人の剥製を作っていたのはそのため?」


「察しがいいのう。その通りじゃ。灰雪はCOMETが馴染みやすい素材じゃ。それでできている剥製は妾の体として申し分ない。そのなかでも童中の娘はとりわけ適正が高いのじゃ」


「じゃあ、童中以外の僕たちみたいな人も剥製にしてたのは、練習のため?」


 コメットは結晶から手を離し、首を横に振った。


「世界は一人では作れぬ。地球上の環境が太陽と妾――ここでは月といった方がよいかもしれんな。それらによってなされたように、つがいでなければならぬ。だから必ず、童中の娘は愛する者を少なくとも一人は剥製にするのじゃ。童中以外の者の適正は、童中の娘と魂で繋がることでしか上げることはできぬからの」


 コメットが景に向かって歩き始める。景はコメットの言葉に恥ずかしくなって目をそらし、天井に透ける月を見上げた。


「コメットは月なの? 今夜は綺麗な満月だけど、関係あるの?」


 コメットも景のすぐ前で足をとめ、月を見上げる。


「ふふ。綺麗とは照れるのう。じゃが妾は月そのものではない。地上で活動するために分離した体の一つというのが妥当なところじゃろうか。月が出ている方が力は出るが、出ていなくても活動には支障はない。今夜この体に降りれたのは月が出ているからではなく、COMETを制御していた機械が止まったからじゃな」


「機械って、シゲさんが作った気象をコントロールする装置のこと?」


「そうじゃ。あの機械に妾は自由を奪われていた。おぬしが機械を止め、解放してくれたのじゃ。感謝しているぞ」


 コメットが景の手を握った。掬に手を握られたら体が跳ねまわりそうなほどの喜びを感じる景だったが、今はなんとも思わない。体は変わっていないはずなのに。


 景は首を横に振った。


「僕はなんにも。アイリネシアに言われるがままに手伝っただけ――」


 景は顔をつかまれ、金色に光る右の瞳を見せられた。


「妾と話しているのに、他の女の話をするものではないぞ?」


 コメットは怒っているような口ぶりだったが、楽しげに笑っていた。掬のときには見たこともないその笑顔はやはりかわいかったが、触れてしまいそうなくらい近くで見ても心はときめかない。


 景は自分の顔つかんでいるコメットの右手を引っ張って外した。


「それで、世界の再生が終わったら、掬に体を返してくれるの?」


 コメットが眉間にしわを寄せた。見るからに機嫌が悪くなっている。


「それは無理じゃ」


 コメットは景に背中を向けた。


「妾たちは再生した世界を見守り続けなければならぬ。現在の月と太陽のようにの。この体を手放すのは世界が完全に消えてしまうときか、この体が修復不能なまでに壊れたときのみじゃ。返すなどありえん」


 それを聞いて、景は深くため息をつく。そして大きく息を吸って言葉を出そうとした瞬間。コメットが振り向いた。


「さあ。わが伴侶、景よ。妾とともに世界を再生するのじゃ」


 コメットは太陽のような笑顔で、握手を求めるように右手を出した。


 だが景はその手をとらない。コメットは矢継ぎ早に言葉を吐いた。


「伴侶という呼び方が気に入らなかったのかの? 妾が覚えたつがいの呼び方で最も気に入っているのじゃがのう。何がいいじゃろ。嫁か? 一歩譲って主人と呼んでやっても――」


「そんなのどうだっていいよ。掬を返してくれないのなら、君を手伝う理由はない。僕は掬から君を追い出す方法を探すよ」


 景はコメットに背をむけ、離れようとした。だがコメットが後ろから肩をつかみ、それを許さない。


「なぜじゃ! おぬしが愛した掬と体はなんら変わりはない! 妾は掬そのものなのだ! 掬と新しい世界を作り、永遠に近い時間を共に過ごすことができるのじゃぞ? 拒む必要がどこにある?」


「君は掬じゃない」


 景はコメットの手を振り払い、向き直った。


「あと言ってることが無茶苦茶だ。世界はCOMETのせいで滅亡したのに、今度はそれを作り直すだなんておかしいじゃないか。COMETが来なければよかっただけなんじゃないの?」


「それは違うのじゃ。地球は資源が減少し、衰退の一途を辿っておった。再生不能になる前に地上を掃除しなけれなならなかったのじゃ。おぬしが滅亡だと思っていたことは再生の第一段階目に過ぎん」


「そんなの勝手じゃないか! 僕の家族も、掬の家族もそのせいで死んだんだよ! そんなの許せるわけがないじゃないか!」


「勝手なのはそちらではないか! 世界と家族を天秤にかけるなど、愚行にもほどがある! 大昔から人は再生の運命を受け入れてきたのじゃ! 金裾を再生の地として保護し、童中の一族を器の民として守ってきた! 影で続けられてきた努力を不意にするつもりか!」


「僕は……僕はさっき、十万人の命をつなぐかもしれないCOMETを取り返してきた。世界のためなんかじゃなくて、金裾で暮らす十人にも満たない剥製のために。考えないようにしてたけど、非合理的なのはわかってる。それでも僕は後悔してないんだ」


「当然じゃ。結果的に世界を救うことになったのじゃからな。十万人の命など安いものじゃ」


「ひたすら合理的にものを考えればそうなんだろうね。でも僕は違うよ。家族みたいに思ってる仲間のために結晶を取り戻せたから満足なんだ。きっと、考えれば考えるほどそれは間違ってるってなると思う。十万人の姿を見れば強い後悔に襲われるかもしれない。でも、考えるのよりも先に守りたい人が僕にはいたんだ。それがわからないなら、君は掬の体に入っても、掬どころか人間にもなれな――」


 腹に衝撃を感じた。一気にコメットとの距離が離れていく。壁に背中を打ち付けるとそれは止まった。尻餅をつく景にコメットがブーツの裏を向けている。コメットに蹴り飛ばされたのだ。


「つまらん! 面白くないのじゃ!」


 わめくコメットに、景はため息をついた。

 

「そうやって暴力をふるったって、僕を従わせることなんてできないよ」


「うるさい! 黙るのじゃ!」


 コメットはスカートの中から一メートルはあろうかという鉄棒――ピンを取り出し、景にむかって投げた。


「な――」


 それは景に見えないほどの速度で景の胸に突き刺さり、貫通して後ろの壁に景を固定した。景が立っていたとしても、それは避けられなかっただろう。


 コメットは息を荒げていた。


「最初から……最初からこうしておればよかったのじゃ! つがいは体さえあればよいのじゃからな! 恋人ごっこも退屈しのぎにはなると思ったが、神になる自覚のない男との会話がこうも苦痛じゃとはな! 人間になれぬじゃと? もとより人間になどなるつもりなどないわ! 妾は神になるのじゃ!」


 コメットは景を指差した。景にはそれが見えていたが、反応することができない。


「おぬしはそこで町が消えるのを見ているがいい! 安心するのじゃ。嵐は町を風化させるが、この屋敷はその程度では消えんようにできておる。愛の巣だけが残る二人だけの世界になるのじゃ! おぬしは起こしてやらんがな!」


「二人だけとか、ふざけんじゃないわよ……」


 コメットの背中に手が置かれる。コメットが振り向くと、短いながらも艶やかな黒髪の少女がコメットの肩に手を置いた。顔は下を向いている。


「おぬしは確か、この体の姉じゃったな。驚いたのう。妾がCOMETをコントロールしているというのに目覚めるとは、腐っても童中の血族ということじゃな。じゃが――」


 コメットは前に立つ少女――篝の肩を軽く押す。篝はよろめき、もたれかかるように後ろのイスに座った。


「辛そうじゃのう。所詮は出来損ないということじゃな」


 篝はわずかに顔を上げ、黒い瞳を見せた。


「お姉ちゃんに……そんな口きくもんじゃないわ」


「景がいうには、妾は掬ではないらしいからのう。おぬしを姉と思う必要もなかろう」


「知ってるわ…………全部聞いてたもの。掬を、返しなさい……」


 篝は立ち上がろうとしたが、そのまま前に倒れて両手をついた。コメットはそれを見て、大きく口を開いて笑う。


「ふはは! 無様じゃのう! 気に入った。体を返すつもりはないが、おぬしは屋敷の住民として生かしてやろう。嫉妬深い姉は神話につきものじゃからのう。喋れる程度に体を残してやるから、恨みや妬みを妾に言い続けるのじゃ。出来損ないのおぬしでも、暇つぶし程度にはなれるじゃろ」


「誰が、あんたの思い通りになんか……」


 篝がコメットの足をつかんだ。コメットはそれを軽く振り払い、篝の顔を蹴飛ばす。篝は仰向けに倒れた。


「なに。心配せんでもおぬしが自分で言いたくなるよう、妾が色々考えてやる。時間はたっぷりあるからのう。色々試しておれば、おぬしが嫌がることもたくさん見つかるじゃろう。景が眠っている今、起きているのは妾とおぬしだけなのじゃ。楽しもうではないか」


「そうはいきませんよ」


 声は正面の篝からではない。コメットが振り向くと、壁に固定されているはずの景の姿はなくなっていた。


「ありがとう。アイリネシア」


 景の声が右の方から聞こえる。部屋の隅に目を移すと、景が胸元をさすっていた。そして、その隣にスカートの短いメイド服を着た、銀髪の少女が立っている。


「なんじゃ……? そこの女。剥製ではないな? 生身の体で灰雪よりもCOMETに適正があるというのか?」


「な、なんですか? なにかよくわからないですけど、わたしはいま、とても調子がいいですよ。まるでこの瞬間のために生まれてきたみたいに!」


 メイド少女――アイリネシアは景より少し前に立つ。左手には洋弓が握られていたが、コメットが注目したのはアイリネシアの赤い瞳だった。


「その瞳の色……なるほど。おぬし、人に作られたな? 人工生命体ホムンクルスといったところか。童中の置き土産か、それとも……。まぁよい。おぬし、物騒な物を持っておるが、妾はそんなものでは止められんぞ。おぬしにCOMETの適正があろうとも、妾には敵わん。おとなしく隠れていればよかったものを」


「もう十分隠れました。着替えてる途中で異変に気づいてから、ずっと隠れてこのときを待っていたんですから!」


 アイリネシアは景から抜いたピンを右手に持ち、コメットへとむけた。コメットはにやりと笑う。


「妾を普通の剥製と一緒にするとは、おろかじゃのう。妾にはそんなピン、何の意味もないぞ」


「わかっています。掬さんの中で何が起きているのか、どうしたら掬さんがもとに戻るのか。なぜか全部わかるんです」


 アイリネシアは景の方をむいた。


「景さん。ちょっとごめんなさい」


 アイリネシアはピンの先の方を持ち、景の胸へと突き出した。ピンの先で景の胸に空いた穴をえぐるように動かす。しばらくそうしてから抜きだすと、ピンの先にピンポン玉程度の灰雪が引っかかってついてきた。アイリネシアはそのままピンを洋弓にあてがう。


「掬さんと繋がりの強い魂が浸透した灰雪。それを体内に入れれば掬さんの魂が呼び起されて、掬さんは元に戻ります」


 アイリネシアは弓を引いてコメットにピンの先をむけた。コメットは両手を広げ、余裕の笑みを浮べる。


「それは恐ろしいのう。じゃが、妾がそんなものに当たると思っておるのか? 童中の身体能力は知っておるじゃろう?」


「知りませんっ! わたしだって運動には自信がありますっ!」


「ほう。ならば、身をもって知るといい」


 コメットが一歩踏み出した。だがそこで足を止める。後ろから足をつかまれたのだ。


「篝じゃな? 妾の動きを止めたつもりじゃろうが、まったく力が入っておらんぞ? おとなしく――」


 コメットが足をつかむ手を振り払おうとした瞬間に、心地良いようで最高に気分の悪い感触を膝に感じ、力が抜けた。コメットは思わず両手をつく。


「な、なんじゃ……! 妾の体で何が起きたのじゃ……?」


「くすぐってやったのよ……」


 篝は膝をついたまま、コメットの腰に抱き付いた。


「掬はね……膝をくすぐられるのが苦手だったのよ。膝だけじゃないわ。あたしは、掬の苦手なところを全部知ってるの」


 篝はドレスの隙間から手を滑り込ませ、脇腹の少し高めの場所をつかんだ。


「や、やめっ……! にゃ……力が、はいらにゃ……はは……」


 コメットは手を握りしめ、体をひねりながら苦しそうに笑った。そして体を反り上げた瞬間、胸にピンが突き刺さった。


「ぐ……ぐっ!」


 コメットの苦しみ方が変わった。顔を悲痛に歪ませ、宍色の髪をかきむしる。


「妾が……! 妾が人間ごときに! 嫌じゃ! 消えたくないのじゃ!」


 悶えるコメットを横目に、篝がテーブルを使って立ち上がった。


「あたしたちだって……掬だって消えたくないのよ。さっさといなくなりなさい」


「い、や……じゃ…………」


 篝が見下ろして十秒ほどたつとコメットは悶えるのをやめ、横向きに倒れた。


「これで終わったんだね」


 景がコメット――いや、掬の体の近くへと歩み寄った。その後ろをアイリネシアがついてくる。ふらふらの篝と違って、二人とも両の足でしっかりと立っていた。


「なんであんたら元気なのよ……腹立つわ」


「ああ、うん。なんかごめん」


 景は掬との繋がりのおかげかなと思い、ついにやけた。


「あ、景さん!」


 アイリネシアが指差す先で、掬の体が動き始めた。右手を床につき、ゆっくりと立ち上がる。


 景は屈んで肩を支えた。


「掬!? 大丈――」


 景を見た掬の右目は金色に光っていた。掬の――コメットの左手が景の首をつかんだ。


「ふはは! 危うかったぞ! もう少しで体から飛ばされるところだったのじゃ! 景! おぬし、目覚めたばかりじゃな? 灰雪への魂の浸透とやらが少しばかり足りなかったようじゃな!」


「景さん! いま助けま――」


 アイリネシアがコメットへと掌底を振りかぶったが、コメットに蹴られて奥の壁まで吹き飛ばされる。コメットは右手で胸に刺さっているピンを抜いた。


「これで終わりじゃ! 景さえ妾の手の中にあれば、妾が負けることはありえん! 魂がつながっているのは景だけ――」


 コメットが言葉を止めた。篝が胸に飛び込んできたからだ。篝はコメットの体に寄りかかるようにしてなんとか立っていた。


「なんじゃ? 最後の抵抗かのう? じゃが出来損ないが何をしたところで無意……!」


 コメットは体の奥で、別の人間がうごめきだすのを感じた。


「なん、じゃと……! く……離れるのじゃ!」


 コメットは篝を蹴ったが、尻餅をつかせただけだった。力を抜いたつもりはない。


 尻餅をついた篝の左腕は肘近くの皮膚が裂け、灰雪が見えていた。


「まさか貴様……! 自分の灰雪を妾の中に……」


 コメットはピンを床に落とし、自分の胸に触れた。そこにはピンが刺さっていた穴がある。人の指くらいなら入る大きさだ。


 篝は顔を上げた。


「そうよ。掬と景の魂が繋がってるなら……あたしと掬の魂が繋がってないわけないじゃない。あたしのなら魂の浸透とやらも十分でしょ。あたしの……お姉ちゃんの愛情がたっぷり入った灰雪よ。ほら掬! 早く起きなさい!」


「く……! こんなことしても……無意味じゃぞ! 落ちたCOMETOの結晶も、再生の地も、器の民も一つではない! 妾を消したところで、第二、第三の妾が生まれ……世界を再生す、る……」


 コメットが前へと倒れ始めた。コメットの手が首から外れた景がその体を受け止める。


「そんなの大した問題じゃない。僕は掬を返してほしかっただけなんだから」


「ラスボスを気取ったギャグでしょ。気にするだけ損よ」


 篝が景にむかって手を伸ばした。景はその手を引いて篝を立たせ、体を支える。篝は掬の背中に手を回した。景と篝の二人で掬を支えるような形になる。


 掬が黒い無垢な瞳を開いた。


※ ※ ※


(フフ……妾が完全に消えたわけではないのに、奴らときたらのうのうと話しておる。のんきなものじゃな)


 コメットは中庭の端にたたずんでいた。天気はよく、風は落ち着いている。シゲとかいう男が作った装置が機能しているかららしい。


 そのシゲは中庭中央にいた。シゲだけではない。景や篝、アイリネシアや羽月と呼ばれている女も近くのイスに座っている。


 シゲが何か話しているようだ。


「とりあえず、装置は小型化してリアカーで移動できるくらいにはなったよ。トラックを使えば他の再生の地も探しに行ける。僕は陸路よりも海路をおすすめするけどね」


「探しに行くかどうかだってわからないじゃない。結晶を一緒に持っていくってことは、金裾を捨てるようなものよ。そんなの簡単に決められないわ」


 篝が足を組むと、羽月は翼を抱き直した。


「そうは言っても、放っておいたら金裾も消されるんだろう? なにもしないわけにはいかないじゃないか」


「そうだけど……」


 篝は納得いかないようで、言葉を濁す。しばらく沈黙が続いたが、それを破ったのは男の声だった。


「なんだ。食堂にいないと思ったらこんなところにいたのかね。珍しいではないか」


 男はメンバーの中では最も体格がよく、坊主頭だった。右肩あたりから機械になっていて、腕も形こそ人のそれだが、素材は完全に機械だ。体の半分近くを失い、その部分を機械で補っているのだという。


 景が立ち上がって、その男を見た。


「今日は天気がいいから、外で話そうってなったんです。目日田さんは体の調子どうですか?」


「ふむ。機械の体と聞いたときはさぞ力強いのだろうと思ったが、こんなにも重く、軋むものだとはな。だがだいぶ慣れてきた。今も朝の走り込みをしてきたところだ」


 目日田は機械の右手を握った。シゲはいつも変わらないにやけ顔を、ほんのり歪ませた。


「調整中だから、あまり無理はしないでほしいんだけどなぁ」


「そういうわけにもいかん。これから男手が必要なときはあるだろう。そんなときに景に頼り切ることなどできん」


「力仕事は割とアイリネシアくんがやってくれるから、そんなに心配しなくていいんだけど」


 シゲがアイリネシアを見ると、アイリネシアは素早く立ち上がって敬礼をした。


「はいっ! 任せてください! お役に立てることがあればなんでもしますっ!」


「頼もしいね。もうだいぶ助かってるけど、期待しているよ」


「ま、待ちたまえ! 自分きっと役に立てるはずだ!」


 目日田がぎこちない走りで皆のもとへと駆けよる。


(ついこの間、妾に世界を消されそうになったというのに、もう平和ボケしておるようじゃな。だが少し楽しそ……いや、せいぜい油断しているがよ――)


 突然、コメットの頭が何者かに鷲づかみにされた。体が宙に浮く。


「な、なんじゃ! 離すのじゃ!」


 コメットが声を上げても、それは離さない。そのまま宙を運ばれ、落とされた場所は黒いアンティークドレスの腕の中だった。


 小さな白いフクロウが旋回し、黒いドレスの頭の上へと戻った。ドレスの少女は黒いベールで髪を隠している。


 少女は景と篝の間に向かって歩いていった。


「ちょっと掬! それは敵なんだから、こっちに持ってきちゃダメでしょ! 今は大事な話をしてるの!」


「かわいそう」


 掬はコメットを抱きながら、その頭を撫でた。


「や、やめるのじゃ! 妾を子供のように扱うでない!」


 コメットは暴れようとしたが、手足が上下に動くだけで何の抵抗にもならない。


 掬は景の横までいくと、コメットを景に向かって差し出した。


「あげる。景の」


「あ、ああ。そうだったね。ありがとう」


 景は掬の申し出を断れず、それを受け取った。コメットは景の手の中でなんとか動かせる右腕を景にむけた。


「景よ! 妾を選ばなかったことを後悔する日が絶対に来るぞ! 覚悟するがよい!」


「うーん。それはないかなぁ」


 景は苦笑いを浮かべた。景からすると寄せ書きのされたオッドアイのクマのぬいぐるみが粋がっているようにしか見えないのだ。


 そう。コメットの新しい体は掬が直して景にプレゼントしたクマのぬいぐるみだった。


 ぬいぐるみの――コメットの足が引っ張られる。景が目をむけると、翼がいた。


「翼くん? これが欲しいの?」


 景は屈んで目線の高さを合わせ、コメットを翼のほうにむけた。翼はこくりとうなずく。


「やめるのじゃ! 妾に子供と遊ぶ趣味はない! あっちにいくのじゃ! しっ! しっ!」


 コメットは手を振って翼を追い払おうとしたが、翼はその手をつかんだ。


「めっ! 景のなの!」


 掬は翼を後ろから引いた。景はそれを見て笑う。


 呆れる篝に、優しい表情で見守る羽月。アイリネシアは涙をこぼしながら笑い、シゲは少し離れたところからいつものにやけ顔で眺めていた。そして目日田はどうすればいいのかわからずたじろいる。


(世界の再生を止めるのも大事だけど、もう少しみんなとここで過ごしたいな)


 そんなことを思う景だった。

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僕を剥製にした世界で一番かわいい彼女 もさく ごろう @namisen

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