第9話 「後悔」
-どうして、こんなことに。
不安と恐怖が頭の中を埋め尽くす。大きく膨らんだ不安と恐怖が、最悪の未来を描き始める。
木の棺が燃え、中から宮本の苦痛に呻く叫びと恨み節が聞こえてくる。
「ごめんなさい、ごめんなさい…」
これ以上見ていられない。四谷は、頭に浮かんだ最悪の場面を消すために、目の前の光景に意識を集中する。
舗装されていない石だらけの道。車がその道を進むたびに、タイヤに石を弾く音が聞こえる。道の両側には、高く生えた木が林立している。辺りから鳥の鳴き声が聞こえてくる。
今日は8月10日。時刻は、午前12時15分。良く晴れた天気の下、太陽の光が緑色の葉に反射し、美しい自然の景色を強調している。心を癒しに来たい時、この緑に囲まれた景色は最高の場面のように見える。しかし、今の四谷にとって、そう見えなかった。
緊急事態の状況に置かれ、心の余裕がないからかもしれない。何よりも、この山の中で殺人が行われていたと考えるとおぞましいからだ。人を焼き殺している犯人がこの山のどこかに家を設け、そこで犯行に及んでいる。そして、今も犯行に及ぼうとしている。
「くそっ!」
焦りから苛つきに変わり、左手でハンドルを思いっきり叩いた。目的地である杉浦兄弟の別荘までの距離と時間がカーナビに表示されている。あと2kmと10分。
「早くたどり着かないと」
焦りの気持ちが、感情を呷ってくる。しかし、四谷は冷静になるように努めた。深呼吸を数回繰り返す。強く脈打っていた頭がすこし和らいだ。
いつものように警察署に出勤してきた際、同僚から宮本がまだ来ていないことを知らされた。
「寝坊ですかね?珍しいなぁ」
四谷は冗談交じりに言った。電話をかけるも、応答がない。念のため、宮本の家を訪ねることにした。
宮本の部屋の前に来て、インターフォンを押す。しかし、ここでも応答がない。
「宮本さーん。まだ寝てるんですか」
呼び掛けるとともに、ドアノブを下に引こうとする。すると、ドアノブがすんなりと下がった。
「あれっ?鍵が閉まってない」
鍵を開けたままにするなんて考えられない。四谷は、ドアを開いて中に入った。リビングを覗くと、荒れたような形跡があった。壁際に置かれた物置の近くに、何冊かの本が落ちている。
-誰かと揉めたのか?
そんな不安がよぎる中、床に何かが落ちているのを見つけた。よく目を凝らさないと見えない、黒くて細い糸。そんな糸を何本か拾い上げる。
「髪の毛?」
そう思った途端、ある仮説が立った。宮本は、杉浦兄弟に襲われたのではないかと。宮本の髪はほとんど白髪なのだ。
そんなことを思いたくはないが、四谷は髪の毛を持って警察署へ戻った。戻ってすぐ、DNA鑑定を申請した。しかし、DNA鑑定には時間がかかり、最短でも2日はかかる。そんなに待っていられない。四谷は杉浦兄弟の別荘に向かうことに決めた。
「どうして宮本さんが」
宮本がいなくなったと分かった時から、抱いている疑問。四谷は、宮本が狙われる可能性はないと考えていた。
一連の事件の犯人である杉浦兄弟は、事件の被害者遺族と出所した加害者をターゲットにしている。しかし、宮本は事件の被害者遺族ではない。なのに、どう
して捕えられたのか。
思考に耽っていると、助手席に置いたスマホが振動し始めた。突然の振動に驚きながらも、四谷はスマホの画面に視線を移す。
「村野さん」
四谷はインカムを右耳に付け、スマホの画面に表示された“通話”のボタンを右にスライドする。
『四谷。今どこにいる』
「杉浦の別荘に向かっています」
『勝手な行動なとるな!』
「でも!早くしないと宮本さんが」
『まだ杉浦の髪の毛なのか分からないんだぞ、結果が出るまで待つんだ』
その通りだと思った。杉浦に襲われたのかどうかなんて、まだ分からない。もしかしたら、宮本のまだ白く染まっていない黒髪かもしれない。しかし、それにしては不自然だった。
自然に抜けた髪の毛がある一点に集中しているなんて考えられない。その場で、何本かの髪の毛を抜かない限りは。そう考えると、宮本が犯人に抵抗した証なのではないかと考えられたのだ。誰かに、犯人を示すために。
一人で敵陣に向かうのは、危険だと分かっている。しかし、大切な人が命の危機に迫っていると考えると、いても立ってもいられない。
『相手は4人も殺している殺人鬼なんだぞ。一人で行ったところで、奴らに捕まる可能性だってあるんだぞ』
「すみません、それでも俺は助けに行きます」
『おい!待つん・・・』
村野の怒号が聞こえたが、四谷は通話を切った。そのまま、スマホの電源ボタンを長押しし、表示された“電源オフ”のボタンを右にスライドした。
「俺が助けに行かないと」
自分に言い聞かせるようにつぶやく。後日、どういった処罰が下されるか分からない。最悪、刑事を辞めざるを得なくなるかもしれない。そんな不安が頭をよぎる。しかし、宮本が殺される方が嫌だった。
-絶対に失いたくない。
四谷はアクセルを少し強く踏み込んだ。
* * *
家の全体を火が覆っている。勢いを増していく赤い炎と立ち上る黒煙。宮本はただその光景を眺めている。
見覚えがあった。20年前、大切な先輩であった
当時と違うのは、周りには誰もいないこと。真っ暗な夜の中、宮本ただ一人が家の前で立ち尽くしている。
-俺はここで何をしているんだ。
不思議に思いながら、ただ燃き崩れていく家を眺める。その時、首に強い圧迫感を
感じた。宮本は首に巻き付いた何かを必死に剝がそうとする。しかし、びくとも動かない。息ができず、徐々に意識が遠のいていく。
「どうしてあの時、助けに来なかったんだ」
後ろから野太い男の声が囁いた。
-四谷先輩じゃない。誰だ。
疑問が湧き、そして必死に否定しようとする。
「違っ..」
とぎれとぎれにしか話すことができない。心の中で、必死に否定しつづけた。そのまま、意識は深い闇へと落ちていった。
「違う!」
思わず出た自分の声の声量に驚く。
「はぁはぁ、夢か」
宮本は夢を見ていたのだと気づいた。
「質の悪い夢だな...」
荒い息を吐きながら、周囲を見渡す。宮本は異変に気付いた。
「ここは、どこだ」
周囲には生活感が漂うような家具が一切ない。代わりにあるのは、木でできた3つの棺桶。それぞれの棺桶の表面は妙なツヤを出していて、気味が悪かった。左順に、“1”、“2”、“3”と書かれた白い紙が貼られている。そんな光景を見て、宮本は恐怖を抱いた。
「俺は捕まったのか」
「そう通りです」
突然の帰ってきた言葉に、宮本は心臓が強く締め付けられる感触を覚える。
「誰だ!」
宮本は首を動かし、声の主を探す。
「ここですよ」
真後ろから囁かれる。後ろに向くことはできないが、宮本は怒りを含んだ声をぶつける。
「てめぇ、杉浦誠か」
「おひさしぶりですね。宮本さん」
床を踏みしめる音が室内に響く。左目の視界の端に、仮面をつけた何者かが入り込んだ。
宮本の前に立つと、仮面を取り始めた。露わになった顔を見て、宮本は目つきを鋭くする。
「やはり、誠か」
「そうです」
小麦色に焼けた顔いろのいい顔。松本太一が言っていたように、死にたがりの男になんて見えなかった。宮本の脳内に疑問が生じる。
「実はどうしたんだ」
「弟なら、どれかの棺桶にいます」
「何?」
誠が視線を棺桶の方に向ける。宮本もそれに倣うように視線を向ける。
「どういうことだ」
「まあ、これから説明しますよ」
「そんなのとっくに知ってんだよ。3人の内の1人を選ばせ、選ばれなかった二人を焼き殺す。棺桶の表面には油でも塗ってあるんだろ」
「その通りです。松本さんと横田さんから聞きましたか」
「ああ。だがな、なんでこんなことするのかだけは分からねぇ」
誠が鼻で笑う。ニヒルな笑みを浮かべる誠を見て、宮本は怒りを抱く。
「愛情の強さを知るためですよ」
「それが意味わかんねぇんだよ」
「こんな話を聞いたことがありますか」
誠の表情から笑みが消える。
「20世紀頃、ある国に住む双子の兄弟がいました。その兄弟は、同情したくなるくらい不幸でした。兄弟が5歳になった年、父親が自殺しました。大不況によるリストラのせいでした。しかし、それでも母親は絶望することなく、兄弟を育て上げようと頑張って行きました」
「一体、何の話をしてるんだ」
「ところが、兄弟が12歳になった年、今度は母親が強盗に襲われて死んでしまいました。兄弟は悲しみに暮れ、これからどうやって生きていくのか考えなくてはいけない。しかし、兄弟は母に似たのでしょう。絶望に打ちひしがれることなく、お互いを思いやり、お互いのために頑張って行こうと決心したのです。両親の死を乗り越えて」
誠の表情に笑みが戻っていた。なぜこんな話を持ち出したのか分からないままだが、宮本は話を聞き続けることにした。
「兄弟は大人と同じ環境下で働いてきました。扱いはひどいし、いじめられることもありましたが、それでもお互いのために生きてきました。そんな兄弟が15歳になった年です。兄弟が働いていた炭鉱で事故が起きました。突然の崩落によって、炭坑内にいた人たちが巻き込まれました。兄弟もそうでした。救出までに時間がかかる。それまでに全員が生きている可能性はかなり低い、そう思われていました。しかし、兄弟はなんと生還したのです」
「何?」
「巻き込まれた兄弟は、お互いを助けようと必死になったんです。崩落してから、兄は弟を探し出し、弟は兄を探し出した。愛しているから、決して失いたくない。閉じ込められてからも、お互いのために食料と水を分け与え続けた。そんな強い思いが、兄弟を巡り合わせ、生還を果たしたのです」
「結局、何が言いたいんだ」
「とっても感動しました。素晴らしい兄弟愛!どんな境遇においても、乗り越えたんだ!」
声を大きくし、感情を高ぶらせる誠を見つめる。
「だから、その話がどうしてこの犯行に結び付くんだ」
「僕たち兄弟で試したくなったんです!僕たちも両親を亡くし、互いを愛する気持ちがより強くなった。そんな僕たちの愛情は、どんな人よりも強いはずだと」
「イカレてやがる。そんなことのために、他人を巻き込んだのか!」
「宮本さん。それなら、彼らが大切な人を選べば済んだ話です。そうすれば、彼らは助かり、僕たちのどちらかが死ぬだけの話です」
「お前たちは、その実験のためなら死んでも良かったってことか」
「はい。それに、実験以前に死にたかったのは事実ですが」
「何?」
「今年の6月、僕たちの家族を壊した男が死刑になりましたよね。メディアで数日間取り上げられてました。しかし、ほとんどの人にとってはどうでもいい話でしょう。この人がこんな事件を起こして、やっと死刑になったんだ、くらいにしか思わないでしょう。でもね、僕たちにとってそうではなかった」
「どういうことだ」
「途端に生きる希望を失ったんです。なんででしょうかね。さっさと死んでほしいって思ってたのに。あいつが死んでから、もう楽になろうとお互い思ったんです。まぁ、そんな時にさっきの話を聞いたんですがね」
宮本は全く理解できなかった。目の前の男は、どうしてそう思ったのか。自分がもし、被害者遺族になったらと想像するも、そんな感情には至らなかった。
「さて、そろそろ実験の時間です」
誠は何か忘れていたことを思い出したように、手を叩いた。誠は胸ポケットから3枚の写真を取り出し、一枚目を宮本の前にかざした。左頬に残る火傷の跡。誠の弟である実であると瞬時に分かった。火傷の跡を消してみると、目の前にいる誠の顔によく似ている。
「では、二枚目です」
かざされた写真を見て、宮本は感情を揺さぶられた。激しい怒りを覚える。
「愛子。やっぱりお前が」
「あなたを連れ去る前に、彼女はすでに捕まえていたんです」
「まだ最初の質問に答えてもらってねぇ!なんで俺なんだ!」
宮本は大声と共に怒りをぶつけた。誠は怯むことなく、話し続ける。
「本来はこのような形ではなかったのですが、あなたの場合は特別でして」
「何?どういうことだ」
誠が3枚目の写真を宮本の前に翳した。その写真を見て、宮本は驚きのあまり言葉が上手く出なかった。
「なんで、お前なんだ」
「3枚目は僕です。対象は僕たち兄弟二人と、あなたの愛する奥さんです」
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