第10話 「混乱」
四谷はドアノブを掴む。ゆっくりと捻り、ドアを開ける。この先に何があるのか、
そんな恐怖に襲われる。
天井から明かりが灯り、先の長い廊下が見える。廊下の奥には一枚の扉があり、嵌
めガラスの中から光が見られる。四谷はゆっくりと足を進める。
「先輩、無事でいてください」
切望を声に出し、前に進んでいく。明かりが灯っていない部屋を通り過ぎる前に、襲われるのではないかという恐怖が襲ってくる。革靴が硬い床を踏む音が、緊張感を
高める。
廊下の奥にある扉の前に着く。
-ここにいるのか。
四谷はドアノブに手をかけ、ゆっくりと扉を開ける。開いた先の光景は、奇妙なものだった。
「棺桶?」
壁に置かれた棺桶。棺桶のそばには、成人男性の平均身長くらいの木板が何枚も置かれている。部屋の中心に長机があり、机の上には電動のこぎり、釘が置かれている。
「ここで作っていたのか」
作業場に違いない、真っ先にそう思った。長机に近づいていくと、新たなものを発見した。乱雑に散りばめられた写真。それらの写真に見覚えがあった。これまでの事件に巻き込まれた被害者たちの姿だった。
松本太一、松本愛実、横田敏夫、横田恵子が一人だけで映っている写真もあれば、それぞれの家族を壊した加害者二人の写真もあった。
「これは」
四谷は新たな二人の人物の写真を見つけ、手に取る。写真の人物らに身に覚えがあった。路上を歩いている宮本が一人で写っている写真。そして、宮本の妻である愛子が一人で写った写真。
「どうして、宮本さんたちが」
なぜ宮本が狙われたのか、ここに来るまでずっと抱いていた疑問が再び頭の中で強く反響する。
宮本は事件の被害者遺族ではない。そのことは分かっているが、犯人である杉浦兄弟に共通する点は何か、必死に考える。数秒置いてから、四谷はある共通点を見つけた。
「杉浦兄弟が巻き込まれた事件の関係者…」
宮本はその事件の現場に立ち会った人物。そこまで考え、杉浦たちの動機が見えてきたような気がした。
「宮本さんへの復讐?」
その時、どこかからか轟音が聞こえた。
「銃声!?」
聞き覚えのある音だった。訓練で何度も聞いてきた人を殺せる兵器が発する音。一発の銃声の後、再び同じ音が聞こえてくることはなかった。たった一発の銃声だったが、大きな不安に駆り立てられる。
四谷は部屋を出て、辺りを見渡す。左方向を見ると、新たな廊下を見つけた。廊下の先には、下に続く階段があった。
「地下室?」
四谷は廊下を進み、地下に続く階段の前に立つ。銃がどこで発砲されたのか分からないが、四谷は階段の先が気になった。刑事の勘、そんなこと言ったら宮本に怒られそうだと思いながらも、階段を下りていく。
下りた先には、一枚の鉄製のドアだけがある。ドアの前は、家の玄関程の広さしかない。ドアノブに手をかけ、左にひねる。四谷は勢いよく扉を開け、銃を構える。
「宮本さん!…えっ」
目の前に映った光景を見て、四谷は驚きを隠せなかった。
* * *
「なんで、お前ら二人なんだ」
理解ができず、頭が混乱する。
被害者である松本太一と横田敏夫の話から、四谷が導き出した被害者の共通点。一人は被害者にとって大切な人。宮本の場合だと、妻の愛子であることは分かる。
一人は自殺願望の強い人物。実験のためなら、死んでもかまわないという杉浦兄弟
のどちらかが該当するのは分かる。
しかし、最後の加害者に当たる人物として、杉浦誠が名乗り出るのかが分からなかった。杉浦に何かされたわけでもない。
杉浦の考えていることを必死に推理していると、20年前の記憶が突如よみがえっ
た。それは、ここで目を覚ます前に見た悪夢としても現れた。
「どうして助けにこなかったんだ」
-杉浦誠の声。
「そうか、あの事件のことで俺を恨んでいるのか。俺が助けに行けば、お前らの両親も助けられたはずだって。四谷先輩と協力しなかったのはどうしてなんだ、そう言い
たいんだろ!」
「まあ、確かにそうは思いました。でもね、もうすでに両親は死んでいたんですよ」
「何?」
「下から何やら言い争っている声が聞こえたんです。気になって、下のリビングを覗きに行ったんです。そこで、刃物を持った男がいきなり父を刺したんです。僕は何が起きたのか分からなくて、その場で固まっていました。すると、今度は母が刺され、床に倒れました」
「お前はずっとその光景を…」
「はい。でも、こっちにくる気配があったので、私は隣にあった浴室に隠れました。その時はずっと怯えていました。それから、何分経ったんですかね。焦げ臭いにおいがしてきて、においのする方に行ったんです。リビングはもう火が燃え広がり、煙が充満していました。ただごとじゃない、まだ幼い僕にでも分かりました。そして、上で寝ていた弟を助けに行かないと、そう思ったんですが、弟が下りてきたんです。何が起きたのか分からない弟を外に出そうとしたんですが、意識を失ってしまいましてね。それからは覚えてません」
知らないことだった。中にいた被害者がどんな地獄を見たのかを。宮本はただ、事件で亡くなった人と生き残った人、そして犯人の動機しか分からなかった。
「まさか、弟の顔にやけどが残ったなんて思いませんでした。気を失った自分に覆いかぶさっていたそうで」
誠は笑みを浮かべているが、声色から悲しみが感じ取れた。
「さっきの質問の答えですが、奥さんを選べたら分かりますよ」
「俺が選ばれた理由のことか。どうして教えてくれない!」
疑問を呈する宮本に答えることなく、誠はズボンのポケットからタイマーを取り出した。
「あなたの奥さんへの愛情が強ければ、こんな理不尽な目に遭っても助けられるはずですよね」
「…望むところだ」
「奥さんを選ばれましたら、弟がいる棺桶を燃やし、私はこれで死にます」
そう言うと、誠は上着のポケットから拳銃を取り出した。拳銃を自分のこめかみに
当てる動作を見て、宮本は呆気にとられる。
「しかし、あなたが僕がいる棺桶か弟の棺桶を選んだ場合、奥さんとあなたを殺します」
誠が拳銃を宮本の方に向ける。
「ちょっと待て!これまでのルールと違うじゃねぇか」
「今回で最後の予定にできるのはあなたですよ。あなたが奥さんへの愛情が強ければ、僕たち悪者はやっつけられるんですよ。いい機会でしょ」
「意味が分からねぇ。そもそも、なんで俺が特別だと言うんだ。答えろ!」
「では、始めます」
誠が質問に答えることなく、スタートのボタンを押した。
「おい!ちょっと待て」
制止を呼び掛けるも、タイマーは始まってしまった。
“0:59”。始まりと共に緊張感が高まっていく。誠が言ったことが理解できず、考えようとしたが目の前の状況を乗り越えることに意識を集中させる。
-愛子。お前はどの棺にいるんだ。
心の中で悲痛な悲痛な叫びをあげる。ここで選べなかったら、彼女は死んでしまう。
“0:50”。1秒1秒と減っていくカウントを凝視しながら、必死に考える。
-何か手掛かりになりそうなものはないのか。
そう考えた途端、今までの事件の話を思い出した。それは、被害者たちの話だった。
最初の被害者である松本太一の場合、“2”の棺に愛する娘がいた。次の被害者である横田敏夫の場合は、“1”の棺に妻がいた。
-選ばれていないのは、“3”の棺?
まだ指定されていない棺。その番号の棺に愛子がいるのではないか、そう考えたのと同時に、わずかの希望を抱いた。しかし、瞬時に疑問が覆いつくした。
これは杉浦の罠ではないか。話を詳しく聞いている宮本は、こう考えるだろう。
だからこそ、“3”の棺に愛子がいるだろうと思わせて、違う棺にしたと考えることもできてしまった。
「くそっ!」
心にたまった文句が、思わず声に大きく出てしまう。
“0:30”。もう半分が過ぎたと認識すると、焦りの気持ちが強まってくる。頭を強く脈打つ感覚のせいで、思考が鈍ってくる。
-何かヒントはないのか。
宮本は3つの棺を左から順に視線を流していく。何回か繰り返すも、答えにたどり着くことはない。
-俺ならどれを選ぶ。
頭の中で一番最初に浮かぶ数字は何かを選ぶ。数秒かけて、選んだのは“2”。この数字に自信を持ちたい気持ちに駆られるが、そうはいかなかった。
妻のいない棺桶を選んだら、妻と自分が死ぬ。自分の場合、頭を打ちぬかれて、一瞬で死ぬ未来。妻の場合は、長い時間をかけて地獄の苦痛を味わいながら死ぬ未来。妻に訪れるであろう死の未来に宮本は恐怖を抱いた。
-だったら、どうすれば…。
その時、頭の中である一言が蘇った。
「あなたの選んだことを進めばいいじゃない」
愛子の言葉だった。
20年前、警察官を辞めようかと思い悩んでいた時期にかけられた言葉。目の前の惨劇に怖くて足が踏み出せなかった自分がふがいなく、今後このような事件に立ち会っていくと考えると怖くてしょうがなかった。しかし、そんな気持ちに反するように、まだ続けたい気持ちもわずかにあった。小さい頃から抱いていた夢を実現したい。そんな気持ちを愛子に話したときに、言われたのを思い出した。
愛子に励まされ、その時選んだ道は正しかったと自負できるようになった。
-自分の選んだ道を進めばいい。
決心ができた。決心ができたものの、不安しかなかった。失敗したら、最愛の人が死んでしまうのだから。しかし、そんな気持ちを抱きながらも、誠と視線を合わせて
はっきりと告げる。
「2番の棺だ」
「2番ですね。分かりました」
誠がタイマーのストップボタンを押した。宮本は誠が手に持っているタイマーを見る。“0:04”、残された時間はあとわずかだった。
「頼む…」
神への祈りが、思わず声に出てしまう。誠は笑みを浮かべながら、宮本を見つめる。
-2番であってくれ。
「おめでとうございます。2番が、愛子さんがいる棺です」
「えっ?」
思わず聞き返してしまった。情けないほどに裏返った声だったと、一瞬恥ずかしい気持ちに陥った。
「宮本さんの奥さんへの愛情が強かったんですね。僕たちは、それに勝てなかった」
寂しそうな表情を浮かべ、誠は“1”の棺に向かった。
「ごめんな、実。もう少ししたら、そっちに行くから」
誠はズボンのポケットからライターを取り出し、で火を起こした。“1”の棺桶に火
を付けると、全体に広がっていった。
炎に包まれる棺を宮本は呆然と眺める。さっきまで抱いていた怒りは消え去り、棺を見つめている誠に憐れみの感情を抱いていた。
-あんな事件がなければ、こんなことにはならなかったのか。
誠が宮本に近づいてくる。後ろに回り、宮本を縛るひもを解いていく。身体に掛かる圧迫感が無くなり、宮本はその場で大きなため息を吐く。誠は左手に持った拳銃を自身のこめかみに当てる。
「死ぬ前に1つだけ話しておきます」
「何だ」
「人は誰かを愛し、ずっと大切にしていきたいと思っている」
「それがどうした」
「では、相手からも愛してもらっていると断言できますか」
「えっ」
その瞬間、誠は引き金を引いた。室内に轟音が響いた。こめかみから大量の血を流しながら、誠は力なく倒れた。弾丸が撃ち込まれた傷から、血が流れ出ていく。開かれたままの瞳にはもう生気は感じられなかった。
-一体、どういうことだ。
命を絶つ前に言われた一言が引っかかり、困惑を極めた。
「そうだ。愛子」
考えている場合ではない、早く助け出さないと。そんな気持ちが大きくなり、宮本は“2”の棺に近づき、南京錠を開ける。
「愛子!」
重い蓋を持ち上げ、床に置く。中には、口にガムテープを張られ、涙を浮かべている愛子の姿があった。
「良かった。今、助け…」
愛子の身体を起こそうとした時、愛子の腹辺りに置かれた一枚の封筒を見つけた。厚みがある封筒を手に取り、中身を取り出す。何枚かの写真が出てきて、一枚ずつ見ていく。その写真を見て、宮本は感情を激しく揺さぶられた。
こちらに笑顔を浮かべる二人の姿。仲睦まじい恋人のように見えるが、常軌を逸している写真があった。ベッドで眠っている妻の横で笑顔を浮かべ、こちらを見つめる男。上半身裸の男とかぶさった毛布から覗く妻の身体。その男は、今しがた自殺した杉浦誠だった。
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