最終話 「相反」
2021年5月。杉浦誠は自宅のリビングである人物の写真を眺めていた。
「実。この子がターゲットだ」
「愛実ちゃんでしょ。可愛いねぇ」
片手に煙草を持った実が、テーブルの上の写真を見つめている。笑顔を浮かべながら同級生と歩いている写真。そして、その隣には父親の太一の写真がある。
「こんなかわいい子が窮地に立たされた時、父親は助けられるのかな」
「無理だろ。俺たちの方が、お互いの愛情が強いんだから。今日まで生きてこられたのも、そのおかげだろ」
「そうだね。それと、彼らもだね」
誠はテーブルに置かれた写真を見て、笑みを浮かべる。仲良さそうに手をつないで商店街を歩いている中年の夫婦。
-彼らは、どんな結果を見せてくれるのか。
まだ始まっていない実験に期待が高まっていく。人殺しと罵られてもかまわない。ただ、自分たちの愛情が他の人よりも強いことを証明したいだけ。
「お腹空いたな。ちょっとコンビニ行ってくるけど、何か欲しいのある?」
「うーん。じゃあ、親子丼と缶ビール500で」
「分かった。ちょっと待ってて」
誠は財布をズボンのポケットに入れ、玄関のドアを開けた。
駅前のコンビニを出て、ロータリーを歩く。歩いている中、駅近くのベンチに座っている女性が気になった。何やら浮かない表情を浮かべているのだ。
立ち止まって眺めていると、女性がゆっくりと立ち上がった。
「あれっ?」
ベンチの上に携帯が置かれたままだった。しかし、女性は気づくことなく前を進んでいく。誠はベンチに駆け寄り、携帯を手にし、女性に近づいていく。
「あの!これ、落としましたよ」
「あぁ!ありがとうございます」
長い黒髪の女性が目を大きく見開く。
「これないと、マズいでしょ」
「すみません。ありがとうございます」
笑顔を浮かべ、誠に礼を言った。誠は先ほどから気になっていたことを尋ねたい気持ちに駆られる。必死に抑えようとするも、女性と目が遭った瞬間に口が開いてしまいそうになる。
「あの、何か悩んでるんですか」
「えっ」
しまった、そう思った時には遅かった。不審な人物に思われたに違いない。おせっかいな性格が災いした、そう思った矢先だった。
「実は、もうこの生活を終わらせようかと思ってるんです」
「この生活?」
「はい。離婚しようかと」
「離婚ですか?そんな話、なぜ僕に」
自分から聞いておいたくせに。心の中で自分を責める。
「知らない人には話したくなってしまうものですね。それに、あなたは人が優しそうだったから、つい…」
思った以上に面倒な問題だった、尋ねたことを後悔した。しかし、誠は話を聞き続けることにした。
「旦那さんはどんな人なんですか」
「この人です」
女性がスマホのロックを解除し、画面を誠の前にかざす。画面に映った人物を見て、誠は目を見開いた。
-宮本哲也。僕たちの事件現場に居合わせたという刑事。
事件の後、自分たちの下に尋ねてきた刑事。
-これは偶然だろうか。
誠は不思議な気分に陥った。
-こいつは使える。
「僕は杉浦誠って言います。近くにカフェがあるんで、そこに行きません?」
誠の誘いに、愛子は首を縦に振った。
2021年8月。愛子と付き合い始めてから、二ヶ月が経った。
「どう?似合ってる?」
「良いね。似合ってるよ」
短く整えられた髪を見ながら、誠は彼女を誉める。それと同時に不思議な気持ちに陥っていた。
-髪型を変えたのは、もう2回目。よく飽きないな。
ウェーブのかかった髪を指で巻き取る仕草をする愛子をただ見つめる。
最初に髪型を変えたのは、出会ってからまだ1週間くらいだった。1週間であったものの、彼女はすでに夫を裏切る行為をしていた。
「好きな女性の髪型って何?」
「えっ」
ホテルの一室で性行為に及んだ後に唐突に聞かれた質問。たじろぐ誠をよそに、隣で寝そべっている彼女は、答えを待っているかのように、じっと見つめてくる。
「髪が短い方が好きだな」
誠は正直に言った。長髪の彼女は、この答えに怒りを覚えるかもしれないと覚悟していたが、正直に答えることにした。
「そうなんだ。ふーん」
愛子の表情に怒りの表情は見られなかった。誠は内心、ほっとした。
再び会った時、彼女の髪は短くなっていた。誠は驚いたと同時に、疑問が浮かんだ。
「旦那さんには何て言ってるの」
「女はいつまでも美しくいたいものなの、そう言ったわ。これなら、あの人でも納得するでしょ」
-女とは、恐ろしものだな。
彼女の答えを聞いて、誠は声を上げて笑った。
「確かに、それだとバレないかもね」
愛子がバスローブをに着替えると、浴室へと向かった。
「私、シャワー浴びてくる」
「うん。あっ、ちょっと待って」
「どうしたの」
「9日さ。ここに来てくれる?いい場所があるんだよ」
愛子の表情に笑みが浮かんだ。
「何?どんなところ?」
「僕の別荘なんだけど」
「別荘!?すごいじゃん」
「まぁ、周りは緑だけで何もないんだけど」
「私、そういうところ好きだよ」
「そうか。なら、嬉しいね」
誠に笑みを浮かべた後、愛子は浴室へと向かった。
-よし、最後の実験の準備ができた。
誠は笑みを浮かべる。誠はこれまでの彼女と過ごした記憶を思い返す。
夫には内緒で、密会を何度も行い、その度に男女の営みに励む。最初は怖がるそぶりを見せていた彼女だったが、徐々にそんな様子はなくなっていった。いくら別れたいとはいえ、いざ裏切るとなると気が引けたのだろうが、今の彼女からはそんな気持ちはうかがえなかった。
愛子と会う度に、誠は宮本に憐れみの感情を向けていた。
-ずっと愛し続けた妻の裏切りに気づいた時、あなたは彼女を許せるのかな。
* * *
-どうして。なんでこんな写真が…。
宮本は写真を手に取っている手に力を込める。この写真は偽物なのでは、そんな希望に縋りたい気持ちが芽生えてくる。しかし、そんな気持ちは徐々に湧き上がってくる怒りによってかき消される。
何も考えることもできず、呆然としていると、後ろのドアが勢いよく開けられた。
「宮本さん!」
四谷の声。自分を助けに来たのだろうと思ったものの、四谷に視線を向けることはなかった。燃えている隣の棺から熱い風を受けるも、宮本は気にも留めなかった。今はただ事実を確認したい、そんな一心だけだった。
「何だよ、これは」
宮本は、愛子の口に貼られたガムテープを無理矢理剥がした。愛子の短い悲鳴が聞こえたが、謝罪の気持ちを持つ余裕はなかった。
「どういうことだ、これは」
「待って、違うの…」
愛子は怯えながら、涙を浮かべている。
「お前は、この男と不倫してたのか!なんでだ!」
「…そうよ。あんたなんかよりもよっぽどいい男だったわ!」
愛子の表情が一変した。恐怖から怒りの表情へと変わったのが見て取れた。
「子供が欲しかったのに、あんたは子どもを作りにくい体質だったていうのも、私生活ではあなたと楽しく過ごした記憶なんてほとんどなかった!いつも家を空けて、私には何もしない!子供がいれば少しは違ったかもしれないけど、あんたとの生活にうんざりしてたのよ!」
「愛子さん!何言ってるんですか」
後ろから四谷が割って入ってきた。
「私に愛情を示してくる度に嫌気が差してた。『愛してる』とか、気持ち悪かった。あんたとなんか結婚しなければよかった」
その言葉を聞いて、頭の中で何かがぷつりと切れる音が聞こえた。
知らなかった。妻が自分のことをそんな風に思っていたことを。そして、杉浦誠が
死ぬ前に行った言葉の意味が分かった。
-愛子は俺を愛してはいなかった。
自分にとっては大切な存在だった。つらくどうしようもなかった時、支えてくれた存在に愛情を示し続けた。相手も自分を同じように愛してくれている、そんなのは当たり前だと思っていた。しかし、この瞬間、自分の考えは間違っていたことに気づか
された。
杉浦兄弟がなぜ二回も事件を起こしたのか、そんなことを考え始める。彼らは、お互いを愛し合っていた。だから、お互いへの愛情の強さを証明するために二回も事件を起こした。そして、それが証明された。
-俺らも、こいつらみたいになれてたら…。
宮本は床に置いた蓋を持ち上げ、棺にかぶせた。
「ちょっと、何してんのよ!開けなさい!」
「宮本さん、何を」
後ろから四谷がおそるおそる尋ねる。しかし、宮本は後ろに振り向くことなく、ポケットからライターを取り出した。
「何をする気ですか。やめてください…」
「開けてよ!早く開けてよ!」
中に閉じ込められ、愛子が叫び続ける。鬱陶しいとしか思えなくなった宮本はライターで火を起こし、棺に近づけていく。
「やめてください!撃ちますよ!」
「お願い!ごめんなさい!私が悪かったです!だから、開けてください!」
「うおおおおおお!」
心に溜まり続ける怒りを大声にして吐き出す。怒りを吐き出しながら、悲しくなった。
今まで自分に向けていた笑顔は偽物だったのか。いや、いつから本物から偽物へと変わってしまったのか。考える度に、頭がおかしくなりそうになる。
-俺は、許せない。
この20年は何だったんだ、そんな怒りに支配されながら、ライターの火を棺桶に近づけていく。
「宮本さん!」
「お願い!開けてよ!」
愛子の悲痛な叫びが室内に響き渡る。それと同時に、一発の銃声が響き渡った。
あけてよ マツシタ コウキ @sarubobo6
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